2008年2月8日金曜日

2月8日(金)入試前日

受験日前日
1.試験会場準備
・ 今日は2限で授業は終了させ、生徒には私物を自宅に持ち帰らせ、早々と追い出す感じで準備に入る。勿論一部生徒の協力を得るのだが、どことなく皆余裕のある顔をしている。長いすを入れたり、各机に受験番号シートを張ったり各部屋の責任者が部屋の中をチェックしたりしてくれた。見ていて感じが良い。
・ 信じられないのだが昨年は午後になると特段用事の無い先生は帰宅していたそうで、学年主任や科コース長が会場を見廻る慣例だそうだが、掃除が行き届いてないところは学年主任などが手を入れたという。今年からそういう光景はなくなった。
・ 教務部長は指折りのパソコンの使い手で会場、監督表など私にはカラー版で渡してくれた。万全の準備だ。彼の案内で主だった会場を視察に廻った。昨年の今頃は校長兼務ではなかったから本校のシステムをよく知っているとは言いがたかったのである。
・ 「放送要領」も準備され盛んに中学の教務主任が試放送していた。声は良かった。ところがその資料を良く見ると「8時40分に建学の精神について学校長からのお話があります」というのがある。
2.校長先生のお話
・ 「ナヌッ、校長の話?」「ちょっと待ってよ」、8時45分から始まる試験の5分前に何の校長の話か。慌てて前校長先生に問い合わせた。こういうことらしい。随分と前、20年くらい前に神社神道の学校であるということを知らず受験をし、合格したあと、「そんなことは知らなかった。うちの子はお寺の子です。学校行事の神道的なものは困ります」くらいな、小さな揉め事があって以来、この放送をしてきたという。
・ 経緯は分かったが、今日、数万部作成してもう後数部しか残っていない「学校案内」には明確に記している。「学校公式サイトホームページ」には更に詳しく建学の精神など記している。年何回もある「塾説明会」でもお話している。浪速高校は神社神道の精神を建学の礎に持つことはいまや大阪では周知の事実であろう。
・ こういうと前校長先生は1.5次とか2次とか、他府県から受験にくる生徒もいるといわれるのだが、本当に必要なことであろうか。大体「私学はいずれも宗教系がある割合で主体」である。
・ 仏教系では真言宗、浄土宗、浄土真宗東本願寺派、クリスチャン系、金光教系、PL系、とにかく本校だけではない。それに「本校は文部科学省の学習指導要領にのっとった普通の高校」で特段変わったことをする学校ではない。神道系の学校行事はあるが別に「神職養成学校ではない。」
・ 貴重な試験開始5分前から、1分間も校長が建学の精神を話す必要はあるのか、緊張している受験生が1分間の校長の話など頭に入る訳がない。どうも「ちゃんと説明しましたよ。」みたいな「免罪符を得るための儀礼だな、これは」。このようなことは意味はないのではないか。私はそう思う。
・ 大いに疑問はあるが本年はもう間に合わない。来年どうするか教員の意見も聞きながら決めればよいか。しかし校長がするべきではない。大体入学許可も出していない不特定多数の受験生に学校長が公式なメッセージを出すべきではない。
・ 「入学式」ではちゃんと本校の沿革と教育方針をしゃべるから、明日は副校長でということにした。合格通知から入学式まで時間はあり、「神社神道の学校は厭だ」と思われるのであれば辞退のチャンスはある。そういうお方は早めにご遠慮願った方が良い。
3.改正教育基本法における「宗教教育
 ・まず私立学校の教職員は昨年改正された「新教育基本法」をチェックしなければならない。詳細は別途理事長・校長公式メッセージに論考を張らねばならないが、「極めて大きな政治的妥協で修正というか変更」がなされたのである。
 ・第2章教育の実施に関する基本」第15条がそれである。「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。国および地方公共団体が設置する学校は特定の宗教に為の宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」とある。
 ・一方改正前の旧法は第9条で「宗教に関する寛容の態度、及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。国および地方公共団体が設置する学校は特定の宗教に為の宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」である。
 ・クイズ「どこが異なるか1分で見つけよ」ではないが、たった一文「宗教に関する一般的な教養」が新法で付け加わっただけなのである。しかし結構この一文の意味は大きくて「宗教についての一般的な教養は学校教育の現場で尊重しなければならないのである」
 ・法案作成の段階では自民党を中心に大きな主張の「宗教的情操の涵養」の文言が削られた経緯がある。実はここが改正教育基本法の宗教教育のポイントであったのだが、最後の最後で自公連立政権は強硬な反対をする公明党に譲った形で決着がついたのである。
 ・しかし個人的に言えば今日的生徒を直視したとき、今もっとも必要な教育はまさにこの「宗教的情操の涵養」であり、「愛国心」の議論とともに「時は今、日本文化の原点、神社神道の浄明正直の精神をバックボーンに持つ浪速教育の時代の到来」と私は思っているのである。
 ・「今を生きる」しっかりと今を生きる、この精神が「神社神道精神の根本」であり、我々は本校を選択してくれたくれた生徒に「今をしっかりと生きる、浄く、明るく、正しく、直く、生きる」ことを教えていかねばならない。そのために「神道科の授業だけではなくて様々な学校行事を通じて」伝えていかねばならないのである。