2008年5月6日火曜日

5月6日(火)ブルーな再始動

再始動
・ 長い連休が終わった。明日から仕事だ。感覚としては「アイドリングでちょっと休憩した後の動き出し」とは幾分異なる。「エンジンを完全に休止して再始動」という感じだ。何時ものことだが気分は「ブルー」、「メランコリックなムード」で回転数を上げるには時間がかかる。
・ もっとも明日、学校に到着する頃にはノズルもほぼ全開になっているのだと思うが。仕事がしたくない、疲れたという理由ではないが何時も長い休暇の後には二日前くらいからこのような気分になる。そして無性に「頑張ってくれている教職員」のことが気になるのだ。「しっかりと責任を果たし、職員の待遇改善を進めてやらねばならない」と思うのだ。
・ 名誉も地位ももはや私には必要はない。残された現役の時間で「次の世代にバトンタッチできる状態まで内容を高めて」、完全にリタイアする覚悟は出来ている。前の公立高校勤務の最後があのような事態であっただけに力が入っている訳ではない。この「浪速中学校、高等学校が素晴らしい学校」だからである。「21世紀に燦然と輝く大阪を代表する私立学校としての礎を確固」たるものにするのが私の人生最後の仕事である。
京都市の裁判  残業の常態化
・ 少し話は古いが、連休前の4月24日の朝刊各紙には扱いとしては小さいが「注目すべき記事」がある。例えば朝日は「残業の常態化、学校把握可能」であり、毎日は「管理怠り過重勤務、京都市に賠償命令」とある。実は本年度に入って「教職員の残業問題をどうするか」ずっと考えていたからである。
・ この事案の内容はこうである。違法な残業を行わせたうえ、健康維持の為の安全配慮義務を怠ったとして京都市立小、中学校の教員ら9人が市に損害約3300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が23日にあった。
・ 裁判長は「残業そのものの違法性は認めなかった」が残業が月に100時間を超えた教員について「勤務が過重にならないように安全配慮義務を怠った」として市に「55万円の支払」を命じたというものだ。
・ 原告側は授業の準備や部活動の指導で月に約67時間から108時間の超勤があったと指摘。「教職員の残業を原則禁止とする給特法に違反する」と主張し慰謝料や未払いの賃金の支払を求めたものである。
・ 判決で裁判長は「残業については自発的、自主的な側面がみられる」として違法性は認めなかったが残業が月に100時間超えた47歳の教員一人にのみ、勤務時間管理をする義務があったとする主張は認めて「安全配慮義務違反を認定」し55万円の支払を命じたものである。
・ 上記記事で注目すべきは自発的、自主的なものは残業ではない、残業も一つの司法判断として100時間という判断だ。加えて校長などの管理職が教員の勤務時間の把握と管理をしないと安全配慮義務違反となる可能性をこの判決は示している。
・ このような訴訟をする教員は特定のグループに属する教員かもしれないが、彼らの主張「教職員の残業を原則禁止とする給特法に違反」と根拠を出しているがこれは少し違うのではないか。全国数十万人の公立学校の教員の中で今回、このような訴訟をする9人の教員自体珍しいが、確かに教員の勤務は一般の勤労者と違っていささか様相と歴史が異なっている。ここから理解しないと本質を見失う。
教員の勤務態様の特殊性と教員調整額
・ 教員は発達段階にある児童・生徒の教育に携わることが職務であり、企業社会みたいな一定の定まった業務として整理するには複雑である。まず「授業」であるが、それ以外の業務が実は極めて多い。
・ 授業時間そのものは昔に比べて多くはないが、その他の業務は増える一方だ。学力不足と言えば放課後講習もせざるを得ないし、携帯電話によるネットいじめと言えば対策会議や補導など増える一方だし、保護者対応も昔に比べれば頻度も時間の長さも増大している。
・ 今学校改革、教育改革が叫ばれ、一部の不心得教員のために「教員バッシング」が激しいがこれらも必然的に教員を縛る規則の氾濫となり、業務の量や質が間違いなく変化しつつある。
・ 放課後の補習や講習などはそれでも分かるが遠足や修学旅行、運動会、夏季休業中の学校を離れての行事など一般の企業社会にない業務など定量的な時間計測さえ難しい。誰も「サア、今から残業だ。」などと生徒を前に思う教員はいないだろう。要は教員の勤務は「特殊的」なのである。
・ 従って昭和23年、戦後すぐ教育職員の給与についてはその特殊性から一般校務員の給与に比べ1割程度高い俸給に位置づけ「時間外手当ては支給しない」と定めたのである。ところが組合を中心として「超勤訴訟」の問題が生じてきた。
・ 遂に人事院は昭和46年2月に「義務教育諸学校の教諭に対する教職調整額の支給に関する法律の制定について」の意見書を出し結果として「教職調整額」を支給する制度を設けて超過勤務問題の解決を図ることにしたのである。
・ これを受けて当時の文部省は昭和46年5月、「国立及び公立の義務教育諸学校等の教職員の給与等に関する特別措置法(法律)」を制定し、一応決着を見たのである。「残業問題は整理できた」のである。当然「私立学校も公立準拠で同じような道を歩む」ことになる。
教員の時間外手当とその範囲
・ 「教職調整額」は包括的に勤務態様を考慮して決められたもので、正規の勤務時間が幾らであったかは問わない。支給額は「一般教諭で給料月額の4%相当額」と定められている。又管理職の教頭や校長には教員とのバランスが崩れないように「加算額」が支給されており、すべて給与を見なされている。本校の場合は体力を考えて20年度から3.5%とした。給与表の「調整手当て」がそれに相当する。
・ 勿論教職調整額が支給されるからと言ってやみくもな残業が許される筈はなく、文部省は「訓令」として時間外勤務を命ずる場合の規定」を定め、各都道府県は条例で規定することになったのである。本校は私立学校であるから条例ではなく、「就業規則」で規定し、19年度から「年間変形労働時間制」を導入し対応している。
・ 超過勤務命令を発することにできるのは「生徒の実習に関する業務」「学校行事に関する業務」「職員会議に関する業務」「非常災害等やむを得ない業務」の「超過勤務4例」が有名であるが、「労働基準法の適用を受ける私立学校」ではどうかという問題は残る。まさしく「悩ましい問題」なのである。
・ いずれにしても以上のように整理して考えてみると京都市の裁判の事態がよく見えてくる。9人のうち一人の教員の勤務管理の瑕疵は管理職側にあると認めたが「残業については違法性はない」と判決内容は示しており、「自主的自発的行動は残業ではない」と言っているのである。
・ しかし私立学校にとっては先にも述べたように悩ましい問題である。「調整手当てを廃止して正規の時間外手当てを支給すべきという正統派の考え」が果たして教職員の為になるのであろうか、という疑念である。又「部活動の扱い」は簡単に整理出来たとしても、熱心に部活動指導をしてくれている顧問の先生にどのように報いるべきであるのかのテーマもある。
・ しかしボツボツ結論を出すべき時が来たのかも知れない。19年度から改革に着手し、19年度は「走りながら考える」とした。20年も同じような状態は私にとっても愉快なことではない。「法律論、教職員の実質的処遇論、学校の経営論の順番」で言えばやはり法律論、教職員への処遇が先に来るのかもしれない。今ようやく学校が落ち着き、経営が安定軌道に乗りつつある今だからこそ、踏み切る時期だと決断することが「経営者の責務」ではないかと考えているのだ。「ウーン!? 悩ましい」。