2009年8月20日木曜日

8月20日(木)情報教室機器の更新


・ 朝一番に情報科の常勤講師の先生が部屋に入ってきて「お礼」を言われた。この夏休みに「情報教室のソフトや機器を入れ替えた」ことへのお礼だという。お顔は大変に嬉しそうで、今まで如何に苦労していたか分かるというものだ。本校には情報科には専任教諭はまだおらず3人の講師の先生で回して貰っている。
・ 彼女に言わせると今までの機器は7年前のもので、もはや「化石みたい」だという。処理速度は遅いわ、故障はするわで「泣きの涙の授業」であったがようやく最新の素晴らしいものに入れ替えてくれたと喜んでいるのだ。
・ 実は昨年情報委員会のO委員長から更新の依頼を受けていたのだが「財布の都合」もあって「来年まで待って」と先延ばししたものだが、もうこれ以上は無理と判断したので「Go」をかけたものだった。確かにモニターなど昔のCRTタイプで「液晶画面」ではなくてこの先生のいうように化石に近かったことは間違いない。
・ 今回は「授業支援ソフト」も更新増強したことも喜ばれた。パソコンは53台、性能はCPUがインテルコア2と二つも付いている。「OSはビスタで1Gのメモリー、HDDは80GB」であるからまあ生徒の授業にはもったいないくらいのレベルである。費用は安いところを狙って買ったものだがそれでも「大台に乗る」。
・ 「操作性」も格段に向上しており「教師の機械には全生徒端末の把握が可能」である。勿論「インターネット接続」は簡単に出来るが授業では余り使わないようにしているらしい。プリンターもカラーレーザーがあり、一応「フルラインナップ」と言える。
・ しかし私は未だに高等学校における「貴重なこま数」を使って「情報教育を行う意義と言うか目的」が正直なところまだ見えていない。したがって今日は「ちょうど良い機会」と思ってこの先生のお話を聞くことにしたのである。
・ 平成15年「学習指導要領が改訂」されカリキュラムに「必修として2単位」が必要となった。この時には教育界では大きな論争が湧き上がったのは記憶に新しい。「情報など必修にするのは困る,そうでなくとも時間数が足らないのに」というのが主な反対理由であったと思う。
・ これに対して「情報化時代を向かえ新しい情報リタラシーの教育は必要である」との大勢で、スタートしたのだが、今年で6年が過ぎたことになる。当初は特に進学校では一こまでも英・国・数などの基本科目に当てたいと「姑息な手段」かも知れないが実際は数学を教えて「情報と読み替える」ことも行われていた学校もあるやに聞いている。
・ 2単位だから高校1年で1単位、2年生で1単位とするのが一般的であるが、中には2年生、3年生で各1単位とする学校もあった。変わったのでは3年生で2単位授業をするというのも聞いたがこれなど「読み替え」の意思が透けて見える。
・ 私は指導計画、すなわち「シラバス」を持って来て貰い更に議論を続けたのである。この先生が言うには「パソコンと携帯電話」とは違うとはっきりいう。私はあれほど携帯のネット接続などをいとも簡単にやれる生徒であれば、あえて情報教育の必然性に言及するのだが、先生は「それは違う」と主張する。
・ CPUを使いこなすための基礎基本を教え、上級になればメディアリタラシーなり「情報の使い方」が重要である。まず「ワード・エクセル・パワーポイントなどの基礎」から始めて行く過程は生徒にとって、とても「刺激的」で「物を作っていく喜び」そのものに浸ることであると強調するのだ。この辺の議論になると頭も良く回転するが、口も良く回転する。
・ 私から情報の時間は難しい数学や英語の後の「リラックスタイムとなっていないか?」との問いには「全く逆」だという。生徒は「寝ない」というのだ。数学や英語の授業ではさも生徒は「寝てばかり」と言う感じである。
・ 先生のとった生徒アンケートでは大体80%程度のご家庭にパソコンがあるとも言っていたが、家でパソコンを生徒が触るのは少ないという。女生徒はパソコンに弱いだろうという質問に対しては「まったく差がない」とも言い切った。
・ 「パソコンお宅」は居てその知識たるやすごいものがあるらしい。そういう生徒は「私の右肩となって手伝ってくれます」というが、普通は右腕ではないのか。なんで「肩なんだろう」と思ったがそれは言わなかった。
・ 先生は言う。「本校の生徒はみんな優しい。これが素晴らしい」と。「出来る子が出来ない子に親切に教えてあげているのが普通の光景」だと言うのだ。この話は嬉しかった。
・ この女性の先生のことについて少し触れよう。広島県生まれ、市内の高校を卒業して神戸の短大で「国語の教員免許を取得」。思い立って「関西大学総合情報学部」に編入学しそこで3年間学び「情報の免許を取得」。
・ 先生は強調していた。「関大の総合情報学部で学べたことで現在の私がある。非常に多くのことを教えて貰った」と。ここまで母校のことを言える人も素晴らしいではないか。中学国語と情報の教科が可能である。副校長は高校の国語免許も取るように言っているらしい。
・ 関大を卒業後「とにかく民間経験を」と決めていたらしく、誰でも知っている有名な「情報産業」に就職。1年で「スパッ」と辞めて「本流の教師の道」に入る。「3年間私学と公立の高校を非常勤」で掛け持ちして経験を踏む。
・ そして「本校のホームページの校長日記に触れ」、昨年から本校の常勤講師で今年が2年目である。「浪速は素晴らしい」のオンパレードであった。出来れば「本校で教師の道を固めたい」と言うので「何故だ?」と当然私は聞く。
・ 「先生方が前向きでここの職場にいると私は成長し続ける気がする。また生徒の質が素晴らしい。こういってはいけませんが前の私立での生徒の顔は死んでました」とはっきりいうのだ。「そうか、死んでいたか」と私も相槌を打つのである。
・ 先生は「一人娘さん」だから将来広島に戻るのではないですかと畳み掛けるのだが、「私は大阪に住む」と断言するのだ。そのために長年住み慣れた高槻を離れてこの4月には田辺の方に引越し、毎日「自転車通勤15分で学校に通っている」という。「覚悟と根性」がすわっているのである。
・ 今日は来客が多く、議論は連続とはいかず細切れの面談であったが大変勉強になった。今度「授業も見に行こう」と思う。今後このように時間が有れば他の常勤講師の先生方ともこのような議論をしようと思ったのである。「本校には素晴らしい常勤講師の先生が本当に多い」。
・「そうか、他の私立の生徒の顔は死んでいたか!」。「本校の先生方は大変前向きで素晴らしいか!」。この先生は理事長を喜ばすことをさりげなく言う。「うーん」、賢くて、しなやかで、したたかで中々出来る先生だ。頭が良い。