2009年2月28日土曜日

2月28日(土)61回卒業式

・ 第61回卒業式が本日無事に終わった。「卒業証書授与式」とも言うが、略式が卒業式という表現だろう。もったいぶった言い方が卒業証書授与式だ。どちらでも良い。授与されたものは453名、内119名が女生徒であった。
・ 「 共学2年目」の女生徒であるが2年目で119名の大台はまあ悪くない。ちなみに今の高校2年生が130名、1年生が184名だから徐々に増えつつある。今年はまだ全く想像が出来ないのは何回も書いてきたとおりだ。
・ 男女合わせて言えば3年生が前述したように453名だが2年生は448名、1年生は610名と昨年は大幅に増えた。間違いなく「着実に伸びている」と言える。このことは中学校でも同じ傾向で浪速中学を卒業する生徒は33名、2年生が65名、1年生は105名と一クラスずつ伸びているのだ。
・ さて校長として6回目の卒業式となる。府立高校に行った時に「モーニング」を購入した。当時の感覚は「何でモーニング?」と思ったりしたが校長先生は皆モーニングを着て「式辞」を読まれますと皆さんに言われ、こういうところで「突っ張っても」仕方がないと思って買ったのである。
・ 1年に2回だけ、卒業式と入学式だけだ。浪速に着てからは中学校の卒業式が加わったから使用回数は上がった。もう完全に元は取れている。後は1年中私の部屋のロッカールームに吊られているだけだ。私が本校を去る時に体形が合えば後任の校長にプレゼントして行こうと思っている。モーニングなどもう学校以外で着るチャンスなどはない。
・ 年とともに「和服」が好きになり、こちらの方が「」である。又本校は「神社神道の学校」であるから「洋服より和服」の方が似合うと思っているのだ。従って今回の卒業式は始めて和服の礼装「黒羽二重の紋付に仙台平の袴」とした。今年の新春拝賀始業式には「紬」であったが今回は「完全正式な礼装」だ。私の着物姿はもう先生も生徒も見慣れている。
・ 本校の卒業式は式に先立って「神前奉告の儀」というのがある。これが又良いのだ。「大太鼓の鼓報」で始まりを知らせ「雅学部の演奏」の中を学院神社前に進み、「報恩感謝」の意を捧げてから体育館に入ることになる。生徒代表が私と並ぶ。
・ 生徒、来賓、教職員を始め全員が「カーネーションの花」一輪を胸に挿している。これも本校の伝統だ。何時頃始まったのか知らない。「感謝の気持ち」を表すためかなと思う。一本70円で500本と言うから35000円だ。
・ 私の式辞は「今を生きる」としてお話した。少し厳しいかなと思ったもしたが現実を知らなければならないと思ったから今日は少し「厳しいトーン」としたのである。その要旨は別途公式メッセージにアップされるだろう。一言で言えば「たくましく生き抜いていけ」と言うものだ。
・ 今回初めて名誉理事長が出席された。私から強くお願いをしたのである。実質的な経営母体は「大阪府神社庁」でありその最高責任者である名誉理事長に一言生徒になにか伝えて欲しいと思っていたからである。 その後PTA会長そして同窓会長となる。3人様の祝辞はそれぞれ特徴があって良かったのではないか。
・ 厳粛な中にも和気藹々と「極めて良い雰囲気の卒業式」となった。保護者代表で謝辞を述べて頂いたPTA副会長は和服姿で、記念品贈呈式では3年の学級委員長さんから和服姿で「目録」を頂戴した。「多聞尚学館への寄付金」だ。有り難い限りだ。
・ その後全担任に「学級委員さんから花束の贈呈」。有難いことです。式の後多くの保護者から「個別のお礼」の言葉だ、併願で公立に行った中学の友はまだ進路がきまっていないのに浪速では「素晴らしい進路指導」をしていただき「希望の大学」にいけます。だから兄を追って「妹も今度先生のところへお世話」になりますと。専願で決めたとのことであった。
・ 全てが終わった後、マイクを生徒に渡した。少しは生徒自身で何かやりたいだろうと学年主任から前もって言われていたからだ。「366日」と言う歌らしいのだがソロの生徒は感極まったのか歌にならなかった。しかしその後もう一人出てきて二人で「万才」を始めた。これが面白かったのだ。
・ 卒業式の後は職員室で「3年生の学年団の解団式」がある。学年主任が各担任を引き連れて挨拶となった。彼らは今日午後難波で「打上げ会」が予定されている。大変良くやってくれたと思う。私は「慰労と感謝」の言葉を口にしたのである。
・ これで「今年の大きな行事は終了」した、来週は年度末試験でその後「終了式」となる。そして3月24日の公立高校の合格発表を受けて「併願者の戻り」が決まってから新年度がスタートするのだ。
・ 今日の午後は「専願合格者の制服採寸日」である。卒業式が終わり生徒が学校を立ち去る2時頃に保護者に連れられてまだ子供っぽい顔をした中学3年生が正門を通っていく。新たに任命した新一年生学年団の学年主任が先頭に立って道案内をしていた。もう新年度が始まっているのである。
・ 帰った後、住居近くで行われていた3年生の学年団の「打ち上げパーティ」にちょっと顔を出した。皆さん、「良いお顔」をして飲んでいたなー。こういうのは大変結構である。皆の連帯力が高まるような感じがする。顔ぶれをみていて「派手さはないがしっかりとした学年」だったということが良く分かった。
・ 私は昔、論文などに学校は「行事消化型社会」と批判めいて表現したが学校社会に転出して7年が終わり8年目になるとこの行事消化が「些かの快感」になってきている。誰も言ってはくれないが私も「学校の人間」に成ったのだろうか。そしてそれは決して悪いことではないなと思うようになってきた。
・ 色々な場面があったが民間企業の働き蜂の企業戦士から今学校に転じて8年、生長していく生徒を毎日見ることの出来る「幸せをしみじみ」と感じているのだ。何時も卒業式になるとこのように感じる。
・ やはり教職というのは「別格の職業」だと思う。これほど素晴らしい職業はあるまい。企業出身だけにそのように思うのだ。卒業式の執行とその舞台の表も裏も知り、味あわせて貰う喜びが私の体を震わすのだ。「校長冥利」に尽きる。