2008年3月18日火曜日

3月18日(水)大阪桐蔭高校と授業日数

1.中学校転入試験判定会議
 ・ 浪速中学校新2年生と3年生に複数名の転入希望者があり、本日試験、判定が行われた。それぞれの事情があって公立中学から私立中学への転入希望だ。まったく通常の手順で試験を行い、面接を行い、中学校の校務会と運営委員合同の判定会議で検討し、最終的に校長が入学許可を決定した。明日発表を掲示する。
2.進級判定資料概要の事前説明と些かの指摘
 ・ 学年単位で明日にかける「進級判定会議」の基礎資料の説明を各学年主任から受ける。正直「ウーン、という成績の生徒もいる」のは事実だが、教員の追試、追加指導等で「追い込み」をかけて教員は「なんとか進級させてやりたい」と頑張ってくれている。「本校の面倒見の良さ」だ。この点は極めて立派だ。ただ「些か問題もあることが生徒の動きと他校との比較」を見て感じる。
・ この面倒見の良さは良いが、このために「圧倒的に多い普通の生徒の面倒見がお留守になってはいけない」。高校中学の教頭、教務の副部長、進路部長、1,2年の学年主任、理数科長を集めて少し議論した。
・ 年度末の一番大切なこの時期をいかに一般の生徒に「不足した部分」や「弱点克服」「1年間の総復習」などをするかの「視点が抜けている」のではないかという「問題提起」だ。「重要な教育対象を見逃している」。そうでなければ「何か意図」があるのかと疑いたくもなる。
3.授業日数
・ 午前の最も良い時間をかけて、ほんの一握りの一部の生徒にかかりっきりとなって、「遅れた生徒にばかりに時間を取り」、「もっともっと伸ばすべき生徒への配慮が足りないのではないか」という指摘だ。「教員の勤務時間は夕方5時近くまである」。多くの教員は職員室に座っている。
・ 何でこの時期、会議がすべて朝の9時とか10時なの?午後にしたら午前中は時間が取れるのではないの?何で中学校と高校の「渡り」が規制になるの?同じ勤務時間でしょう?何で追試が午前なの、専願点呼が何で朝なの、午後にしたら良いでしょう。追試が何で一日2科目程度なの?言いたいことは山ほどある。
・ 議論の課程で私も評価している、ある良識ある、賢い某教員は「昔の残渣」ですと言い切ったが、もう残渣は払い飛ばさなければならない。大体授業をせずに終了式(本校では年度末は終業式といわず終了式)まで一般の生徒を「自宅放置」させて理屈が通るのかと言いたい。「普通の学校は授業が終わった翌日が終業式」だ。自宅に何日も放置する学校などあるまい。本校は公立ではない、私学だ。
・ 「年度末の時間の使い方を再度整備」しなおさねばならない。理数科にも不満だ。「理数科は習熟度別を公式に認めている課程」だ。「難関大学を目標と学校案内に書いている」、「そういう約束で学力のある生徒を募集」しているのだ。。それを「一般と同じような授業時間や教科書の進捗では詐欺」といわれても仕方があるまい。理数科は3年間の教科書を2年で済ませ3年生は「演習」だ。どこの学校も実態はそうだ。進学校で英国数、教科書通りにやっているところなどあるまい。これでは難関国公立、私立に入れられる訳がない。
・ 教科書を使うのは楽だ。「プリント」を用意しなくても良いから。しかしそれでは「難関国公立に進学させるには「授業時間が足るまい」。誰でも分かる理屈だ。要は進学実績を上げるという崇高な目標を上げても、やっていることは、そのへんの「温泉高校」(ぬるま湯高校)と同じだ。
4.大阪桐蔭高校
・ 文武両道を誇る「桐蔭高校のカリキュラム」を勉強すればよい。桐蔭は凄い学校だわ。実績を上げているところはやはり違う。「年間授業日数は267日」だ。267日だよ。教職員の法定出勤日が大体283日以上だから「教員が出勤している日は授業をしている」ことになる。
・ 授業時間の多さ、これを桐蔭は「売り」にしている。桐蔭みたいな学校でそうなだから、本校はもっと頑張らねば追いつくわけがない。離されるばかりだ。聞いた話だが、大体夜9時前に帰る教員は居ないという。本当かな?桐蔭中学でも50分授業で週40単位の授業だよ。それで267日の授業だよ。すごい。別に夜9時まで残ってくれとはいわないが、「勤務時間一杯は働いて欲しい」。
・ 1,2年生の3月の授業は学年末考査は3日間で済ませ(本校は5日間)、その後は「春季特別授業」と称してなんと3月26日(本校は3月13日)まで授業をし、その間ちゃんと保護者懇談会などを入れ、27日が終業式(本校は21日)だ。特別授業が年間59日あるという。全然違う。
・ こういうのを見ると私は「落ち込む」。なんで本校はそういう「発想が管理職からも進路からも、理数科からも教務からも出て来ないの?」という訳だ。教員は高校も中学も様々だ。とにかく教員間の均等論がまず先にくる。通らない理屈は言うが「ようはしんどいことはしたくないではないのか」「要は早く早く家に帰りたい、休みたい」ということではないか。これは副校長が認めた。確かにそういう面はあったと。
・ 帰りたい人は帰って貰って結構だが「勤務時間内は授業でも何でもして欲しい」。それが「契約」だ。それに「横並びの発想」は間違っている。野球をしたくて入ってきた桐蔭の中田選手と京大に進学したい進学コースの桐蔭の生徒とは当然スピードも内容も異なって当然だ。それを昔、本校では「反対」という輩がいたそうだが許せない。
・ 「大体何もやらなくて、好きな部活指導が本務で、クラブ指導の合間に授業をしているという教員がいるとすれば大問題」だ。本末転倒である。「自分の子女を本校に通わせたいと思わない」で自分の子どもは四天王寺や清風南海、桐蔭、京都洛南などに行かせている教員はそれらの学校の取り組みは分かっているはずだ。それらを見て「ああ、うちは楽な学校で良かった」と思う人は教員失格だ。「教員ではあるが教師ではない」。無責任極まりない。
・ ある学年主任に会議で「どう思うか?」と聞いたら「行事どおりにしています」と返ってきた。これ以上言うのが馬鹿らしくなってそれでいうのを止めた。 議論にならないのだ。
・ 「決して私は諦めない」。この学校が「まだまだ、もっともっと素晴らしい学校」なるため、私は「不退転の決意」でやる。志を同じくする教職員を集め、「仕事ぶりと成果に応じて処遇」を考えていく。決して私は諦めない,負けない。私がやるといったら絶対やる。我が人生、最後の勝負の時だ。覚悟は出来ている。サボりと無責任教員は絶対に許さない。」