2008年3月20日木曜日

3月20日(木)名ばかり管理職論

名ばかり管理職パターン1
・ 遂に「連合」が「名ばかり管理職の実態調査に乗り出す」という。夕方、NHKは報道していた。この背景は日本マクドナルドが若い店長を管理職として扱うのだが実態は「名前だけの管理職」で「残業代を払わなくて責任だけを押し付ける」という「不届きな行為」を司法、社会が糾弾した事件以来この言葉「名ばかり管理職」が社会問題となってきたことにある。
・ それにしても「品格のない会社」はあるものだ。若い青年が本社の偉い人に「貴方は管理職店長だ。頑張って売り上げを上げてね。」といわれて頑張らない日本の若者はいないだろう。若者に限らず40台、50台も「やりがいと責任」に自分を鼓舞して頑張る筈だ。
・ まして非正規社員との格差が大きく問題提起され、「雇用不安」の中で小さいといえども、店長は一国一城の主だ。「ようやく自分にも風が吹き始めた。辛抱してきた甲斐があった。」と心を奮い立たせる筈だ。普通の人間ならそうなる。
・ 家族も「お父さんは店長」と父親を誇りにして、張り切っている父親を見ると元気になったはずだが、毎月の「給料袋」を見て愕然とする。責任に見合う給料となっておらず、少しばかりの管理職手当てがついているのだろうが、「残業代はゼロ」だ。
・ 家計を見ているお母さんは「びっくり」するが、何も言わないお父さんの姿を見て物も言えなくなる。父親は店長になった途端、夜は深夜に帰宅、帰っても何か帳面を付けたりして朝は早くから家を出る。
・ 疲労が蓄積するのは当たり前だ。疲れきって、口数も少なくなり「何とか家族のために頑張ろう」とするのだが、「手取り給料が管理職になっても下がる」のだから、「生活の質は低下」する。
・ 母親はお給料が上がるだろうから少し貯金を増やして「持ち家計画」と夢を抱いていたのがまったく違う現実に夢も希望も失い遂に家庭は崩壊する。店長になったばかりに家庭が暗くなるとはまったく間違っている。
・ しかしこういう品の無い会社が徐々に増えていっていないか。私がここでそれらの職種などを論評するわけにはいかないが、一部企業は人件費削減として非正規社員を増やし、「従来とは違った概念の管理職」を作り始めたと私は考える。
・ 従来とは違った概念の管理職とは「簡単に言えばグループのまとめ役」だけで、別に戦略とか経営資源とかはすべて本社機能とし、現場の管理職は「ただ働いて非正規社員の管理」だけで結構だというもの。当然呼称は管理職店長だから「売り上げ減少の責任は問われる。」酷い「残酷物語」だ。
2.名ばかり管理職パターン2
・ しかし注意しなければならない。もう一つの「名ばかり管理職」がある。管理職手当てはバッチリ受け取っているのだが、「一向に管理職の仕事をしない管理職」である。これを「名ばかり管理職パターン2」としよう。こちらも問題だ。
・ タイプはいろいろある。管理職になった途端に「仕事ができなくなる人」、「仕事をしない人」に分けられる。この二種のタイプは更に分類できる。若い平社員の頃はばりばり仕事をしていたのだが、課長になった途端に「何をすればよいのだろう」と管理職の何たるかが全く分かっていない人。
・ 上司に上手いことばかり言って、部下の手柄を横取りして、要領だけで管理職になったのは良いが「今度は自分で決めなければならない局面で、自分で決められない、いわゆる無能な管理職」。
・ 俺もようやく管理職だ。これからは「楽をするぞ」と言ってすべて「部下のかつぐ神輿に乗っているだけのただ乗り管理職」。組織を壊す最大の問題は「無能なものがリーダーになること」「有能な者がリーダーになって何もしないこと」だが、このどちらも「危険」である。
・ 本校の管理職の歴史を見れば誰でも分かるはずだ。ここ20年、4代の校長、副校長、教頭で10名以上の管理職が君臨していたが、結果本校はどうなったかということだ。これくらい管理職の影響は大きい。管理職の責任とは「無作為の責任」ということである。
