2008年10月21日火曜日

10月21日(火)新聞拾い読み・言いたい放題

・ 「岡田阪神涙の終幕」だ。昨夜は丁度テレビにスイッチ入れた時だった。ピッチャーは藤川、バッターは中日4番のタイロン、ウッズだ。ボールが三つ来てその後ストライク二つ。フルカウントで藤川は渾身の力で直球勝負の150キロ、ところがテレビで見ていても分かるような、ど真ん中の高め。
・ ウッズが振り切った一撃はレフト中段に入る「劇的なツーランホームラン」。この瞬間テレビは岡田の顔を追っていたが何時もの仏頂面顔であったがそれでも少しゆがんでいたかに私には見えた。
・ 今シーズンの阪神の有り様を象徴するような試合であった。良い試合であったが敗れた阪神。「チャンスに打てない」。これが敗因だ。金本と言ったってチャンスには打てない。学校の教職員でも「ここぞという勝負の時に仕事をしない人」は駄目だ。
・ 岡田は「運のない男」だ。大阪に住んで長くなるとどういうわけか阪神を応援したくなる。2年連続でクライマックスシリーズ敗退だ。ここぞという時に弱いのではどうしようもない。
・ 今日の夕刊では岡田は「やはり何かが足りないから負けた」と素晴らしいコメントを出している。各紙の夕刊の見出しは「充実の5年間」で揃っていた。本人の偽らざる心境なのだろう。「もうボツボツ監督稼業の激務は限界だったのかも知れない」。各紙とも極めて「好意的」だ。
・ それは岡田の「引き際」は立派だったからに違いない。「男の引き際」はこうでなくてはならない。退陣表明が少し早かった気がするが「けじめ」としたのだろう。この男、イケメン男前でもなく口も余り出ないが最期は「立派」だった。高く評価したい。「星野」なんかより何倍も立派だ。星野の後でやりにくかったろうが務めは果たした。
・ 誰かが朝のテレビで言っていたが岡田は一躍「人気者」になったというがその通りだ。「退いて花が咲く」と言った感じで将来阪神へのカムバックは有るだろう。巨人の原がそうだった。必ず帰って来いと言いたい。男の引き際を見せただけで岡田の阪神は光る。

・ 「冗談ではない」と言いたい。あのおかしげな人形「道頓堀太郎」が戻ってきて「タレント活動」をするという。「いい加減にしてくれ」と言いたい。売るとかやめるとか散々大騒ぎをして今度は事務所を設立してイベントやCMなどに出演すそうだ。
・ 本当に大阪の人があの人形にそれほどの「愛着」を持っているのか。私などは何かあの顔は気味が悪くてあれは「大阪の人形」ではないと思う。大阪を代表するのは「文楽人形」だ。言葉もおかしい。「どうぞ、よろしゅうおたの申します」と書いてあるが頼まれてもなー。このような言葉は誰も使っていない。
・ 大体あのレストランに行った人が何人いて料理の味はどうだったんだろう。テレビではコメンテーターが言っていたが「まだ行ったことはない」人が「太郎論議」だけはするのもおかしな話だ。それほど人気者だったら「倒産」などする筈がない。太郎は結局役に立たなかったのではないか。
・ そのうち「道頓堀太郎もその後出演する場がなくなり今度こそ完全に引退します」ということになるのは間違いないだろう。そうだったら今のうちに「引導」を渡してあげたほうが良い。それにしてもあのお女将さん、「人使いが荒い」のではないか。まだ「くたくたの太郎を使ってまだ金儲けしようとしている」のが許せない。「阪神の岡田の引き際を見習え」と言いたいくらいだ。

・ イタリアレストラン「サイゼリア」チェーン店でピザ生地から「メラミン」が出ていたそうだ。ついこの前も千日前の店に行って食べたところだ。「ふざけるな」と言いたい。ピザが大好きで必ず「イタ飯」では食べるが身体にはメラミンが蓄積しているかもしれない。そういえば身体の調子が今ひとつなのはこのせいかも知れない。
・ 学校給食には「三笠フーズの汚染米」が入っていないのは分かった。これは安心だがもう食品に安全というのは限られてきた。疑えばきりがない。だから「私は昼食の弁当は自分で作って持参」だ。自分で自分を守らねばならない。

・ 「猫が駅長」をしている和歌山電鉄貴志川線に遂に「猫電車が登場」するという。「冗談じゃない」。大体猫が駅長なんておかしいではないか。「冗談が過ぎる」。これ以上「動物をビジネスに利用するな」。
・ 3500万円もかけて「たま電車」を作るという。社内には猫の絵本や本などの「たま文庫」、たまとツウーショットの「たまプリクラ」などが登場するというが「猫嫌い」のことを考えたことはあるのか。今のたまが死んだら「たま2世」を作ろうというのか。「もっと堅実にやれ」と言いたい。

・ 「高級おせち」が人気だという。確かにデパートに行くともうすでに正月用のおせち料理の予約受付が本格化している。「おかしいではないか」。お節とは家で作るものではないのか。暮れが押し迫り、家の大掃除を子どもたちはお父さんに手伝ってしているときに、「お母さんは白い割烹着に身を包んでお正月用のお節を作るのが日本の文化」だ。
・ 高島屋では63000円が売れ筋というから見に行ったがあんなものは私一人ですぐなくなる量だ。三が日朝昼晩だから、あれで家族4人が済むはずがない。三越では老舗料亭「金田中」の15万円ものがすでに完売とかいう。何かおかしい日本だ。
・ 「家で作れ」と言いたい。何が高級素材だ。今は消費者として「節約」に入らねばならに。それが日本を救う道だ。今こそ「家族団欒を取り戻す好機」だ。このことこそ「一番有効な教育改革」である。
・ 大体食べると言うことは「格闘技」である。早くおなか一杯に食べることが食欲だ。高給おせちを「気にしながら食べるなんて体に悪い。」「これはもう食べたから残った一つはお母さんのもの」「これはおにいちゃんに」などと考えながらでは旨くはない。食事は「がつがつ食べる」に限る。人のことなど気にしなくて良い。「消えてなくなれ、高級おせち」。