2009年8月7日金曜日

8月7日(金)高等教育の複線化


・ 「中央教育審議会のキャリア教育・職業教育特別部会」がこの7月にまとめた審議経過報告で高等教育段階で職業実践的な教育に特化できる「新種の学校制度の創設」を提言する運びとなったとの記事が日経にあった。興味深い記事である。この「新種」という字句が面白い。
・ 基本的に前のブログで書いたことであり「出来ればすごい」が事はそう簡単なことではない。「血が流れる」ような教育界を震撼させ、揺るがすような話だからである。中教審の答申などがすんなりと行くはずもなく「政治の豪腕」でもなければどうしようもないだろう。
・ 要は従来の一般大学に「新たな大学的な制度」を作るというものだ。この「的」というのは私が勝手につけた物で従来の大学とは異なるという意味である。何処が異なるかと言えば「新たな大学は学位を出さない」という。
・ しかしこれでは大学ではあるまい。「非大学」である。答申は2種類の大学制度を作ると言い、この新学校種は「従来の大学や短大とは別の学校種として整備」すとまで言って「学位を出さない非大学扱い」では少し理解に苦しむ。
・ 恐らく一般の既存の大学群からの抵抗というか勢力を慮ってのことだと思うが、「学位」の有無で「差別化」されれば「格の違い」の優越さは保たれるがこれは学生への視点が完全に抜け落ちている。
・ 一方「非大学」とされる新しい学校は「社会的評価が適切に下されない」可能性がある。「XX学士」という学位が出ないようなところでは「単なる専門学校」ではないかといわれるのが「落ち」だ。
・ 幾ら「専門大学」「専門教育院」「専門教科院」とか名乗っても受験生や保護者、社会一般の人々は「まあその程度の学校」としか思ってくれない。これは気分的に極めて感じが悪い話と彼らには受け止められるのではないか。
・ 確かに「職業教育」に特化し研究などをしない学校を大学の一部と認めたら「大学の概念がさらに多様化」し大学の根幹が揺るぐとの声は分かるが、「実態として大学生はすでに多様化している」のではないかというのが私の視点だ。
・ 新学校種が持つ大きな意味は専門学校の「一条校化」だ。これは彼らの悲願だったから、もしなされれば町の専門学校は1条校となりいわゆる「一般の学校と同列」となる。学校教育法第1条は「学校とは幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学および高等専門学校」と定めるとされている。
・ この枠組みに何としても入りたかった専門学校はかえって「非大学」のほうが厳しい規制がない分楽だと言って1条校になれるのであれば非大学を受け入れるかも知れない。
・ しかし場合によっては現在の機動性がある専門学校の特性が失われてしまう危険性もあるだろう。理容、医療、歯科技工士、料理、会計、経理、美容、語学、自動車整備等々とにかく町には専門学校が溢れかえっている。その意味は「根強い力」があるということだろう。
・ しかし今議論されているのは職業教育に特化した高等教育機関の必要性であってそれぞれの既存勢力のバランスの利害調整だけでは目的は達し得ない。「学校教育全体の職業教育充実化の視点は大賛成」である。
・ また「新しい学校種は高校卒業者が対象との意見にも大賛成」である。若しこれが実現したら浪速高校は「カリキュラム」を一部改変して新しい大学向けに整備し直すことになろう。すべてが一般の大学に行く必要はない。
・ 「自分がつきたい職業との関連性を重視し、実践的創造的な職業人を育てることに一役も二役も買っていきた」と思っている。教育課程に社会や企業の意見を取り入れ、又実務経験や知識の豊富な教員を揃えるつもりだ。
・ 実は「戦前の日本の教育は完全に複線型」であった。「教師を養成する高等師範学校」などはその典型だ。「教師になりたい者を徹底的に鍛えた学校」であった。今のように普通の学部から「教師にでもなるか」「教師にしかなれない」などの先生はいなかったのである。
・ 大きな教育の転換につながる可能性が高いだけに私はこれらの動きを注目して眺めている。大体大学の半分が定員割れしている中で同じような大学がいくつも出来ても意味はない。
・ 今日本に求められているのは「キャリア教育」という柱を打ち立てることだと信じて疑わない。目的意識もなく都会の大学にファッションとして在籍し、ろくに勉強もせずアルバイトとコンパに明け暮れている一部の学生、行きたくもない高校に親の見栄から行かされている「高校生を再生」する新しい学校種が是非とも必要である。