2008年9月14日日曜日

9月14日(日)帰り修行

・ 今朝の日経だったと思うが俳優の「仲代達也」さんの記事があり、タイトルは「帰り修行」というものであった。聞いたことのない言葉であるが、その意味はざっと以下のようなものである。
・ 「無名塾」という俳優養成塾を随分前からやっておられるのだが、塾から育った俳優さんには一つのパターンがあるそうだ。ようやく「世に出て」、仕事が次々と舞い込むようになってくると人間の悲しさで「原点」を忘れて「俳優としての基礎基本を忘れる」ようになってくる人がいると書く。
・ 「危なっかしい」と思って、忠告しても耳を貸さずそのうち「行き詰まり」となって消えていく俳優の人たちは結構多いと仲代さんは言う。もう一皮剥ければ「素晴らしい素質が花開いて一段高いところに上がることができる」のだが、現状に満足して、「もう今が限界」いう人もいるらしい。
・ 仲代さんは「昔、売れなくて、食えなくて、それでも頑張っていた時代を思い出すというより、もう一度、舞台の右から左を歩く等の“基礎基本の再修行”などをしたら、今の自分に気が付く」と言われる。それを「帰り修行」と言っておられるのだ。本当に良いことを言っておられる。私は感心した。
・ 「教師の世界も同じではないか」。上記の俳優を教師に置き換えても通じる言葉だ。20年、30年前に教職を得て初めて勤務先の学校に赴任した時のこと、初めて授業に出た日のこと、初めて担任を持たせて貰った時のこと、病気で生徒を亡くした日のこと、教え子の卒業式の日のこと、「年月は人を成長させ、熟成させていく」が、同時に「しわと垢」も身についていく。
・ 教師に成って「研究と工夫と気力」を振り絞り頑張っていた若い時代をもう一度それぞれが考えたら今の自分に気が付くのではないか。「原点に帰る」「初心忘れるべからず」という言葉があるが「帰り修行」はこれらに近い意味だと思う。良い言葉だ。
・ 私は誰かの使った良い言葉をすぐ「自分のものにする」。勿論引用はするが。そのようにすると文章が生きて来ないか。少なくとも躍動感が出る。「他の人生の達人が同じようなことを違った言葉で表現している」のに接すると嬉しくなる。
・ 10月1日付けで期中であるが「専任教諭」に採用することが内定している3人の常勤講師の先生から「2000字論文」の提出があった。じっくり読ませてもらった。立派なものであった。それぞれの個性がやはり文章に出て、「専任になれる喜びと“やるぞ”という気概」が十分伝わるものであった。
・ 何回も読み直し、「採用は間違っていなかった」と確信した。本校は小さい学校法人だ。1中1高の規模であるから教職員の数も150人そこそこで回していかねばならない。学校は規模の大きさではなくて「教育の中身」だ。これは「教員の中身」を意味する。
・ 「山椒は小粒でもピリリと辛い」筋肉質の強靭な体力でなければやってはいけない。一人でも役にたたない教職員を抱えておく余裕は今はない。一人ひとりが前にも書いたが「一騎当千」の武者、女武者であれば厳しい「私学間競争に打ち勝つ」ことは出来る。
・ 文中「覚悟」という言葉や私のメッセージやブログに素直に学んでいる姿勢も「ういういしくて」大変良い。「謙虚に、素直に、明るく」だ。25歳、26歳、27歳の年令だからこれらの先生が65歳の定年までにはまだ40年ある。40年だ。2048年ということになる。どういう時代だろうか。
・ 勿論私はあの世に行ってこの世にはいないが、「採用してくれた木村理事長の名前」だけくらいは忘れないだろう。それで結構だ。しっかりと自分の仕事を大切にして、「自己実現」を図っていかねばならない。「自分の人生を豊かにする」ことは「浪高で良い教師となる」ことが前提ではないか。
・ 内定面談で私は特に「男女関係の注意」と「素晴らしい結婚」をするようアドバイスした。幸い3人とも現在そのような状態ではないと明確に否定していたが「あっという間に考えられない事態に陥るのが人間の常」だ。
・ 加えて特に英語の教師にはTOEICで800点以上を取るようにこれは「指示」として述べた。3人とも素晴らしい本校の若武者として育ってくれるだろう。1年間は試し雇用期間だから「緊張感」を持って頑張って欲しい。
・ 誰を「指導教員」にするかであるがこう次から次と専任教諭を作っていくと指導員の当て嵌めに苦労する。教科の枠を外しても良いのではないか。副校長が判断されるだろう。
ベテランの先生は「悪い影響を与えないで欲しい」と思う。
・ 新しい学校として浪速は平成19年4月にスタートした。まだ伝統は1年と半年だ。「新しい伝統は今の若い教員が作っていく」。「つぶれかかった学校にした責任は誰にあるのか」などとはもう言わない。大切なことは過去ではなくて未来だ。しかし過去は忘れてはならない。
・ そのうち20台、30台、40台、50台、(60台は管理職を除いていない)の年令バランスが絶妙になるだろう。今の最年長者は64歳で来年4月にはご定年だ。その後2年で管理職の中からも定年の方が出てくる。寂しいがこのようにして組織は変わっていくのだ。
・ この循環で世代は変わり、若い人が松明を引き継いでいくのだと思う。丁度「免許更新制度」が来年から本格的にスタートする。教員は常に「帰り修行」の気持ちを忘れてはならないと思う。「新任の先生も帰り修行」を心がけよ。
・ 私自身も「帰り修行」の気持ちを忘れないようにしなければならない。企業社会から学校社会に参入したときのあの気持ち、公立高校時代の成功と失敗、浪速に着任したときの気持ち、忘れられない場面場面での出来事、その過程過程で、様々な教職員との出会いなど、「過去を忘れないことが私の帰り修行」だ。
・ 学校がこのように良い状態に、かくも早くなってきたのは「すべて教職員の理解と協力」であることは間違いない。勿論抵抗があれば徹底的に戦う積りでの赴任であったが「心配するような事態はまったくなかった。」浪速教職員の見識だと思えば私は「いとおしく」なるのだ。
・ このような教職員の為に「私が残せるものは残し」、次の理事長、校長にバトンタッチしていきたい。今回私が造った40歳近く年の離れた若い教員を見るとき「人生の残り」を実感する。私が残せるのは意識が変わり、前向きに頑張ってくれる若い教員だ。今後とも積極的に「教員を作り、育てる覚悟」だ。私はどうも覚悟という言葉が好きみたいだな。