2009年9月30日水曜日

9月30日(水)男の顔は履歴書




・ 昨日の校長日記において明治の立役者岩倉具視と現民主党幹事長の小沢一郎氏の「悪相」について記した。とにかく顔と言うものは男でも女でも「難しい」ものである。「悪相」などという言葉があること自体「けしからん」話である。
・ もっと酷いのは「醜男」「ブス」とかでこれらは今や差別言葉である。しかし実態として、とにかく生まれながら「美形」と言われるような「顔の造作」が整っていると、その後の人生は如何ばかり「安穏」であろうか。
・ 特に「男の顔は履歴書」と言われて久しい。この言葉は巷間伝えられているように、ジャーナリストの故大宅壮一氏の造語である。男性は一定の年齢を超えたら生き方や心のうちが顔に表れると言う意味であろうが、それならば女性は表れないのかという事に成る。
・ これに対して直木賞作家で本校OBの藤本義一先生は「女性の顔は請求書」と言われたと言うが真偽のほどはともかく、若し本当なら幾分女性蔑視に近い表現ではないか。確かに占い師の細木数子先生などは「見事に当て嵌まる」感じがしないでもないが、一般の女性はそうではあるまい。元来、女性という人種は請求書は嫌いな筈である。
・ そこで私は考えたのである。私なら「女性の顔は領収書」と言う。これは私の造語であり今まで誰も使っては居ないだろう。何故そういうかは単純な理論で女性はとにかく物を貰うのが一般的には大好きだし、領収書を大切に取っておく習性があるように見えるからだけの理由である。男は「ぽいッ」とすぐ捨ててしまう。とにかく女性は物を捨てようとしない。
・ 一方アメリカの随分前の大統領であったリンカーンは「男は40歳になれば自分の顔に責任を持たねばならない」と言ったいう。それだったら40歳前だったら責任はなくて良いのかということになる。
・ しかしだ。世の中の男は40歳を超えようが超えまいが、「アホはアホ」の顔をしていると思わないか?顔を見るだけで「リコウかアホか」は見分けがすぐついてしまうよね。決して顔の造作の問題ではなくて美形でもアホはアホの顔をしています。
・ この前テレビを見ていたら例の覚醒剤事件の酒井法子というタレントのご主人でプロのサーフライダーの職業らしいのだが、高相なんとかという人が警察から仮釈放されて出てきた時にたまたま、この人の顔を観る機会がありました。
・ まず彼は帽子を被って出て来ました。何とその帽子には英語で「PUNK」と書いてあり私は飛び上がって驚いたのです。パンクとは「非行少年、不良少年、くだらない人、下等の人」などの意味で、この人は自ら自分をこのように認めているのです。
・ そして顔には下唇の少し凹んだ部分に「ひげ」を生やしており、まだ暑いというのに両手に手袋をしていました。見るからに「判断力のない」「だらしない」「物事の分かっていない」感じを顔からスタイルから私は受けました。決して「賢そう」ではなかったですね。
・ 特にあの「ひげ」でした。話が少しそれますがどうして男の一部に「ひげ信奉者」がいるのかとその時も考えたのです。まさか「男の顔は履歴書」というからそれから逃げるために生やしているわけでもないでしょうに。それだったら履歴書に「墨を塗る」ことになって、そのような「履歴書は無効」となります。
・ 私は顔の器官でもっとも大切な部分は「」だと思っています。「大きなクルツとした目」「小さな目」「下がり目」「吊り上り目」などと形を言っているのではなくて「目の力」「目の輝き」「目から出るパワー」と言っても良いでしょう。
・ 結局「顔の力と言うのは目の力」ではないでしょうか。鼻が高いか低いか、口がでかいかおちょぼ口か、などは整形手術でもしない限り、後からでは「どうしようもない」現実ですが「目だけは生き方が出てくる」と私は思うのです。
・ 「目は口ほどにものを言う」ですね。毎日を「ボーッ」と過ごし楽なほうに逃げていると「緩んだ顔」になるのは目に力がないからです。「お金」のことばかり考えている人間の顔は「下卑た感じ」がするものです。幾ら口で上手を言っても目に下品な光が漂っています。
・ 「笑顔」についても言えます。口では笑えません。これは「声に出して笑う」と言います。声の出ない口だけの笑いは「薄ら笑い」と言って歓迎されません。これに対して「目で笑う」のは「慈愛に満ちた優しい笑い」となりませんか。
・ しかしこの笑顔とうのがこれ又「難しい」と思います「笑顔の素敵な人は素晴らしい」。結局顔が履歴書だとしてもそれを「笑顔でオブラート」に包む人間的優しさとか余裕が重要となって来ます。
・ 本校の教職員のお顔を思い浮かべながら私は思うのです。教師ということを「誇り」にして苦労や悩みがあっても「生徒と向き合う」ことが大好きな先生の目は輝いています。余り美男とは言えない男性教師でも、余り美人とは言えない女性教師でも「美しく」見えます。それは「目に力」があるからです。
・ ところが「もう疲れた」「もうええわ、次の仕事でも考えるか」などと思っている人の目は幾ら隠しても分かるものです。背中から勢いが消えています。「眼光後背に達する」でしょう。
・ 「サボることだけ考えて学校からとにかくお金をせしめる」ことが思考の最初に来る人の目はもはや教育者ではありません。私は教育に従事する人間の顔は「不細工」でも良いと思っています。美人でもハンサムでもどうでも良いことです。
・ 大切なことは時に生徒に厳しく当たることは当然あって良いが「慈愛に満ちた目で生徒を包み込む」人間性に溢れた先生を育成して参りたい。「目に力」があって「笑顔の素敵な先生」になって欲しいと念願しているのです。
・ このように言うと「理事長は笑顔が好きらしい」と言って、私の前で「作り笑い」をしても私には通用しませんよ。目です、目です。目を見たら分かります。目が笑っていないのです。
・ ところが肝心の私が岩倉具視や小沢一郎先生みたいに「笑顔」が余り出ないと来ている。困ったものです。笑顔も訓練と思って今朝も家を出るときに鏡に向かって「笑顔の訓練」をしたところなのです。

2009年9月29日火曜日

9月29日(火)悪相







・ 新聞を毎日5紙しっかりと読んでいると大体「見出し」だけで内容が読めるようになってきて最近ではすこし「ずぼら」になっている自分に気づく。とにかく新聞を読む時間が短くなっているのである。
・ 目新しい記事はじっくりと読むのだが例えば自民党の総裁選や堺市長選の結果と橋下知事、府議会、市議会、堺市議会の反応などは手に取るように見えてきて全く興味がない。例えば堺市長選などは告示の前から想像していた通りの結果と周囲の反応である。
・ 新聞記事で面白いのは下段にある「週刊誌の広告」である。時に私はこれに引き込まれることがある。週刊誌は「ゴシップ記事的」に「過激な表現」を使う点では「スポーツ新聞」に似たところがあるのだが「テーマ」を決めて特集的に扱うからその気になれば大いに勉強になる。
・ 私は週刊誌は読まないし買ったりすることは本当に少ない。ほとんどないと言って良い。やはり新聞記事の方が「信頼性」と言う意味で一歩抜きん出ていると思っているからだが、週刊誌の中では「良質のもの」もあり新聞数紙の「集大成みたいな編集」があるとその「見出しだだけでも勉強」になる。
・ 例えば今朝の産経新聞の下段には「週間朝日」の広告が大きく出ており、特集は「今こそ幕末維新に学べ」と言うものだ。“新政権に求められているのは「国の維新的改革だ」。試金石は官僚の握る政治施策を国会に「大政奉還」させることができるかどうか・・・。”とかである。
・ そしてその後が興味あるのである。歴史に造詣の深い専門家が登場する。まず堺屋太一氏が“前原国土交通省よ、新政権の大久保利通たれ”から始まる。その次は童門冬二氏の“滅び行く自民党には勝海舟がいなかった”とかだ。
・ どういうわけかこのような字句の羅列に私は弱いというか大好きである。歴史ものの書き物や映像が好きだというのはあるのだが、このような「その道のプロの先生方の論考」は「すっと頭に入ってくる」のである。
・ この中で私が興味を引いたのは東大教授の山内昌之先生の「対立恐れぬ小沢幹事長と岩倉具視の共通点」という見出しである。岩倉具視、幕末明治の公家で政治家、孝明天皇の侍従になり公武合体を唱えて和宮降嫁を推し進めた人物である。
・ 週刊誌は本日発売で勿論買うつもりはないが、この山内先生は以前にも何かに「岩倉具視と小沢幹事長論」を記事にしていた記憶がある。思いつくまま間に山内先生の評論を書けば以下のようになるのではないか。
・ 貧乏公家出身で小ざかしく立ち回るので「岩吉」と蔑称されても気にせず尊皇攘夷派の志士から付け狙われると故郷の岩倉村に隠棲し政治の表舞台から一旦は引いたに見せつけるがどっこい、ひそかに「時節の到来」を待っていた。そうである。岩倉は「待つことが出来た人物」なのである。
・ そして岩倉は「沈黙を守る忍耐力に恵まれた」と先生は書く。確かに小沢一郎氏と重なるものがある。自民党の幹事長までやり首相の地位にまで手が届きながら自ら「苦難の道」を選択し「自民党政権の打倒」「政権交代」だけを目標に時節の到来と沈黙を守ってきたのである。
・ その個性は「狷介孤高とか独立不羈」という幾分中傷めいた評言を意に介せず「一意専心」してきたのは「倒幕のシナリオライター」であった岩倉具視そのものであると言われるのである。
・ 明治日本の近代国家設計者である岩倉は自ら「岩倉使節団」を率いて欧米列国を見て周りその近代化にショックを受けて「旧弊からの脱皮」を決意し、帰国後に「大久保利通」に腕を振るわせることになる。
・ 「西郷隆盛」に対峙して震え上がった「三条実美」とは違って当時征韓論を言う西郷と対等に渡り合える人間など居ない時代に真正面にて対決して遂に西郷との政争に打ち勝ったのは岩倉だけである。岩倉の「強い気迫と信念」こそ政治家の要諦で在ると言い、イメージを小沢一郎とかぶせるのである。
・ 本校の若い先生方は知らないだろうが私の世代などは「500円札」があり、そこには岩倉具視の肖像画が刷ってあった。それくらい近代日本にとって歴史的な人物だったのであろう。勿論当時はそれほど詳しく知る由もなかったが。
・ 決して「イケメン」などのお顔ではない。どちらかというと「悪相」に近いと山内先生は言われる。世の中には見るからに「悪相」な感じの人間は居るが山内先生は小沢一郎氏も稀代の悪相だというのである。私は「そうかな?」と一挙に賛成は出来ない。信念の溢れる良いお顔だと思うのだがなー。
・ そして先生は「次の一言」で締めるのである。ある時小沢一郎氏が「政治家の顔のこことを言っちゃお仕舞いよ」と言ったというのである。政治はテレビ映りや顔でやるものではなかろうと言っているのである。これは小沢氏自信が自分の顔のことをそのように見ているからかも知れない。
・ 私は山内先生が幕末明治の変革者岩倉具視と平成の政治体制の変革者小沢一郎を評して「揃って悪相」という点に興味があるのである。「男の顔は履歴書」というが両氏のあの「笑顔のない顔」、良く言えば「独立不羈」、悪く言えば「傲岸不遜」、共通して「口下手というか口数が少なく」、「表に出ず陰でシナリオを書く」共通性にとてもとても惹かれるのである。
・ 確かに「政争を恐れず」「争いを避けず」「じっと待つことが出来」「強い気迫と信念」「悪相」の中で私は自分自身で自己評価すれば、「政争は恐れず、対立は恐れず」「争いは避けず」「強い気迫と信念」は自分にもあると思う。
・ 「じっと待つことが出来るか」となれば自信がない。「悪相」についてはこれだけは似たくないが変革者には悪相が似合うということならば悪相でも良い。しかしあの麻生前総理も悪相だったと思うが彼は全く一切何も出来なかった。
・ 従って悪相だから改革が出来るとはならないだろう。顔だけは自分では何とも言えない。人さまが感じるものだからである。しかし小沢一郎氏の笑った顔など見たことがない。側近がたまにはマスコミに笑ったところでも見せたらとでも言ったのであろうが二三度お笑いになったところを見たことがあるが「とても見られたものではなかった」。止めたほうが良い。「悪相は悪相で良い」と思う。

2009年9月28日月曜日

9月28日(月)簡略版「浪速祭」をやる!!




