2008年4月16日水曜日

4月16日(水)大阪私学人権教育研究会

1.大阪私立学校人権教育研究会
・ 2008年度第1回役員会・代表者会議があり大阪府私学会館のある京橋に出張した。私は「義務教育部会の幹事校長の役回り」が順番で回ってきた。役員会ということで本年度全般の形つくりが決定されその確認の会合であったが、「私学の皆さん、熱心に取り組まれているという印象を強く持った」。公立学校時代もそうのように感じたが、とにかく「人権問題は教育を通じて」という基本骨格が大阪府の場合公立も私立も完成されているのである。
・ 「運営規則」によれば昭和53年にスタートしたとあるからもう「30年の歴史」がある。事業内容は各校の人権教育の取り組みの交流、人権教育の研修、人権教育の研究の実践と発表とある。当初は「部落開放同和教育の実践」からスタートしたのだと思うが、今や「人権の定義の範囲」は時代とともに拡大の一歩だ。「すさまじいくらいの広がり」である。
・ 最近では「障害者差別をなくす千葉県条例」が話題になったりしているし、「マスメディア報道と人権侵害」もまだ息づいている問題だ。更に加えて「性・ジェンダー差別問題」「在日韓国朝鮮人人権問題」「スクールセクハラ」「恋人間デートDV」「不登校生徒に対する対応」などは新しい話しではないが、「セクシュアルマイノリティに対する性の多様性を認めると言う運動論」も昨日の研究会で初めて知った。
・ しかしやはり「いじめ」問題、中でも「ネットのいじめ」が大きく取り上げられている感じだ。これは現実の校長職務にある者として非常によく分かる。学校現場での最大の問題だろうと思う。
2.「学校裏サイト」の実態
 ・学校の公式サイトとは別に生徒らが独自に立ち上げた「学校裏サイトの実態」を文科省は15日、発表した。この1月から3月に確認できた裏サイトはなんと38260件に上るという。
 ・私は5年前から「2チャンネル」の書き込み対象の常連客だから、もう慣れていて、なんということはないが、中学・高校生がここまで関与しているとは思わなかった。記事によれば、「特定学校型」「不特定学校型」「「掲示板のスレッド型」「少人数のグループホームページ型」の4分類で圧倒的にスレッド型が87.6%と多いという。
 ・書き込み内容も群馬、静岡、兵庫の3県で2000件を分析した結果、「キモイ」「ウザイ」などの誹謗中傷の言葉が50%、わいせつな言葉が37%、「氏ネ」などの言葉が27%のサイトで見つかったという。又中高生1500人のアンケートから裏サイトの閲覧経験は23.3%で書き込み経験は3.2%だったと言い、閲覧者の70%以上は「暇つぶし」と回答したらしいが、とにかく「大変な世の中になってきた。」
・記事によれば大阪府の中学校の例として「ウザイ、調子のんなよ、師ネ」「ネットでは俺が強いんだぜ」「なめんなよ、カスども、強がってんじゃねーよ」などと連日のように同級生への罵詈雑言が書き込まれているとのこと。
3.学校の対応力
 ・これが実は「難しい」。だから急速にネットいじめがはびこってきたとする専門家は多い。分かるような気がする。大体、「どの生徒が裏サイトを有しているのか」学校では分からない。生徒の携帯電話を取り上げてチェックする訳にはいかないからだ。
 ・昨年本校であった「裏サイトいじめ事件」は生徒の方から「馬脚を現して」、パソコンの達人教諭が「追いかけて」判明したものだ。「携帯のホームページを有しているものは正直に申告しなさい」と言えば本校の生徒は話してくれるが、それも全ての生徒かどうか確認は出来ない。
 ・「教員の知識不足がネットいじめ増加の一因」と言う意見もあるが、「そう言われてもなー。余りにも変化が早すぎる」とゆっくりとした教員には難しい話だ。とにかく対応マニュアルはないし、現在の生徒生活指導部の力量とは違った分野の能力が求められていることは間違いない。
・茶髪やスカート丈の短さ、ずり下げズボン、喧嘩、カンニング、遅刻などは立派に生徒指導が出来ても「ネット滲め」については正直「手の打ちようがない」状態だ。「アナログには強いがデジタルに弱い教員の特性」を良く示している。事案が判明してからの行動とならざるをえない厳しさがある。それに「教育活動は元来アナログの世界」であるべきだと思う。
4.インターネット上の人権侵害とその予防
・しかし手をこまねいてもおれないので、今年から「生指の内規」を拡充し、生徒手帳にも「ネットいじめの防止」を記載した。又入学前指導においても注意を喚起している。加えて1年生には夏の伊勢修養学舎で本校人権推進委員長が作ってくれた「ネットいじめケーススタディ事例」があるので、これを使ったりして取り組む積りだ。
・「生徒に協力者を作る」というのも検討されているが、これはどうなんだろう。要は生徒をスパイにし、チクらせるというものだが、あり得ない話しではないか。しかしそうでもしなければ人権侵害はなくならないではないかといわれたら今、答えはない。
・もう一つは「警察や弁護士」が出てきて損害賠償の対象となるよという抑止力の期待だ。しかし結局学校現場としては「人権教育というよりもっと広い意味での人間教育で回避策を講じる」しか方法はなかろう。
・そういう意味で本校は『神道科の授業』を通じて行って行きたいと考えている。「人間としての徳育教育」だ。英語、数学も大事だが今「駄目なものは駄目」と教えておかないといけない。インターネットいじめは腕力でねじ伏せると言うわけにはいかないから、尚更日常の授業、ホームルーム時間、部活動などを通じて「担任が一言、言う」ことが最も効果的な抑止力になるのかなと思う。
・しかし私が学校界に転じた5年前にはネットいじめなる言葉さえなかった。「人権をキーワード」にして「複雑かつ難しい時代と学校」になってきたものだ。「少し教員が可哀想になってくる」。高等学校では教科を教えるだけで良いと言う時代ははるか昔のことだ。「社会も子どもも変わってきた」。変わらないには教員文化だけだ。変わるのが遅い。私は今教員文化を揺さぶりながら「前向きに変わろう」とプレッシャーをかけ続けているのである。