2007年11月14日水曜日

11月14日(水)教師の服装

1.教師の服装への校長の監督権
・ 教師の服装や言動についてさまざまな批判が時に新聞記事の片隅を飾ることがある。確かに教師の服装について「ウーンと唸る」ことはままあるのが現実。企業社会から公立高校社会に初めて顔を出した時に、不特定多数の学校で先生と言われる方々の服装を見て「驚いた」ことは一度や二度ではない。さすがに「ジーンズ姿」は居なかったが、男性で言えば「ノーネクタイ」どころか、ゴルフ場の帰りか、自宅近くの川沿いの散歩から直接学校に来たのかと思わんばかりのポロシャツにベスト、セーター姿、ジャンパー、女性教員で言えばカーディガン姿等の先生は結構見かけた。学校は自宅の居間やサロンではあるまい。
・ 果たして教師の服装への「校長の監督権」はどのようなものであるか。答えは案外簡単で「教育活動を遂行する上で支障となる服装や言動が見られる時、また教師としての信用を失墜するような服装を着用したりする場合は監督権が及ぶ」とされている。教育公務員は法的根拠が明確であり、私立学校も「法令」「就業規則」等から規定されていると考えるのが普通だ。
・ 具体的な状態を示すと教師として相応しくない「けばけばした服装や、超ミニスカート、あるいは夏場などの女性教員の薄い上着などが問題」であると「教育法令書物」には書いてある。ただしネクタイについては書かれていない。
・ しかし実際問題として教師の基本的人権が保障されている中で、「教師の表現の自由」との兼ね合いから「どのような服装が相応しいのか」は極めて微妙な問題であり、教育現場での校長の指導は難しい面がある。どこまで良くて、どこからが悪いか、客観的に判断することが困難である。まして「校長の職務命令」を発するなど服装には馴染まない。職務命令は「卒業式の国歌国旗起立問題」だけで良かろう。
・ 結局のところ「教師の自覚が基本」であり、教師が自分自身の問題として慎重に考え、自律的に自主的に決定するものであろう。「教師が教職についてどのような使命感を持ち、どのような教育観をもっているかに深く関わってくる」ものだ。「教師の個人としての生き方の問題」と捉えることもできる。
・ 加えてその「学校の風土というか雰囲気やモラール」も関わってくる。生徒、保護者、地域社会への影響など教職という職業人は今日、些か「教員バッシング」が強くなったと言え、未だに「高い社会の尊敬を受けている職業」である。
2.本校の教員の服装
 ・お世辞ではないが「立派」である。これは前任の校長の指導もあり、また「風土としての浪速の特徴」だと思う。他の私学の状況は全く知らない。大半の先生は教員というか社会人としてどこから見てもおかしくない服装をされている。「勿論例外はあるが」。それどころか概して「おしゃれな先生」が多い。物も良いものを身につけている。 中にはローレックスの時計を2個も持っている先生が居るという。
・ 男子校だったから長い間女性の先生も居らず、男子校時代のイメージを引きずる男性教員が夏前「あの女性教師の透けて見える薄い上着は問題である。なんとかすべし」と校長にクレームをつけに来たことがあったが、せいぜいその程度で、その件は職員会議で「クールビズ移行を機会」に全女性教員にお願いして1件完了した。
・ 問題は「男性教員のネクタイ着用問題」である。前述した男性教師は何時も「隙のない立派な服装」をされておられ、大半の先生が着用されているのだが、どうしても出来ない先生もいる。そういう先生には授業参観や小学生向けのモデル授業時には、わざわざ校長が電話して「ポロシャツは止めて、ネクタイしてね」とお願いするが、ちゃんと受け入れてくれる。
・ その昔本校では今や「語り草」になっている「ネクタイ事件」というのがあったそうだ。ある優秀な非常勤講師の先生がネクタイをしないため、当時の校長が「注意か、お願いか」知らないけれども、言及したら「辞めた!」と言って本校を去ったという。これは大きな事件となり、「あのように優秀な教員をネクタイくらいで辞めさせなくとも」などの声が他の教師から上がったらしい。当時の校長に確認したら(こういうのは好きだから)「辞めさせたのではなくて、辞めて行った」と答えておられた。ところが本日他件で初めてお会いする機会があったのだが、ちゃんとネクタイをされていた。「どうしたんだろう?!」
・ 「私学だから生徒・保護者は生活の糧」でこの点では公立学校と変わらない筈であるが、現実には前述したように些か趣が異なる。入学式,卒業式は当たり前であり、保護者懇談、入試説明会等は学校の明確な意思を示すためにも「それなりの服装は必要」だ。「礼儀、礼節の問題」だ。保護者も学校に来られるときはちゃんと区別して来られている。学校や教師に一目置かれているのだと思う。誰も葬儀や結婚式に普段着では行くまい。更に加えて本校では「ハレの日」が多い。いわゆる「神社神道の学校としてお祭り」があり、一斉参拝なども重要な儀式だ。こういう時も考えねばならない。
2.「装い」のセンス
・ ただこればかりは「指導はできない」。「センスがある、なし」など不遜なことは言えないが、正直なところ「もう少しなんとかならないの」という対象者はおられる。
・ 私が「服装は戦闘服」「服装は個人」「服装は生き方」「服装は意思」などと個人の思いをプライベートの席などで言ったりするものだから、対抗心を燃やしている先生もおられる。これが面白い。こちらも負けじと受けて立つ。
・ 60人の専任教員で「この人は目立っておしゃれで服装に気を使っているな」と思われる人は10名、逆に「何とかならないの?」と思う先生は体育科の先生を除いて男女合わせてX名か?体育科の先生はジャージが仕事着だから仕方がないか? しかし通勤時は違うだろう!
・ 最後に服装は「足元まで入っての服装」だ。実は「靴が重要」で、案外学校の先生は足元に油断がある。ある時理事長室の応接セットで管理職を含む数人の先生方と懇談していたら、位置が低いだけに「くたくたの靴」「汚れた靴」「磨かれていない靴」が目につき、つい口に出したら、慌てて椅子の下に脚を引っ込められた。それ以来何時も靴が光っている。
・ 男の服装はすべて「足元に集約される。」これは若い時、ニューヨーク駐在時にアメリカビジネスマンに教わった教訓だ。「男のおしゃれは靴とネクタイ」。中でも「大地に立つ脚を装う靴」が重要だ。