・ 月曜日、今日の新型インフルによる欠席者は高校で18名、中学で1名と徐々に減少してきている。学級閉鎖しているクラスも無い。「小康状態」と言える。修学旅行の中学3年生も予定通り進行して今日の18時無事に全員揃って伊丹に到着した。

・ 今朝早く旧知の塾関係者から電話を頂いた。この先生は昔公立高校時代に土曜講習で大変お世話になったお方である。「浪速の評判が大変良い」とのお褒めと激励であった。私は素直に喜んで「先生のご支援とご指導のおかげです」と申し上げたのである。
・ 今朝の朝会では休日に行われた堺、和泉での「某大手塾の進学説明会」での本校ブースへの参加者の数が昨年対比で40%強伸びていると言う報告があった。特に「女生徒の参加が目立った」という。
・ しかしここで私が「にんまり」するわけにはいかない。「フタを開けるまではまでは分からないよ」と言ったのである。ただ共学にして5年目の募集で女生徒人気が「本もの」としたら「良い傾向」であることは間違いない。
・ 私の考えは「女生徒が増えれば学校は勢いづく」と思っている。特に学業はどうも最初は女生徒がリードするような感じである。また男子のやんちゃも女生徒の多い目の前では「ええカッコ」して控えるように見えてならない。「学校にとって女生徒が増えることは良いこと」なのである。
・ しかしとにかく「謙虚」だ。「控えめに誠実に」、説明会に対応するように口がすっぱくなるように入試広報には言っている。来年は「堺市の公立中学校から校長経験者」を招聘して入試広報室の顧問として指導と支援をお願いする体制の強化を考えている。ようやく人材確保に目途が立ちそうである。「入試広報室は本校の顔」なのである。

・ 11時本校の「新校歌の作曲者である大塚善章先生」が久しぶりに学校に来られた。元アナウンサーであられた奥様もご一緒であった。「作詞藤本義一先生」との合作である「我ら浪速」は本当に良い曲であり大変に気に入っているし、既に学校のものになっている。
・ 先生には一度本校のブラスバンド部や雅楽部とのジャズ風コラボレーションを考えて頂き出来れば来年でも「多聞尚学館」で演奏会でも「地元サービス」の一環としてお時間を取って頂ければありがたいと申し上げたのである。
・ しかしご夫妻に最近出来たDVDビデオをご覧頂こうと再生装置に入れるのだが機械が言うことを聞かなくて苦労した。前からこの再生装置はおかしい。結局パソコンを経由して再生したのだがこの間30分以上もかかってしまった。

・ 「多聞尚学館の新たな給食業者」が進路指導部長の尽力で見つかりそうで先週の土曜日に試食会があったそうだ。私はダイエット中なので食していないが中々良い味だったという。富田林市にある業者さんで10月中に一度本番をするそうである。
・ 現在の給食業者さんに不満が在る訳では全く無い。それよりか大変良くやってくれている。しかし万が一、例えば食中毒や新型インフルエンザでの休業などが出たら当方は「万事休す」となる。こういう事態に備えておくことを「リスク管理」という。発注割合については先行している業者さんを優遇することは当然であろう。

・ 13時25分「校務運営委員会」。最も重要な会議だ。種々重要なことを私からお話した。中でも10月10日に「簡略版浪速祭」をやったらどうかと言う校長提案を議論して貰った。結果は何とほぼ全員が「やるべし」ということになったのである。
・ 議論の口切は理数科長であった。「そのようなものは止めて学習に専念すべき」と職責上言いそうなものだが彼は想定を超えて「やるべし」との意見であった。私はこの先生を「改めて認めた」のである。彼は「教師先生」である。
・ これを受けて6限終了時に校内放送で全校生徒に「浪速祭を実施する」旨の校長メッセージを伝えることにしたのである。「10月10日は秋の学年集会」があり、多くの保護者が学校に来られるし中学校だけが体育館で出し物をすることに伴う不公平感はなくなるだろう。何より「楽しみにしていた生徒の気持ちに応えてやる」必要性を感じていたのである。
・ 15時前からのアポで「PTA会長と副会長二人」が校長室に入る。もろもろの相談事であったが「簡易浪速祭の実行に満面の笑み」で喜んでくれた。15時15分私は校長室から校内放送を実施。PTA役員の目の前であった。遠く教室から生徒の「万歳とかの歓声」が聞こえてきたと言う。

・ 16時00分 「指定校推薦内定式」。会場に行く途中で生徒から「校長先生、浪速祭、ありがとうございます」という声が引きも切らないのだ。それくらい生徒は欲求不満だったのだろうと思う。私は「良いことをした」と思ったのである。私は先の浪速祭中止決定以来「もやもや」したものが吹っ飛んだのである。
・ 本校では指定校の推薦が内定したら生徒と「保護者を集めて正式な内定を伝え」来春の大学入学までの心構えや諸注意について指導する会を持つ。本年度の第1回目が今日であり、その後数次に亘って行われることとなる。
・ 「立派な大学」へ推薦することが出来るのは嬉しいし有難いが生徒には厳しい受験と言うものを経験させてやることが出来ないだけに高等学校としてはそれなりの「今後の対応」が必要なのである。
・ 今や「私立大学の約半分がこのような指定校推薦やAO入試」で大学進学先が決定される世の中になっている。一方で「大学生の基礎的学力問題」が議論されており、その意味合いは極めて良く出来るだけに本校では卒業までしっかりと襲えるべきところは教えていくという姿勢なのである。
・ 私は昨年までと違ってかなり辛口で今後卒業までの半年に「英語と歴史」を徹底して勉強することを述べ、「覚悟」を決めよと生徒と保護者に申し伝えたのである。全員が「しわぶき」一つせず、じっと聞き入ってくれていた。
・ 後で学年主任と進路指導部長が「お礼」に部屋に来てくれたが、それくらい私は「テンション」を上げて生徒と保護者「大事なことを伝えたのである。」それは民間出身校長しか出来ない話の内容なのである。教師出身校長では絶対に出来ないは話の内容なのである。
・ 帰宅途中に前PTA会長から電話があり「簡易浪速祭の実行」についてのお礼であった。「情報が早い」。驚くばかりだ。皆が「やりたかった」のだ。それを教員からは提案がなくて悩みに悩んだ私が号令をかけたのだが、それを私は「気にする」。もっと教員は校長に提案をして来なければならないのではないか。私は今「複雑な気持ち」なのである。

2009年9月27日日曜日

9月27日(日)私立芸文祭雅楽部




・ 今日は第23回大阪私立中学校高等学校の「芸術文化祭典」が四ツ橋の厚生年金会館で行われた。今年から場所が森之宮の青少年会館から変わった。距離が随分と近くなった。素晴らしい会場で、ほぼ観客席が満員だから私学の保護者も熱心である。
・ 午後からの開演で13時30分頃に会場に入ったのである。参加校は38校、男子校は2校、女子高は13校で共学校は浪速以下23校である。私立中学高校の芸術文化活動における取り組みや成果を幅広くPRするとともに参加クラブの相互交流により「大阪私学の今後の飛躍発展」を期するものだ。
・ 私はこれで3年連続、応援に出かけている。今や行くのが「楽しみ」になってきている。本校は「雅楽部」が出演だ。プログラム9番目に登場した。幕が上がると「正式装束」に身を固めた生徒と雅楽器大太鼓のカラフルな独特な色合いが会場を席巻し、「ため息」というか「圧倒的な存在感」で演奏が開始された。
・ 昨年の演奏曲目は「越天楽」であったが本日は「合歓塩(がっかえん)」というもので「唐楽」の中でも最も快活な曲という。舞楽「太平楽」の中で演奏されるもので、朝小子、武昌楽の次に演奏されるもので、舞い人はこの曲目のときに太刀を抜き勇壮に舞うそうである。今日は舞いはない。
・ 今日は中学3年生が修学旅行で有力な部員が数名留守であったが、中々迫力のある素晴らしい演奏であったと思う。観客席のお客さまも「良いわねー、浪速!」と言うような感じで間違いなく観客を魅了し、「浪速の名前を上げた」と思う。
・ 私は着任以来「特別支援クラブ」として「雅楽部を支援してきた」。このクラブは神社神道の学校としてその精神性を具体的に表現できるクラブなのである。厳しい私学間競争の中で今こそ「学校のアイデンティティ」を再確認してそれを世に訴えることが重要である。
・ 「神社神道の教え」をベースとし日本古来の文化と伝統を直接的に建学の精神として85年引き継いできた本校のような学校は日本広しと言えども本校以外にはなかろう。生徒・保護者や教職員には「神社神道の学校を誇り」として欲しいのだ。
・ 勿論「新しい浪速も大切」である。まさに「温故知新」である。私はまず着任して共学に移行した学校としてブラスバンド部を応援した。購入した楽器だけで1200万円を超える。そしていまやブラスバンド部は一人前となってくれた。まず洋学を支援し次に雅楽としたのである。
・ 雅楽の原義は「雅正の楽舞」で「俗楽」の対にある。「宮廷音楽」として長い伝統があり「世界最古の様式」と言われている。特に世界では日本、中国、朝鮮半島、ベトナムにしかなく、5世紀前後にお互いの国で深い関連性があるといわれている。
・ 現在は宮内庁式部職楽部が百曲ほどの継承しておりとにかくこの世界も「奥が深い」のである。私などが雅楽の楽譜など見ても「チンプンカンプン」でさっぱり理解できないが「柔らか頭」の中高校生はすごい。極めて短時間に物にする。
・ 指導者は現職の神社の宮司様で大阪はいうに及ばず日本でも有名な雅楽の演奏者で指導者である。大阪天満宮の宮司で大阪府神社庁長自ら選んで頂いた指導者である。こういう芸術ものは「指導者による」。野球でも何でも習い事、スポーツは指導者による。良い指導者を得るかどうかだろう。
・ 今日は本校の教科書を扱ってくれている書店の社長のお姉さんと弟の専務さんがわざわざ会場に来てくれていた。「有難い」ことである。地味な姉弟であるがこのように影ながら応援してくれていることを知っただけでも嬉しい日曜日となった。
・ 今日の行事で高校3年生の二人が引退する。「よくやってくれた」と私は彼らの方を抱いて慰労した。おぼつかないクラブをここまで引っ張ってくれたのは顧問のY先生と女性のY先生だ。感謝している。
・ 3年生の一人は皇學館大學に進学し、雅楽を継続してやると言っていた。「頑張れ」。もう一人は最終目標として「東京芸大」を狙っている。実は私が仕向けたものだ。「雅楽演奏の天才」と言われている人材である。
・ この二人のお母さんが会場に来ていて私に挨拶してくれた。「先生のお陰で豊かな浪速生活を呉れました。・・・。」と言うものであった。「」を浮かべておられた。お気持ちが分かるような気がして私も「グッ」と来たのである。
・ 女生徒も増えてきたがまだまだである。もっともっと部員を増やし「浪速の雅楽部」を天下に知らしめなければならない。後1年くらい特別強化クラブとして位置づけ応援する積りだ。
・ 「新武道館」には「雅楽の練習場を確保」する。神社神道の学校として武道3種すなわち「弓道、剣道、空手道、(時に柔道)、そして雅楽部そして茶道部だ。「茶道部」はまだないがそのうちに部を作る。これらがすべて「新武道館に集約」される。このことこそ私の最初からの狙いであった。
・ 「暑い日曜日であったが良い日曜日」であった。くしくも大相撲の千秋楽で朝青龍が白鵬を優勝決定戦で「ぶん投げて」優勝した。私が熱烈に応援している横綱である。これも私を気分良くさせた。「神社神道と相撲とは密接な関係」があるのをご存知か。これについては別途と言うことにしよう。実は「相撲部」も本当は作りたいのである。

2009年9月26日土曜日

9月26日(土)中学修学旅行


・ 「中学3年生の修学旅行は順調」。今朝も全員が発熱などなくて元気一杯指宿港から「屋久島」に渡る予定と現地から報告が入った。昨日の朝、伊丹空港に見送りにでかけたのだが、荷物のチェックインが済み「バイバイ」すると私は「ホッ」としたのである。
・ 「やれやれ、やっと出発してくれた」。これで一応中学の修学旅行は行うことが出来たと喜んでいるのである。新型は本当に始末に終えない。今朝現在学校全体で総勢27名が罹患している。
・ この27名と言うのは少ない数値でやはりすべての「行事を中止」したのが「効いた」のかも知れない。市内中央部にある学校は学級閉鎖が13クラスで一説には中学で200人、高校で200人の感染者がいると保健体育部長が朝報告に来てくれた。
・ 教員の仕事が一つ増えており、朝、生徒の休みを確認し、それを統計に入れる。同じクラスであれば「集団感染を疑い」その数には「びりびり」しているのである。学級閉鎖をするかどうか「瀬戸際」のクラスが出ると尚更である。
・ 一方休んでいる生徒の家庭に電話して熱が下がったら「医師の診断書」を貰ってくるように言わねばならない。それがあって学校に登校できることになる。すべては担任が行うのであって「担任の仕事」というものは増えることはあっても減ることは無い。同情せざるを得ない。

・ 修学旅行といえば来年の、すなわち「現在の高校1年生の行き先」が大分煮詰まってきているとのことで学年主任が報告にきてくれた。今年は新型インフルの影響で5月のオーストラリア旅行が中止になり来年3月に国内旅行と切り替えている。残念な結果であったが仕方がなかった。
・ 生徒に「地球」を考えて貰うべく本校85年の歴史で初めて海外旅行を計画したのだが結局翌年に持ち越しとなった。私は「怯む」ことなく「積極果敢に再挑戦」するよう指示をしていたのである。
・ 来年度の海外修学旅行先は「ドイツ・フランス・アメリカと国内沖縄方面」の4ヶ所を検討しているとのことで「大いに結構」と私は激励をしているのである。生徒個人の「完全選択性」にする。
・ 「ドイツ」ではハイデルベルグ城、中世ドイツの街ローデンベルグや現代史の重要史跡であるベルリンの壁などの見学である。「フランス」はパリを中心にルーブル美術館、ノートルダム大聖堂、エッフェル塔、や世界遺産のベルサイユ宮殿などの視察である。芸術の香りに浸るという感覚だろう。
・ 「アメリカ」はニューヨークやワシントンとして自由の女神や国連本部などがコースにあるという。ワシントンも大変興味深い。「いずれの土地も国際政治経済の中枢の部分」であり、生徒には大きな影響を与えるだろう。
・ テレビを見ていて「アッ、あそこは行ったところだ」と思う機会を与えるのは重要なことである。またそうすることで「我が国への理解」も進むと言うものだ。本校は神社神道の精神をバックボーンにしている学校だけに欧米の神への間合いを知る良い機会にもなろう。欧米は宗教を離れては国など成り立っていかないからである。
・ 「こういう時代である」と言うのが私の考えである。橋下知事は海外修学旅行は「贅沢だ」と決めつけているがそうではあるまい。多感な青春時代に故国を離れ他国に脚を立てることがどれくらい大きな教育的効果を生むか。
・ 「 費用も最も閑散時期を狙えば格安」で可能である。返って国内旅行のほうが高くつく場合もあるのだ。知事は私学の保護者はお金持ち、したがって私学はやることが贅沢と思い込んでおられる節もあるが、とんでもない話で公立でも海外修学旅行を行っているところは多い。「可愛い子には旅をさせろ」という古人の話は正しい。
・ 10月10日の「秋季学年集会」でこの構想を学年主任が保護者に話し準備がスタートすることになろう。私はこの海外修学旅行を「本校の売りの一つ」として極めて効果あるものに育て上げて行きたいと思っているのである。

