2009年3月20日金曜日

3月20日(金)一宿一飯の恩義

・ 昨日は「実務的な本年度最後の職員会議」であった。私は参加者の数を内心では心配していた。インターハイで出張する教員は多く、これは良いのであるが一昨日の「進級判定会議」が終わったから「年休を取って休む教員」が多いのでないかと想像していた。
・ 結果は杞憂に終わった。職員会議の日に休暇を取るなど特別の場合を除いてあるのがおかしい話で若し多ければ「一大決心」で職員会議に臨んだのである。「職員会議を職員が重要視しなければ」、それはそれでやり方はあるからだ。
・ 冒頭私は「今年で契約が切れる4人の常勤講師」の先生のお名前を挙げて「お礼の言葉」を申し上げた。いずれも20年度1年限りのお付き合いであった。お一人は兵庫県のご自宅にお戻りになり、一人は母校での教師の仕事を得たということ、お一人は他校で有期限の良いお話を頂いたとのことであった。もう一人の先生にどうされるのかは分からない。この人のことについては後述する。
・ 4人のうち3人が国語の先生で正直ぎりぎりで退職を申し込まれてきたから人事担当の副校長は国語科の後任探しに「切りきり舞、てんてこ舞い」であった。「来年度も継続の内定」を蹴っ飛ばして」出ていくのだから当方は大変だったのである。
・ しかし私の基本的考えはこうだ。「良い条件があれば職業の選択は個人の自由である。引き止めてはならない。」と副校長には言明している。まして常勤講師だ。良い条件があれば当然そのほうに行く気になるのは自然だと思う。ただそれ良かったかどうか、将来幸せになれるかどうかは別問題だが。
・ だから若い教員で「故郷の公立教員の採用試験」をどちらかというと「積極的に受けなさい」という立場だ。引き止めたりはしない。そして万一公立の採用試験に失敗しても本校で救ってやるという姿勢を貫いてきた。ただし3年間までである。
・ 3年間もトライして駄目だったから「もう諦めました。浪速で働きます」といわれても答えは「いや有難う、申し出でだけで結構です。」と丁重にお断りする場合もあるだろう。公立で3年もトライして合格しない先生を、本校で雇うわけには行かない。当然だと思う。「私立一本、浪速一本」で頑張ってくれている教員に悪いではないか。
・ 40名近い常勤講師の先生がいるから経歴は多彩であり、私は「若い人と働くのは大好き」だ。彼らの将来を輝くものにするため、「本校を土台」にして好きなようにして良いと常々言っている。私との付き合いも後になれば「人生の一こま」にはなるだろう。
・ 「エエッ、あの木村校長の浪速高校で!」「ええ、そうです」「大変だったでしょう」「いいえ、勉強になりました」くらい言ってくれると嬉しい限りだ。本校を希望してくれる常勤講師の先生の中には結構の数で「ブログを読み、この人の下で働きたい」と言ってくれる人は多いのだ。
・ 私は常勤講師の先生を見ていないようで実は観察し情報を集めている。良い点があれば部屋に呼んで「評価の言葉」を口にする。気になる点があれば「アドバイス」もする。それくらい若い人は私にとって「金の卵」だ。だからこの金の卵に毒を振り掛けるようなベテランの教員がいるとすれば私は敏感になる。
・ 現実に専任に採用した若い教諭が職員室でベテランに混じってぐちゃぐちゃ仕事と関係ないような話をするようになっているという。私は3月9日から3夜連続で重要なメッセージを発信しており、特に3月11日は「職場風土とOJT」がテーマである。重要なのでその中の一部をもう一度抜粋してみよう。
 “ところがこの辺が「だらしない職場」であれば「先輩のやる言動」を見ていて、若い人が「あれで良いんだ」と思い込んだら、一貫の終わりで、逆スパイラル現象で職場はドンドン悪くなっていく。昔、公立学校時代にある府教委の幹部が言っていたことを今でも私は忘れない。今、府教委は教員の新規採用に躍起であるが、勢力を注いで採用した新人が職場配属して半年も経ってみると「もう半年前の姿は何処にもない教員がいる」というのだ。面接などでは素晴らしかった新採の教員が「配属先の風土に染まって」しまい、たった半年でいかにもだらしなくなっているのに「愕然」としたというのだ。それくらい職場風土は急性で罹患する。そしてそれが慢性病となり、じわじわ「学校を壊していく」のである。
本校でも私の耳に良く入ってくる。「ベテランの先生は直ぐ帰宅する。」残っているのは若い先生ばかりで、信じられない話だがベテランが若い先生に「早く帰れよ」と自分の帰りが早いことへの正当化作業として進めるような教員がいるという。帰ってよいから「黙って帰れ」と言いたい。良い風土が出来ていないならそれは「作り、醸成」していかねばならない。しかし口ほど易しいものではない。基本的に部屋に閉じこもり、接触の機会の少ない校長では限界がある。最も有効な手立ては何時も側にいる「ベテランの教師が若い教師を指導する」ことであるが、学校というのは企業や行政の公務員と違ってベテランになればなるほど「素晴らしい者とだらしない者」に分かれる比率は高いと私は観ている。“(以上が抜粋)
・ ところがベテラン教師が指導するところか「学校への不平不満をしゃべくりまわっている」ような職員室では職場風土に染まるのも居れば「聞くのもイヤになる」という常勤講師もいるのだ。
・ ある常勤講師は「そういうことを私らの耳に入れてどうせよというのでしょうか」「うなずけというのでしょうか」「学校の昔の話は理事長のメッセージで十分分かっています」「私たちにとって大切なことはこれからで昔は給料が高かった、休みが多かったなど昔のことは聞きたくもありません」と私に明確に述べたのである。
・ 又お辞めになる先生は「教員間の温度差を感じます」「特に国語科は校長方針が受け止められない体制である。」「もっともっと生徒の力を伸ばせます」「この学校はまだ男子校のイメージを引きずっています。」等々前向きの提言をしてくれた。私は大いに感謝したのである。
・ しかし変な常勤講師も居る。副校長に挨拶もなく有給をすべて取って18日から最後まで学校に出てこないという。「非常識」極まりない。この先生は前の学校を辞めて本校で働きたいというから、私が最終面談をして採用を決めた先生で、それなりに本校への「恩義」はあろうにと思う。「一宿一飯の恩義」とも言う。
・ 私は年代的にも本校にいない世代で見所のある先生だと思ってもう1年様子を見て、見極めれば専任の道もあったろうに残念でならないが、まあお考えがあったのだろう。しかしだ。1年間頑張ってくれたお人だ。私からも慰労の言葉を言いたかったし、先生のお考えも聞きたかったが「風のごとく」居なくなってしまった。
・ 人間何が大切かと言っても「最後」である。「最後を見事に飾ってお終いにする」ことが「その後に繋がる」。好対照が図書司書の先生だ。1年で「雇い止め」であるがこの先生はお菓子などを職員室に配ったりして挨拶をして回っておられると聞いた。「人間の格の差」だろう。
・ 本校ではたった1年でも退職金は1.05か月分お支払するが、なんとも「やるせない気分」だ。教職員に最も大切なことは「礼節」ではないのか。今私学で1年勤務の常勤講師に退職金を支払っているのは確か9校だけである。前述した司書の先生には退職金はない。