2008年2月26日火曜日

2月26日(火)KY空気の読める人

1.卒業式の校長式辞原案作成
・ 大体私は「何時も頭のどこかで何かを考えている」ような気がする。食事をしている時でも電車の中でも、敢えて言えば寝ている時でもそのように感じる時がある。自宅に帰って陶芸のろくろを回しているときとか、良い映画を鑑賞している時とか、スポーツの観戦に熱中している時とかに、一瞬全てを忘れて没頭することはあるにしても頭のどこかで24時間考えるようになっているように回路が自然に出来ているのかも知れない。
・ だからと言って特段良い考えとかが浮かぶのでなくて、「下手な考え、休むに似たり」で、結局元のままだったり、返って悪い結果を招くようなこともある。そのような訳で「今年の卒業式の式辞」について、ここ1ヶ月の間、「何をしゃべるか」考えたものを文書にした。文章に打ち出したら後は一直線、簡単だ。15分もあれば文書に出来る。後は卒業式の前日まで手直しがあるだけだ。大きく変わることは無い。
・ 私にとって「本校初めての卒業式」、何と言っても「学校における最大最重要の行事」である。1年ブランクがあったがこれで通算5回目の式辞である。毎年少しづつ変えてはいるが「贈る言葉」がそうそう変わるのもおかしい話で、その学年や、最近の社会状況等を考えながら「思いを伝える努力」をする。
・ 神聖にして神妙なものである。斎戒沐浴してつくるような価値あるものと考えている。その昔は「奉書」というもので墨汁を滲ませ、縦書きにして書く慣わしで、今でもこだわる校長先生はそのようにされている。そしてその式辞は何年も学校に残しておくという。私の場合はワープロだ。もうそれで良いと思っている。
・ 校長が何を生徒に訴えるかを「当てる」人はすごい。しかし浪速の教職員なら当てなければならない。ちょっと考えれば絶対に当たるはずだ。職員会議での発言、一斉参拝、朝礼、校長講和、保護向けの話など頭に入れている人は「分かる筈だ。」こういう感覚は組織においては重要だ。今日流に言えば「KY空気の読める人」ということになるのか?
・ 例え当たらなくとも考えることが大切だ。それで校長との距離が近くなる。賛同するとか、反対とかそういうことではない。組織の管理者が何を考え、何を思い、何を伝えようとしているのか、関心を持つことが大切と言っている。
2.空気の読める人
 ・事務室のある職員に次のように言われたことがある。「校長ブログは考えに考えて出されていますね。私は内容もさることながら、出し方とその順番に大変興味があります。」と言ってくれた。この人は勘の良い空気の読める人である。
 ・別に考えに考えて書いているわけではないが、「順番」は結構気にする。社会の出来事にコメントする場合でも「旬な時」はあり、タイミングを外したら訴える力は減殺される。マッチングするとブログの文章も勢いを増す。
 ・当然私も空気を読みながら「ブログ」を書いている。これが大切だ。不特定多数の人、それは社会の人々か、本校の教職員か特定の個人を頭においたものか、区分して、タイミングを図りながら出している。
・私のブログの向け先は圧倒的に「教職員向け」だ。次に保護者向け、そして塾関係者、公立中学校関係者、社会一般の方々と続く。生徒など念頭にはない。しかし生徒からもどうもよく読まれているらしいが。主に教職員に伝えている私のブログの狙いは、「学校の状況を見ながら、そして空気を読みながら教職員に校長の思いを伝えている積りだ」。
 ・昨日のブログは中学校生徒のアンケート結果をまとめた物であるが、頭の中には2月23日以降あったもので、それを昨日、五ッ木の模試と合わせて書いたものだ。良いことと若干耳に痛いことをドッキングして書いて配慮したのだ。
 ・あれは中学校向けだと単純に思う人は空気の読めない人である。「全ての教職員に校長のメッセージを発信している」と考えることの出来る人はすごい。「その通りだ。」「生徒は教師を良く観察しているよ。それは大筋間違ってはいないよ。立ち振る舞いはしっかりしてね」等々を全教職員に私は発信している。
 ・2月20日のブログは「遅刻考」を書いたが数日後早速生指部長が立派なデータを持参して説明に来てくれた。「データの不備」について危惧したら「そんなことはない。ちゃんとある。」と言いたかったのかもしれないが、私がデータを見たのは初めてだった。すかさず用意する生指部長は空気の読める人なのである。
 ・「アクセス数については企業秘密」であるが、昨年スタートした6月からに比べ格段に伸びている。宮崎県の東国原知事のアクセス数は一日10000件というが、役職、規模を考えれば不足は言えないと思っている。毎日あれだけの人が目を通してくれているだけでも有り難いと考えている。
3.ブログ
 ・以上のような訳で何時も考えているから、ブログの内容には事欠かない。それに書く事は嫌いではないから、「すぐ出来る」。苦にならないのだ。少し長すぎるのが良くない。分かっているのだが、夜、時間があるからついつい長く書いてしまう。
・まず教職員向け、教育に関するテーマが原則、(時々逸脱するが、これも空気を読んで偶には息抜きを考えた結果です)、個人名を出さない、生徒の事には触れない、人権感覚等配慮しながら発信している積りです。
 ・理事長、校長なんだから、ブログではなくて「直接メッセージで訴えたら良いのでは?」という声もあろうが、それは「しっかりとやっています。やり過ぎるくらいしています。」これ以上「校長メッセージが次から次と出てくると、教職員も大変だと思ってブログで些かトーンを下げているのです」。表の理事長・校長メッセージは「職務命令」だと考えることも出来るからです。メッセージは強制力を持ちますが「ブログはあくまでブログ」、覚え書きであり、日記です。
・ それに大切なことは学校からの「説明責任」も兼ねています。「透明性を高めて公開することが公的存在では重要なこと」になってきました。「学校は社会の公器であり、重要な装置」です。一般社会に発信することが重要です。私はそれを公式メッセージとブログで実施しているつもりです。
・ 政治家、芸能人、とにかくブログばやりですが中にはどうかなと思うものもあります。衆議院議員の杉村太三先生のブログなど「もう少し何とか?」と思ったりします。昨年の6月1日に始まり、何とか1年間はやり抜くことを決心しています。