2009年1月6日火曜日

1月6日(火)その1:2009年始動

・ 「謹賀新年
・ 「2009年の始動」である。年末年始久し振りにゆっくり出来た。単身赴任の為、こういう時しか処理できない私用もあって大いに助かった。さて本校は5日が仕事始めではなくて6日としているのは「年間変形労働時間制」を導入しているからだ。
・ この一日分は他の平日の勤務時間を長くして調節している。教職員は「8日の新春拝賀始業式」まで自由に今年の準備に入ることになる。あくまで生徒が学校に来る8日以降が勝負であるから、社会が5日に仕事始めでも本校は一日遅れで「今日が仕事始め」とした。これは中々良いのではないかと思っている。
・ 今日、「校務運営委員会や職員会議」を入れて「全員が意思の結集」を図るようにしている。「初出の日に発する私の言葉」は極めて重要である。年頭に当たり「今年の方針」というか「重要な視点」を整理して全教職員に伝達する。紙2枚にまとめたもので、年末年始の休み中にまとめているものだ。
・ このようにして組織のトップは繰り返して「思いを構成員に伝達」することが重要な仕事である。日本人はやはり「年の初めに特別な感慨を持つ」ものだ。だからそういうときに会社の社長は「年頭の所感」を全従業員に伝達する。日本の総理大臣も1月2日に伊勢神宮に参拝した後「総理年頭会見」行うし、アメリカの大統領にも同じような習慣がある。
・ それくらい年の初めは重要な「節目の瞬間」であり、言い替えれば年の初めの「よーい、ドン」の号砲の意味を持つものと私は理解している。昔の人はやはり偉い。カレンダーは新しくなり「気持ちも新た」になる。
・ 新しい事を言うのではない。今まで口が酸っぱくなるように言ってきたことを繰り返すのだ。当然優先順位は年毎に変わって来るが、「突然現れる」ようなテーマは一つもない。我々の行動は「連続線」であり、その線上にあるものばかりである。
・ これらが大きく変わるのは「トップ交替」の時だけであろう。トップ交替で何も変わらないのではトップ交替の意味は全くない。大きな人事とは「変革を期待」してのものだ。トップが替わったときに「前のやり方はこうでした」とかなんとか言って抵抗するのは全く意味が分かっていない人である。
・ 私の後に誰がやるとしても「その人はその人の責任で自ら道を開拓」していかねばならない。全く私と同じような方法ではトップ交代の意味が無いではないか。「人心の一新」とはそういうことだ。組織の構成員は新しいトップから又異なる視点で指導を受けベクトルを示される。そこが「勉強となる」のである。
・ 私が公立高校の校長4年間、私立の校長2年間で言い続けてきたのは一言で言えば「学校の組織化」であった。日本の学校の校長は「鍋蓋のつまみ」とまで言われ、「教職員が等しく一票を有する職員会議機関決定主義」に縛られてきた。
・ 校長のリーダーシップなどは全く「関係ナーイ」世界で教員が教員の手で全てを「民主」に決めるというスタイルが「日本の学校の形」であった。民主的とは聞こえは良いが要は「何も新しいことはしない」、「前例踏襲主義の世界」であったのである。私はそれを「行事消化型社会が学校」と表現した。この形からは「現状を突き破る新しい発想」など出てくる筈がない。
・ 平成12年頃からようやく「学校改革」「教育改革」の声が社会に出始め、初めて「校長のリーダーシップ」なる言葉が登場することになる。しかし言葉は踊れども「組合出身の校長」の「どっぷりと慣れ親しんだやり方」が簡単に組織を揺り動かすわけがなかろう。これでは組織が変わるはずもない。
・ 校長がリーダーシップを振るおうにも、教職員から「ついこの前まで貴方は卒業式の国旗掲揚、国歌斉唱に大反対だったではないですか!」と迫られたら、黙りこくってしまうしか方法はないだろう。
・ この間、国は「職員会議の法的措置」を行い、「職員会議は校長校務運営の補助機関と明確に位置づける支援」をする。東京都では職員会議で教員が賛否を取ることさえ禁止した。「教員評価システムの導入」も図られた。主幹や首席などの「中間職位」を新たに設け、とにかく校長の仕事のやり易いように整備を図ってきたのは、すべて「コミューン化された学校の解体」を目的としていたと私は考えている。
・ 今ようやく公立学校が変わり始めた。特に遅れていた大阪府は「橋下知事の誕生」でドラスティックに変わろうとしている。しかし今までのものなら簡単に出来る話である。問題はこれから知事がどう出るかである。今後の知事の作戦に私は注目したい。
・ しかし歴代の知事と大阪府教育委員会の連合体は結局何も出来なかったことが、今回明るみになったことだけでも橋下知事の誕生の意味はある。このように一人の人間で大阪府みたいな大きな組織でも変わることは出来るのである。
・ 学校は変わらないことを「学校は変わる」と私は証明してみせた。私は前の学校でも今の学校でも「短期間で物事を変えて見せた」。良いか悪いかの議論ではなくてとにかく「変えて見せた」のだ。
・ 些か以下の表現には抵抗があるのだが、私のやり方が「トップダウン」とするならば、それだけに私にとっても結果が重要で「正念場」であったのは間違いないのである。変わらなければ私の登場は意味がなかったということで、この人事は失敗だったということになる。「管理者は結果責任」である。あれこれ理屈を言っても仕方がない。「結果がすべて」である。
・ 今、私は私のやり方の良い点と些かの修正ポイントを推敲しながら、さらに「この学校を高めていく決意」を固めている。そのためには「私自身が進化」していかねばならないのである。同じやり方では当然限界が来る。状況を見ながら「ハンドルの切り方を変えていかねばならない」。
・ そういう意味で本日の最初の職員会議で私は力を込めて先生方に私の思いを伝達した。何処まで伝わったか知れないがA42枚の原稿をかっちりと1時間かけて説明した。このようにしてキックオフで新年度のボールは蹴られ、「プレイボール」となったのである。