2008年10月8日水曜日

10月8日(火)王監督引退

・ ソフトバンクの「王監督が遂に退任」する。昨夜がパリーグの最終戦で延長12回楽天にさよなら負けだ。これでソフトバンクは最下位となった。王監督は「勝負師として最終戦を勝利で飾れなかったのは悔いが残るが僕には相応しかった」と言ったとある。本当に謙虚な人だ。
・ 子飼いの小久保、松中が好機で打てず、力尽き、最終戦にしては「ふがいない戦いぶり」に宿舎で大泣きする二人に「プライドの高い選手になれ、敗れて涙を流すな」と言ったそうだ。さすが王監督らしい。
・ 長島さん、王さんと引退が決まり、「日本のプロ野球界は大きな転換期」を迎えた。「太陽の如き長島」「月の如き王」と私はこの不世出の大スターを並び称するが、私は王監督の良さは太陽たる長嶋茂雄から離れ、ソフトバンクに移籍してから花開いたように思う。
・ 私個人は「長島大好き人間」であり、そうであるがゆえに「両雄並び立たず」と意識し、決して嫌いではなかったが、その分「長島にますます傾倒」していく自分に、この年になってようやく気付く。巨人と言う舞台にはスターは一人で良かったのだ。
・ しかしダイエー福岡ホークスに移籍して以来の王監督はそれまでまったく違った面を見せ始める。「闘志を全面」に押し出し、決してくじけなかった。監督着任後3年間は5位、6位、4位と最下位をうろちょろし「有名な卵投げ事件」などが起きたのは今でも覚えている。東京から来た、それも巨人から来た人間が「川筋者の博多人間に受け入れられなかった」のである。
・ しかし「世界の王」は親会社ダイエースーパーの経営破たんに身体を張って球団を守り2度の優勝と地方球団をメジャーにし、何しろ松中、小久保、大リーグで活躍中の城島など多くの選手を育てたことだ。選手皆が「格好が良い」と尊敬していることだ。
・ 何か「求道者」みたいな感じを特に最近は発散し、お人柄も「温厚で温かみ」を感じさせる「大人」(たいじん)であった。小説家のねじめ正一氏は「野心など微塵も匂ってこられない、ただ野球があるだけの澄み切ったもの」があったと書かれている。
・ 私は王監督の評価は数年前の世界ベースボール大会での優勝を導いた時の「采配振り」である。絶体絶命のピンチであったが選手を上手く調整し逆転優勝に導いた姿に感動した。長島監督がアテネで銅メダル、王がワールドカップクラッシクで優勝と、それぞれが結果を出し、そしてご両人とも「病に倒れた」ことに無情を感じる。野球に生き、野球に倒れたお二人の今後のご長寿と安穏な毎日を願わずにはおられない。
・ 野球少年であったが、才能など微塵もなく、何時も試合に出してもらえない万年補欠,控えでもなくその他大勢の1人であったが、この年になるまで「このお二人には人生の伏線を楽しませて貰った」という感慨が深い。「心から感謝致したい」。
・ 今日のNHKクローズアップ現代は王監督の特集を放送していたが「懐の深さ」「安心感」「謙虚」「日本人の心」などの関係者の言葉がすべて分かる。100%同意だ。男一人、心をときめかして68歳、幸せだったとの言葉に参った。人間として私など足元にも及ばない。
・ 王監督の最終戦の相手、「東北楽天」の監督は野村克也氏であるが、どうも好きになれない。確かに実力のある指導者であることは認めるが「人間としての品格」に疑義がある。「人品骨柄卑しからず」と言う言葉があるが、私の世代は特にそのような視点を重要視する。
・ 長島、王の「私心の無さ」に比べ「俗物の塊」と言う感じがしてならない。長島夫人、王夫人もすでに鬼籍の人であり、素晴らしい教養人で控えめなお人であったが、あのXXXみたいな野村夫人による影響もあるのかもしれない。あのタイプは私は嫌いだ。
・ 日本プロ野球界の指導者といえば本当に少なくなってきて今や外国人監督が有名になってきた。先の北京で無様な采配で敗れ去った星野も野村ほどではないが「俗人」の一人だろう。
・ 北京オリンピックの星野の「潔さ」がないのは極めて醜い。メディア「反省しない星野監督」と厳しい指弾を浴びせている。スポーツジャーナリストの二宮清純氏もそのうちの一人だ。
・ 二宮氏は私は一度お話したことがあるが、極めて「公平無私で立派な評論家」で私は彼の言い分はかねてから「常識的」で立派な人だと思って評価している。この人がここまで書くかというくらい書いている。
・ 星野仙一という人物が好きか嫌いかという問題ではない。「金メダルしかいらない」と何回も公言(広言ではない)したにも関わらず、銅も取れず、上位3カ国の韓国、キューバ、アメリカに対しては0勝5敗で「指揮官は結果責任」だと言っているのである。
・ 星野は日本への帰国前に「叩くのは時間の止まった人間」と予防線を張り、今度は自身のブログで「言い訳に終始」し、世論やマスコミに八つ当たりである。醜い。最初は審判のせいにしたがこれは途中から言わなくなった。だって全てのチーム、同じだから。
・ 二宮氏は言う。「日本代表は税金を使う公共財である。」日本の代表監督は「公職」である。星野は「星野ジャパン」を個人として商標登録していたという。「ジャパン」は私物ではない。
・ 私のブログでも前に書いたが大体、田淵とか山本とか「お友達」をコーチに引き入れ、この辺から「私物化」に入って行ったのでないか。ピッチャーの起用を誤り、ダルビッシュや阪神の押さえ「球児」などは彼の元では二度とチームに入らないと言っている。
・ 前日本経団連の奥田会長は「あいつは日本のためか自分のためか分からん」と言われている。的を突いている。同じ名古屋だから良く知っているのだろう。「見抜いている」のだ。星野は特定のメディアだけに発信するのではなくて「多くの国民の前に出てなぜ敗れ去ったか、惨敗したか」自分の言葉で正直にしゃべるものだ。ところがあれ以来マスコミの前には姿を現さない。公人ではないわ。
・ 長島さんも王さんも、共通して二人には「私のにおい」などまったく感じられなかった。ここが両氏の凄いところだ。だから国民はこの二人を愛している。星野に対する「私のにおい」に気付いているからこそ世論は厳しいのではないか。王監督に心から「ご苦労さまでした」と言おう。そして「人間として男として一歩でも近づきたい」と思うのだ。