2008年12月3日水曜日

12月3日(水)「太郎が恋をする頃までには・・・」

・ 先の週末に私用で帰省した。行き帰りの新幹線の中で一つの本を一気に読んだ。本の名前は「太郎が恋をする頃までには・・・」という。著者は栗原美和子さんと言う人でこれはペンネームであろう。幻冬舎出版である。 太郎と言っても「麻生太郎総理」のことではない。
・ 目次が「時系列的な日付」であると言う点も変わっている。例えば第一章は「2006年11月~2007年1月」と言う具合だ。最終章は第十章で「2008年5月」で終わっている。まさに新刊本だ。極めて「読みやすいテンポの良い文章」である。
・ 目次の次の見開きには以下の文章が一行あるだけである。それは「人の世に熱あり、人間に光あれ。(大正11年3月3日 水平社宣言より)」とある。ここまで書けばどういう主題の小説かはお分かりになるだろう。
・ 著者は元キーステーションの花形キャスターであり、その後新聞社の敏腕記者というジャーナリストであるが、この人が「深い意義のある本」「本当の私を描きたい」と思い、紆余曲折を経て「私小説的類」として出版したものだ。
・ これ以上はこの本について書くことはしない。しかし「衝撃的な本」であった。久しぶりに感動と言うか「心を揺り動かされた本」であった。元々は一風変わった「本のタイトル」に惹かれて新幹線の中で読もうと新大阪駅で求めたものであるが、往復の車内と帰りの御堂筋線でも目を追っていった小説である。ついぞ久しぶりであった。
・ 「読書」というのは読み終わった後で「何かが心に残るもの」を言い、こういう本は読んだことで人間としての存在意義が増す。読後に「心を揺さぶる何かがあれば」それはその「人間を変える力」を有している。体験経験でも人は変わり、他人からの指導教授でも変わる。しかし「有力な書物が大きな効果を有する」ことは間違いない事実である。本を読んで少し「優しくなった」気がする。
・ 早読みであるが「本は好き」である。小さい頃から本は好きだった。好きが嵩じて一時期は「小説家や脚本家」を志したが才能のないことを悟って諦めた。しかし年間相当数の書物を読む。
・ 心が安定せず落ち着かない毎日では「どうも本に手が届かない」が、今のように心の中にどっしりとした安定・安心・安穏みたいなものがあると「本が読みたくなる」のだ。それも小説になる。
・ 何時もは心して「社会に目を広げる」意味で「月刊誌が主体」である。どうしても年を取るとそのように成るのか。政治経済、国際情勢、金融、教育など極めて関心が高い。元々が「好奇心旺盛な僕」だからジャンルを問わず手を出す。
・ しかし心を打つというのはやはり作者が魂を込め、一字一句神経を注いで作った文章とその底に流れる思いのコンビネーションが踊る小説になる。今「源氏物語」ブームと言うが1000年前から日本人はそうだったのだなと思う。
・ 私はどうも文庫本は苦手だ。ハード表紙を好む。小さく薄っぺらい本は何か「安っぽく」感じてしまうからだ。手馴れて扱っていると言う感じから「その書物と戦っているという気概」を得るためにもハード本にしている。
・ そしてその本を読んだ後も「本を大切」にする。極めて大切にする。繰り返して読むことは正直そんなに多くはないが、それでも気になるところは付箋をつけて目を通すことは多い。恐らく「描写方法」を学んでいるのだと思う。
・ 人によっては読んだ本をそのまま「人に貸したり、呉れたり」いとも簡単にする人がいるが私はそういうスタイルはとらない。親切心で「これ、良かったから読んだら」と言うことなのだろうが、何か「手放す行為が全てを持ち去る気」がしてならないからだ。
・ 本というのは「読み終わった本を人にあげるものではない」というのが私の考えに近い。プレゼントするなら「新品を差し上げる」方が良い。昔といっても3年前くらいであったがこういうことがあった。
・ 兵庫県加古川で「教育講演会」があり講師として招かれたが御礼の一部にと1年間の某教育雑誌の定期購入をして頂いたことがある。これには「びっくり」した。「なるほど」と思ったのである。
・ あの人にこの雑誌を読んでもらおうと1年間の定期購入を図ってくれたわけだ。「垢抜けたやり方」を学び、お返しに他のお世話になった人に自分もしたことがある。大変喜んでもらった。爾来時々このスタイルを踏襲(とうしゅうでふしゅうではない)している。特に病院に見舞う時は本の匂いのする山ほどの本を持参すると大変喜んで貰っている。
・ 今の子どもたちは「本を読まない」。読む生徒は居るのだがその数は少なくなっているということである。残念で仕方がない。国語の先生には「読ますように」言っているのだが、はかばかしくない。
・ テレビがありネットがあり、携帯電話がある状況下で手っ取り早い「知識と実践方法」は確かに発達しては行くだろうが「じっくりと感情移入をしながら考える」読書の頻度が減少していることは間違いなく基礎学力に影響を与えていると思う。
・ そう言っていたところに朗報が飛び込んできた。2年生の女生徒が「作文コンクールで優秀賞3位を受賞」したというのだ。直木賞を取った作品の読後感であるが、私が目を通しても立派に読みきっている。指導は国語科のN教諭と常勤講師のH先生だ。「立派」である。今度表彰することにした。
・ このような生徒が増えるようになったらこの学校の生徒の学力は高いという証明になる。母集団の数を増やさねばならない。国語科の教師に「知恵を期待」したい。1年に一度、「校内作文コンクール」みたいなものを企画できないか。「課題図書を指定」して優秀賞には校長賞として「図書購入券」を思い切ってプレゼントする。
・ 朝の小読書も有効なことは全国の学校で証明済みの話だ。「仕掛けて欲しい」。この仕掛けということが重要である。「本を読みなさい、読みなさい」だけの掛け声だけではブレークスルー出来ないだろう。教師は生徒に「仕掛ける」ことが重要だ。本校の教師の中に「必殺仕掛け人」が出ることを待ち望んでいる。
・ そういう先生こそ「評価育成システム」の評価がAAとなろう。授業を当たり前にするのは当然のことで「新たな付加価値を高めることのできる先生」が「高い評価を得るのは当然」のことである。