2008年7月7日月曜日

7月7日(月)その1:教員採用汚職大分県

教員採用汚職/大分県
・ 6月16日のブログに「教員採用汚職」として大分県教育委員会の不祥事をかなり詳しく論評したが、先週末から第2段階に入った感がする。何と大分県教育委員会のNo2の元審議官、現自治体の教育長が収賄で逮捕とある。テレビや新聞で連日詳細報道されている。先ほどもNHKで詳細報じていた。
・ 100万円、200万円の商品券が飛び回ったとある。採用試験の「点数を上乗せ」するようこの審議官が義務教育課の担当参事に指示したとある。加えてこの大分県教育委員会においては教育委員会の昇格人事や教頭、校長昇格人事でも何十万円かの商品券が乱れ飛ぶ「体質」にあると報じていた。
・ 贈賄側は二人とも教員で参事と教頭だから「金には困っていない」のだ。娘の為に商品券の実弾を撃ちまくったのだろう。中には4人は「受け取れない」と断ったという。「偉い立派だ。」現職の審議官は20万円の受け取りを認めていたが、テレビの顔は「品がない」。
・ 「腐りきっている」。これでは真面目に採用試験を受けた受験者はたまったものではない。訴訟すべきだ。産経によればこのようにして合格した長女は普通通りに勤務しているという。それはないだろう。「早速辞表を出し、来年実力で再トライ」すべきだと私は思う。
・ テレビでは大分県教育委員会のドア越しの窓ガラスには「新聞で目隠し」され、外から中が伺い知れないようにしているところが映っていたが「とんでもない話」だ。100%公金で運営されている公立の組織だ。この「隠蔽体質が問題」だということが分かっていない。堂々とテレビカメラを入れれば良い。
・ それにしても最近は大阪府でも医学部受験に裏金が数千万円動いたとか、これも「母親」がらみで大分県のケースも母親がらみであった。「母親の愛」だろうと思うが、これで若い人々に厳しい汚点を残し、自己もまた「職を失う」はめになった。「後で後悔しても始まらない」とはこういうことだろう。
・ しかし元とは言えばこの風土体質だ。報道によれば「ゴルフ仲間」だという。誤解を恐れずに言えばゴルフは仲間が誘い合っていくものではない。クラブのメンバー同士が行くものだし、大体教師と言う職業にゴルフという遊びは似合っているのか個人的には甚だ疑問に思っている。何時生徒のことで連絡が入ってくるかもしれない。私は教育界に転じた時点でクラブは廃棄した。
・ 教員採用に関しては本校でも気をつけなければならない。私学といえども「社会的公器」であり、学校にとって「教員こそ財産」であればこそ、「教員採用には細心の注意」で望まねばならない。公立は一次試験、2次試験と厳しい関門があるが「基本的に私学にはない。」
・ 教員免許を有しておれば私学においてはすぐ教員に誰でも採用される可能性はある。「子育てが終わったので先生になりたい」「会社勤めが嫌になったので教員にでもなるか」くらいで私学の教員には成れる。実際はそんな簡単な話しではないが・・・ね。
・ 学歴、キャリア、面接試験で殆ど決まってくる話しだ。本校は昨年から「2000字の論文」提出を義務付けた。この中に「全てのものが含まれている」と私は考えている。大阪府の私立高校では「模擬授業」を加えているところもあるが、本校では模擬授業は課していないし、今のところその考えはない。時間が取れないのだ。授業はそのうち上手くなってくるものだ。そんなことより「人間としての積み重ね・人間力」だと思う。
・ しかし4月に採用した教員のうち、「すでに4名の教員が本校を去るか休職中」だ。一人は突然、留守中の副校長の上に突然メモを残し、「母親の介護」ということで退職、一人は「自己都合で実家に帰るため退職」、二人は「ご病気で休職中と自宅療養中」だ。
・ 授業については全員で手分けして対応しているが「大変だ」。期末だし、夏休みなるので何とか対応できるが2学期以降のために「英語、国語、理科物理の教員の募集」をかけた。誰か良い人は居ないかなーと思っている。期中だから極めて難しい。
・ 一方、現状では必要とは感じていないが「社会科の教諭」について人を介して公立中学校の現職教諭の採用の話が持ち上がってきている。公立に見切りをつけて「荒れていない落ち着いた私立に勤務したい」というのだ。どのような先生か副校長が近々面談することになろう。そんなに公立の中には荒れている中学校もあるのか。
・ 問題は「来年度の教員採用予定数」だが、これは当然入学者数によるのだが今年と同じとすると10名以上更に加配をしなければ回らないと採用センターの副校長は言う。まだ詳細報告を受けてはいないが、確かにその通りだろう。
・ 中学は卒業年は1クラスで来年3クラスになれば2クラス分教員は増員が必要だ。高校は卒業年が12クラスであるから、今年と同じく15クラスにでもなれば3クラス分増員だ。中高で合計5クラスとなり、大体1クラス増で教員数は2名必要であるからそれだけでも「10名の加配」となる。
・ それにカリキュラムが絡んでくるからややこしい。例えば来年は家庭科のコマ数は激減するが「再来年は急増」することになる。だから幾らその年授業が少ないからと言って不要というわけにはいかないのだ。同じようなことが他の教科でも言える。
・ 「まず休まない教員」これが鉄則だ。病気がちで何時も休まれたら学校は困る。最も困るのは「生徒」だ。従って健康でなければならない。次に教科指導力と言ってきたが、最近この考えを変えつつある。「生徒指導力」言い換えれば「クラス経営能力」だ。
・ 「担任が出来ない教員」は私学では致命傷になりかねない。そのような教員を抱えておくほど余裕はないからだ。担任即ち「クラス運営能力」が今最も求められている。このことは「教員の精神力の強さ」を意味する。
・ 「やんちゃな生徒を指導」し、「我が子可愛さだけの親」と向かい合い、「うまい着地点」をさぐる教員はやはり「ベテラン教師は上手い」と最近つくづく感じる。伊達に年は食っていないのだ。
・ 結局民間会社でも学校社会でも最後は「社員、教員の精神力」なのだと思う。勿論管理する側の配慮としては「慣らし運転」「負担の軽減」等はしなければならないが、「うまくやっている若手」が要るのも事実であり、難しいところだ。
・ 履歴書と一回の面談くらいで「分かる筈がない」のも事実だ。「当たり外れのくじ」みたいなところがあるのはしょうがない。持ってるポテンシャルの高さは結局学歴と面談、論文だけで判断するのだが、これも100%ではない。今回4月以降の事例でそれを明確に証明した。
・ 「私学は教員で決まる」、最近つくづく感じている。「学校は良い教員で伸び、資質のない教員で廃る」、このことは間違いない。同時に「育成する」という視点も重要だ。しかし「育成をするインフラは整備しているし、今後も努力するが最後の決めてはあくまで自己の努力と精神力」だろう。