2007年11月22日木曜日

11月21日(水)学年主任と科・コース長

学年主任と科コース長
1.「普通科だけの学校」ではまったく議論の余地無く「学年主任」の存在感は極めて高い。「花形の職位」と言ってよい。学年をまとめ、各担任と協力し、成績処理や進級、卒業、修学旅行等々とにかく極めて重要な職位である。これは疑いようもない。
2.学年主任を経験するということは他の分掌の主事同等、もしくはそれ以上にその「教員のキャリアを飾る。」ところがだ。浪速に来てどうも感じが違う。学年主任の存在感と言うか、学校全体の意思決定における役割がいささか、前任校と趣が異なっているのだ。分かり易く言えばどうも遠慮がちに見えるのだ。着任後しばらくの間、事あるごとにこの種の発言をし、自分としては「学年主任」を盛り立てて来た積りである。
3.何を言いたいかというと普通科以外の「科・コース」がある学校ではそれらの「科、コース長の存在と影響力」が必然的な現象として被さってくるということに気づいたのである。早い段階で気づいたが、しばらく静観して、夏から秋の学校行事をすべてこの目で観察してきた。
4.科、コース長の存在を薄めていけば、「何故、科コースを作ったのか」を問われかねない。科・コース長は自分の預かる理数科や特進文科、総合コース、英語集約コースをそれぞれの科・コースの目的を考え、「やるべきことをしっかりとやっておられる」一方学年主任は「学年の特徴を出し、揃って学校行事を行い豊かな高校生活を過ごさせてやりたいと考え行動している」。ところが実態は遠足も学習合宿も科・コース単位で「学年主任のやりにくさ」は容易に理解できる。どうしたら良いのか?
5. 要は「学年主任と科コース長が連繋よくコンビネーションプレー」すれば「生徒のためになる」と考え来年度に向けて役割分担をもう一度整理し、見直すことを副校長先生と議論をしている。特に20年度からは理数科SSコース、普通科Ⅰ類,Ⅱ類、Ⅲ類と大幅に募集要項を変えており、あと2年は移行期間もあり、ますます学年主任と「科長・類長」のコンビは大切である。私が信頼する校務運営の責任者である副校長は案を有しているらしいが、どうも気になってならない。
6.20年度からは現在の総合コースは名前も「普通科Ⅲ類と変えて共学に移行」する大きな節目の年度だし、この学年は2年次に行う「修学旅行が国内旅行と海外旅行の2コース制」とした。今のところオーストラリアを考えており、その準備に「学年主任」は大変だ。新年度に入ったらすぐ具体的な検討に入らねばならない。一方理数科長や、類長はしっかりと「進学実績」を高めて貰わねばならない。
7. 副校長原案はまだ存じないが20年度から、大きく変更すべき点で今私の頭にあるもので言えば:成績会議と成績集約は科・類長に戻し、その代わり「生徒生活指導」については全面的に「学年主任に権限」を与える。この部分は極めて重要で今まで科、コース長に遠慮していたとするなら、大きな問題である。「生徒の生活指導は理数科と普通科で差はあるまい」。科・コース長はともすれば自分の科やコースを可愛がる余り、生徒指導の面で温度差が出るとするならば良くないし、「教員間の温度差」が出ることは決して生徒の為にならない。従って全面的に学年主任指揮下の担任団を統括する学年主任が生徒生活指導に関わる全ての権限を持てば良い。
8.「生徒生活指導部長」は学年主任と連繋し、「あの類は、あのクラスは良くない」と厳しく対応すれば良い。言われた科長や類長は時に学年主任は謙虚に耳を傾け、指導を受ける形が良い。言い換えれば科長、類長のともすれば視野狭窄に陥る弊害を学年主任が学年全体を俯瞰し温度差なく平均して比較指導することが全体のためになるとの考えである。
9.確かに今まで補導会議や校長申し渡し式には科、コース長と学年主任両方の出席を義務つけていたが、どちらが「生指に責任を第一義的に有しているのか」。忙しい毎日だ。出席義務は学年主任だけとしたら良い。科・類長は「縦軸」即ちそれぞれの科、類の1年生から3年生まで面倒を見て、学年主任は「横軸」即ちその学年の面倒を見るという訳だ。
10.分かり易く言えば「学力」は科、類長が、「生活規範」は学年主任が主として担当すると考えたらよい。勿論両名とも校務運営委員会のメンバーで重要閣僚である。学年主任は担任を外れるのが本校のやり方らしいが、これには反対である。担任を持ち、ホームルームを実施することから「今日的生徒の実情」を肌で感じることが出来る。教師が担任から離れたら私の感覚で言えば「教師でなくなる」。(「教師と担任」は別途のブログで。)公立でも学年主任は担任を持っている。ただ「持ち時間減は配慮」しなければならないだろう。