2009年7月26日日曜日

7月26日(日)闇専従


・ 衆議院が解散されて与党の自民党と公明党に対極としての民主党とその他野党との「政権選択選挙」が本格化してきた。しかし私はこれは「終わりの始まり」でただ一回の国政選挙で決まるはずは無いと思っている。
・ それは「勢いに乗る民主党への危うさ」を強く感じてならないからである。「この政党で本当に大丈夫だろうか」という心配だ。最も「落ちるところまで落ちた自民党」だから相対論で民主党への期待は大きいらしいが、今のままでは「早晩行き詰る」ことは「明々白々」ではないか。
・ 民主党は余りにも「ウイングが広すぎる」。自民党も元来は「広い政党」のように思われてきているが広いのではなくて「軟体動物というか何でも飲み込む政党」だっただけのことである。これに対して民主党の広さは強固な信念に基づく「左派と中道右派の混成部隊」だからである。
・ 余りにも「組合」とベッタリし過ぎている。これは後々大きな混乱を生むことになろう。恐らく自民と民主が流動化して「健全な二大政党へ発展」していくことになるのであろうが、紆余曲折は今後もあって、本当の意味での二大政党時代はもうしばらく時間はかかると考えておいたほうが良い。
・ 今のままで民主が政権をとっても基本的には「構造」が変わらないのだから「子供手当てがいくらいくら」と言った程度の論争にしかなっていないのが極めて残念である。戦後60年の労働組合主義の光と影を論考して労組のポジションを明確に確認しないと折角ここまで進んだ企業社会、教育界などに起こる「反動」を私は心配している。
・ 格好の記事がある。7月中旬の夕刊で各社大きく取り上げていたがその翌日の朝刊では「読売新聞」だけが極めて大きな取り扱いで報じている。「異例」とも言える「社説」を含めた5面にわたっての報道だから「力の入れよう」が分かる。久しぶりに読売は「骨のあるところ」を見せた。
・ 内容は農林水産省の「ヤミ専従問題」で、調査に当たっていた第三者委員会と同省の特別調査チームが「調査報告書」を石破農相に提出した関連の記事である。私はこの種の調査報告書は必ず「目を皿のように」して読む。
・ 想像していた通りの「内容」で農林水産省の職員で作る「全農林労働組合(全農林)」の「醜さ」と言ったら「言葉もない」。「腐って腐臭が辺り一面」にするほどだ。委員長ら組織トップと地方本部の委員長ら12人は責任を取って「全員が辞任」で「給与相当額の返還」も組合がするそうだが「当たり前」である。「金利をつけて返還せよ」と言いたい。
・ 福田という委員長は「法令順守の観点や国民の(税金という)視点が欠落していた。心よりお詫びしたい」と述べたとあるが平成も21年になって今頃「何を寝とぼけたことを言うか」という感じだ。
・ 2005年「日本中を騒がせた大阪市職労のヤミ専従問題」が引き金となり中央でも数回にわたって調査していたが農水省の調査では「ヤミ専従はなし」との報告であったが「逃げられない」と観念したものだろう。
・ 過去5年間で198人に上るというから酷い話だ。農水省は該当者を減給などの懲戒処分とするし、「見てみぬふり」をしていた直属の上司なども監督責任を問い1000人を超える処分をするとある。
・ 勤務時間中に許可を得ずに「組合活動」をするヤミ専従は法律で禁止されているにもかかわらず未だにあるのだ。仕事もせずに国民の税金から給与が支払われえているのだからこれでは「税金泥棒」と言われても仕方がなかろう。
・ 「調査報告書」の要旨しか報道されていないが、問題はその中身である。「出勤簿に判子だけ押して後は組合の事務所に常駐」「組合の職場集会を勤務時間中に頻繁に開催」というのであるが私が問題にするのは「恐るべき組合の体質」である。
・ なんと「着任初日恐怖の儀式」という見出しの中には恐るべき組合と当局の癒着が大きく記事になっている。「勤務評定を人事に反映しない」と迫るような今日信じられない体質である。
