2009年6月19日金曜日

6月19日(金)学院神社多聞尚学館分社


・ 90年近い歴史で初めて本校は学院神社の「分社」を持つことになった。「嬉しい」かぎりである。本日「多聞尚学館」に新たな「お社」を創設し、「学院神社の御霊をご分霊」する「遷宮」を斎行申し上げたのである。
・ お祭りは夕方17時頃から「暮れなずむ前、薄暮の千早赤阪村の金剛山の山すそ」で行われた。ささやかながらも厳かに執り行ったのである。又一つ新しい記念碑となった。祭主は私で斎主は神道科の主任教諭で斎員は神道科の講師の先生である。
・ お二人とも皇學館大學卒業で由緒ある神社の子息でバリバリの神職の資格を有する。今回は神社庁からのお出ましはお願いせず「我々の手による学校行事」とした。まず午前11時過ぎに本校の学院神社にて管理職だけで御霊分けの神事を神道科教諭の斎行で済ませた。
・ そしてそのお分けした御霊を多聞尚学館に運んでお納めしたのだ。学校を3時30分に出発した神道科の教諭の手で運ばれる。誰彼ができるものではない。正式には「多聞尚学館学院神社御分霊入魂神事」という。
・ 元来は夜暗くなって行うのが正式らしいが、夕方とした。今日は月曜日から続いている「進路週間、保護者懇談会」があったりして忙しく,この日となった。出席者は当然現在の管理職は総出であるが、神道科教師と多聞指導の教師並びに丁度「週末スペシャル」でこの日到着した1年生の理数科と普通科Ⅱ類T-1組の生徒80名の代表出席であった。
・ この御霊分けのことは多聞尚学館が完成した時から考えていたことであった。当初はいわゆる「神棚」方式を考えていたのだが、「神棚の設置する場所」は決まりごとがあって簡単ではない。まず方角と建物の場合は階上に人が歩かない部屋や廊下が無いほうが良い。
・ 又お社は私や教職員だけの満足だけであってはならない。多聞を利用する生徒の目に触れるところでなければ意味はない。あれやこれやで考えていたら担当のほうから「建物の外でのお社ではどうか」とアイデアを出してきた。私には考えが及ばなかったが良い提案をしてくれた。私はこの考えに乗ったのである。
・ 費用は少し余計にかかるが「末代」までのものだ。それに正門付近であれば生徒の出入りの場所であり、来た時、帰る時を考えれば「格好の場所」である「本校の生徒は毎朝登校して来たら学院神社に頭を下げてお参り」をする。それが指導でもある。
・ そこで位置決めとなったがこれは簡単で「これ以上最適な場所はない」というようなところを決めて、ここに分社を祀ることとしたのである。肝心のお社であるが最近では神具も既製品があり、これを念入りに調べて発注した。
・ あまりみすぼらしいのもいけないし、豪華なものも本意ではない。丁度「頃合の物」を見つけて「設置工事」を行った。小さいながらも「参道」を設け両サイドに「献燈」付だ。取りすがりの村の人々の目にも触れるだろうし、防犯効果も期待できる。
・ ご祭神は「天照大御神、豊受大御神それに大阪府下の全ての神社に祭られている神々」が多聞尚学館に鎮座されることとあい成った。金剛山の山すそにあり、多聞尚学館ゆかりの人たちに「ご加護とご神徳」が頂けるだろう。周辺は緑が多いが「榊」は必要なのでその内に植樹する積りだ。
・ それにしても「立派なお社」が完成していた。私は感動したのである。小さいながらも天に向かって屋根が入張り出しておりまさに「多聞にふさわしい誂え」となっていた。同席してくれた神具店の社長さんにお礼を申し上げた。
・ 玉串奉奠は理事長校長、それに多聞尚学館長、生徒代表とした。「学院神社が昭和28年、この多聞尚学館分社が平成21年」である。その間56年間もあったが本日このようにして新たなお社が出来たことを関係の皆様と共に喜びたいものである。
・ 祭事の真っ最中、白装束の斎主が17時「祝詞を奏する」ときに千早地区にこだまする夕方のサイレンの音が村中に響き渡ったのである。何か「感動的な象徴的な出来事」であった。
・ そして時あたかも昨日多聞尚学館が「校地」として大阪府から正式に認められた。申請書類が「受理」されたのである。学校法人大阪国学院浪速中学校高等学校はこのようにして「千早赤阪村に学校地を持つ」こととなれた。私はこの2年半を思い出して胸の高鳴る思いがする。
・ 今まで既に12回述べ808名の生徒が宿泊合宿で活用した。今日から13回目の生徒80名が「誇り」を持って合宿に入館している。今後まだ使っていない生徒にも「活用の機会」を広げねばならない。
・ 早速館長と「中高一貫」担当のS教諭を呼んで、浪速中学からの「中高一貫で内部進学した高校2年生、3年生」をまとめて多聞学習合宿に入る準備を進めるように指示を出した。この生徒たちへ「特別の授業」を今後、学期に2回ほど行い、「学力伸長」を図るのだ。「手厚く」するように指示した。