・ 民主党の目玉となる教育施策「高校の授業料無償化」について新たな動きが出てきた。従来は保護者への直接給付で話が進んできたが川端文科相は「間接給付」に切り替えると今朝の新聞各紙は報じていた。
・ 給付の事務経費の削減や確かに授業料に差し向けられるという担保が「あやふや」では問題だと気づいたのであろう。「大変結構なこと」だ。最終的にどういう形になるのか今後の議論になるのであろうが「私立高校にも世帯あたり12万円程度(最大24万円)助」されるのは「画期的」ではないか。
・ 「子ども手当て」支給とあいまって民主党の「徳政令」に近いこれらの助成は「ばらまき」だろうがなんだろうがこちらは「歓迎」する。保護者は大変喜ばれるはずだ。それにしても「民主党はやるな!」と言う感じだ。
・ 「スタートダッシュ」が極めて重要で民主党政権の各閣僚は競って「新機軸」を打ち出しつつある。国連総会でも鳩山首相は「カッコ良く決めて存在感」を示した。私は素直に今この国は「国の形」が変わりそうな雰囲気を感じているのである。
・ 心配は「左翼主義的政権」になることだ。「労働組合政権」と言っても良い。鳩山内閣17名の閣僚の内、実に7名の大臣が「連合推薦の組合組織内候補」だった人たちである。
・ 今日本は資本主義的立ち位置に居ながら施策は「社会民主的」な施策展開に舵を切ろうとしている。「歴史の通る道なのかな?」と言う感じもするが、赤字垂れ流しで「右往左往」して立ち行かなくなったのは過去の歴史が証明している。

・ 大阪府神社庁から大口の「寄付金」を頂いた。有難いことで頭が下がる。ご期待にこたえてしっかりと足元を固めて「学校改革」を進めなければならない。今の世の中、このように具体的に金銭で応援してくれる私立学校が何処にある?!。本校の教職員は大阪府神社庁がバックにいるという幸せを感じなければならない。

2009年9月25日金曜日

9月25日(金)新武道館建設メーカー仮決定




・ 連休中に正式なレターが「応札」して頂いたゼネコン各社さんには届いている筈である。これに先立ち連休前に結果の通知をと思ってファックスでお知らせした。連休の後よりこのようなご通知は早めの方が「礼儀にかなう」と考えたのである。
・ 心苦しかったが「仕方がない」。こういう方法を選択した以上最後は「1社しか残らない」のがビジネスであるから。手順を踏んで進めて来た「新武道館の設計施工の会社が仮決定」した。今後正式な契約に向けて詳細な取り決めが進められることになろう。
・ しかし「コンペ」と言うものは「厳しい」ものである。「審査に当たった12名の管理職を含む教職員の意見」は最終意思決定者である私と理事会表評議員代表の理事長職務代理2名の意見・見方を別として今回は「意見が集中・集約」されていた。
・ 「結果がすべて」だからプロセスを幾ら書いても「詮無い」のであるがこれも「説明責任」と思って少しだけ記すことにする。当然公式結果連絡のレターには「ある程度の事」を記しており、それで十分だと思っているが、個人的な意見を留めてみたい。
・ 結果は「圧勝」というようなもので一社さんに決まった。今度の衆院選の民主党の勝利みたいな「地すべり的圧勝」に近い。まず12名の審査員が100点満点で審査した結果から言うと以下のようになる。
・ 総計で1200点であるが今回決定した会社は実に950点の取得率である。2位が815点であるから圧倒的な差である。3位は700点台ではなくて660点まで下がるから形としては「上位の2社が飛び抜けていた」ことになる。
・ 次に私が見たのは12名の審査員が6社の順位をつけた比較である。1位を1点とし6位を6点としてその総計数値が最も低いところはどこかと言う見方である。驚くことに1位になったところは13点ということで11名が1位、1名だけが2位に推したということである。「断トツ」と言って良い。
・ 2番目の会社さんは26点であるから実に倍の開きとなっている。「総得点方式の順位と順位得点方式の順位」を見ると上位4社までは固定で動いていない。このようにして上位1位と2位に絞って設計コンペの審査が行われたのである。
・ 次に「見積もり金額」の査定であったがこれにはいくらか苦労した。まず各社さんが提案された「生の見積もり金額比較」である。しかしこれはそれぞれ仕様というか範囲が異なっておりそのまま評価するわけには行かない。
・ 我々がした作業は「仕分け」であった。共通仮設工事、建築工事は各社揃っているが「インフラ設備工事」が範囲に入っているところとそうでないところがあったのでそれを整理した。
・ 次に「外溝工事」「防球ネット工事」「植栽工事」「アスベスト撤去工事」「引込負担」「仮設用地・資材置場」等々比較を進めていったのである。諸経費、設計料などは当然各社さんは揃っているがそれ以外は範囲内、範囲外となっておりそれらを観なければ「後で必要」となっても困るからである。
・ 特に注意深く検討したのが「見積もり延べ床面積」と「実質施工床面積」の差であり「弓道場の矢取道」を入れている会社と入れていない会社に明確に分かれていたのである。これについては議論を呼んだのである。「入れるのが適切かどうか」である。
・ 以上のようにして詳細検討を進めた結果「坪当たり金額」で言えば設計部門で1位を取ったところが大きな差異では無かったがそれでも「最安値」であったのである。提示された見積もり金額が見た目最安値の会社はこのように比較すると6社の中では最安値とはならず中間に位置することとなった。
・ 以上のようなプロセスを経て理事長の私と理事評議員代表である理事長職務代理の二人で「最終的に発注先を決めた」のである。本校と長いお付き合いのある会社さんとか色々関係深い会社さんはあったが、以上のようにこの「アドバンテージ」を活かせるような差異ではなかったのである。差異が大き過ぎたのである。
・ 連休前の結果通知については誠意を込めて書いたつもりであるがこういう結果になった「仕儀」をご理解頂きたいと思う。又何回も言っているようにこのプロジェクトは今回の単独案件であり「本丸」である「新校舎建設」にいささかの影響も与えるものではない。
・ しかし良くヒヤリングしてみると今回勝ち得た会社は何回も学校に来てしつこいくらい「情報」を集めていたらしい。この会社がプレゼンテーションした資料にはまず「浄明正直」という神社神道の学校としての「校訓」がかかれ新武道館の目的を明快に記述するところから始まっている。
・ その他、「浪速改革の南のシンボル」と詠っている。これは恐らく正門と塀が「浪速改革のシンボルゲート」という私のブログに触発されたものだろう。それと審査員を印象付けたのは「緊急車両待機場所」を設計に反映させている。
・ かなり学校と言うものを研究している。武道館の空手、剣道、などはとにかく怪我が多いのでそれに「緊急時の対応」を考えているのである。それと私をうならせたのは「大正ロマンを感じさせる概観」と言うことで本校の設立時代と現在の正門の雰囲気をこの部分でイメージ合わせをしているのである。
・ 特に設計では「中2階方式」を採用し「見学スペース」が吹き抜け部分で取られており、我々を泣かせるように「浪速に進学させよう」とか「「きっと浪速で武道をやりたいと思ってくれるでしょう」とかここまで書くかという感じであった。
・ 空手道場の壁一面は強化ガラスの鏡をはめ込み、「姿見」となっているなどこの会社の設計者は「分かっているのだ」と思った。女生徒が授業でダンスを踊る時もこの鏡は喜ばれるであろう。
・ 弓道場は本格的であり過ぎるくらいで私は少し贅沢だと思っているが、理事長職務代理は大学時代に弓道をしただけにその「完成された姿」に感心されていたのである。尚且つ和室が二部屋連続でこれは「修養室」となりうる。「雅楽部、将来の茶道部、それに行儀作法教室となる多目的和室」である。
・ どうも間仕切りをして大きな部屋になるということに設計の視点をおいた設計は専門家に歓迎されていない結果であった。うるさいし指導にならないというのである。確かに私が調査すると騒音レベルは尋常ではなかった。「体育館は二つも要らない」と言うのである。
・  それと大きな特徴は「現在の校舎・体育館と新武道館へ至る生徒の動線」を考え抜き、体育館からの「歩廊と部活動の部室の将来コンセプト」まで図面化している会社の評価は高かった。
・ その他「外断熱方式」を採用しており、エコにも工夫がなされこういうところが審査に当たった教職員の評価を得たのではないか。ただ敢えていささかの不満を言えば「外観が大変良く出来ている」のだが「力強さに欠ける」と私は観ている。これは少し修正を加える必要があろう。ここは「武道館」なのである。
・ 今回応じて頂いた各社さんには大変ご面倒をお掛けして申し訳なかったと思うがこれに懲りず今後とも宜しくご厚誼とご指導をお願い致したいと思う。これから先は公金の入っている物件では余程のことが無い限り「随意発注」は有り得ないし、はっきり言って「金額」などは次の問題で第一に来る話ではない。このような物件で大きな差などある訳がないのである。
・ 「対象物件についての食い付き」と「対象物件の徹底した研究」そして「ともに仕事をする相手かどうか」という信頼感」みたいなものが今後は「決め手」になってくるのではないだろうか。「12月理事会で正式決定の運び」となるが決まったメーカーさんと「良い仕事」をしていきたい。面白い物件になる。武道場の集約建物の例は世間には多くはないだろう。

2009年9月24日木曜日

9月24日(木)秋季例祭







・ 連休が明けて今日から学校であった。「何名が新型で休んでいるだろうか」ということが問題である。この連休中には「岸和田だんじり祭り」などもあって余計に心配していたのである。
・ 連休前の19日に新型インフルエンザで休んでいる生徒は総勢13名であった。特に2年生の一クラスに集中しており、そこは「学級閉鎖」とし、そのため内規によってすべての学校行事を中止する措置を「泣く泣く」取ったのである。
・ 今朝は「秋季例祭」が終わった後データを整理して「固唾」を飲んでの「朝会」となった。結論的に言えば「数は高校で31名、中学で3名」の感染者が出て学校を休んでいる。間違いなく増えていた。しかし中学、高校ともクラスが分散しており特定のクラスに集中はしていない。
・ 「ホット」一安心である。特に中学3年生は一人も居なくて、これで「明日からの修学旅行」は予定通り出発出来そうである。「良かった」と思う。高校では数が31名と言っても自宅ではもう熱も下がっており医師の診断書を貰うだけの生徒も居るので、この連休中に「集団感染」とはならなかったことを考えれば、すべての「行事中止」の決定は効果があったと見るべきか。
・ 例祭で学校に来てくれた「PTA会長」との話で「バザーの日を10月10日」とすることで最終合意した。折角保護者が集めてくれた品物でありこれを有効に活かす為に工夫をして代替措置をすることを確認したのである。
・ 一部の保護者から「浪速祭」の再トライを求めることがあったがもうこれは無理である。「八ッ場ダム」の中止と同じで今更どうすることも出来ない。「中止を延期には出来ない」のである。
・ しかし生徒のために何とか「細切れ」にして「簡略版」を計画できないか本日の朝会で指示した。中学は演劇などの出し物を、高校も練習を重ねてきた演奏などを短時間だけ実施するのだ。「はけ口」にはなるだろうと。

・ 「秋季例祭」も初めての試みで中庭に全校生徒を集めるのではなくて、神社前には各クラス代表だけとして他はホームルーム教室で行うようにした。司会が上手く進行してくれてスムースに進行できた。「生徒の打つ拍手」など遠く各教室から聞こえてくるのも「感じが良い」のである。
・ 元来であれば浪速祭で本校の「ゆるキャラ」の「ふく丸クンのぬいぐるみ」を体育科のK先生が身に着けて「盛り上げる」計画であったが、このようなことになったので今朝は正門の前で生徒を出迎えだ。生徒は正門を入るなりこのふく丸クンを見つけて大笑いであった。
・ 今度の出番は中学校の入試説明会や中学校の運動会になるのか。いずれにしても「遊び心」が必要であり、正式のお披露目はならなかったが、今後有効に活用していきたい。それにしても「立派なもの」が出来た。幾らかかったかここでは書くまい。
・ 何時も「直会(なおらい)」として生徒には「ノート」が配られるのであるが、今年に限り「特別記念品」として「ふく丸クンのキーホルダー」を全校生徒にプレゼントすることとした。平成21年度「幻の浪速祭記念」として大切にして欲しいものだ。これもすっきりとして大変良いデザインである。
・ 安くするために大量に作ったし、ご迷惑を掛けたのでバザーなどお世話様になった「PTA役員やお手伝い頂いた保護者の方にプレゼント」するようにPTA担当に言ったのである。こういうものは本校と関係ないところでは嬉しくないだろうが、本校の関係者であれば喜ばれると思うのである。
・ 「雅楽部」の演奏が大変良かった。「装束を新調」したのだが部員が増えて足りなくなっているらしい。「特別強化クラブ」だから支援しなければなるまい。顧問の先生に「追加発注」するように言ったのである。
・ 今度の日曜日の27日は「大阪私立中学校高等学校芸術文化祭典」が大阪厚生年金会館で13時から行われる。ここに本校の雅楽部が出演する。何とか時間を調節して観覧に行くつもりである。
・ しかし雅楽部は楽器や衣装など「高く付くが仕方が無い」。必要コストだと思っている。「本校の精神の中枢」を担ってくれているのだから極めて大切なクラブである。今度作る「新武道館には和室」を設け恐らく雅楽部の常時練習場となろう。

