2009年9月11日金曜日

9月11日(金)野村監督とイチロー選手




・ 昨今「イチロー2000本安打」の話題で持ちきりである。それにしても「すごい男」だ。史上2番目の早さだと言う。2001年4月に大リーグにデビューして9年目の快挙、年間200本安打9年連続の記録も目前である。
・ WBCでは「絶不調」であったが韓国戦の決勝戦で「起死回生、乾坤一擲の決勝打」を放った。その時「胃潰瘍」にやられたと言うニュースに私などには「へー、イチローが?!」と思ったものであった。
・ 「神経の図太い」ストレスなどと関係ない人間と言う「先入観」があったのである。大リーグ開幕から8日間も欠場したが、結局そんなことはハンディにもならず、「前人未到」の大記録を達成した。それも「さらり」とだ。
・ 昨日はNHKのクローズアップ現代で「イチローの内なるもの」へ徹底した取材を映像化していたが私はこのテレビの中のイチローを凝視した。何時もみるプレー中のイチローとは別の人間を見る感じがして「良い番組」を見たと喜んだのである。やはり「すごい男」だった。
・ 何時もなのであるがイチローのコメントは分かり辛い。インタビューに返すコメントが普通とは「ちょっと違う」のである。いちいち書かないが表現方法が常人とは異なるコメントをするのでこのようなところも「ちょっと小生意気な変わった人間」かなと思っていたが昨日のテレビで全く「普通の人」だと分かった。
・ そして「努力の人」だということも分かった。「イチローを好きか嫌いか」ではなくて、イチローという人物に大変興味がある私としては「人間鈴木一郎」に迫る昨夜のテレビに満足したのである。
・ イチローの活躍につれて「イチロー嫌い」も徐々に減少していったのではあるまいか。普通はこうはいかない。「嫌いなものは嫌い」であるが嫌いが好きに代わっていく典型的な例としてイチローのケースがあるのかも知れない。私などはそうだった。しかしまだ「大好き」ではない。
・ 当初はあのコメントやら、かもし出す雰囲気に「違和感」を感じていた人も徐々に理解するようになったと思う。一時期のサッカーの中田英寿に似たところがある。イチローや中田を称して人は簡単に「天才」と言う。
・ しかしそれは最も簡単な自分を納得させる表現であり、人を天才と呼ぶ行為によって人は「自分自身を諦め」と「別世界の存在」と認定することによって「納得と安心感」を得ていると言うのが私の分析である。
・ しかし実は「天賦の才」に「不断の努力」があるのである。影に隠された内なるものとの戦いと進化する技術の裏づけがあるのである。「感覚と努力」である。「意識の問題」と言っても良い。「感覚がシャープ」なのである。
・ 「常に自己を観ている」のだ。ここが普通の人間と違うのである。学校の先生はこの点を見習わなければならないだろう。「剣豪」が到達点を見極めるのに似ている。
・ ところで東北楽天イーグルスの監督である「野村克也氏」が又本を出した。「弱者の兵法」というタイトルである。「野村流必勝の人材育成論・組織論」と副題にある。「」には「リーダーは言葉が武器だ」とか色々書いている。
・ 遂タイトルに引かれて買ってしまった。「人間教育が真に強い組織の礎を成す」「人間の最大の罪は鈍感である」「中心無き組織は機能しない」「人間的成長なくして技術的進歩なし」とか言葉は大変良い。
・ 読み終わってほぼ100%近く同感し同意する。「我が意を得たり」という部分もある。「リーダー論であり人間学の本」である。私は素直にこの監督の言うことに賛意を示すがどうも読み終わって「さわやか」ではないのである。どうしてだろうと思う。
・ 野村克也氏は間違いなく日本野球界の名伯楽であり実績はもう私の大好きな長島茂雄氏どころの話ではない。比較にならない。言ってることも総じて間違いは無い。ところがこの野村氏に抱く私のこの印象は一体どうしてなのであろうか。
・ 「貴方は野村監督が好きですか?」と聞かれたらこのブログの読者はどのようにお答えになるのであろうか。多分に「ぶつぶつ」いう、「しつこい」、「明るくない」などの印象が邪魔をしているかも知れないし、あの「野村夫人」のイメージで損はしているという意見もあるやに聞いたことがある。
・ 確かにあの女性には私も「完全に引く」。野村婦人や以前テレビにしょっちゅう出ていた細木数子さんなども苦手だ。しかし野村監督は「サッチー」という夫人を「愛してやまない」というから人間の「好き嫌いの感情」とは難しい。話を戻そう。この本に実は「イチロー」のことが頻繁に出てくる。ここが面白い。
・ 本の冒頭から野村監督は「イチローを褒める」「野球の原点を思い出させたイチロー」とか何とか言ってイチローを「一見」賞賛することからこの本は始まる。ところがよくよく読んでみると「当たり前だ」というのである。「それが日本野球の原点であり、今や大リーグなどは日本野球の下に位置する」と発展する。
・ イチローの活躍は日本で学んだからであり、それはかねてから自分がやり、言っていたことだと論陣を張るのである。これを読んだイチローは間違いなく気分を悪くするのではないか。
・ そして監督は「ロッテの選手を見ると嫌になる」と書く。それは「長髪、茶髪、ひげ」が多いからと言う。この監督は名うての茶髪嫌い、ひげ嫌いである。そういえば巨人を解雇された清原選手が一時期楽天入りがうわさされたが野村さんは「茶髪、ピアスの清原は要らない」と言って見向きもしなかったことがある。
・ 監督の考えは「ひげや茶髪は何より目立ちたいという自己顕示欲の現れであり、野球選手は野球で目立つべきとある」と強調される。真剣に野球に打ち込んでいる選手はそんなことに気を遣う余裕など無い筈だと言われるのである。
・ そして「その意味で私はひげのイチローを認めない」とはっきり書いている。ここからイチロー批判のオンパレードとなる。「ええ格好したがり」「まぶしくないのにサングラスを掛けたり」「打席で右腕を上げる仕草」「それにあのひげだ」と続く。
・ 「イチローはプロではない」と断定する。極めつけは「イチローの話はちっとも面白くない」と書いている。ある時野村監督とイチローは席が前後で偶然同じ飛行機に乗り合わせたそうだ。そのときイチローは挨拶もせず最初から最後まで一切話などしなったらしい。このことも記されている。
・ 私はこの「野村監督とイチロー選手の対比」が面白くて仕方が無い。現役最長老で幾多の状況をくぐり抜けて来て実績も素晴らしいものがあり、まさしく「旧世代の雑草」とも言われてよい野村克也氏と38歳「世界のイチロー」がお互いに突っ張っている構図が面白いのである。
・ 二人は野球人である。プロ野球選手という職業の特徴と年齢と実績をどのように考えるかであろう。野村監督は意識して「敵を作っている」面があるが、この本でも野村氏は「人は無視、賞賛、避難の段階で試される」と書いている。この整理されたフレーズに野村監督の「真骨頂」がある。甘い言葉を彼は使わない。この点はイチローと似ている。「貴方は野村監督が好きですか?貴方はイチロー選手が好きですか?」