2008年10月17日金曜日

10月17日(金)学校競争は教師の指導力競争

・ 平成15年「広島県の民間人校長」が勤務する小学校の中で首をくくって自殺した事件があった。赴任後1年目のことであった。この事案に関し「教員一人と県教職員組合(広教組)」が県教委と尾道市教委を「名誉毀損」で訴えていた事件で、控訴審での広島高裁の判決が昨日あった。
・ なんと判決は原告の主張を一部認め「県と市に220万円の支払いを命じた」とある。「驚きの判決」である。この裁判官は現場の実態を全く分かっていない。「自殺は教職員との軋轢に主要因があったとは言えず名誉毀損に当たる」とした。「とんでもない話だ。」これでますます組合教員は勢い付くだろう。
・ 冗談ではない。当時の「県教委の事故調査報告書」によればこの民間人校長に「執拗に国旗国歌問題に関し執拗な質問や意見を職員会議で繰り返し」、この民間人校長は涙ながら頭を下げて「お願いします」とあるくらい、これは「外部からきた民間人校長への陰惨ないじめ」とも思えるような背景があったと私は自分の経験から推察している。
・ 判決は「校長は戸惑いながらも徐々に対応しており、これは両教委の支援不足が原因のうつ病に起因」とした。『何を言っているか』。うつ病になったのは国旗国歌問題に対する組合教員の執拗な反対闘争がこの民間校長を追い込んでいったのではないか。
・ 大体考えてもみよ。広島県の要望を受けて広島経済界から「招聘」してきて貰った銀行出身の民間人校長だ。「それなりの接遇の態度」があるいうものだ。卒業式の国歌国旗掲揚問題などこの人にぶつけて何の解決策があるというのか。
・ 学校経営とか学校財務とか「学ぶべき点は多かった」筈を「戦後から続くどうしようもない卒業式の国旗掲揚国歌の斉唱のイデオロギー問題」を持ち出すことが「大学という高等教育を受け、人に教える立場の人間のやるべきことか」と私は言っている。
・ 「惻隠の情」「人間の情」などがないのだ。そこには「唯我独尊の思い上がったプライドだけが高い教師といわれる職業を持つ腐蝕臭の漂う人間」しかいない。新しい全く学校とは違う分野から全てを投げ打って民間人校長になってくれた人間に対して迎える「礼節」というものがあるだろう。
・ この人と同じ年齢で、同時期に私も民間人校長として古い教員文化の中で戦っていただけに、この校長の自らの死は大きなショックだった。その後の私の「覚悟」を決めた事件でもあった。
・ 私が1年半前に本校に着任したときも私の前任校での辞職の新聞記事が職員室の机の上にばら撒かれていた事件があるなど教員の中にはこのような「卑しい奴」もいるのだ。そのようなことは当方も織り込み済みで赴任しているから、「せせら笑った」ものだが「しょうもない奴のいる本校の先行き」にため息が出たものだった。

・ 「北海道教育委員会」は昨16日人事評価に応じて教職員の給与に差をつける「査定昇給制度」を各市町村教員がこの12月払いのボーナス(勤勉手当てというが)から導入するよう通知したとある。
・ この北海道と言うところは組合の無茶苦茶に(?)強いところでこれに反対して今年1月にストを打つなどの「北海道教職員組合(北教組)」は今後またストをして抵抗するのかその動きが楽しみだ。未だにストをする教員組合も珍しい。もっとも本校も一昨年まではしていたが。
・ しかし抵抗しても始まらないだろう。1月ストに参加した12000人が処分され、未だに労使の対立が続いているが道教委は頑張っている。東京や北海道の教育委員会はやる。
・ 大阪府ではすでに昨年から実施中だし今やこの流れは止められない。「当たり前」だろう。「生徒の為に頑張っている教員と自分のことしか考えない教員」で給与に差が出るのが「世の中の常識」というものだ。大体一部の教員は「甘えが過ぎる」。

・ 今朝の各紙、例によって橋下知事の「全国学力調査の開示問題」だ。「遂に踏み切った」。文科省は「想定外」と不快感を示しているが「何処吹く風」の感じで「大阪教育改革」にかける知事の「意気込み」が伝わってくる。しかしこの問題は尾を引くと思う。正直知事は「肩の力が入っているなー」という感じだ。
・ 市町村に30億円交付金として奨励資金を出し、基礎基本の反復学習とか携帯ゲーム機を使った学習方法とかサポートチームの編成とかようやく具体論が動き出した。これは注視しなければならない。
・ その他、管理職校長への登用なども教頭経験など不要で若手の抜擢なども言われている。ご自分が30代で知事になったのだから、30代の校長が居てもおかしくないということだろう。
・ 背景には「ダメ教師の排除」という知事の論拠があり、教育行政部門と教員に対する強い不満感が背景にある。教育委員も実践的な方に変わられ名誉職に近い人間は排除された。
・ 昨日の職員会議、今朝の管理職朝会でも私は強く指示した。「眠れる巨象が橋下という調教師の手」で少しずつ「動き始めた」。これで大阪府の小中学校の学力が大きく好転すれば私学にとって大変な脅威になる。
・ 公立私立の格差を維持するためには「公立以上の対応」を取らねば今の差は縮められるだけだ。新しい企画を考えるように指示した。中学は中学なりに高校は高校なりにである。今私の頭には「飛びっきりのアイデア」があるのだがそれは『今はまだ明らかに出来ない』。
・ いずれにしても大阪の教育は「公私で境目のない激しい競争時代」に入っていった。教科指導力のない教師には「退場」してもらうつもりだ。生徒指導のできない先生も「お引取り願いたい」。自分で「自分は能力があると錯覚」している教師に言っておきたい。学校競争、生徒の学力競争と言うならそれは「教師の指導力競争」ということだ。数値で私はきっちりとそこを診させて貰う。「能力も努力もない人間を抱えるほど余裕はない」のだ。