・ 「秋季例祭」が終わって一息ついていたところに今度当選した衆議院議員の「代議士荻原仁先生」が挨拶に見えられた。本校の卒業生である。民主党の新人で小沢チルドレンのお一人である。私は「激励」を申し上げ、出来れば文教委員会に属して教育問題を担当して欲しいと申し上げたのである。
・ しかし小沢さんというのはすごいね。新人議員には東京に居なくてよい、時間があれば支持者の処を回れと厳命されているらしい。こういう「徹底した厳しい指導者」が居ればこその民主党の勝利(?)かなと「ふいッ」と思ったのである。「リーダーの条件の一つに部下への徹底度」がある。

2009年9月23日水曜日

9月23日(水)堺屋太一氏「凄い時代」


・ 連休も今日で終わりとなる。「静かな休み」でどこへ出かけるでもなく家にじっとして本を読んだりして過ごした。昔は休みになれば「どこかへすっ飛んでいく」のがパターンであったが最近は幾分「億劫」になってきた。
・ 電話も2本あっただけであった。一つは「同窓会長」からで今度の衆院選で当選した萩原仁さんが私に会いたがっているというものだった。「萩原代議士は浪速高校卒業」でかねてから「自分の今日あるはすべて浪高のおかげ」と公言している人である。
・ 民主党公認で「小沢チルドレン」の一人といわれ「一新会」のメンバーになったと言うが、卒業生に一人くらい「衆議院議員」が居ても悪い話ではなくて政界の裏話などお聞きできるかもしれないと思ってお会いすることにした。
・ もう一つの電話は21日の私のブログ「君よ憤怒の河を渉れ」について親しい友人が「実名を挙げてよいのか」と心配してくれてのものだったが「考えた上での決断」で相手は「公人」、問題にしていないと答えたのである。

・ 今朝の産経の「オピニオン」欄に「曽野綾子」先生の投稿があった。「ガムくちゃ市長」「この市長が受けた教育の貧しさ」という表題だった。過日奈良市の33歳という若い中川げん市長が議会答弁の最中に「ガムや飴をくちゃくちゃ」していたことを報じた新聞記事に関してコメントを出されているのである。
・ 先生はお書きになっている。「33歳と言う若い市長を選ぶ奈良市民の勇気にも驚く」がと書き、この市長は「何が悪いのか分かっていないのだろう」と推察している。そして「この市長が受けた教育の貧しさ」が遠因と言われているのである。
・ 「人間は決められた場所ではその目的にかなった行為をしなければならない」ということを教わって来なかった市長だというのである。つまり食べると言う行為は食べるべき場所で食べるのが人間であり、歩きながらとか、電車の中でとかはすべて大きな意味で「受けた教育の貧困」のなせる業であると言われている。
・ 奈良市の教育に関与している教員の教育の結果がこのような形で現れ、それを市民が市長に選出するという人間社会のり輪廻みたいなものに言及されているのかも知れないが一人の言論人の発言として「重み」を感じる。
・ 本校でも「生徒生活指導」の先生方は公道を歩くときの注意、すなわち「道を塞ぐように横一列で並んで歩いてはいけません」「電車の中では食べたり飲んだりしてはいけません」と口がすっぱくなるように指導をしている。
・ 高校生ですぞ。小学生や中学の低学年ではない。高校生が学校の廊下をペットボトルを手に飲みながら歩いていたりする光景を目にすることは正直ある。走って行って「注意」するらしいが「キョトン」としているらしい。小中学校や家庭で教えてもらっていないのだ。中川げん市長もこの延長線上にあるのだろう。

・ 連休最後の「読み物」は堺屋太一先生の新本である。「すごい時代」「勝負は2011年」というもので、「本格的読み物」として手ごたえがあった。堺屋先生の本は大変読みやすく、私は「大好き」なのだがこの本も頭の整理に役立ったのである。
・ 1ページ目の「はじめに」の冒頭の文が「凄い時代である」である。「1年前は大昔、2年後はまったく新しい世の中になるだろう」が2番目の文章である。2年後は2011年だから「勝負は2011年」と言うことになるのだろう。
・ 確かに今後の2年間は「勝負の年」だろうと思う。来年の参議院選挙がどうなるか、民主党の政策がどうなるか、橋下改革が今後どのように展開するか、私学行政がどう変わってくるか、本校はどのように絵を描くのか、すべてはこの先2年間ではっきりするだろう。
・ 先生は冒頭文で強調されている。「変革は機会を与える」。「凄い時代こそ面白い」。これを活かすには「5つの条件」があると先生はいわれている。第一は「気質」、変化を喜び、改革を好む気質がないとまず駄目だとまず最初に言われる。
・ 学校でもそうだが「変化が嫌い、付いて行けない人はまず駄目である」変革をネガティブに捉える教職員は進歩・生長がない。このことは明確に言える。「守旧派」ならまだ良い。彼らは守旧派ではない。守旧派というのは意見を有しているのだ。
・ とにかく「現状が心地よい」と思う人間はまったく端にも棒にもかからない。気質として変革を受け付けないものは「金剛山の山の中」で暮らすしかあるまい。こういう人間に限って「処遇が変わる」となると顔を青ざめて口を挟んでくるものだ。「損得」だけで生きている連中だ。
・ 第二は「アイデア」だと言われる。これからは新たな「ビジネス・モデル」だと言われる。確かに私立学校として新しいビジネスとしてのモデル構築が急がれる。これが「生徒募集、学生募集」の決め手になるだろう。そこには「学校としてのアイデンティティの確立が不可欠」である。「どのような学校を目指すの?」という問いだ。
・ 第3は「先見」。成長分野をかぎつける感覚と「将来を見通す予測能力」である。これは死活の問題となるのであるが、当然「猛烈な勉強と蓄積が必要」である。一夜漬けで身につくというものではない。多分にリーダーの条件で一般の人には「リーダーの言っている意味を理解する能力」だろう。
・ 第4は「勇気」。自らを信じ打って出る勇気だと言われているのである。蛮勇ではいけない。第5は「少しばかりの好運」と先生は言われている。堺屋氏は「この本は長い時間をかけて書いた」と記しておられ「丹念に追った」とあるが確かに「凄い本」である。
・ 各論で言えば、第5章は「今こそ明治維新的改革を」として強調されている。その4項に「教育の目的を変える」がある。ページ数は少ないが一言で言えば「知価社会で生きられる日本人を」との命題である。
・ しかしもう少し範囲を広げた論考が欲しかったなというのが感想である。中身にはまったく異議はなく視点・提言として大変良く理解できるのであるが、「民主党政権の教育政策」とあいまってどのように論理的思考が必要であるのかもう少し掘り下げて先生のお考えが知りたかったのである。
・ 又堺屋太一先生が推している「橋下知事の教育改革」とこの本に書かれている先生の「教育の供給者に競争を」の論理が「不平等競争の排除」の視点を忘れることなく「私学」を巻き込んだ「教育の目的の変革」に合致するのかどうか、その点にいささかの疑問が残る。

2009年9月22日火曜日

9月22日(火)俳優津川雅彦氏


・ 最近面白い「対談集」によく当たる。先には在日の辛珠玉氏と政治家の野中広務氏との対談単行本のことを書いたが本日の紹介は月刊雑誌である。「WILL別冊号」で「暦史通」というのが正式なタイトルである。
・ この中に「特別インタビュー」として評論家の「加瀬英明」氏と最近は映画監督でも売っている俳優の「津川雅彦」氏との対談がある。「国と歴史を語って何が悪い」という見出しタイトルであった。
・ この「国と歴史を語って何が悪い」という言い方というか「物言い」に、あの俳優の津川さんの「口吻」を感じるではないか。この津川さん、1940年京都のお生まれだから69歳におなりか。映画界名門の出身である。
・ 私はこの対談を時には大笑いしながら読んだのであるがこの癖のある俳優を一挙に好ましく思った。「なるほど」、この人はこういう人物であったのかと今さらながら「感心し得心」し、賞賛するのである。
・ とにかく「面白い」のである。彼の持つ視点は大いに自分自身の物事の見方に「栄養分」を与え、「思考の幅」が膨れる。勿論異なる意見の部分もあるが「大人の男」が70歳近くなるとこのように「熟成」してくるのかと思えば「自分もああなりたい」と思うのだ。
・ 88年の「プライド 運命の瞬間」で東條英機役をやったときの裏話から対談は始まる。この映画に猛反対したのがあの有名な山田洋次監督でこの作品がアカデミー賞のときに津川さんはこの山田監督に「おーい、共産党!」と叫んだと言うのである。笑ってしまう。
・ 津川さんはあの「村山談話」で有名な元社会党の村山総理を評して「あの人にそんなインテリジェンスはありません」といい、その理由は「日本文化の本質に無知」だからと言っています。
・ 次に映画を作るとすれば「大東亜戦争は正しかった」だといい、そうすれば中国韓国北朝鮮だけでなくアメリカなど世界中が話題にしてくれ大いに宣伝してくれるだろうと言い放っている。要は「日本人が自分の国とその歴史を語って何が悪い」と言っているのである。大笑いだ。
・ 更に続けて「今どの企業も団塊の世代がリーダーシップを取って幅を利かせていますが、この世代は左翼の影響を受けている一番ダメな日本人」だと切って捨てています。私などもやばい世代です。
・ 「自虐史観」をインテリ仲間の「踏み絵」としてきた連中で「安保闘争」を青春として生きてきたこの世代は「歴史を正しく総括する勇気がない」と言っています。更に矛先はアメリカにも及びます。
・ 昭和20年敗戦によって精神的にアメリカ製の新しい国に「移民」してしまったと書き、アメリカと同じ歴史の浅い国になってしまったと加瀬氏の意見に100%同調します。
・ そして津川氏は「本丸」に近づきます。「明治以降これだけ短期間に世界の列強入りをした黄色人種を脅威に感じ、二度と立ち上がらせないために日本人の研究を重ね、GHQが日本の文化「和魂」とその誇りを徹底的に腑抜けにし、壊滅させる目的で「日教組」を作ったと話すのです。
・ 戦後初めて小学1年生になった僕らは「自虐史観」を植え付けられ更に「知識を暗記することがインテリジェンス」だと、いわば「知能の低い人間つくり」のモルモットとなったと論理を発展させています。
・ 目的を同じくする中国、ソ連の共産主義に洗脳された「左翼思想の連中がこの日教組を乗っ取り」今日に至るとまで津川さんは発言されている。そしてこれが「一億総白痴化」の始まりと断定される。
・ これに輪をかけたのが「テレビの導入」で日本人とその文化をますます「薄っぺら」にしていくわけですね。(中略) そして津川さんはマスメディアに矛先を向けていきます。
・ マスメディアこそ政治を動かし国民を組織する時代と錯覚しまさに「マスコミは権力と化し薄っぺらな人間を大量生」しましたとある。ところで興味あることに津川さんは朝日と読売と産経を読み比べているそうである。
・ そして余談として話は「酒井法子の逮捕劇」に向かいます。何か極悪殺人でも犯したようにはしゃぐが、嫉妬深い何千万人のテレビの視聴者が求めるのは「有名人の不幸」だと言っています。それにテレビは迎合しているというのです。「なるほど」と思うわけです。
・ テレビのタレントを見て「こいつ馬鹿じゃないの」と軽蔑しながら「私のほうがましだ」と安心したいのだと分析しています。これ以上書くとこの雑誌の発行元から文句がでますからもう書きません。
・ しかし私は驚きました。俳優津川雅彦と言う人物がここまで「よどみなく」自分の考え、思いを正直にしゃべると言う「勇気」と「けれんみのなさ」にいささかの感動を覚えるのです。
・ この俳優と言ったら何か「癖のある」「個性の強い」言い換えれば「あくの強い」人物を思い浮かべるのですが実際は「日本を愛し、日本人であることを誇り」にして「日本人が自分の国と歴史を語って何が悪い」と叫んでいるのです。
・ 「還暦を過ぎた人間は新たな人生の始まり」ということもできます。「遠慮は要らない」「一生懸命生きてきた」「それなりに社会の発展に貢献してきた」、もういいだろう。この辺で自分の思いと考えを「赤裸々」にしゃべっても許されるのではないかと津川さんは話しているのだ。この点に私は心を揺り動かされ勇気を貰うのである。

