2009年10月11日日曜日

10月11日(日)権力の二重構造







・ 起きたらパソコンを起動し「メールをチェック」する。ブロバイダーを替えて以来、「個人アドレス」は余りオープンにしていないのでメール数も少ないから助かる。ただ「学校のアドレス」に来るメールも自宅で見られるので数はあるが休日はないのが嬉しい。
・ 「管理職とは携帯電話で連絡」しているから問題はない。パソコンの機能もその内に変わってくるのだろう。本当に携帯電話は便利な代物である。「手放せない」。時々携帯電話を意識して持たないと言っている人が居るが「どうしてだろう」と思う。
・ もうぼつぼつ新しいものに換えれば良いのだが、今のものが気に入っているというより、もう「傷つき果てている感じ」で、こうなれば返って使い易いし「愛着」があるのである。テレビも映らない。丸3年使っている。
・ 厚みも薄くないし人からは「古臭い」と思われているだろう。とにかく良く落とすから概観は見られたものではない。しかし時々御堂筋あたりでサラリーマンが携帯電話で「アンテナを引き出して」使っている人を見るとあれよりは新しいと安心するのだ。
・ 昨日の「ミニ浪速祭」も無事終わり、広報情報委員から貰ったCDを起動して写真を見た。思い出しては「微笑む」のである。それにしても「ゆるキャラ:ふく丸クン」は面白かった。あのぬいぐるみは一躍時の人になった。来週は「重要な中学の入試説明会」だから又登場してもらおう。
・ 昨日は全ての予定が終わったのが4時30分頃で5時前にはCDを持ってきてくれた。つい1時間前に撮った写真の100枚近くがたった一枚のDVDに内蔵され、それを自宅に持って帰れるのである。便利な世の中でこういうところは「パソコンの威力」である。

・ 今日は予定が何もなく「ゆっくりゆったり」であった。明日は「空手道部の全国優勝の祝賀会」が南海スイスホテルであるからまあ今日はゆっくりである。起床もいつもよりは幾分遅くなる。起きた後はいつも決まっており新聞を読む。日曜日といえども5大紙をじっくりと読む。
・ 余り関心をひくような記事や大きなニュースはなかった。ただ一つだけ目を引く記事が朝日だけにあった。それは民主党世政権で新衆議院議長となった横路氏が幹事長の小沢氏を間接的に批判している内容のものだった。要は現在の政権である民主党が進めようとしている政策決定の役割を政府に「一元化」することへの批判である。
・ 元々は「族議員の排除」と「政府と党の二重構造」を避けようというものだが政府に入れなかった立法府の議員は「やることがない」と嘆いているというのだ。立法府を預かる衆議院議長はこれでは「独裁国家」と批判しているのである。この問題今後どのように展開していくか大変に興味がある。
・ 政権が発足して1ヶ月「大変に良くやっている」という感じだが、ぼつぼつ政権内の「不協和音」が聞こえ始めてきた。各省庁と国家戦略室、社民党とインド洋給油派遣問題、国民新党亀井大臣のモラトリアム法案などあちこちで「きしみ」が出始めている。
・ しかしこれは当たり前で元々「寄せ集まり部隊」の民主党だから「早晩」衝突するのは目に見えていた話なのである。鳩山総理がどのように「指揮」を取るか極めて重要である。夫人と一緒になって「ファッションショウ」で踊っている場合ではなかろう。
・ しかし政権を取る前にテレビなどであれこれ言っていたが現実に政権を取ると「電光石火」「快刀乱麻」で解決に至らないという典型的な「俯瞰図」を見る思いだ。長妻後世労働大臣などもあれほど自民党政権を年金問題で追求してきたが最近はめっきり「口数が少なく」なっている。やり手の菅国家戦略大臣は一向に見えて来ない。
・ 民主党は政府の「鳩山総理と党の小沢幹事長との二重構造」が問題視されているがこの「権力の二重構造」というのは「組織の持つ宿命的」なものといっても良い。企業でも「社長と社長を引退して会長に引っ込んだ実力会」との関係だ。
・ 又「お飾り社長と実力派の番頭副社長との関係」などもある。又「創業家と雇われ社長」の関係も大体様相は似てくる。しかし何時かは権力の二重構造は「崩壊」していくものである。「安穏な平時」ならそれでも一見上手く行っているかに見えるが、今の世の中みたいに「激動・激変の戦時」と言う中では組織の力が最大限発揮できない形はいずれほころぶ。
・ 学校とて例外ではない。公立学校はまったくこういうことはない。それは「教育委員会」組織というものが機能しているからである。あの橋下知事さえ「くそ教育委員会」というまでで、基本的に独立委員会である教育委員会にはどうにもならない限界はあるのである。
・ 「問題は私学」である。とにかく「私立のオーナー系」私学はどうしても創業家理事長が絶対的権限を有しているから法的不祥事でもない限り校長以従業員、労働者は勝負にはならない。だから府内でも私立高校の校長はよく代わる。ひどいのになると1年で交代の挨拶状がくるくらいである。
・ 校長も理事長の方針に反したりして校務運営をすれば嫌われるし法人経営に口出しすれば「吹っ飛ぶ」ケースもある。又教員が校長の批判を直接理事会側に訴えてそれを理事会側がそのまま受け入れるケースもある。校長からすればスパイの教員を抱えているようなものである。
・ 名前だけの理事会で弱い校長の場合、組合から「それは理事会の意思か?」などと突っ込まれれば「口ごもる」こともあるだろう。又無能な校長だったら学校を危機に陥れる。とにかく「戦時」は「ワンウィンドウ」で「理事長・校長兼務一体化」が望ましい。
・ 本校は長い歴史で初めて理事長を神社界の外から招聘し、「理事長・校長一体の体制」を敷いたのである。従って権力の二重構造はない。「絶対的職務権限」を私は有している。私の監査・査定機関は理事会と評議員会である。
・ 私としては「ポスト木村」は神社界に理事長職を戻す「大政奉還」を考えているが、問題は「校長の人選」である。理事長は神社界から、校長は内部、外部も含めて幅広く人選し「私の後継者」を探し育成しなければならない。
・ しかしその時機は何時来るのだろう。権力の交代を誤れば今の浪速は、直ぐに「もとの木阿弥」に間違いなく戻る。そうあってはならない。教育改革が一段落し「安寧安定の教育界」が来るのを待ち望んでいるが、幾分「左翼的」な民主党政権と公私比率の解消など厳しい「橋下教育改革」に対峙して「本校を守り発展させることの出来る」人間は私しかいないと思っているのだ。
・ 今日の「天地人」ではないが、上杉は会津120万石から米沢30万石へ移封である。「浪速が上杉のようになってはならない」。米沢で上杉家は「塗炭の苦しみ」を味わうことになる。私は本校の教職員を路頭に迷わすことは出来ないのである。公立私立生き残り競争の決着が付くまでは私は辞めることが出来ないのである。