2009年9月7日月曜日

9月7日(月)書物・「差別と日本人」


・ 今晩はある大きな「パーティ」があって、そこでの感想などを書きたいと思ったが、「待てよ、少し時間を置こう」と思い直して元々その積りであった「ある本の読後記」を書くことにした。書きたいことが山ほどある。何かせかされている感じで気持ちが悪い。
・ 週末、久しぶりに「読み応え」のある本を手にすることができた。本の名を「差別と日本人」という。著者は元衆議院議員の「野中広務氏と辛珠玉(しんすごく)氏」である。共著の形となってはいるが実際の著者は辛氏であり、二人の「対談集」を辛氏が取りまとめたものである。
・ 今回の民主党圧勝を受けて政界の話題は「権力の二重構造」「やみ将軍」「豪腕」「小沢チルドレン」等々次期総理大臣の鳩山由紀夫氏以上に「小沢一郎なる政治家の存在」が連日連夜大きく報道されているが、この「対極にいた人物が著者の野中広務氏」であった。
・ 政治ドラマほど「興奮し、面白い」ものはないというのが私の思いであるが、かねてから私は数多い政治家の中で小沢一郎氏とこの野中広務氏に注目してきた。過去20年の政争は実はこの二人の対立を軸にして行われてきたと考えて良い。
・ 「ここまで憎みあうか」と言うくらい「権謀術数」を尽くして闘ってきた二人であるが今回の衆院選で「勝負あった」と見るか「まだまだ分からない」とみるか様々な見方はあろうが、このタイミングで野中氏がこのような書物を出すことも印象深い。
・ 「小沢一郎論」は別途書くとして今日はこの野中広務氏にスポットを当ててこの書物から得た印象などを書いてみたい。前書きに野中氏は以下のように書いている。信頼していた友に裏切られた野中氏は4日間、のた打ち回って大阪鉄道管理局の仕事をやめて故郷の京都府園部町に戻る決心をする。
・ 「地元には部落だからといって差別される現実がある。ならば自分の出自を知っている地元に帰って差別をなくするために政治家になろう」と決心したとある。そうである。野中広務氏はいわゆる被差別部落出身者なのである。
・ もう一人の著者の辛珠玉氏も大変有名な「在日韓国人」であり、現在は人材コンサルタントとして年間百数十本の研修講演活動を行う傍ら新聞、雑誌、あらゆるメディアで論説活動をしている「通常の評論家とは異なる実践家」である。
・ 書物は野中氏にインタビュウーする形で話は進んで行き、間、間で辛氏の解説が入る形式の「対談集」であるが、極めて読みやすく私は一挙に読んだのである。しかしこの辛珠玉氏は「頭脳明晰」な「聡明な女性」というのが文章を読んで大変良く分かる。
・ “野中氏は時折私の心をわしづかみするような魅力的言葉を吐く。識者からは「ダーティなハト」と称され反共で反戦と言われた。そんな彼が権力の中枢に近づけば近づくほど彼が被差別部落の出身であると言う出自に関する事実も世間に知られるようになっていった”と書く。
・ そして彼女が選択したまさにお名前のような珠玉(しゅぎょく)のような選び抜かれた言葉が続く。「いわば差別は暗黙の快楽なのだ」と彼女は断定して論理を続けていくのである。私は彼女の物言いに一種の「痛快さ」みたいなものも感じたのである。
・ 辛氏は「正直な人」である。生きている中で正直にならざるを得なかったのではなかろうか。私はそのように感じた。「闘いの人生」で最も強力な武器は自分にも他人にも正直であることだと私は思う。私も人生を振り返ってみて「正直な人生」で時に上に漢字二文字が付く「○○正直」とさえ自分でも思う連続だった。
・ 第1章は「差別は何を生むか」、第2章は「差別といかに闘うか」、第3章は「国政と差別」、第4章は「これからの政治と差別」での4部構成になっているが特に私は二人の「あとがき」に印象深いものを感じた。
・ 3章の国政と差別には「阪神淡路大震災と差別」「オウム真理教と破壊防止法」「従軍慰安婦と国民基金」「国旗国歌法案」「部落民にとって天皇とは」「新井将敬の死は何を意味するのか」「女性の社会進出」「アメリカにとって日本とは」に分かれており読み応えがあった。
・ 上記のいずれにも野中広務氏は政府与党の重要な役職責任者として中心的役割を果たしているのだが政界の裏話や法案制定の過程、それらに対する在日韓国人としての批判意見などが辛さんから出されてその「反論の論理」の展開に私は「なるほど」と思う場面もあった。「うーん、こういう考え方か、こういう受け止め方か」というものである。
・ 第4章のこれからの政治と差別の章では面白いと言うか激しい麻生批判のくだりもある。辛珠玉氏は書いている。「私は麻生さんの顔を見たら背筋が寒くなるのです。特に彼の顔の中にあるひどい差別意識にはぞっとさせられる」と。これを受けて野中氏は続ける。
・ 2001年、一時期野中広務氏は総理候補として喧伝されたことがある。これは私も記憶している。このとき麻生さんが「野中やらAやらBやらは部落の人間だ。だからあんなのが総理になってどうするんだい。ワッハッハッハッ」と笑っていたとある新聞記者が野中に通報する。その後どうなったかはここでは書かない。
・ お二人に共通して感じるには「疲労感」である。何処とはなしに伝わってくる。野中氏は「この頃もう疲れちゃてるんだ、本当に」と書いている。この後家族へ話が及ぶのだが「家族への影響」の部分にも本音が感じられ、人間野中広務を最も描き出している部分である。
・ 一方の辛さんも続けている。日本国籍の事実婚の相手と別れることになるのだが「君がいけない。なんでもかんでも問題にする君がいけない」と言われることになる。「もう段々と耐えられなくなっちゃって」。「人権は好きだけど当事者と一緒に生きることはできないんだってね」と思ったと書く。
・ 「人権は好きだけど当事者が嫌いな人間は一杯いる」「当事者と一緒に生きると言うことはものすごい大変なことで。」そして本は「あとがき」に進む。読み終わって感じることはこの本が良いか悪いか善か悪かではなくて差別された側の思いと論理の展開、そしてその「節々に垣間見える人間としての悲しみ」である。
・ そして政治や政治家に興味関心がある人は時の権力の中枢で多くの重要法案の制定に直接関わってきた野中広務氏の「人間解剖」の興味があれば、そこに近づける。それくらいこの本は多くの材料を有している書物であるということである。