・ 春の異動で管理職が地方の出先事務所に着任したその日、会議室で待っていたのは息子ほど年下の若造が5人ほど雁首揃えて管理職に「お前の考えを言え」と言うそうだ。先輩から教えられたとおりに「組合の皆さんの考えを尊重します」と答えるそうだ。
・ 「対応を間違えると大変な目にあう」と管理職は震え上がって地方に赴くと言う。これは「日本のことかいな」と私は思うのだ。全農林の組合は未だに「民度の低い組合」らしい。確かに1965年に激化した「勤評闘争」では全農林は最も過激な組合で「全国津々浦々で当局側に自殺者」が出たことで有名である。
・ この時の「自席に座るだけで仕事をしないだんまり戦術」は当時名をはせ、結局中央省庁で導入が最も遅れたのは農林水産省であった。管理職も組合と衝突すると「管理能力がない」と烙印が押されるから「なあなあ主義」で「腫れ物に触るような対応」が組合を増長させたのであろう。
・ 新聞の見出しでは「もともと員数外だから居ても居なくても困らない」とあるのには笑ってしまう。要は「人を余らしていた」のである。ところが行財政改革で人がいなくなると「働かない組合幹部を抱える余」がなくなり「表ざた」になってきたのだ。
・ 「着任当日恐怖の儀式」の見出しを見て私は数年前に公立高校に着任した当日のことを昨日のように思い出す。これと全く同じような「歓待」を私も受けたのである。夕方16時過ぎ「組合分会」が大挙して校長室に来たのである。
・ 話の内容は「来週に迫った入学式において国旗の掲揚と国歌の斉唱に我々は反対である。新校長のご存念を承りたい」というものであった。読売の記事にもあったが新管理職を迎えての「組合の力を見せつけるための儀式」みたいなもので新校長ははまずこの洗礼を受けるのである。
・ 組合が全農林と教職員組合との違いだけでやっていることはまったく同じ構図である。今教職員組合には「ヤミ専従」はないと思う。極めて大阪府も厳しい対応をしているし、どの公立学校にもそのような教員を抱えている余力はない筈である。
・ 「私学」においてはどのような実態なのかは知らないが本校では「やみ専従」も居なければ「勤務時間中の組合活動」は有り得ない。正式な許可を出す、すなわち「職務専念義務の免除」も1年を通してないのが実態である。少なくとも農水省のような「組合支配」の構図は今や本校で有り得ない。私は徹底的に闘う。
・ しかし私は思うのである。戦後60年もはるかに過ぎて未だに「組合幹部のこのようなコンプライアンスの欠如」と当局の「馴れ合い主義」が日本のあらゆるところに侵食し、単なる「経済闘争」に終わらず「イデオロギー闘争」や「職場サボタージュ」のウイルスがはびこんできたことを憂えるのである。
・ 全農林も日教組も民主党を支持する「連合」傘下の組合で私は正直この点を心配している。民主党の輿石副代表は有名な山梨県教組出身で公式の場でも「教育に中立は有り得ない」と明言されている方だ。「ゆり戻し」がなければよいと念じざるを得ない。民主党は教員免許の更新性も改めるとマニフェストに書くと言う。とんでもない話だ。
・ 17日の新聞には各紙が「日の丸君が代を巡る訴訟」の横浜地裁の判決を報じていた。神奈川県立学校の教職員135名が入学式や卒業式で「日の丸に向かって起立し君が代を斉唱する義務がないことの確認を求めた訴訟」である。しかし「こういうのを訴訟するか!?」
・ 判決は「起立斉唱命令は思想良心の自由を侵害せず、教職員は起立斉唱の義務を負う」であり、教職員側の訴えを全面的に退けた。また命令に従わない場合は「厳正に対処する」とした教育長の通達も「教育基本法が禁じる不当な支配」には該当しないと判決であるが、組合は「控訴する方針」とか。
・ 未だに学校現場にはこういう輩が徒党を組んで厳正なる式をぶち壊すイデオロギー教員が居るという現実である。「度し難い」現実を直視しておかねばならない。本当に一部の教職員組合員とは一体何者なのか、未だに私は理解できないのである。