2009年10月15日木曜日

10月15日(木)高校3年生への校長講話











・ 今日は「3年生への校長講話の日」であった。各学年に一回行っているもので2年前から実施している。言ってみれば「校長の授業」で「産業社会」とかのテーマによる特別授業と考えている。
・ 月に一度の一斉参拝や朝礼、時に校内放送を使った臨時校長講話などがあるが年に一度改まって私の話をする機会と言うわけである。昨年までは「レジュメ」を使って説明していた。今日も作っていたが今朝になって今日は資料配布をやめて口頭で「パンチある言い方」にしようと考えたのである。
・ 私が言いたかったのは松山千春の歌である「大空と大地の中で」に「その心」がある。どういうわけかこの歌が好きでならない。私が生徒に伝えたかったのは最後の歌詞である「力の限り生きてやれ」というただこの一点である。
・ 「ごちゃごちゃ」「あれこれ」言っても生徒の頭には残らないだろう。しからば今年は違うやり方による私のメッセージを伝えたいと思ったのである。一般の教員であれば英語とか数学とか様々な専門分野がある。
・ しかし校長というのは生徒へ伝える究極の話は「これから先何があってもしっかり生き抜いていけ」というしかないのでは無いかと最近では思うようになっているからである。

        果てしない大空と 広い大地のその中で
        いつの日かしあわせを 自分の腕でつかむよう
        歩きだそう 明日の日に 振り返るにはまだ若い
        吹きすさぶ北風に 飛ばされぬよう飛ばぬよう

        凍えた両手に息を吹きかけて しばれた体をあたためて
        生きることがつらいとか苦しいだとか言う前に
        野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ

・ 私が本日、卒業まで4ヶ月強の3年生に話したことは多分に「自分の人生の光と影が投影」しているものだと自分でも分かっている。まだ幼い生徒には私が今日話したことが分からないかもしれないしその可能性の方が高いだろうと思う。
・ それでも私は言わざるを得なかったのである。自分の人生を生徒に押し付ける気など毛頭ないし私が生きてきた人生などこの地球上の人間の様々な生き様からすれば取るに足らぬ話である。しかし縁あってこの学校の校長となり、齢63歳になった今、17歳、18歳の子どもに私としては「伝えたかった思い」がある。
・ まず最初にこの曲を聴いてもらい私がその意味を解説した。そして話に入って行ったのである。今日の話のテーマは「臥薪嘗胆」であるとこの字を白板に書いて私は歴史の故事を導入部分に据えたのである。
・ 勿論この語の意味は目的達成のため、成功するため、復讐するためなど苦労に耐えると言う意味である。薪の上で寝ることで「痛み」を忘れることなく、豚の肝をなめることでその苦味を知り、自分を戒め、初心や屈辱や忘れず努力をするという意味である。このことを一八史略の故事を元に生徒に話した。
・ そして明治維新を経て「近代日本の日本と言う国家と日本人と言う精神性」はこの臥薪嘗胆という言葉から始まったと私は勝手に考えている。維新後30年富国強兵政策でようやく近代国家の形は出来、わが国は最初の国際戦争であった「日清戦争」に勝つ。
・ しかしロシア、ドイツ、フランスの列強3国に干渉され遼東半島を返還するように要求され、いまだ国力としては弱体で日本は泣く泣く応じざるを得なかった。歴史に言う「三国干渉」である。このことも生徒に話した。
・ そしてこの時の日本の世論は「今に見ていろ」「何時かは・・」と世論を盛り上げ、国力強化のスローガンとなったのがこの「臥薪嘗胆」であったと話を続けていくと生徒は真剣に聞いてくれ目を輝かすのである。
・ そして私は本論に入って行ったのである。知識教養で言えば絶対的に「歴史」である。日本史と世界史は何時でも何処でもどのような方法でも勉強できる強化であると私は強調した。「歴史を学ぶ」中に「人間としての生き方の知恵」があると強調した。
・ 歴史の本も色々ある。硬いのもあればやわらかいのもある。テレビの大河ドラマも歴史の勉強になる。歴史物をしっかりと読むことは「知性や教養の積み上げ」に最も効果がある。それは「時代別の言語に触れる」からである。そして「言葉こそ魂」であると述べた。
・ 君たちに伝えたい言葉で言えばベースは「忍耐」「我慢」「努力」「志気」の4つが重要と強調した。以上の4つは骨組み骨格、ハードウエアであると。その上で生きたかの工夫すなわちソフトウエアとして「挨拶」「笑顔」「言葉使い」「服装」の四つが重要であると述べたのである。以上は全て「ただ」で身につくものでお金は要らないとも述べた。
・ その結果として人間には「知性と教養」が滲み出てくる。これが「人間の香り」でありこの香気こそ「人間の品」であると。「品性とか品格」と言って良い。こういう言葉がある。「粗にして野だが卑ではない」ということも付け加えた。
・ 「 卑しい人間になるな」、人間として最も恥ずべきことは卑しい心の持ち主になることである。しかし同時に人間は神様ではない。失敗や事故事件に巻き込まれる。そのときに「人間の真価」が表れると私は述べた。
・ 「捲土重来」という言葉がある。「七転び八起き」と言う言葉もある。「隠忍自重」「雌伏十年」と言う言葉もある。「君よ、憤怒の河を渉れ」と言う言葉もある。「勉励刻苦」「われに艱難辛苦を与え賜え」という言葉もある。
・ これから一生山あり谷ありの人生が続く。「良いときもあれば悪いときもある」。それが「人間社会」である。自分の人生を振り返って考えてみると人間と言うのは実に愚かでどうしようもない存在だと思う。しかしそこが人間社会の面白いところでこれが型に填まったような同じタイプばかりでは面白くもなんとも無い。
・ 自分が好きな人間もいれば嫌いな人間もいるように相手からも好きなタイプや嫌いなタイプに分類されているのである。好きなタイプばかり集まったグループや組織では活力と発展は無いだろう。嫌われてる中で生きていくのが面白いと思うようにならないといけない。
・ これから先「失敗と成功の繰り返し」となろう。大学選び、就職選び、結婚相手選びこれから大きな三つの選択がある。「パーフェクト」に自分の思うように行くわけが無いと思っておいたほうが良い。
・ 問題は「失敗したときの自分の対応」である。こういう言葉がある。「起きたことはすべて正しい」とまず「受け止める」ことが重要だと言い切り要因を他のせいにしてもはじまらないとも言った。受け止めとは100%反省をするということではない。「反論」「反抗」「対抗」「復讐」「怨念」はあって良いと思う。
・ 問題はその後だ。めげて引きこもり、自己を追い込んで再起不能となったら全く意味は無い。「不屈の闘」が必要である。「負けてなるものか」という内に秘めた「闘志」がエネルギーだ。これが「臥薪嘗胆」だと再度強調したのである。
・ 闘志を燃やせ、エネルギーを燃やせ、自分の持つ力を信じて「力の限り生きてやれ」と話を歌に戻していった。そして最後に私はアカペラで「大空と大地の中で」を体育館一杯に響くように唄って校長講話を終えたのである。
・ 今日は上手く歌えなかったが「手拍子」に始まり、「万雷の拍手」が生徒から沸きあがったが本当に分かってくれたのか。しかし何時か「臥薪嘗胆」という言葉に触れるかその場面になった時に生徒は私を思い出すかも知れない。私は「浪速高校3年生、しっかりと生きて行け」とつぶやきながら会場を後にしたのである。これでもう高校3年生に話できるのは来年2月27日の「卒業式」となる。