2009年6月15日月曜日

6月15日(月)校内暴力急増

・ 「校内暴力急増」「3年で倍以上」「教委と府警が対策会議」との見出しは大阪日日だ。この11日に「府警少年課」のまとめが判明し、各紙が報道している。2008年に大阪府内の中学校で発生した校内暴力のうち大阪府警が生徒を逮捕するなどした「摘発件数は2008年で82件で3年前に較べて2.6倍に急増」している。
・ 校内暴力の摘発は1983年の160件をピークに減少傾向が続いていたが「06年度から再び増え始めている」。このため府警少年課は大阪市教育委員会と「定期的な対策会議を設置」することとしたと記事にはあるが、私にすれば「それでどうなるの?」という感じだ。
・ 会議の初回は11日にあったらしいが今後月一回程度担当者が集まり校内暴力をはじめ「学校内で起きている問題をテーマに意見交換」するとのこと。「意見交換してどうするの?」と質問したい。
・ 少年課によると中学校で生徒間の暴力や校舎の窓ガラスを割るなどの校内暴力の摘発件数は04年に37件であったが「05年がボトムで31件に減った」という。しかしこの数値だけに限定して校内暴力問題を考えている中学校の教員は居ないだろう。
・ 上記数値は摘発件数であり言って見れば「警察沙汰になった数値」である。この裏に隠れている校内暴力事件は極めて大きいものがあると想像できる。そのように考えねばならない。「 学校単位で生徒生活指導で処分している件数」はもっとある筈だ。浪速中学校では幸いにも警察沙汰にはなっていないし、校内の生徒同士のいさかいもほとんない。しかし「同じ府内で中学3年生の校内暴力が増え続けている」のは心に大きな影を落とす。
・ 府内で昨年「刑法犯で摘発された少年は約9700人で内半数が中学生」である。内容は「窃盗が最も多く、粗暴行為が続いている」。校内暴力の摘発件数が増えたことに対して市教委は「背景や原因は分からない」と言っているらしいが、府警少年育成室の室長さんも「非行防止対策の鍵を握っているのは中学生。効果的な対策を検討したい」とこれまた当たり前のことを話しているだけだ。しかし市教委のコメントも情けない。
・ 状況的には極めて厳しいと私は分析し認識している。これらの「荒れる中学生」が大挙して「97%の比率で府内の高等学校に進学」する。私立高校に30%、公立高校に70%だ。中学生問題は小学生高学年の問題であり高校生の問題に直結する問題だからである。
・ 誤解を招かないようにしないといけないが、このようなデータが発表された翌日12日に「衝撃的事件が府内の高校で発生」した。「富田林の公立高校の3年生が河内長野市の私立高の1年生を殺害した事件」である。
・ 私が驚くのは「単なる友達同士の喧嘩の果て」に死に至らしめたというものではない。用意周到に準備して木づちや木製のバットで顔や頭を滅多打ちにして殺害したという方法に「戦慄」を覚えるのだ。
・ そして何時もこのような事件の時の「新聞記事に出る学校長のコメント」も大体同じだ。「普段はおとなしい目立たない生徒」「明るくて、皆の人気者」「信じられない、何かの間違いでは」の類の言葉が出てくる。これも私には簡単に「そう?」と言えない気分だ。
・ しかし殺された方の生徒がいる学校長も殺した方の学校長も大変だ。「お気持ちをお察しする」。不謹慎であるが正直これが本校でなくて良かったと私はつくづくと思うのだ。しかし私でもせいぜい「今後とも命の大切さを教えて参りたい」というくらいしか言葉にならないだろう。
・ 一体全体大阪の公立中学校の校内暴力がこのような事態になってきたのはどうしてなのか。大阪市教委みたいに「背景や原因など分からない」などと言うのは無責任のそしりは免れないが、正直現場を離れた市教委に分かるはずはない。大阪の学力低下と何か関連があるのか。「知事も今回のことで何かコメントを出さねばならない」
・ 学校現場が「信じられない、分からない、そういうことをするような生徒ではなかった」などと言っているのである。結局「個人の複雑で深い事情が事件を導く」という構図で、全体がそれを「抑止できなくなっている学校現場」ということかも知れない。深い心の闇を家庭も学校も知ることが出来ないのが現実である。
・ 昔もそういう事件はあった、驚くことは無いという意見もあろうが問題は「比率」であって、増えていることが問題なのである。このまま進めばどうなる。少なくとも学校関係者として「生徒の自由を尊重する」とか「教えすぎは良くない」とか「寝とぼけた教育観が無力」なことを我々は知るべきである。
・ 逆説的に言えば、確かに厳しい経済情勢の中でも「私立中学校人気」は衰えていない。荒れた公立中学へ行かせるくらいなら少々授業料を高くとも私立を選択するという保護者が居て当然だと思う。それは府内でもデータが証明している。決して「私立中学校の志願倍率は落ちてはいない」のである。
・ どうしてこのように中学生の心は荒れすさんだものになってきたのか。この疑問に対して様々な意見があるだろう。「急に中学から荒れるだろうか。」「小学校段階からその芽は出ているのではないか」「家庭はどうなんだろうか」「お父さんは家庭で暴力的ではないのか」「お母さんが何時もがみがみ言っているのではないか」。
・ 「家庭の経済的困窮が遠因である」「しかし家庭経済が厳しくとも立派な行いをする生徒は居る」「学校はどうなんだ、指導しているのか」「しっかりと学校の先生は教えているのか」「体罰をがみがみいうからだとの体罰容認論」。
・ 「体罰許可条例の制定をすべき」「絶対体罰は許さない」「先生、ぱちんと時には体罰でも何でもしてください」、しかし実際そのようにしたら文句を言う親」「責任回避の学校」など複雑に絡んでおり確かに校内暴力の増加は簡単に解決はしないのだ。しかしそう言うだけでは何事も前に進まない。
・ 「教師は評論家になってはいけない」。「徹底的に面倒を見る」ということしか今は方法がないというのが私の考えだ。「めげずに、負けずに、指導し続ける」ということを諦めてはいない。私は何時も先生に言っている。体罰はいけない。「しかし先生の熱意で必ず子どもは変わる」「言葉と態度で生徒に詰め寄れ」「真心を忘れるな、怒りでは生徒は変わらない」を信念として頑張って欲しいとお願いしている。
・ 「諦めてはいけない」「場合によっては内規を適用し厳しい処分も辞せず」だが「最後の最後、極限まで面倒をみる」ということとしている。このことしか学校の教師には手は無いのだ。「私はやるだけやりました。後は知りません!」と啖呵を切るのは簡単だがそれは「教育の敗北」である。