2008年10月13日月曜日

10月13日(月)激動の時代の指導者像

・ 麻生政権が誕生し、今自民党公明党の与党と民主党を中心とする野党が衆議院選挙を巡って鍔迫り合いをしているが、いずれにしても麻生総理か小沢総理か、はたまたどの政党も過半数を単独で取れず大連立となって第3極の人が総理になるのか、相撲の仕切り時間と同じで面白くなってきた。
・ 海の向こうのアメリカでは共和党のマケインと民主党のオバマ候補がしのぎを削って大統領の椅子を争っている。「激動の時代、指導者に求められるもの」は一体なんだろうかと考えてみるのは面白い。「企業や、学校などあらゆる組織の指導者についても本質的には変わりはあるまい。」
・ 数日前のブログで「学校の校長に求められる資質」について少し触れた。“個性豊かな教職員、中にはわがままそのものもおり、これらをまとめてベクトルを併せて率いていくのは「そう楽な仕事」ではない。まず経営センス、法的知識、なにより「胆識」が必要だ。場合によっては「法廷闘争」を辞さない「覚悟」が必要だ。”と書いた。
・ そして“A4版2枚くらいのブログを15分で書けるような「文章作成能力」のある人、入試説明会で来訪者を感嘆せしめる「プレゼンテーション能力」、着るもの食べるものに「品位とセンス」がないとダメだろう。大学関係者に直ぐアポを取って「交渉力」のある人間、「戦略と戦術」を兼ね備えておれば言うことはない。一言で言えば「発信力」のある人でないと今後の理事長、校長は務まらない。加えて前述したように「勉強し続ける努力」は絶対だ。”とも書いた。
・ 今年は戦後63年、明治維新から太平洋戦争までが73年だったことを考えれば「戦後まもなく作られた日本の社会システムはもうそろそろ限界を迎えている」と論考しているのは「歴史作家の安部龍太郎」さんだ。尊敬する歴史作家で上手い。
・ 実際「年金」「医療」「環境」「所得格差」「教育」あらゆる面で「行き詰まり」だ。もうにっちもさっちも行かない感じで、問題なのは全員が分かっているのだが「処方箋」が見つからないのが、余計に人間をイラつかせている。
・ こういう激動の中で「指導者」とは一体どのような人が求められるのかというのがテーマだが、これに対して安部さんは「確固とした世界観」を持っていることを挙げる。確固とした世界観とは一体どういうことか。
・ 「新しいシステムの創造が必要」である。今の日本には「右肩上がりを前提としない新しいシステム」が求められていると言う。「その通りだと思う」。私の表現でいえば「少子高齢化社会で今後国民総生産が増える勘定にはならない。パイが増え続ける時代は去り、縮小の中で新たな分配システムが必要になった」ということだろう。
・ 安部さんの記事は小さいものだったが私には「霧が晴れるように頭の中が整理」できた。安部さんは「現代は豊臣秀吉政権の末期に似ている」と言う。信長から引き継ぐ形で中央集権国家を作った秀吉であったが、それは戦国末期のシステムの最終型というのだ。
・ 権力を自分のところに集めようとして失敗し、反発を招き崩壊したが家康は秀吉の失敗を参考にして「地方分権型の政権」を作り300年近くも続いた。このシステムは300諸侯の大名の動きは「徹底的に厳しく監視」するというもので、その代わり「自治は認める」というものだ。
・ 安部さんは個人的には既成概念を次々と打ち砕いていった信長を評価していると言われているが、「現代の日本に望まれるのはむしろ家康型」ではないかと論考される。破壊しただけではなくてそこから「創る」という行為が必要で、創造には「思想が不可欠であり、家康にはそれがあった」と言われる。
・ 紙の下から磁石を近づけると紙の上に散らばっていた砂鉄は一ヶ所に集まる。同様に人間の行動は価値観によって左右される。混迷の時代にあってはその「価値観を変える」ことが求められている。
・ 「新しい価値観がもたらす世界を具体的に提示」してそこに国民を導くのが国家のリーダーの役割と安部先生は言われる。一言一言心に入ってくる。国家を一つの学校に置き換えれば良い。
・ 校長は磁石を近づけると紙の上に散らばっていた砂鉄が一ヶ所に集まるように、多種多様な教員を強烈な磁石で集めなければならない。その要諦は「新しい価値観を示す」ことだ。その価値観にそって施策を推進し、その結果生まれ出る「世界観」を提示しなければならない。
・ その具体的な行動は「破壊」だけではなくて「創造」が必要である。一つのキーワードは「分権」だということで校長への中央集権の限界は長続きはせず、各教職員がそれぞれの権限を持ち責任を果たしていくということである。そしてリーダーたる校長は権限委譲した後の「それぞれの教職員に働きと実績を適切に評価し配分を決めていく」ということである。
・ 私は「極めて大きな破壊」をした。そのことは間違いない。「完膚なきまでにこの学校の有り様を破壊」した。そして今「新しいものを創造」している。一つは「人材評価育成システム」であり、もう一つは「労働基準法準拠の新勤務管理システム」である。
・ 従来日本の私立学校に無かったこの二つのシステムを用意し私は「教職員に新しい価値感・世界観を示している」と考えている。道は厳しいがやらねばならない。このことが「教職員の為」である。
・ 月々の給料を上げ、賞与を増やし、結果として学校がつぶれては意味はないのである。99%の人間が理解してくれている様相である。今後とも新しい価値感、世界観を示していかねばならない。時には立ち止まって考え、時には走りながら考えていかねばならない。時間的猶予がそれほどあるとは思えない。
・ そういえば最近は「理事長、なんでそれほど急ぐのですか」と言われることはめっきり少なくなった。一昔前はこればかりだった。それは私の価値観、世界観が理解できなかったからだろう。
・ 世界の政治経済システムが我々の予測を超えてうごめいている。どうも世界も日本もおかしい。まさに激動の時代である。マニュアルはない。「全員が一致協力してスピーディに目の前の問題を解決」していかねばならない。あれこれ理屈を言っている暇はない。教員も「大局観」が大切だ。
・ 「大局観」など微塵もなく「銭勘定が先にくるのでは思想は語れない」。今ようやく新しい世界観が求心力を持ってこの学校に出来つつあるのを実感する。「それはこの学校を愛し、大切にするということが自分の職場を守る」ことだと全教職員に再認識されてきたからではないか。
・ 今浪速は粘着力が増して上昇気流に乗ろうとしている最も大切な時だ。学校内、学校外を峻別して動かなければならない。「教員は校内が勝負の場所」である。校外ではない。校長から言われなくとも積極的に動き、「私の働きを見てくれ」と言えるようにならなければならない。