2009年9月21日月曜日

9月21日(月)その2:君よ憤怒の河を渉れ




・ 「 新型インフルエンザで学校行事を中止」して、予定がこのように「ぽっこり」と空いてしまうと、いまさら自宅にも帰れず、どこにも行けず、家で「ボーッ」と本を読んだり、テレビを見たり、映画のビデオを観たりでありますが、それでも「時間を持て余し」てしまいます。
・ こう言う時にはついつい「昔のことを思い出す」のです。忙しいときは走り回っていて昔を思い出すことは多くはないのですが、このように時間が出てくると「厭な辛い思い出」が出てくるのです。それは4年前に私が府立高校勤務時代に起きた事件についてです。
・ 私は昔の映画のビデオを取り出して観ました。「君よ憤怒の河を渉れ」です。1976年に公開された西村寿行原作の映画で主演は高倉健さんです。助演には原田芳雄、中野良子、大滝秀治、池部良、倍賞美津子、西村晃など実力派が揃っている素晴らしい映画です。
・ あらすじは現職検事であった高倉健が「無実の罪」を着せられ逃亡します。健さんの上司の池部良は無実を信じず「検察・警察の対面」だけを考え刑事の原田芳雄を逮捕に差し向けます。「追うものと追われるものとの執念」がぶつかる息も付かせない映画で骨太の健さんと原田が超カッコ良いのです。
・ 私はこの映画を観るのは4年前、私が民間人校長として府立高校時代にあった「裏切り」にあったことを思い出し、「私の決意を再確認」するためです。私は「君よ憤怒の河を渉れ」ではなくて、「すでに河を渉っている」のであります。
・ ところで9月7日のブログ「怒りについて」は結構反響があり「当たり前」だ、「怒って当然」という多くのご意見を多くのモニターから頂きました。しかしここに書いている様な怒りなどは橋下知事ではないですが「屁みたいな怒り」で何てことはありません。もう何だったか忘れているくらいですから。
・ 「憤怒」は「忿怒」とも書き、「ふんぬ」「ふんど」とも読み、「ひどく怒ること」です。「怒りを通り越している」と言った方が良いかも知れません。事件のことについては今は何も言う積もりはありません。
・ しかし「当時の教育長と教育監の二人は絶対に許さない」と思い続けているのです。この二人から受けた「裏切り」は生涯忘れることはないでしょう。一人は竹内脩といって現在枚方市の市長であり、もう一人成山と言って確か某大学の理事か何かをしているはずです。
・ とにかくこの二人に対しては「怒りを超えて憤怒」の気持ちでそれも日に日に募ってくると言った方が良いでしょうか。私は将来この二人を追いつめて「決着を付け」自分自身に納得を付けたいのです。そうでもしなければ「武士の一分」が立ちません。
・ 要請を受けて企業を退職し、大阪府最初の民間人校長として「難しい学校」に赴任し「学校改革」で戦っていた私に「後ろから鉄砲を撃ってきたのがこの二人」です。この二人に裏切られた「無念さ」は私の心の奥底をえぐり取るように今でもうずいています。
「私憤」だと言われるのは不本意ですが、今となってはそのようなことはどうでも良くて、私は一生かけて「許さない覚悟」を決めているのです。今は私立学校の経営をしており、公職にある身ですから当然控えていますが、一時もこの二人に対する憤怒は忘れたことはありません。
・ ところで9月8日のブログには「平松市長」のタイトルで兼ねてから知り合いの府議会議長就任パーティに出席した模様を書いています。その席には府教委の中西教育長が来られており、私のテーブルにわざわざご挨拶に来ていただいて恐縮しました。
・ その時に私は言わなくとも良いのに教育長に「アホ」なことを言いました。「あの二人は許しませんから、会う機会でもあれば言っておいてください」と。当時の経緯は当時の教育次長で現在の教育長である中西さんとその日の主役であった府議会議長の朝倉秀実先生が最もよくご存知です。
・ 皆さんにとって「憤怒の対象」はありますか?居なければそれほど幸せなことはありません。しかし「私には決して許すことに出来ない憤怒の対象がこの世の中に二人」居るのです。
・ 当時の某大手新聞社の記者がこの事件の報道で私に何回も取材に来て、「竹内教育長はこの事件を結果として自ら仕組んで起こしせしめたという事実が明らかになっていくにつれて、目が泳ぎ、茫然自失で見てられませんよ」と言った言葉を今でも思いだすのです。
・ この二人は某私学の理事長から「高級料亭で接待」を受けたり、「教育委員会の裏金作り」が次か次と出てきたりして当時大騒ぎになりましたが、このような「品のない卑怯な男」であるだけに私は尚更許せないのです。
・ 男は「裏切り」にあうことは「面目」あることではありません。「向こう傷は勲章」ですが背中から切られるのはこの上ない不名誉なことなのです。「小早川秀秋」ではないですが天下分け目の学校改革に先頭で戦っていた私に、味方だと思っていたこの二人が後ろから鉄砲玉を撃ってくるとはまさか思いもよりませんでした。
・ 「君よ憤怒の河を渉れ」ではなくて「私は憤怒の河をすでに渉って」おり、歳を取るとともに憤怒が蓄積されてくるのです。追われる高倉健さん、追う原田芳雄さんみたいにカッコ良くないですが、一人の男として私が死ぬ前までにはこの二人に「けじめ」はつけようと決意しているのです。明日はこれまた有名な映画「復讐するは我にあり」のビデオを見るつもりです。

9月21日(月)その1:石田三成の旗印











・ 昨夜のNHK大河ドラマは「関が原」でドラマ中盤の見所であった。とにかくこのドラマは言いようがないくらい面白い脚本になっている。「劇画タッチ」と言うものではなく、さりとて「漫画調」でもなく、何て表現したら良いのだろう。やはり前に書いたように「青春群像涙物語」だろう。
・ 昨日の見所は「小早川秀秋15000の裏切り」であった。名前は知らないが確か「お馬鹿キャラ」で売っているタレントで気が弱く、優柔不断な性格を上手く出していた。関が原の裏切りで後世名を残すことになったからあの世でも秀秋は満足だろう。家康のわき腹の秀秋と後ろの毛利が動けば歴史は変わっていたのにと思うが、それも「ればたら」の話だ。
・ それともう一つ「福島正則」演じる石原良純だ。余り賢そうにない福島の面をあの顔で上手く表現していた。本当に賢くないのかと思うくらいだった。石原知事は前に何かのテレビで実は子どもの石原3兄弟で最も「IQが良いのは良純」だと言っていたが、「なるほど」と思うような演技であった。しかし大体あの顔は三成や兼継を演ずる俳優と根本的に「顔の造作」が違う。
・ さて石田三成であるが「どうなんだろう」。結局小早川、毛利に裏切られた形で「敗残」するのだがこういうタイプは「味方と敵」がはっきりするのだろう。好かれる者には徹底低に好かれ、嫌われる者には徹底的に嫌われる。頭が良すぎるのも考えものだ。
・ 「戦国武将」振りを発揮していた三成の親友「大谷吉継と宇喜田秀家」が良かったなー。特に宇喜田秀家は今、堺屋太一氏の新聞小説「3人の2代目」の描かれつつあるが面白い人物です。
・ 昨日のテレビでも秀秋の裏切りに激怒し「叩き切ってやる」と息巻いていましたね。八丈島に流され83歳まで生きた秀家は関が原生き残りの最後の人物となりました。死んだ時には徳川は4代目の家綱の時代ですから「最後の勝者」かも知れません。死ぬまで八丈島を出ようとはしませんでした。こういうところも好きです。
・私は西軍のほうに圧倒的に「人間味」を感じますね。上杉景勝、直江兼継も西軍です。「敗れるものに心が動く」のです。源義経、楠木正成、平家物語、豊臣、滅亡するものに「情」が騒ぎます。三成の腹心「島左近」も良かった。
・ 関が原で両軍入り乱れて合戦シーンがあり、見ごたえがありました。このときに三成の「旗指物」に奇妙なマークと言うか文字がありました。あれは「読めません」でした。私は石田三成の家紋を知らなかったのですが、あれが有名な「旗印」だと言う。
・ 「大一大万大吉」と言って有名なものだと知りました。「大とは天下を意味するものなり、天下のもと一人が万民のために万民が一人のために命を注げばすべての人間の人生は吉となり太平の世が訪れる。故に人間が変われば世もまた変わる」というものです。いかにも三成らしい。テレビとあのイケメン俳優の影響もあるのでしょうが、この字が入った携帯ストラップやキーホルダーが今売れに売れているそうです。
・ 「本校の旗印もカッコ良い」と思います。まず中学校は大正12年(1923)旧制浪速中学校設立時に制定したものであり、「八咫鏡(やたのかがみ)」をかたちどった縁取の中に「」の字を置いたものです。
・ 「」の字にあしらわれた「横一点」は当時の書家が美的バランスで入れたものかあるいは古代中国の銘文から取ったものかつまびらかではないし今となっては探る気もありません。私はこの「中の字」を大変気に入っているのです。
・ 高校は昭和23年の学制改革により旧制浪速中学校が浪速高等学校に改称されたときに採用されたもので外形は中学と同じで中に「」の字を置いたものです。高の字はやはり古代中国の金文の書体を模して定められたと考えられ、特に高の字体が良い。ただこの高校の校章は「高島屋デパート」の店章(?)とよく似ているのが少し引っかかります。
・ 「八咫鏡」は皇室三種の神器の一つで「神鏡(しんきょう)」「賢所(かしこどころ)」とも言います。日本書紀や古事記には天照大神の岩戸隠れに際に作られたもので現在は「伊勢神宮の内宮の奥深いところに奉置」されているといわれています。
・ ところで石田三成の辞世の歌ですがこれが大変素晴らしい。「筑摩江や芦間に灯すかがり火とともに消えゆく我が身なりけり」です。筑摩(ちくま)は「つくま」とも読み古来の琵琶湖東側の地名で近江出身の三成の故郷ですね。
・ 最後の領地「佐和山城」があり、秀吉との出会いの場所でもあったところです。ある読み人はこの“かがり火”を秀吉と置き換えて読むべしと書いています。「なるほど、なるほど」と思うわけです。自分は秀吉とともに消えるというのです。
・ 巧妙な卑怯なやり方で三成を葬った徳川家康は関が原のあと300年続くわけですが当然徳川を正当化するために「石田三成悪者論」を展開します。しかし今こそ「三成再評価」をすべきと私は考えます。
・ 徳川の時代でも「水戸の光圀」は「三成の評価」をしているし三成の「義を貫く精神」は立派ですよ。私はこの3月に三成の居城であった「佐和山城址」に行ってきましたが何もなくなっていました。私はすぐ行動します。
・ 徳川四天王の一人井伊直政は一旦は焼け落ちた佐和山城に入ったが三成居城であったことを嫌い近くの彦根に城を築くことになる。これが現在の「彦根城」で石垣の石、材木など一切合切を佐和山城から持ち去ったといいます。「敗者無残」です。
・ とにかく「裏切り」はいけません。どんなことがあっても「裏切り」だけはいけません。「人間の道を外している」からです。豊臣恩顧の子飼の大名、小早川秀秋、福島正則、浅野幸長などが結局主君の家をつぶしました。特に秀秋が行けません。
・ 家康が潰したというより豊臣恩顧の大名が「浅はか」でつぶしたのでしょう。それに立ち向かって行った石田三成は歴史的にもっと評価されて然るべきだと私は思います。「義に生きる」ということは巣晴らしことだと思います。しかし一方ではそうは言っても三成が豊臣家のを滅亡を早めたことも歴史の事実ですね。歴史は難しい。従って受け入れるしかないのですね。
・ 学校社会に小早川秀秋みたいな「裏切り」はあるかどうか。それがあるのです。本日のブログその2に軽く書いてみます。

2009年9月20日日曜日

9月20日(日)その2:行事中止


・「 新型インフルエンザの攻撃」で残念ながらこの「連休中のすべての学校行事が中止」のやむなきに至った。今は25日出発の「中学3年生の九州屋久島修学旅行」だけは何としても行かしてやりたいと学院神社に祈願しているところだ。
・ 昨日の朝1限目の授業が始まる前に全校生徒に対して校内放送で「共に残念無念の意を表し、長い人生にはこういうこともある」と慰め、「大切なことは今後」であり、特にこの連休中は「気をつける」ように伝えたのであった。
・ 19日から「岸和田のだんじり祭」が始まり今日は「本宮」であった。多くの人出があったとテレビが報じていたが、あの中に本校の生徒は極めて多くいるはずだ。「泉州地域」は今後次々と「だんじり祭」や「布団祭」などもあり、間違いなく大きな人ごみの中に生徒は入っていくだろう。
・マスク、うがい、手洗いなど 「予防措置」を講ずるように言ったがどこまで伝わったであろうか。「行くな」と言っても絶対に行くのが分かっているから行ってはならないとは言えない。またお祭に「マスクをしてだんじりを曳く」というのも出来ないだろう。
・ 特に本校生徒は堺、岸和田、貝塚、和泉と南部地域に住んでいる生徒が多いために「連休明けが極めて心配」である。私は今でも「行事の中止」は正しかったのか心が揺れ動いている。少し「早まった判断」ではなかったかという疑問だ。
・ 現場の担当教員から上がってきたのを高校教頭、副校長が承認して私に最後の決済を求めて来たから「了解」したのだが、今でも「割り切れない」のだ。昨日関与した教員すべてを部屋に呼んで意思決定した時の判断基準を再度説明してもらった。
・ そして「判断は今でも間違って居なかったと思うか」と聞いたのである。筆頭副校長は「少し厳しかったかも知れない」と述べたが他の4人は「今でも判断は間違っていない」と明確に述べた。「今更校長は何を言うか」というような顔をしていた。
・ これに対して中学校の副校長は「厳しい」と述べた。「学級閉鎖が2クラスになって初めて行事中止にすべき」で「行事中止は学年閉鎖に準ずる」と言うのである。確かにこの論理は説得性がある。今回は学級閉鎖が一クラスになった瞬間に「行事中止」を下したものでその辺のところが私は割り切れないのである。
・ 勿論手順を踏んで決めたものだが「提案者の意見と言うのは大きい」ものだ。まず原案がひっくり返ることはない。もう少し「柔軟性を持たせておくべき」であったと反省しきりである。余りにも「原理主義的」基準であったと思うのだ。
・ 意思決定にこの副校長を入れておくべきであったと考えたのである。事務長も参画していなかった。自治会担当、保健体育部長、高校教頭の3人がまとめ高校副校長に上げたものでこの4人のタイプは基本的に思考方向が同じであるとかねてから私は思っている。
・ 重要な意思決定には様々なタイプの責任者を入れて「私自身がじっくりと考え判断すべき」であった。実は19日の芸術鑑賞会は中止しても今日の例祭と浪速祭は「やったらどうだ」とまで言ったのである。「無茶苦茶」な言い草だと分かっていたが言わざるを得なかったのである。
・ 「保護者にはバザーで多大のご迷惑」をおかけすることとなった。本当に申し訳ないこととなった。本校85年の歴史で初の浪速祭中止をした校長となった。私のことはどうでも良いのだが生徒への思いである。内輪で「小規模の簡略版浪速祭」を実施することを今私は考えているのだが時間がとれるかどうか。「高校自治会と中学校生徒会の会長二人」を呼んで気持ちを聞いてみようと思う。

