2009年3月4日水曜日

3月4日(水)橋下流

・ 昨夜は「喪に服する」ことがあってブログのアップはしませんでした。

・ 「橋下知事の手法」がほぼ「見える」ようになって来ている。府民でも大分多くの方が分かってきたのではないか。多くの人々とお話しする機会が多いのだが大体、府行政の「ウォッチャー」や橋下改革の影響を受けている人たちはほぼ間違いなく「橋下流」を看破してきている。
・ 知事のやり方は「まず、ドカーンと花火を打ち上げ」、周辺や府民の受け止めやマスコミの論調を見ながら「落としどころ」を探りながら「着地点を探る」と言うことである。
・ 私はこの手法を批判しているのではない。これは明らかに「為政者」が普通に取る手法の一つで政界でも良くある方法である。「観測気球をぶち上げる」という言葉もある。これは「トップの手法」で役人などが持ち出す方法ではない。
・ 一般的に行政の役人は「完全に固まった案」しか「表ざた」にしない。それは「言いだしっぺの責任」を問われることへの警戒感もあるのだが、彼らは手法としては「稟議方式の積み上げ手法」である。
・ ちなみに役人は「パブリックコメント」なる手法で幅広く府民の意見を求めるがこれは実態としては「ちゃんと、府民の声も拾いましたよ」というポーズに過ぎない。又良く「審議会に答申を願う」というがこれなども「格好」だけですでに結論は出ているのを「お墨付き」を貰うだけでしかないと思っていたら良い。審議会で事務局原案がひっくり返ったなど余り聞かない。
・ 知事は違う。「自分の思ったことをバーンと」打ち上げて「反応を伺う」スタイルだ。どちらかと言うと「民間流」というか「政治手法」に近い。この方法は極めて「効率が良い」からだ。それは「問題提起」が一瞬にして成されるからである。
・ 「大衆迎合的手法」とまでは言わないが「知事が吼えた」瞬間に、その問題は大きな府の問題と化けるのだ。そして反対意見でも言おうものなら「抵抗勢力だ。知事は可哀想」となり、一夜にして「世論」が形成されることもある。
・ 典型的なものは府庁のベイエリアWTCへの移転に現れている。「関西州だ。城を移す。これで意識が変わる」と打上げ、極めて短時間でこの「府庁移転問題を行政テーマ」にした。まあ「見事」である。この問題は意見の積み上げなどで出てくる話ではないからだ。私でもそうするだろう。
・ こういう打ち上げに対する一般的反応は「びっくり仰天」「聞いていなかった」「何でや」「議会無視」とかであるがそこには論理的なものは何もなく、ただこのような大きな「問題の形成段階に参画」していなかったことからくる「遺憾、悔しさ、やるせなさ、せつなさ、やっかみ」などでしかない。
・ 抵抗勢力がこういう場合に使う言葉は「拙速」と言うのだがそれに対して知事は「タイミング、タイミング」とシャーシャーとしている。この時点で勝負はすでに知事の勝ちで「拙速というのは反論の構成には成り立たない代物」である。逆に遅れたことでの「恥をさらしている」だけの話しではないか。
・ 私も辟易したものだった。学校改革の過程で「何でそんなに急ぐのですか」「もっとゆっくりじっくりと」と言う意見が少数の声だったがあったことは事実だ。そういうことを言う人間に共通しているのはまず「勉強していない」「問題意識がない」「既得権益への我執が強」等々の性癖のある人で「大きく、将来を見据える」ことの苦手な人が多かったように思える。
・ 特に私の場合は「書きに書いて」紙にまとめ、「喋りに喋って」説明したから「説明責任」は十分成している。ここはポイントでこの点がなかったら「みーちゃん、はーちゃんのファン」でもいない限り多数の理解と賛成は難しいだろう。
・ 知事はあと少しここの部分を補強しなければならないと思う。もっとも府議会の議論なども表と裏があり、府議会議員も本音と建前があるから見た目で判断することは気をつけなければならない。選挙区の府民向けということもある。
・ 早速知事は「新たな花火」を昨日打ち上げた。今朝の産経一社であるが「公私教育を一元管理」「知事が府教委再編構想」との見出しだ。これなど典型的な花火だがこれは「天空で開かない花火」に終わるだろう。
・ 「大阪の教育力の充実には公立だけでなく、私立が大切な役割を担っている」「公私教育をトータルでコントロールしていくことを考えたい」と述べる一方、「現行制度上では困難な面があり、今後の検討課題と考えている。どうしても教育委員会の独立性ということで引っ掛かってしまう」と述べたらしい。一応分かっているのだ。
・ しかしこれは間違っている。こういうところが知事の弱点だ。これは府庁移転の話とは違う。「根源的な話」で一地方の行政場所を大阪城の真ん前に持ってくるか大阪湾の前にもってくるかと言うような「小さな」話とは違う。
・ 公立学校と私立学校を混ぜて「一元コントロール(知事の使った言葉)」するなどは今の法体系とその趣旨から完全に逸脱した「暴言であり、世迷言」である。コントロールするとは何事か!
・ 知事は法律家であるにも関わらず教育法令に疎い。まず知事は「教育基本法、学校教育法、私立学校法、地方公務員法、教育公務員特例法、地方教育行政法の六つ」くらいは早急に読まねばならない。私でも読んでいるのだ。
・ 確かに「業務委任」と言う方法はあるがそれはスポーツとか社会教育とか限られた範囲であり、早速文部科学省は「初等中等教育に関する委任は法の趣旨から脱却している」との見解を示している。
・ その昔橋下知事は「教育委員会に命令する」と言って「教育委員会の独立性」を侵害するものだといって大きく批判された。「クソ教育委員会」と言うのはまだ許されるが教育委員会の独立を侵すような考えは許されない。
・ まして「私学をコントロール」されては堪らない。私学は土地から校舎、採用している教職員、その給料など一切単独で私立学校法で定める「学校法人が寄附行為に拠って経営」しており知事部局や教育委員会とは独立しているものだ。助成金を出しているから「口を出す」というのは間違っている。公立私立の切磋琢磨が重要だ。
・ まして私学には「建学の精神」という公立学校にない「背骨」があり、公立学校と一緒の桶に入れられてこん棒でかき混ぜられるのは「とんでもない話である」。絶対に許されない話である。「冗談じゃない」と言ったところだ。
・ 私学助成を削減し、公私比率の見直しを言い、超エリート校を作ると言い、塾の先生を教室に入れ、徹底的に私学をいたぶり、今度は「拡大教育員会の傘下に入れ」では「小さな親切、大きなお世話」と言いたい。知事の応援団ゆえに苦言を呈したいのだ。