2007年9月3日月曜日

9月3日(月)クールビズ

クールビズ
1.今年から「クールビズ」に移行した。安部総理以下政府役人、慇懃頂点を行く窓口銀行マンさえ夏スタイルをしているというのに本校の教職員がネクタイで首を締めているのは見た目にも苦しいと考えたからでる。「本校教員の先生方は概して服装は立派である。」もともと前任の生指ばたけ一筋の校長が厳しく指導されたと聞く。男性教員は基本的にネクタイ着用であり、「おしゃれな先生」が多い。結構なことである。僕の経験では間違いなく公立の教員に比べて格段服装には気を使っていると見える。大いに満足している。
2.“ところがである。”このように新たなことを定めると[個人差が大きく表れてくる]のが世の常であるから始末が悪い。どう考えても「首を傾げる、場違いな、知性のかけらも感じられない、どのような職業人かと考えてしまう、教員とは思えないスタイルの先生」が目につくことも事実である。「衣は人そのもの」「つまらないものを着ていると、つまらない一生になる」「見た目も含めて自分だと考えられない人間は未熟な人間」「着るものはその人そのもの。コミニュケーションの道具だからおろそかにしてはいけない」などは漫画家槇村さとるさんの言葉であるが、まったく同意する。
3.話変わって本校の教員はゴルフ大好き人間が多いと聞く。何しろ僕が来るまでは毎月17日の休みを利用して仲間でコンペをしていたというから。「17日を仕事日にしてごめんなさい」。そのうちの一人の先生は人間性もよく、仕事も優秀で僕も評価しているのだが、「ゴルフ禁断症状」が出ているのではないか。その先生が「ゴルフウエア」を着て学校の中を歩いているのを一度見た。襟周りにグルツと英語が書かれ、胸には顔くらいの大きなマークがあるシャツだ。余程気に入っている服に違いない。
4. ある女性教員は胸元が見えるくらいはだけたシャツで、これでは男子生徒に良くないと思い、これは注意したが、その後も真っ赤なシャツに綿パンといういでたちだ。「これなど人そのもの」なんだろう。ある硬派の男子教員がある時、校長に「女性教員の透けて見えるシャツはいかがなものか」とクレームに来た。赤シャツ先生の話は前にブログでも触れたが、ここらが限界ではないか。
5.服装に無頓着な生活をしていれば行動が無頓着になる。この前、ある先生を指導で呼び出したら、校長の指導を受けるのに「ジャージでサンダル履き」という形で現れたときには、驚きおののき、さすがに声を荒げて追い返した。別に悪気があるわけではない。無頓着なだけだ。
6.仕事の出来る、人間的にも立派な方々は服装も決まっており、隙がない。「TPOともう一つ、自分の職業ををわきまえているということだ。TPOP(プロフェッション:職業)でなければならない。「教職という職業」でもっとも大切なことは「知性、品格」だと自分では思っている。服装は人間性そのもの、僕も時々恥ずかしくなってははきかえる場面がある。決しておしゃれでもなく品位もないが「人からどのように見られるか」が、判断基準の一つにはなっている。
7.別に服装を能力業績評価に反映することはないが、「服装にも気を使う配慮型教員」は間違いなく「学校における自分の存在」を形から高めていく一つのツールだと心得ている教員である。「教師百態の一つに服装」があることは間違いない。本校の例ではなく、一般論として今後できれば次々と教師百態を論評していきたい。「教師とひげ」、「教師と足元」「教師と酒」「教師と喫煙」等書きたいことは山ほどある。