2009年5月14日木曜日

5月14日(木)久々の橋下知事

・ ブログの読者から「最近は橋下知事論評がないですね」などの葉書を頂いた。その方は知事と私のファンと言って下さっており、私は知事ほどの人間ではないが、外部のお方で支持者がいることに嬉しく思っていたところに「格好のニュース」が入ってきている。早く書こうと思っていたが修学旅行問題でその機会がなかったのである。
・ 久しぶりに「橋下知事論評」を書くことにした。ようやくその気にさせる記事が出てきたのである。最近は私を誘うような内容がない。成田に停留されている新型インフルエンザに罹患した寝屋川の公立高校生に「元気で帰ってきてね」などは当たり前で、橋下さんらしくない。
・ 国に対して「全国の公立私立小中高校の修学旅行のキャンセル料は国が払え」などと言ってくれれば「大いに湧くに湧くのになー」と思う。自民党も民主党もまったくセンスがない。15兆円もの補正予算があるが、使い切るのは大変だ。回してくれたら一挙に「国民の人気は沸騰する」だろうに。
・ 知事はこの5月7日の定例記者会見で府庁を「大阪ワールドトレーディングビル(WTC)移転に伴う意思決定の過程」で議案を「無記名採決」した「府議会自民党を批判」した。
これは当時に大きな騒動とはならなかったが、「じわじわ」とその後も続いていたらしい。
・ 橋下知事は酉年生まれであるそうだが、自ら「私はしつこいですよ、蛇みたいに」と言うだけあって「出来る男はしつこい」のが当然であって、千葉県の新しい知事で青春が売り物の森田知事みたいに「あっさり派」はどうも「仕事は出来そうにない感じ」だ。
・ 私自身は若い頃は「あっさり、さっぱり」した好青年と思われていたときもあるのだが(???)、年を取るとともに、責任が大きくなるに連れて変わって来たのだろう。最近では、知人から「しつこ過ぎる」とまで言われている。特に「朝読書持ち時間減要望事件」でその片鱗を見せたというのだ。私はしつこい時と、驚くくらいあっさりとする時がある。要は「二重人格者」である。
・ 否定された直後にも不満を漏らしていた知事であったが、この「憤懣」はまだ尾を引きずっており、昨日も口に出たのだろう。批判された府議会側は自民党の議長が強く抗議した。
・ これに対して知事は「全く理解できない。議会と知事の2元代表制で議会に物言うのは当然」としたが、さらに議会批判のトーンを上げた。これに対して頭に来た議長は抗議文を出して戦いは続く。
・ 「無記名投票は議員の責任を果たしていない」という知事に対して議会側は「投票方法は民主的手続きに従って決めている」との抗議文の内容らしい。しかしこの問題は府議会側に分が相当悪い。
・ 「誰が賛成か反対か」分からないようにして投票するなど「卑怯そのもの」であり、どう考えても成り立つ理由は見えない。堂々と論陣を張り、賛成、反対の立場で投票すれば良いのであって「覆面投票」するのはどういう意味か。「目的は何か」。
・ この無記名採決は府庁移転案が否決された後、東京の中央省庁でも、知事の地方分権論を揶揄して「その前に大阪はちゃんとしなさいよ。今頃無記名投票などする自治体に地方分権の気概があるのですか」に近いような批判があった。これは常識的反応であろう。
・ 想定するに府庁移転案は知事から持ち出された話で驚いた府議会側は「すったもんだ」の挙句、特に与党である自民党を揺るがす大騒ぎになり、結局のところ一枚岩にまとまらず、挙句の果てにあのような無記名反対票断トツと言う結果に繋がったと私は見ている。
・ 「橋下の野郎,こんちくしょうめ、好き勝手言い寄って」などの「感情論が投票行動」に出たのであって、本気で将来の大阪像を考えていたのかと私でも思う。財界はじめ多くの識者は投票の結果に「遺憾の意」を示した。
・ 知事の人気は大きく、表立って反対には動きにくい、されども「一矢報いたい」、結局覆面投票で反対に回ったのではないか。お粗末限りない。こういうのを「面従腹背」というに近い?
・ 反対とした議員は地元の選挙民に対して「私は賛成でした」「実は反対にしましたんや」などと説明してもその「確認」が成されないではないか。それでは地元民に説明が出来にではないかと言うのが知事の批判の「議員の責任が果たされていない」に繋がっている。まったくその通りだ。

・ この種の話しを聞くと私は数年前の公立高校時代を思い出す。これと同じような「大騒動」があって閉口したものだった。校長に「校務分掌の人事権」を取り戻すべく学校改革で動いた私であったが抵抗は相当な物があり、それでも諦めず私は挑戦し続けた。
・ 賛成に回ってくれる教員も居たりして徐々にその流れが出てきたのは良いが「職員会議での投票は無記名」にするというのだ。とにかくこの学校は過去から無記名投票が多かったのである。「内規」もあった。
・ 無記名投票は職員会議の時間が倍はかかる。議長が投票用紙を配り、回収し別室で開票し、また戻ってきてそれを説明する。詳細に言えば誰かが、特に組合教員に多かったが「無記名投票を提案します」と言えばこのことの是非を無記名で投票し、可決されたら本議案を無記名でやるという方式なのである。
・ 私は最初子のやりかたと見たとき、「ここは日本か」と思った。それを平成16年の雑誌「正論」に「学校社会の不可思議」として論文発表した。表紙に名前が載るような「当時一大反響を読んだ寄稿」であった。
・ 要は「自分の行動や考え方は知られたくない」と言うものでるが根底には「改革などどうでも良い。」「今のままでどこが悪いの」「しんどいことをしたくない」という心理であり、表立って「改革提案には反対できない」から「闇で反対」でということになるのである。要は「自分の姿を隠したい」のである。
・ 府庁移転の府議会の動きもまったく教員社会と同じ心理パターンではないか。民主的に進めていると反論しても民主的かどうかが目的ではなくて改革に対する取り組みの本気度が問題であり、「正々堂々」ではないのか。
・ 大の大人が「身内の問題」についてこそこそと無記名投票する姿は「不気味」ですよ。それは不気味です。私などは背中に冷や汗が出た。一方では「透明性の確保こそ重要」と言いながら「隠れたところで内緒の意思決定」するのは「匿名の紙つぶて」を投げるようなものだ。
・ 本校において無記名投票が過去あったのかどうか知らないけれども「これだけは絶対に許さない」。そういうことは必要ない。堂々と反対理由を述べて「対案を出し論陣」を張れば良い。
・ そういう人物は返って私は「評価する」積りだ。良い意見であれば即刻採用する。どうも見ていると「反対理由が成り立たないのと対案がないから、覆面投票に走る」のであって、そういう人たちに対して「隠れ蓑、目だし帽」である無記名投票をさせるわけにはいかない。今晩は焼肉にするか、回転寿司に行くか家族内で投票するようなものだ。笑ってしまう。