・ 要は「組織の栄枯盛衰はすべてリーダーによる」ということだ。大阪府も新しいリーダーを得て今動き始めた。府民はノック時代、太田時代と橋下時代を厳密に観察しないといけない。関市長時代の市政と今の平松さんを冷厳に見つめなければならない。
3.学校の管理職
・ 学校とて同じことだ。「学校の管理職は校長と教頭」である。昨年から本校で始めた制度である「担当管理職」は「準管理職」の位置づけである。言ってみれば「特命担当大臣」みたいなものである。公立の「主幹」とか「首席教諭」とかの「中間管理職に相当するもの」として理事会が導入したものである。
・ 従って担当教頭には「授業も幾分かは持ってもらう」。もちろん管理職扱いとしての「管理職手当て」は支払うが、しかし当然それは「高校教頭、中学教頭、事務長の管理職手当て%とは異なる」。当たり前だ。
・ 担当教頭からキャリアとして「正教頭」に昇格するのが自然であるが必ずしもそればかりとは限らないだろう。「指導教諭」として分かりやすい表現で言えば「予備役」に入ることもある。勿論予備役に入れば準管理職相当の給料は保証しなければなるまい。予備役ではなくて「教諭に戻る」こともあるだろう。
・ 「管理職から平教諭に戻った場合」は当然「管理職手当て」は無くなる。昨年本校の歴史で初めてこの実例があった。給料ダウンは辛かったけれど、ご本人はさらりと理解してくれた。この先生は民間企業経験が長かったから「当たり前のこと」と分かっているのだ。今年もう一つ実例が出ることになる。
・小さい学校だから多くの役職があるわけではない。しかし「管理職経験は必ず本人の自己実現に役に立つ」筈だ。多くの教員に「管理職経験」を付与してあげたい。管理職をさせてみたい教員は結構多くいる。そうだからといっていくらでも増やすわけには行かない。「悩ましいところ」だ。
・ さて学校管理職の「名ばかり管理職パターン1」、「名ばかり管理職パターン2」について考えねばならない。少なくとも本校の管理職で「マクドナルド管理職店長みたいな人」はいない。それは断言できる。夜遅くまで働く人はいないし、少なくとも給料も公立の管理職には負けてはいない。
・ 大体60歳を超えて年収が大台を超えて、65才まで働けるのだ。「頑張ってもらわないといけないわな。」「名ばかり管理職パターン2」になってはならない。「管理職の仕事とは何か」をよくよく考えなければならない。
・ 「教員をまとめるだけの仕事」ならそれはほんの一部だ。「経営の目標実現に対して組織に楔を打ち込み、組織を進化させ、目標に向かって組織構成員を立ち向かわせることが管理職の仕事だ。」赤信号、皆で渡れば怖くないといって「列の先頭にたって赤信号をわたるような管理職は管理職ではない」。全員が滅亡する。本校の過去を見れば明らかな筈だ。
・ 本校は一法人、一学校であり、公立と違って転勤などない。系列の大学もない。30年以上、本校だけしか知らないから、余程本人が気をつけないと「井の中の蛙」になる。もう新しい発想が出て来ないのだ。それでは組織は変わらない。
・ 私は「民間企業の管理職経験を条件」として大阪府に最初の民間人校長として採用された。住友金属という鉄鋼会社で、副長、課長、次長、部長、とにかく長い管理職経験を有している。キャリアは多彩だ。
・ それも3年ピッチで鹿嶋、ニューヨーク、鹿嶋、大阪、鹿嶋、東京、和歌山、東京、大阪と場所も変わってきた。仕事も製造、海外技術援助、工場長、本社次長、技術部長、営業部長、製造所副所長、関係会社取締役、何でもやってきた。「管理職論」にかけては「一家言をもっていると自負」している。
・ 公立高校の校長時代は時間を見つけては他の高校を勉強に出かけた。48校に上る。「何時も新聞はなめるようにして記事を追い、そこで考える」のだ。「教育関係の書物」は本当によく読む。このようにして「自分を攻めている」。理事長・校長という絶対権限を有しているだけに、「裸の王様」にならないように外の空気に触れるよう気をつけているのである。