2008年7月17日木曜日

7月17日(木)その2:浪速の公用車

本校の公用車
・ 「本校には公用車はない」が、持てるような学校でもなければ、私もそのような身分でもない。電車通勤で十分だ。時に必要時はタクシーを使わせてもらう。時間がもったいないからだ。それに「PTAが寄贈してくれた学校車ホンダオデッセイ」がある。
・ 本校にもかっては公用車があったらしい。着任したときに正門の右手の小屋みたいなものがあったが「車庫」だったという。そういえば私が浪速にお世話になる前に相談する人も居たのだがその人がしみじみと言っていた。
・ 「浪速の某校長が黒塗りの公用車で府庁に乗りつけ」、当時「大きな話題」になったと。校長風情で公用車とは浪速は大したものだと皮肉に見られていたのだ。昭和59年、浪速は「大物校長を大阪市から招聘」したらしい。私に言わせれば「小物に過ぎない」のだが、当時あるトラブルで困っておりその方面の対応策で役所から来て貰ったらしい。
・ 頼まれたこの校長の最初の仕事は「270万円でクラウンを買い」、車庫を建てたという。そして年収800万円の「専任の運転手」を雇い入れ、かって気ままに使い始めたという。理事者は誰も止められなかったと後でお聞きした。理事長ではない、一介の校長だよ、信じられない。2回の車検後、古くなったといって平成元年、新車に買い換える。このときも黒のクラウン。
・ 平成6年1月更にグレードアップし3000CCのクラウンを417万円で購入したが、この年3月、病死されたと言う。校長在位12年だ。「待ってました」とばかりにたった2ヶ月で「車は売却」、専任の運転手も解雇されたという。「車庫だけがつわものどもの夢の跡」で残っていたとうわけだ。これを私が着任後2週間でぶっ壊したのである。
・ 多くの私学の理事長校長、特にオーナー系学校の理事長は専用車をお持ちであるみたいだが、それは蓄積があるからだが、どう考えても「メリット」はない。必要時には「タクシー使用」で済む。大体教職員に我慢を強いている時に専用車に踏ん反りかえるような理事長や校長では教職員に物は言えまい。学校を放り出して校長が何処へ行くのか?「校長は学校にいなければならない」。
・ 浪速は未来永劫、「専用車は持たない」ことを「新たな学校を創設した理事長校長として宣言」する。本校の「理事会内規」としたい。本校のような小規模の学校はまず理事長校長が朝、しっかりと学校に来ると言うことが大切だ。
・ 電車の中、歩いている生徒の観察から「アイデアは浮かぶ」。学校に殆どいなく何処にいっているか分からないようなトップでは学校改革は推進できない。「トップの方針を具現化し実行に移すのが管理職の仕事」だ。私は私で学校全体を見ながら「次の一手」のために考える。
・ 「私が教職員と同じ発想だったら学校進化なんど進む筈がなかろう」。「私は私」だ。私と教職員の間に「5名もの管理職」を置いている。元来本校の規模では5名は多い。一昨年までは校長を除けば3名であったのを2名も増強している。
・ 本校で働いている人間は「4グループ」に分かれる。経営者は一人私だ。専務理事も校長も兼務している。そして管理職は5名、そして類科長・主任分掌長が16名、そして一般教職員だ。それで「ピラミッドを構築」している。これを「組織化」という。
・ 「 みんなよく頑張ってくれている」。私には古くて時に蚊が出る部屋が与えられ、エアコンの音が大きいが気に入った部屋と良く気が付く秘書さんがいる。公用車はないが素晴らしい仲間がいる。それで十分だ。「エコ浪速」で行きたい。
・ しかしこういうことを考えていたら、本日前からのお約束で某大学の理事長が新型の黒塗りのクラウンを横付けして本校を訪問だ。「素晴らしい車」だったが「私の発想はこの車の維持費と運転手の人件費で専任教員が一人賄える」と直ぐ考えることで、これは悪い癖だ。