2008年11月3日月曜日

11月3日(月)学校選択性

・ 少し前になるが10月22日に毎日は「学校選択性」の特集記事を載せ、重ねて今日も同じタイトルで特集だ。毎日新聞はこの問題に熱心である。このように毎日は教育問題で時々、良い記事を発信している。そこは評価できる。
・ 「学校選択性」の特徴が早くも現れてきた感じだ。学校選択性とは「学区外の小学校・中学校に進学」することの出来る制度である。我々の世代にも実はこのようなことはあったが、それは「越境入学」と言ってわざわざ住民票を移して学区外の学校に子どもを行かせたのである。かくいう私も越境入学者であった。
・ 今の学校選択性は越境入学みたいなことをせずに合法的に学校選択ができる制度で石原知事になって東京都が先駆的に導入し現在東京では19区と9市が導入している。目的は金太郎飴みたいな公立学校を「個性的な学校つくり」の名目で「生徒への学校選択権の自由度を高めた制度」である。
・ ところが当初から予想したように学校間で「入学率格差」が目立ち始め、小学校、中学校の校区内で住民登録している就学者数に対する実際の入学者数の割合が8%から326%と大きくばらついているらしい。「凄い大きな差」である。
・ 「人気校と不人気校の固定化」が進み、区部では新入生が一桁の学校が7校、10人以上20人未満が23校と記事にはある。男女比も偏り男子が3割未満の中学校が出始めたらしい。
・ 不人気校の校長は「切ない」し、元気も出ないだろう。逆に入学者数を大幅に伸ばした学校の校長は「鼻息は荒い」と思う。しかし「これは仕方がない」。品川区で初の小中一貫校になった旧の第2日野小学校は326%になり、あおりを受けて近隣の小学校は27%に落ち込んだそうだ。
・ 江東区では「統廃合」が噂された中学校の入学者がたった7名で最早学校とはいえなくなってきている。大体環境の良い、通常の「文教地区」にあり、「クラブ活動が盛んな学校に人気」があり、廃部やチームを結成できない小規模校では他校に流れるのが加速されると言う。
・ 「当たり前だろう」。可愛い我が子を生徒の多くいる活性化した学校に入れたと思うのは普通の感覚だ。保護者と言うのは風評にも敏感で「あの学校は荒れている」「いじめがある」とでも噂が流れたらその学校は避けると武蔵村山市が述べている。
・ 元々学校選択性は学校が学力強化や生徒指導に工夫を凝らすなどを狙ったものであった。確かに一部では保護者を巻き込み体験重視の教育とか情報公開とか学校の進化に大きな影響を与えた。
・ しかし前述したように「学校間格差」が生じてくると教育にも無視できない影響がでてくると新聞は言う。確かに「切磋琢磨」が出来ないとか理科の先生が数学を教えたりとか出てくるがこれらは想定したもので驚くに値しない。
・ 前橋市が11年度からは選択性を廃止といい、江東区も地域と学校の関係希薄化を理由に小学校での選択は徒歩で歩ける範囲にするとか何か「先祖帰り」みたいな議論が出ているし新聞の論調もそのようだが私は賛成できない。
・ 子や親が「行かせたいと思う学校」に行かせるべきであって学区があるから「やむを得ず行かざるを得ない」というのは「おかしな話」だ。私立学校を見てみよ。学区など何処にもない。日本全国行きたければ何処へもいける権利はある。堺の公立小学校の生徒が神戸の灘中学にも行けるのだ。
・ 大学だって自由選択だ。早稲田慶応、「関西大学」などの超名門大学に学生が集まるのを学区制にしたらどうなる。マンモス大学が「学生の面倒見が悪い」などという声は聞いたことがない。
「高等学校も流れは学区撤廃」だ。大阪府も30数年9学区であったが一昨年4学区に拡がった。橋下さんは10校程度学区撤廃の進学校を作ると表明しており、これもその流れにある。
・ 元々は「少子化」が背景にあり、もはや「化ではない」。少子化時代だ。これが普通と考えねばならない。要は子どもの数がいないのだから分かり易く言えば「学校は要らない」のに統廃合を積極的に進めないからこのような格差が出てくるのである。
・ とにかく学校を廃止するというと「同窓会」とか「市民団体」とかが議員バッジとともにあれこれいうから話がおかしくなる。小学校も中学校もどんどん統廃合すべきである。拠点の学校を中心にコンパスで円を描き均等になるような「学校配置」をすることは簡単な作業である。
・ そういうと必ず出てくる反対意見は次のようなものである。「小学校の生徒をそんなに長い間歩かせて通わせるのか、事件にでも巻き込まれたらどうする」と。こういう輩には「何を言ってるんだ」と言いたい。
・ 世界で日本ほど通学距離が短い国はいない。又日本でも過疎の地域では都心に比べて遠いのだ。私の決め手は次のせりふである。「統廃合された全ての小学校にはスクールバスを配置するのだ」。
・ 最早日本は「安全な国」ではない。安全の確保にはお金がかかる。「安全はコスト」である。大体あのいたけない小さな小学生を無茶苦茶な大人と車がいきかう洪水の中を良く歩かせるなと言いたい。世界での常識は「スクールバス」だ。
・ 日本全国小学校には「スクールバスを配置します」と自民党も公明党も民主党も言わないのは何故か。弱者の見方共産党も言わない。誰も本気で学校のことなど考えていないのだ。絶対選挙の票になると私は思う。将来もし本校が小学校を保持するようになったら私は「スクールバス」を配置する。これだけは間違いない。
・ 学校選択制は間違いなく「公立学校再生の切り札」になる。「不人気校の教諭」は安閑としておられない。学校がなくなるということは自分の職場がなくなると言うことだ。「人気校の教諭」はもっと大変だ。有名高校へ何名入れたかが保護者から見られている。
・ 東京は大阪と違って私立の勢いが強くて公立が押されてるが「大阪は公立が結構がんばっている」。したがって大阪では今のところ小学校中学校の学校選択性が大きな議論となっていないが「先の全国学力調査結果が導火線」となって公立学校の選別が始まった。
・ 学力調査結果を開示するということはそういうことだ。木村流に言えば「公立が限りなく私学に近くなってくる」ということだ。差をつけるためには私学はより早く走り「数馬身の差」をつけていないと公立に追い抜かれる。「公立私立生徒獲得競争」が本格的に始まった。