9月20日(日)その1:週間ダイヤモンド社給料全比較


・ 毎年9月中旬に発行する「週間ダイヤモンド」社の雑誌を楽しみにしている。絶対にこれだけは外さない。今年は9月19日号で特集「給料全比較」が例年通り出た。「職種別・会社別・資格別最新調査データが満載」で年によって「テーマ」が異なるのも嬉しい。
・ 今年は「ボーナス」「福利厚生」「官民格差」を主題においていた。ちなみに去年のテーマは「年齢別賃金」「社内格差」「残業時間」であった。これだけまとまってデータを整理しているのに私は関心するのだ。
・ これをどう活用するかと言えば、このデータを分析して私は教職員に示すのである。浪速に来て3年間続けてきている。「職員会議」に出し、世の職種に対して「学校の教職員のポジションを知る」と言う目的である。理系出身というわけでもないがとにかく「データ」を私は大切にする。
・ 「データはデータでしかない」が「それでもデータはデータである」というのが私の考えである。驚くであろうが一般的に学校の教職員は「データ」というものを扱うことに慣れていない。だから前の公立の時代から「賢い見識ある教員」はこの私の作業を評価してくれていた。
・ 一部の勢力には「データを忌み嫌う」性向があって「データを隠蔽」する、データを見ないようにするというところもある。官庁なんかにもこの傾向は見受けられる。しかしこれが「唯我独尊」に繋がる。「データは冷静に見るものでデータから逃げてはいけない」。
・ 確かに「データは時に酷」である。入試説明会の暦年別、時期回数別に並べてみると「一目瞭然」ですべてが分かる。データの良い点は次が、将来が「想像」が出来ることである。「想定」と言っても良い。
・ 私は昔から「他との比較」で「自分のポジション」を知り「次の行動パターン」を決めると言うところがある。こういう作業をしていると楽しくてならない。そういう意味で今年の雑誌を手元において分析しているのである。一種の「情報お宅」かも知れない。
・ 今年のPART1のタイトルは「消えた給料」であった。「消えた年金」をもじっているのは間違いなかろう。この「10年間で勤労者の減少した給料は20兆円」とし、まさに「給料デフレ」だというのである。「こういう捉え方が参考」になる。
・ データの元は国税庁の「民間給与実態統計調査」によるから信頼性はある。時間ギャップがあるが統計は「1997年と2007年の10年間」の間に「何が起きたか」というものである。1997年と言えば神戸連続児童殺傷事件、東電OL殺人事件、北海道拓殖銀行の経営破綻、山一證券の自主廃業など社会を震撼させる事件と日本経済を揺るがす出来事が起きた時代である。
・ この時の「全労働者の数は5240万人で給料総額は約221兆円、で平均年収は421万円」であったとデータは示している。それが10年後の2007年には給料総額は約201兆円で差額の20兆円が「吹っ飛んで」しまっているというのである。
・ 一方で「労働者総数は5376万と136万人も増えていることから平均年収は374万円と11%減少」している計算になる。問題はなぜ年収が減少したかであるが以下のように分析している。
・ まず「男性社員の年収がダウン」する。不況の影響である。特に50歳代の下げ幅は大きい。そしてこの10年で「非正規社員が23.2%から33.7%と増え」ている。リストラで正規社員が減少し非正規に置き換わっているのが見て取れる。
・ そして「夫の年収ダウンに危機感を募らせ、家計を助けようと働き始めた女性の労働者が95万人も増加」しているがこの人たちの「66%が年収300万円以下」だというのである。これでは平均値が上がるわけはない。
・ こういった情勢の中で「97業種の推定年収ランキング」に目をやると今年の「私立高等学校教員の平均年年収は43.7歳で724万円」と出ている。私は昨年と一昨年のデータを取り出して比較してみた。ほとんど変わっていない。尚本校教員の平均はこれよりも高い。
・ 「2008年43.9歳で736万円、その前年の2007年は43,4歳で724万円」と出ている。新卒が入ったり定年者が増えたりで変動はあるものの「学校教員の給料は下がっていない」のである。
・ 日本の97業種の中で順位も変わっていない。トップはプロ野球選手で3,631万円、2位がJリーガー2993万円、3位が競馬の旗手で2496万円、「私立高校の教員は97位中20位に位置」している。例年この前後だ。
・ 前述したように「全労働者の平均が374万円だから私立の教員は丁度平均の2倍の給料を得ている」ことになる。平均以下の職種は左官371万円から始まってミシン縫製工の196万円、農家120万円まで極めて多い。
・ 「幼稚園教諭は30.5歳で79番目で336万円、保育士が33.5歳で84位で323万円」に位置している。地方公務員一般行政職は43.3歳で22番目で700万円、国家公務員一般行政職は41.1歳で22番目700万円となっている。
・ 言いたいことは私立の教員の給料はまだ相対的に「高い」ということと、世の中が変化しようとも、この10年全く下がっていないと言うことなのである。「社会の疎開地にいる」のである。
・ このことは何を意味するか。言い換えれば「社会はまだ教職員の給料を高いところにとどめておく寛容さを保持してくれている」のである。私はそのように考えている。有難いと思わねばならない。
・ それはやはり「教職と言う職業への敬意と先生という人間への尊敬の念」ではないのか。私は給料が高いから「下げる」と言っているのではない。まず「この事実の認識」と「これに対してどのように仕事をし、成果を上げるか」と言うことが問われているのである。
・ 今後はまず一律に下げると言うことではなくて「能力、業績、貢献度、服務態度」に応じて「頑張る教員への応援」という「人材育成・評価・処遇」のサイクルの中で給料が変化してくる。卓越した教師はもっともっと高い給料を手にして良い。
・ 能力に欠け、努力もしない教員は退場するか、仕事に相当する給料で我慢してもらわねばならない。「パイ」は限られているのだから今までみたいに全員一律に1円の違いもなく定期昇給していくという時代は「過去の遺物」である。少なくとも本校はそのようにしていく。当たり前の話だ。

2009年9月19日土曜日

9月19日(土)石原慎太郎「日本よ」


・ 産経新聞の朝刊一面に毎月一回だけ「石原慎太郎氏の評論」が載る。タイトルは「日本よ」という。中々「骨太」のまさに政治家と作家の両方の天分をあわせ有した「一時代の寵児」とも言うべき人物の評論だけに中身が濃い。私はこの記事を読むのを楽しみにしている。理事長職務代理も大好きと聞く。
・ こういう「人物の切り口」すなわち、「物事の見方や考え方」は大変参考になるのだが今月は9月7日であったが、論調は従来と少し違って「恨み節」「嘆き節」みたいな感じがした。
・ 都議会選挙では自民党が惨敗し、続いて国政衆議院選挙でも東京の自民党は惨敗である。自民党の破れを「軽薄無残」と称していた。この軽薄と言う単語を付け加えるところが「文学者」である。
・ 石原慎太郎らしくないといったらそれまでだが、全編「愚痴っぽく」聞こえたのである。いままでこのようなことはなかった。最後の方は「小選挙区制度の弊害」にもの申しているのだが、「何をかいわんや」である。遂4年前は「郵政選挙」で同じ現象が起きて自民党は300議席取ったではないか。
・ この風を得て石原知事は3選され、大きな勢いに乗っていたが「新生東京銀行で大失敗」した。「おごり」だと言われても仕方があるまい。そして知事は「起死回生の一手」として「オリンピック東京誘致」を持ち出してきた。
・ しかし今回の民主党政権の掲げる「生活第一」でオリンピックなどの話は何処かに吹っ飛ぶのではないか。大体国民が今オリンピックを望んでいるとは思えない。皆さんは今オリンピックを誘致したいですか?
・ あんなものは今はどうでも良いというのが私の思いである。すこし知事は感覚がづれている感じだ。石原知事自身、もはや次の選挙は「もうない」ことはご自身が一番ご存知であるはずだ。「石原時代の終焉」が見えてきた感じがする。
・ このブログは石原氏を批判するものではない。今でも「好きな人物」であるから。「好き嫌いの感情」だけはどうしようもない。「裕ちゃん」世代の私などにはこの兄弟は「まばゆく見える存在」であった。「プレ団塊世代の特徴」である。
・ 好き嫌いといえば、今月の9月7日の寄稿で文中石原氏は小選挙区には与党内にあって守旧派の名に甘んじながら最後まで反対を唱えてきた。他の問題についてはかなり「意見を異にする野中広務氏と親しくなった」のもそれがきっかけだったと書いている。
・ それ以外にも文中野中広務氏に言及するところがもう一回あり石原氏としては極めて珍しいことである。同じ保守系にスタンスを取っている政治家ではあるが「右と左の両局にある二人」が「親しい」というのが私の興味をそそる。
・ 9月7日のブログ「書物:差別と日本人」にこの野中広務氏のことを書いているが実はこの中に今度は野中氏が石原氏のことを書いているのを私は思い出したのである。再度本を取り出してみたのである。
・ 辛珠玉氏は「石原慎太郎」の欄をわざわざ作って徹底的に「こき下ろしている」。知事の発した「三国人発言」「障害のある子ども見てああいう子に人格があるのかね」とか出して「石原差別語録」を本当に作っているらしい。
・ これを野中氏に指し示しながら石原追求の手を緩めないのだが野中氏はのらりくらりと「昨晩も石原と飯を食った」と答える。辛氏は「エッ、何で石原さんとご飯食べられるんですか?」と憤慨するのだ。更にこうまで述べている。「私、石原さんみたいな言い方をする人は今までの人生の中でも想像が付かないんですよ」と。
・ これらに対して野中氏の答えが面白い。「いやー、あれは又いい男だから」「何処がいい男なんですか。私にはもう分からない」と述べ、追い込まれた野中氏は最後に「彼にも僕のような忠告できる人間がおらんといかんでしょう」でこの欄は終わっていた。
・ そうなのである。意見の違いは人間性の好き嫌いに関係ないこともあるのだ。普通は「意見の違いが徹底的に憎みあう要因」になるのは人間社会の常である。これがまさに人間社会の「妙味」であろう。昼間激しく憎みあった者同士が夜には席を囲んで楽しく飯を食うということなのであろうが未熟な者には簡単には出来ない相談である。
・ 結局政治の世界は「権謀術数」がうごめく世界で「昨日の敵は今日の友」みたいなことがまかり通る「魑魅魍魎の世界」なのである。民主党実質的オーナーの小沢一郎氏を「悪魔」と呼ぶこの二人石原氏と野中氏は「死んでも飯など一緒に食わない」ことは容易に分かる。
・ ところで「橋下知事」はどうなのであろうか。東の東京都知事と西の大阪府知事が「パワーダウン」となるとこれは又大きな意味合いとなる。過日政令指定都市の堺市の市長選が告示された。自・公・民推薦の現職に前府の職員が出馬した。あれは橋下知事の「刺客」だろうと言う人がいる。面白い見方だ。
・ 知事は過日叫んでいる。「自公民 相乗りくそ食らえ」とまで言ったそうだ。戦国時代から「環濠都市」「自由都市」を標榜してきた「堺衆」が「大阪城の橋下信長」とどう戦うか大変に興味がある。
・ 政令市の大阪市とのごたごたというか調整で「ほとほと」手を焼いている知事は堺と組んで大阪を挟み込もうと言う魂胆ではないかという見方もある。堺市は本校の隣で生徒の多くが通っている因縁浅からぬ土地であるだけに今度の「堺市長選を私は注目」しているのだ。
・ まだ衰えぬ知事の人気とパワーで刺客が勝つか、民主党の勢いに乗って現職が勝つか大変興味深い。しかし自公民相乗りと言ってもまったく機能していないのではないか。最後は「中央に反骨する自由都市 堺衆」の判断だろう。
・ 「私学助成の一方的な削減」を受けた本校の保護者多くが堺市におられる。この方たちはどのように判断されるだろうか。若し知事側が敗れるようなことになれば知事の勢いは「ハイ、これまでよ」となって府庁の移転など吹っ飛ぶかもしれない。知事側が勝利すれば府庁の移転は進むかもしれない。
・ 昨日の新聞には「若し敗れたら謝らないといけなし」し「失うものは大きい」とコメントされたらしい。知事は分かっておられるのだ。宮崎県のあの東国原知事はあれ以来「しゅんたろう」に戻った。もう芽はないだろう。「総理になりたい」と言ったあの増長が自民敗戦への影響が大きかったとも言える。彼はあの一件で終わった。
・ 「栄耀栄華」は短い。石原王国も「日の出の勢い」の橋下さんも正念場を迎えている。本校はまだ栄耀栄華を誇るところまではとても行っていない。私は思うのだ。「発展途上」が良い。「未完成品」が良い。
・ 「一挙に頂点を得る」と時に人間を落とし込む。「おごりと過信」である。「油断大敵」とは本当に上手く言った言葉だ。「ポタリポタリ」と油を少しずつ落としながら「火の消えない」ように「浪速改革」を進めることが重要である。最近そのように思うのである。少し「ギヤチェンジ」を落として新政権の行方と橋下改革の次の手を注視しようと思うのである。

2009年9月18日金曜日

9月18日(金)その2:関西大学への推薦作業




・ 16日の「第2回塾長様対象の入試説明会」は素晴らしいものだった。特に英語科のコース長が指導方針を直接説明したのであるがこれが好評だったという。前にも書いたが何時も同じ顔ぶれではなくて「変化をつける」ことが理解を深めて貰う良い方法である。
・ 「関西大学パイロット校推薦」の作業が山場を迎えている。今年6月に調印して初めてパイロット校として「来年の3月に生徒を送り出す」のである。私は「特別プロジェクト」として校長直轄で段取りを進めている。
・ まず「募集要項」を3年生全員に開示し、公明正大を図らねばならない。「すべての生徒に機会」を与える。そのようにした。次に「応募者」を整理して基本的に応募者を「すべて受け付ける」のである。しかし詳細に「推薦条件を公開」しているから「山のように」集まるわけではない。
・ その後「内規」に照らし合わせ「候補者」を決める。その候補者を一人ひとり副校長、進路指導部長、学年主任の三役が「個人面接試験」を行って「最終候補者」を決めるのである。これが「第1次面接選考試験」である。その後「第2次校長面接」となる。昨日すべての面接を終えて今日が「決定通知」となる。
・ 決定通知は候補者、担任、揃って副校長、進路指導部長、学年主任全員揃ったところで「合格」の発表を校長から述べて「今後の卒業までの段取り」を具体的に指示するのである。
・ 「ワーイ、関大にこれで行ける!」とはならない。関西大学側の審査が待ち構えており、大切なことは来年3月までに何を学ぶかということである。私は進路指導部長に指示して「ディベート」とか「多聞尚学館」を活用して「関大推薦入学選定者の特訓」を行うように指示した。
・ 初めてのことでもあり「浪速は良い生徒を送ってきた」と言われるくらい今年は素晴らしい生徒を選ぶことが出来た。これから始まる「関西大学との歴史」のためにも「最初が肝心」として慎重に進めているのである。

