2009年6月11日木曜日

6月11日(木)千早の壁画


・ 「多聞尚学館は千早城址の一角にある。」山道階段を15分も歩けば本丸跡だ。元弘3年(1333)というから今から676年も前の話だが、この千早赤阪村水分地区で生まれた「楠木正成公は後醍醐天皇に呼応」してこの地で兵を挙げた。「太平記」「建武の中興」の世界である。
・ 押し寄せる100万という鎌倉幕府軍をたった1000名足らずの兵で100日間も持ちこたえたのは「自然の地形を生かし、天然の要塞と言われる千早城」に立て篭もって、「ゲリラ戦」を繰り広げたからという。多聞尚学館はこの「戦場の跡地」に立っているのだ。
・ 確かに一度来て頂くと分かるのだが「周辺は坂道ばっかり」で多聞尚学館の平らな土地の周囲は崖である。地元の家々は多聞尚学館を見上げるような低地に群落しており、だから区長さんが「先生、多聞は地区で最も良い高台のところにあるのですよ」と言われたことがあった。
・ この「断崖絶壁」に大きな「壁画」が描かれている。「千早赤阪村千早の壁画」として有名である。元々は土砂崩れ対策として急傾斜地にコンクリート防災壁を作ったのだが「見た目が悪いから」と言ってこのコンクリート面に絵を描いたものだろう。
・ 壁画の名前は「希望の虹」だという。良い名前だ。今から18年前に多聞尚学館の前身である「村立多聞小学校の児童が描いた」ものだ。「3人の笑顔の子どもが一輪車に乗り、金剛山の山頂にかかった虹を昇って行く色鮮やかなデザイン」である。
・ 作成された当初は村民や登山客らの評判を呼び、一時は村の「シンボル的存在」となった。しかし「時は非情」でその「多聞少学校」は平成19年3月に廃校となり、所有者が我々に代わって「多聞尚学館」となった。壁画は土砂に覆われ、今では何が描かれているのか分からない。私も知らなかった。
・ 買収交渉の過程で当局は私に対して「あの壁画の部分に浪速の美術部の生徒さんで何か描いてくれると嬉しいのですが・・・」など、冗談交じりの話があったのだが、とにかく40度の急峻勾配で素人には近づくことも出来ない。
・ そうこうしていたら今朝の産経新聞だ。私はこの記事を見て「びっくり仰天」した。「多聞尚学館の体育館に飾ってある絵のデザイン」なのだ。そうなのである。「壁画の原画」は多聞尚学館にあるのである。分からなかったと言えば分からなかったのだが、なんとも「しまりのない話」となってしまった。「まさか原画がここに残っているとは知らなかったのである」。
・ 府の山岳連盟のメンバーらが13日と14日の両日にボランティアで清掃活動を行うとの記事内容である。土砂や汚れを取り除くため多くの村民が協力し「完成当時の鮮やかな色彩が現れる」ことが期待されるという。4月に一部を清掃したら「当時の絵柄が現れた」ので本格的となったと記事にはある。
・ 府の山岳連盟は大阪城の天守閣を清掃したことで有名であり、その登山技術を生かして欲しいとの村の依頼に対して「快諾」したと言うではないか。橋下知事も補助金削減ばかりではなくてこういうところに補助金を出して上げて欲しいものだ。
・ 作業は「13,14日とも午前10時から午後4時頃までで延べ90人ものメンバー」が登山用ロープで壁画を下りながらブラシやスポンジで洗い流すそうである。「命がけ」だ。水は「地元の消防団」が近くの川からくみ上げるほか、村民が食事の準備に「村総出での作業」になるとか。
・ このようなことを聞いては私も「知らぬ顔の半兵衛」を決め込むことは出来ない。記事を読んだ後、早速に村役場の建設課に事務長補佐を出向かせ「何か応援できることはないか、あるいは何か差し入れを」と申し出たのである。結果的に村当局は「有難い」と言われて「ボランティア用のペットボトル160本」を受け入れてくれるそうだ。「良かった。これで良い。」
・ 館内清掃とか最近では中学生農業体験の田畑がお借りできるようになった。地元には大変お世話様になっている。「地元住民の希望の虹の絵を蘇らせる」のに浪速も「お役に立ちたい」と考えるのが普通の感情である。多聞尚学館を売って頂いた「村の大きなイベント」だ。13日には村長以下総出でNHKも取材に見えるらしい。
・ 絵は事務長補佐に言って学校に持ち帰えらせ、18年間も体育館の壁にかかっていたので「埃だらけ」であったが、これを一度「綺麗に掃除」して、明日中に「本館の大ホール」など人目につくところに移し替える。大切にしなければならない。
・ 当日はこれを描いた当時の多聞小の児童、今は成人している人々も「自分たちの夢の輝きを取り戻す瞬間」を見学に訪れるという。村の建設課は「村のシンボルがよみがえる様子を見に来て欲しい」と言っているそうだ。
・ 私は直ぐPTA社会見学担当の教諭を呼んでこの13日に多聞尚学館を丁度訪問する「PTA」の40名をここに案内するよう計画の一部変更、と言っても,尚学館から見える至近距離にあるが、とにかく応援の意味も込めて行くようにした。
・ 同時に12日から14日まで「週末スペシャル」で学習合宿している「生徒90人」も時間調整をして「散歩がてら」に現地の見学に行かせることとしたのである。このような「ストーリーと現場」を見させることは勉強と同じくらい「心の栄養にとって重要」だ。
・ 多聞まで来ていてこのような催し物に顔を出さないという感覚は僕にはない。「多聞尚学館は千早地区の皆様のお陰」で我々のものになったのである。あの昨年12月18日の「地元説明会の雰囲気」をこれに出た教職員は覚えている筈だ。まして「原画の保有者」は我々なのである。館長も副館長も多聞の担当も教職員も「未来永劫これだけは忘れてはならない。」。