・ 21年度の1学期分の「授業料滞納額」が少しだが減少してきた。事務と担任の共同作業による「保護者への切なるお願い」が効を奏している。しかし昨年に比べて「歩みが遅い」のは間違いなく、社会の経済問題が影を落としているのだろうと思う。
・ 私は「お話を良くお聞き」して、「相手の立場で相談に乗ってあげるスタンス」を踏み外さないように徹底して言っている。我々は街金融の取立て屋ではない。「奨学金」など様々な方法を共に探ることが学校の方針である。

・ 「労働基準監督署のフォロー調査」が入った。勿論事前通告があってのことで当方は「歓迎」のスタンスである。監督官が人事異動ですべて代わられ、「勉強するには浪速が丁度良い」と言うわけでもなかろうが、前回から「1.5年ぶり」に見えられた。
・ 私は丁度出張で不在であったが事務長がお相手をした。私からは「隠さず実態をすべて公開」するように指示していたが、大変喜ばれてお帰りになったそうだ。13時30分から16時30分まで「ピッチリ3時間、フォロー調査」をされた。
・ ランダムに抽出した複数の教職員について「賃金台帳」を遡って「時間外の申請手続き・時間単価・賃金に反映されるプロセス」等に関して一つ一つ診られたそうだ。その他「教職員構成と賃金台帳との一致の確認、非正規労働者の雇用契約の内容、年間勤務カレンダーの妥当性」なども検証された。
・ 「適正な労務管理が行われている」との指摘事項で嬉しい限りである。ただ一点安全衛生管理委員会について「毎月定期的に開催され実質的な議論も行われている。大変結構」である。しかし「安全衛生管理資格者」が経営者(理事長)一人というのは問題である」との個別指摘を頂いたのである。
・ 私が以前勤務していた鉄鋼会社では生産現場のライン長は「安全衛生管理者」の国家試験の取得を取ることになっており私もその時代に取得したものであるが、結構難しいものである。難しいといっても記憶する量が多いだけなのだが、要は忙しくて覚える暇がないのだろう。
・ と言うのは随分前に事務長補佐と保健体育部長に取得するよう指示したのだが、遂この前保健体育部長が来て笑いながら「駄目でした」と言っていた。事務の方は受験していない。これを労其から指摘されたのだ。
・ 大体受験費用は学校法人で負担するからと言っても「結構です。自分で支払います」と言うのは明らかに「逃げ」である。公務となったら試験に落ちられないとでも思っているのだろう。今朝の朝会でもっと若い世代からピックアップして受験させるかと相談したのであるが、とにかくこれは困った。
・ 労働基準監督署との関係が大変良くなってきた。私の来る数年前から「三六協定」問題を引きずっており理事長職務代理は何時も「サブ六が、サブ六が・・・」と言っておられたが、ここまで見事にというかスムースな「労働基準法準拠の学校に移行」できたことを喜んで頂けるだろう。

9月18日(金)その1:学級閉鎖と行事中止


・ 遂に「学級閉鎖」となった。2年生のクラスで7名の感染者が出て新型と診断された。それ以外にも発熱状態が数名いる。基準は一クラス4名から6名であるからもうどうしようも無い。12時30分関係者会議、13時臨時職員会議を開き私の口から「学級閉鎖と学校行事の中止決定を通達」したのである。
・ あらかじめ定めていた規約と手順で明日の「芸術鑑賞会」明後日の「秋季例祭」21日の「浪速祭」はすべて中止とした。25日出発の「中学3年生修学旅行」は今のところ予定変更はない。「残念至極」であるが仕方が無い。
・ 生徒が今までしっかりと練習して準備してきた「出し物」も日の目を見ることは出来ない。放課後生徒に校内放送で知らせたが中には「泣いている」女生徒もいたという。私は自治会の役員を校長室に呼んで慰めたのである。
・ 延期と言うわけには行かず「秋季例祭だけは24日に順延」であるが他はすべて中止キャンセルである。早速すべての事後処置に入った。関係する方面が多くて大変であったが事前に「もしも・・・の場合は・・・」と「リスク管理」をしていたのでまったくトラブルはない。
・ 周辺影響は大きく今回学級閉鎖になったクラスには野球部員のキャプテンや副キャプテンがいて数は6名にもなる。21日に秋季大会があるのだがレギュラーが6名も出場できない。高野連の規則では「それでは代わりを」ということにはなっておらず18名のベンチ入りが12名で試合に臨むことになる。
・ サッカーも20日に試合があるのだがこのクラスにも選手はいる。規定によって本人は元気ぴんぴんでも試合への出場は許されていない。問題は文化祭当日の「保護者主催のバザー」である。
・ 「山のような商品」が準備されておりこれは一応10月10日に延期しようと言う案が出ている。明日の芸術鑑賞会の出演会社への連絡もあった。初めて「津軽三味線」を企画したのであるが仕方が無い。
・ 発生の状況は9月11日に1名発生し、13日に3名、14日に6名、15日に7名、そして今日が11名となった。「11名のうち7名が2年生の同じクラス」である。和歌山県の私立学校の例は確か10名の発生を確認して体育祭、文化祭を挙行したら一挙に500名の生徒に広がったことが報告されている。
・ 12歳の少年が昨日死亡した。既往歴があると危険なことも証明されている。もし強行して一挙に大量感染となったら「生命の危機」の可能性が拡大する。又「臨時休校」となる可能性を避けたのである。もうリカバリーする余裕の授業時間はない。
・ 「 3年生は受験勉強で最も大切な時期」である。とにかく大勢の人間が集まり同一場所に長い間いるような学校行事は中止せざるをえなかったのである。残念だが仕方が無い。ここまで対応を考えても「今後続発する可能性」は大きいと思っている。
・ 色々やってもこれ以上の拡大を防止する方策は我々にはない。従って大量集団感染の可能性を排除するしかないのだ。しかし私は「何か変?!」な感じがしてならないのである。「持って行き場のないやるせなさ」であろうか。

2009年9月17日木曜日

9月17日(木)怒りについて


・ 大学の「指定校推薦の提出資料締め切り日」を進路指導部が読み誤って「あわや一大事、大惨事」となるところだった。ぎりぎりで気づいたから「助かった」。本当に「危機一髪」であった。私は「激怒」に近い「叱り方」をした。それは昨年も同じようなことがあったからである。「生徒の人生」がかかっているのだ。「済みませんでした」では済まない話なのである。もし大変なことになったら「懲戒処分」に相当する。勿論責任は私にある。
・ 次は事務の職員に対しての「怒り」である。これも「かなり怒った」。新武道館からみで某建設会社から9月12日の私のブログに「中にはおごりや過信を感じるものもあった」と書いたことに対して「それはうちのことでしょうか?」とかの電話があったというのだ。今朝の法人朝会でその事実を知った。
・ この電話に対して詳細の受け答えは知らないが「そうかも知れません」とかいうようなニュアンスで言いましたと言ったから私は「開いた口が塞がらなかった」。日記に書いたのは「私の感想」であり何処の会社とかは一切書いてはいない。不特定の形にしているし複数の会社かも分からない。
・ それを管理職でもない一職員の分際で私の書いたものを論評して当事者に言うとは何事かと厳しく指導したのである。早速先方に電話して「謝罪と訂正」をするようにと厳命した。微妙な時期だけに本件の窓口は慎重が上にも慎重でなければならない。「社会人の常識」だろう。
・ 「それは知りません。理事長のブログですから私が書いたものではないし私に聞かれてもご返事のしようがありません」と答えるのが一般人の常識だ。それを「そうかも知れません」とは何事か。先方に申し分けないことをした。
・ 次も今朝の事件だ。今ある事がきっかけで「正門からの出入り管理を強化」している。そのために従来からの警備員に加えて別の警備会社に委託して「ガードマン」を1名増強している。「不審者の侵入防止」が目的である。
・ ところが10時35分頃にたまたま用事があって事務室に行くと門塀扉は開いたまま誰もいないのである。なんと二人は部屋で「お茶」にしていたのである。「お茶の時間」は構わない。しかしどうして門を開けっぱなしにして二人が同時にお茶にするのか。
・ 「門管理の厳重さ」など「何処吹く風」である。これでは高いお金を支払って防止している意味は無いではないか。当然私は「怒った」のである。「怒りに震える」とまでは行かないが怒ったのである。
・ ここで私が「怒るという行為」をすることを論考してみよう。怒るのは当然ではないのか。「怒る」と言う行為をしなければならないのではないのか。「怒ることは私の責任」ではないのか。このように私は思うのだ。
・ これが水戸黄門みたいに「これ、助さん、格さんや、教えてやりなさい」などと温厚に言うことも出来るのだろうが、相手は子どもや関係ない一般の民衆ではない。「本校の教職員」であり「契約」を結んだビジネスの相手である。言ってみれば「プロ」なのである。
・ まして今回は警備会社の幹部を校長室に呼び、趣旨を徹底してお話して、教職員には職員会議で説明した極めて重要な事案である。それが「いい加減」に成されている現実には「温厚」を通り越して「怒りに震える」ことはそれでもいけないことなのでろうか。笛吹けど踊らずである。進路の失敗は3回目である。
・ 怒った後では当然私も「気持ちの良い」ものではない。しかし私は「怒ることが仕事」だと思っている。良く言う言葉に「叱るのは良いが怒ってはいけない」などというが結局は同じことだろう。
・ 叱るのは教え諭す意味があるが「怒るは感情の発露」でありそれは良くないと知ってはいるが分かっていても「人間は怒る」ものではないのか。今まで怒ったことなどないという人もいるらしいが、それこそ「人それぞれ」ではないのか。
・ 9月15日の産経に次のような記事があった。小学生の息子が怪我をして病院につれて行ったが3歳年下の息子が待合室で騒ぐので、その都度騒ぐので注意はしていたが初対面の男性に「口先だけの注意でよいのか」と「怒鳴られた」という。
・ 強い衝撃を受けると共に言葉に出来ない寂しさに襲われたという。帰宅後その子は「お母さん、おじさんに叱られちゃってごめんなさい」と泣いていたという。結果的には「反省する良い機会」になったといっているのだが後は怒られたことへのやるせなさの言葉が並んでいるだけである。
・ そして今日の同じ産経にこの記事に対してある投書者は以下のように言っている。「怒られるのも成長の糧では」というものだ。「良くぞ怒ってくれた」と拍手を送りたい。母親が何度注意してもきかなかったが「他人が怒るとピタッと悪さを止める」。「今の子どもはそのような体験が少な過ぎ、大人を尊ぶ気持ちに欠けている」と思うとまで書かれている。
・ 冒頭私が書いた「怒り」とこの病院待合室の話は幾分異なるが「怒る」という行為は「事態の迅速な是正」に大きく効果はある。しかしこの怒りというのは「腹を立てる」「立腹」「かっとなる」「頭にくる」と一般的には良いものとはされていない。
・ 宗教では怒りを人間の最もネガティブの感情と捉え憤り、怒ることを「憤怒」という。キリスト教でも「七つの大罪」の一つとされている。一方「神は往々にして怒る存在」であり、「神の怒りに触れないで」という言葉の使い方があるくらいである。
・ 怒りとは感情の一つであり何らかの「不満・不平に対する感情的な反応」である。冒頭の私の怒りは「あれほど尽くして説明し、大事なお金を使ってまでいるのに」という不満である。
・ 後者の病院での出来事はこういう病院の待合室という公共的施設での子どもの振る舞いはすべて「親に責任がある」のであって、一向に親の言うことを聞かない子どものために親に向けた不満である。新聞記事には親に言ったとある。
・ 怒りは正常な判断力を麻痺させるとか生物的には「低次元の反応」とか色々言うが怒りが自分のエネルギーとなって「悔しいが頑張る」という「サクセスストーリー」にも成り得ることも皆が知っている。大体映画でも芝居でも「物語」は「怒って、次に行動する」というパターンが多い。
・ 怒りの社会における位置づけは自らの欲求に基づく怒りは「私憤」であるが、今朝の怒りは私憤ではない。病院での出来事もそうだと思う。「病人」の居る病院だ。「言わないことが楽」なのは分かっているが事態の変革のために私とそのおじさんは「言ったのである。」
・ 薬害肝炎や社会保険庁の消えた年金、後期高齢者医療問題などは私憤から「社会的怒り」になっていった典型的な例である。ストーブ事件もあった。食品偽装もあった。建物の耐震強度のごまかしもあった。JR西日本の脱線事故の被害者家族の怒りはものすごいものがある。
・ 個人の蓄積された怒りが「集団で社会不満」に繋がっていくと「暴動」になり、「革命」となる。今回の自民党の惨敗は国民の「怒りの発露」という識者は少なくない。「個人の怒りの集合体」が政権交代に繋がったと私も思う。
・ 哲学者の三木清は「怒りを肯定的」に捉えている。「人生論」や「怒りについて」という章まで設けて論じているのだがかれは怒りが否定的に捉えられている現状を認めつつ、「怒りと憎しみの混同」を問題視しているのだ。
・ 確かに似通ってはいるが「憎しみが極めて個人的な負の感情」であるのに対して怒りは突発的であり、それだけに「純粋なより深いもの」だというのである。私はこの「三木先生の言葉に救われる」。
・ 進路指導部や事務室や正門管理の警備の専門家がいい加減な仕事ぶりで私が「怒った」ことは「憎くて」言ったのではない。多分に「突発的であり瞬時の是正勧告」である。そしてこれをひきずらないということが重要である。「すべての責任は私が取る」。だから怒る。当たり前であろう。責任を放棄出来るなら怒ることはない。そのほうが本当は楽なのである。

2009年9月16日水曜日

9月16日(水)秋の理事会




・ 今日は本年度2回目の「塾長様対象の入試説明会」が堺市のロイヤルホテルであった。朝から慌しい日となる。新型インフルが猛威をふるっており和歌山の私学では一挙に500人の集団感染が発生した。
・ あと二日で「芸術鑑賞会」、その後「浪速祭」「文化祭」と続く。何としても無事に乗り切り、25日に出発する「中学生の修学旅行」を無事に送り出して上げたいのだ。芸術鑑賞会も今年は外部の方にはご遠慮してもらっているなど手は打っているのだが・・・。
・ 昨日は「大阪府神社庁の秋季慰霊祭」があり11時に学校を出て本町の神社庁に向かった。庁内の「祖霊殿」前にて「奏楽」の音が響く中を拝礼し玉串を奉りて作法通りにお役目を終えた。その後「直会」である。
・ 神社庁庁長のお話は何時お聞きしても本当に「良いお話」をされる。最近ますます「聞き応え」がある。今日も英国のバーバードリーチ氏や弘法大師様のお話を引用されて大変に感銘深いお話をされた。神社の宮司さんが仏教の巨星についてお話されるのが嬉しい。
・ 又昨日は「秋の定例理事会の日」であった。従って本町から「トンボ帰り」で学校に戻った。準備の方はもう「形が出来ており」、各管理職に抜かりは無いが会議の場所は新しくなった「視聴覚教室」を初めて使った。
・ まず最初に先の3チャンネルSUNテレビの本校広報番組の放映ビデオを映して理事者、評議員に見てもらった。私が強制したわけではないが、少し私が画面に出過ぎで恥ずかしいが仕方が無い。「多聞主体の前編と学校主体の後編」に別れており、中々良く出来ていると思う。
・ さて理事会であるが、私になって「理事者・評議員への説明責任は徹底」して行っており、「資料の中身」は極めて「充実している」と自負している。これは昔からいる理事者には評価されている。又評議委員の出席率も相当に高くなった。これも「話を聞きたい」と思っていてくれるからではないか。
・ 私はすべてを自分で説明する方法は取らない。着任した当初だけは私と事務長だけで進めてきたが、すぐ副校長や教頭に指示して自ら資料を作ってもらいそれを説明してもらうようにしている。
・ 最近では「一般の教諭にも参加」してもらって説明して貰っている。すべては「参画と責任」「公開と透明」「教育と訓練」のためである。理事者や評議員の先生方にとっても「新しい顔の出現」は新鮮に映るだろうし多くの教職員を知る機会にもなる。
・ 今日もそういうわけで神道科の主任教諭から「新しい神道科の教科書作成の状況」を説明して貰った。又中学校の社会科の教科書は来年春から「扶桑社版」を採択することを決めているのでその再確認のために二人の社会科教諭にその部分だけに参加してもらった。
・ 冒頭私から「理事長報告」として「法人経営と校務運営の理事長概況報告」として「基調報告」を行いその順番に沿って「各論」に入っていく。現在学校には抱える深刻な課題はない。唯一心配の種は前述した「新型インフルエンザ」だけである。毎日「びくびく」しているのである。
・ 今日の私の基調報告の中身は以下のようなものである。

21年9月理事会資料                  平成21年9月15日(火)
  学校法人大阪国学院 浪速中学校高等学校
           法人経営と校務運営の理事長概況報告
1.経営状況
 ① 21年度中間決算見通し  
・ 経営も校務運営も極めて安定して推移している。4月から8月までの月次決算の状況から中間並びに年度通算してほぼ予算どおりに推移
・ すなわち年度末には当初予算の通り、○○○百万円の特定資産を積み増し○○○百万円近い次年度繰越金を確保できる見通しである。
② 校務運営に関して
・ 5月18日から23日まで「新型インフルエンザ」で臨時休校
・ このため翌週出発の高校修学旅行再計画、中学延期措置で2005万円のキャンセル料発生 支払い完了(公費支援は結局得られなかった)
③ 重要行事 関西大学との特別連携調印式 6月9日(火)見事に完了
重要施策 「人材評価育成システム」の進捗状況  順調    別紙参照
 ⑤ 部活動好調 空手道部全国優勝(別途祝賀会)弓道、ボクシングインターハイ出場
2.多聞尚学館活用状況他                        別紙参照
① 活用状況   4月から8月まで 延べ生徒数 1633名 教員数 98名
 後半戦もほぼ毎週「週末スぺシャル」で満杯状態   対内外極めて好評
② 千早赤阪村から委託を受けたXプロジェクト  当局対して回答済みの経緯と報告
.「新武道館建設計画」について                    別紙参照
 ① 9月7日 提案図書の受け入れ 12日 ゼネコンプレゼンテーション
 ② KU、TA、KO、ZE、AS、NAの6社
 ③ 現在評価作業中
4.平成22年度中学校社会科教科書採択の確認 「扶桑社版 歴史と公民」 
別紙参照
5.来年度募集活動の本番化
 ① 目標    中学校   ○-□クラス(卒業2クラス)
高校    ○○クラスー□□クラス(卒業12クラス)
 ② 教員採用活動開始    全教科で増強必要 約10名程度
6.神道科教科書編纂作業について                  別紙参照
7.ボーイスカウト大阪165団の活動スタート             別紙参照
8.平成21年度全国学力・学習状況調査の結果判明        別紙参照
9.寄付行為の変更について                       別紙参照
10.学則改定 教育活動充実基金他                 別紙参照                         
11.参考資料 本校教職員の給与構造変革の足跡と現在のレベル 別紙参照

・ 「新武道館」については前回の理事会で「建設決定」となっているのだが今回は先の6社の「設計コンペ」後の「今後の手順」について議論し決定を見た。チームメンバーがあらゆる角度から「評価作業」を進めてくれており、まだ私への報告はない。私は私で真剣に検討している。

2009年9月14日月曜日

9月14日(月)関西大学連携浪速中学校体験入学会







・ 12日の土曜日に行われた「浪速中学校の体験入学会」の報告が正式に上がってきた。本校は入試説明会の結果を徹底的に分析する。「参加者の心の奥底を推察」しながら次回への参考にするのである。私が着任してからこのスタイルとしている。
・ 言ってみれば小売業が「お客様対応」をするのに似ている。我々の学校は「私立」であり、保護者に見放されたら「ハイ、それまで」となる。今年4月には極端に大きく入学者数が減少した学校が連日報道されていたのは記憶に新しい。
・ 本校は今まで一本調子で上がってきたから、来年もそうなると誰も言えない。不安は消え去ることは無いが、気にしてばかりいても仕方が無いため、私は何時も入試広報室のメンバーには「後で後悔しないよう」に「出来ることは徹底してやるべし!」と言っているのだ。
・ 体験入学に何名の小学校の生徒が参加してくれたかは「企業秘密」だからここでは書かないが、昨年度対比で「大幅に伸びた」とだけ記しておこうと思う。特に1昨日は「体験授業」であり、ここを見ることで今日的小学生の関心・興味と本気度がある程度分かるのだ。
・ 以前書いたようにまずパソコン、理科、数学が群を抜いて高い。これは我々の想定をはるかに超えている。最も少ないのが国語で美術、家庭科となる。英語も思ったほど集まっていない。この結果についての論考は別途に譲りたい。
・ 子ども達が教室で授業を受けている間に保護者の方は「学校説明会」である。保護者にアンケートを書いてもらってそれを分析する。数が多いからまとめるのも大変だったと思うが、この「まとめの一行一行に保護者の心情」が出ているのである。
・ 今回のアンケートからも「私への期待」は相当な数に上っており、自分の責任を痛感している。「面倒を見る学校」「多聞尚学館」「関大連携」「全国学力調査」を10分間でお話したのだが、当然時間は足りない。それでも私は「必死」になって私の思いをお伝えした。その気持ちはお伝えすることが出来たことは明らかにアンケート結果に出ている。
・ それに今回多かったお声は「在校生の態度の良さ」への賞賛であった。それと説明会が「大変分かりやすかった」という比率が極めて多かった。素晴らしいことである。教員が示す「えらそうにしない学校」「「誠意の学校」が保護者に伝わっているのだ。私は大変嬉しい。
・ 今年の説明会は22年度から始まる「関西大学連携浪速中学校」の説明会であることが最大の特徴である。当然「保護者の関心」はそこにあると思っていたが、結果は予想通りであった。今回の参加者の多さも関大連携が効いているのは間違いない。
関大連携に関する保護者のお声の代表的なもの
* 大変よくわかる説明でした。ありがとうございます。入り口から男子生徒の方が案内してくださり好印象でした。質疑応答で、関大コースに入ったら必ず関大に入学できると思っておいでの親御さんの多さに驚きました。努力の結果、関大に行けるという御校の方針に同感です。お話を聞いていて、嬉しくなりました。
* 私も含め、参加者の皆さんも関大コースに非常に興味を持って来られたのだなと感じました。まだまだ不透明な部分もあり迷ってしまうのが正直なところです。ただ、興味深いので志望校候補にさせていただきます。
* 関大連携の行方に大いに期待します。全体を通し、包み隠さない誠実な対応、校長先生の熱弁、朝の視写、多聞尚学館での週末スペシャルと体験学習
* 6年一貫教育に関心が持てました。
* 関大コースに入っても完全に保証がないシステムをとり、生徒の中弛みをしないよう工夫している。校外学習を多く取り入れている。
* 校長先生のお話が熱心であったと思いました。面倒見もよいと感じました。関大コースについての説明がお話を聞いてよく解りました。関大コースに入学できて、関大へ行けたらよいと希望しております。案内の生徒さんの感じがとてもよく安心しました。
* 7月に来た時より詳しくコースの内容がわかり、安心しました。今回は、少々校長先生の発言もトーンダウンしているのが気になりましたが・・・。関大コースは未知なコースですね。
* 2クラスの関大コースについて、卒業時どれくらいの人数が関大レベルの偏差値に達していて、入学できるのか少し(かなり)不安に思いました。
* 私も含め、参加者の皆さんも関大コースに非常に興味を持って来られたのだなと感じました。まだまだ不透明な部分もあり迷ってしまうのが正直なところです。ただ、興味深いので志望校候補にさせていただきます。

・ 以上のような「保護者のお気持ち」は大変良く分かる。大略良くご理解されているのではないか。今までにない「お話の内容」であり、我々が考え想定していたことと基本的に同じである。今回の「関大コースの仕組み」については内部で相当に研究し考えた結果である。
・ 「柔軟性」をもたせる代わりに「授業料は全く他のコースと同じ」に据え置いた。ここがまず第一のポイントである。次に生徒の中には途中になって「東京の大学に行きたい」「アメリカの大学に行きたい」と思う生徒もあって当然と考えた。進路先などなど6年間で何があるか分からない。
・ そして又6年間本校で過ごす過程で「関大に進学できるという朱印状を手にした生徒が本当に関大が期待する人材として100%適合できるだろうか」、様々なことを考えたのである。関西大学は「関大第一中学、関大北陽中学、関大高槻中学」それに「関大連携浪速中学」とゆくゆくは4校が大きな意味でグループ校と言える。そのような「関係性」の中で「浪中」は存在する。
・ 「浪速中学の関西大学コース」は当然「優先権はある」があくまで「本人の努力」と徹底した「学校側の指導」で最終的に決まるもので、それも「学習・教育の結果」であって最初に目的となってはならないと我々は考えた。「中高一貫」で鍛え、「高校2年で最終的進路確定をさせる方針」である。
・ 中学高校6年間を本校で学び、友とふれあい、しなやかでたくましい人間性に溢れ、ふさわしい学力を有する生徒を育て、そういう生徒を「関西大学に送ることが我々の責任」であると思っている。関西大学コースへの入学の目安となる「偏差値」も他校のように高く設定していないのは「我々は偏差値を10くらい上げられる」と考えているからである。
・ 一旦関大コースの入ったものの努力しないで停滞したままで仮に関大に進学できたとしてそれが何の役に立つのであろうかとも考えたのである。そういう意味で関大コースは日本で初めて「柔軟性のある転科転コースもあるフィルター付き」としたのである。
・ その代わり「学校授業」「講習」「多聞尚学館の週末スペシャル」の組み合わせで「徹底的にしごく」。これについて来られない生徒は関大は言うに及ばず他の偏差値の高い大学には行けないと思う。
・ 学力が遅れているのに「部活動もしたい」では限られた時間内で偏差値を上げることは相当しんどい。その場合は部活動もやめざるを得ないと思う。学校はアドバイスはするが最後に決めるのは生徒自身である。あれもしたい、これもしたいでは何も手に出来ない。「覚悟が要る」のである。
・ 言ってみれば「自分は関大に行きたいので歯を食いしばって頑張ると言う宣言」をした生徒が入るコースであり、ただで「関大通行手形」を手にしたということではないのである。そのために「自由度を高めた」のである。私は子どものためにもこういう考え方が良いと確信している。
・ 今回も相変わらず「ホームページ」によって学校を研究し本日の参加を決めた保護者の比率が圧倒的に高かった。そういう保護者にこの「校長日記」を通じて私の考えをお伝えしておきたいと思ったのである。
・ まだ数ヶ月時間はある。保護者におかれてはじっくりと多くの私立中学を研究し、「覚悟」を決めて欲しいと思う。もし本校を選択してくれたら「学校は徹底的に面倒をみる」つもりである。「本人プラス学校の総合力」を高めて「その後に関西大学がある」のではないか。一旦浪速中学に入ったら「ところてん式に関大に行ける」という学校ではないことをご理解して頂きたいと思うのである。