2009年11月9日月曜日

11月9日(月)宗教教育







・ 先週、久方ぶりに上町台地にある大手私立学校の理事長先生の元を訪ねた。時々このようにお邪魔してお話を伺うのである。主な目的は「情報交換」と「自分自身へのチェック」である。「唯我独尊」に陥っていないだろうか、今進めている方向はどうなのであろうか等々「同じ立場にある先達のご意見」は大いに参考になる。
・ 今回はもっぱら「高校就学セイフティネット」の話となった。「高校授業料無償化」と「学校単位で創設する奨学金制度」などで意見を交えたのである。それにもう一つの大きな話題は「時間外労働」に関わる今後の対応の問題であった。
・ この私立学校は「真言宗」の教義を建学の精神に据えている学校であり、市内屈指の進学校でありオリンピック選手を輩出している文武両道の学校である。中学校だけで400名を超えるマンモス校であるが大変に「宗教教育」を大切にされている学校である。
・ この日、私はH理事長からある一人の「宗教家」を紹介された。お名刺を頂いたが「奈良薬師寺の長臈」で大変に有名なお方である。このお方をこの学校は2学期になると「般若心経講義」として生徒に授業をしてもらっているとのことであった。
・ 丁度授業を終えてこの仏教界の先達が理事長室に戻って来られ、名刺交換となったのであるが、理事長からお話を聞いておられたのであろう。私のことをご存知だったが、最初の一声は「宗教教育は大切です」と言われたのである。
・ 今日本の危機を救う方法は学校において「宗教に意味」を理解させることだと言われるのである。私は「我が意を得たり」と思い、本校のことについても少しお話させて頂いた。
・ 特にこのような仏教界で奥義を研究されたお方はとにかく勉強熱心であられ、本校が神社神道の学校と言うことで「神道は全ての始まりですからね」「延喜式神社のお話」を次から次と展開された博識とその深さに私は驚いたのである。
・ 本校においても、1年を通じてある時期に「外部の著名な研究者かその道の達人」のお話を生徒に聞かせることは大いに「新鮮」で教育的にも意味があると私はお話しを聞きながら感じた。
・ 帰る途中で私は思ったのである。本校では神道科の講義が週1単位あり、これを4人の「宗教教育の免許」を有した専任常勤非常勤の講師の先生方が一生懸命教えてくれているが私は3年生に学年を絞って2学期の最後か3学期の最後の方に神社界から先達を招き、「特別授業」を入れたらどうかと考え始めたのである。

・ 昨日のブログに「新宇治橋の渡り初め」のことを書いたが神社神道の学校として「教学の充実」に向けてこの3年間まず学校行事を皮切りに大きく見直しを進めた。又「学院神社の周辺整備」や「オリジナル絵馬」制作なども進めた。
・ 「神道科の教科書」についてもまさに式年遷宮と同じ20年に一度くらいの見直しと言うような大規模な改定を行っているところである。「私が何を求めているか」と言えば私立学校として、神社神道の学校としての「精神性を追求」し「アイデンティティを確認」して具体的「教育活動計画」に反映することが重要である。
・ ポイントは「教育プラン」なのである。「理念は良く分かった、それでその実現のために何をするの?」が常に私の頭の中にある。まず「神道科の授業」がある。最重要な行事として「伊勢修養学舎」がある。次に月初めの「一斉参拝」がある。
・ これについては最近は少し反省点があり、余りにも日常的なことにかまけて神道科より「精神性の訴え」が少ないような気がしている。私の責任でもあるのだが「校長の話」に時間を取りすぎているきらいがある。一斉参拝はもう一度神道科の手にゆだねることが必要かとも思っている。
・ 精神性の追求のもう一つの柱として私はこの4月に「奉仕委員会」を立ち上げた。これも具体的な行動の一つである。実は「新学習指導要領には一つの焦点」があり、それは「道徳教育」である。「改定教育基本法は宗教に対する心の涵養」が盛り込まれた。
・ 自己肯定が出来ず、自分に自信がない、公共心や規範意識が薄く、「私、僕」が常に思考の中心、携帯電話によるネット社会へ巻き込まれ、陰湿ないじめや校内外の暴力窃盗事件、人間関係つくりからの逃避、義務教育における「道徳教育の限界」をさらけだしているにも関わらず我が国の教育は有効な手を打ち出せないでいるのが現状である。
・ 「教育は知・徳・体の三本セットで初めて教育」といえる。学力は学校教育の最も大切な部分だが「徳育」を忘れたら学校は単なる進学塾になる。いまこそ「徳育教育が重要」だと信じて疑いは無い。
・ 特段「教科化」にはこだわる必要はない。教科化には「免許、検定教科書、評価」は必要であるが、本校は私立学校であり、我々の出来るようにやれば良いのであってここが公立とは違う。形も大切だが「早く実を取る」考え方も必要だと考えた。
・ 「浪速版徳育教育」をどう進めるのか、このテーマに対する応えの一つに「公共心の涵養と奉仕の精神」があると考えたのである。ようやく考えがまとまりつつある。「学校改革」を激しいまでに進めてきたが、これらは学校としての「器、形の部分」であり、今後は「中身の充実」である。
・ そのために「奉仕委員会とボースカウトガールスカウト活動」を立ち上げた。まず形を整備したのである。何事も一度に高いレベルにまではいけない。「出来ることからぼちぼちと」ということである。
・ そういうわけで近隣の駅周辺の清掃と千早赤阪村多聞尚学館周辺の清掃活動を行ったところ昨日地元の「住吉祭り」において大いにお褒めにあったという。千早赤阪村では地元から「びっくり仰天」と感じで電話までかかってお礼を言われたと言う。お年寄りの多い地域で若者のお手伝いは余程感激されたのであろうか。
・ このようにして本校学校教育の中心に「神社神道の学校としてその精神性を高めて行きたい」と考えている。このことが生徒たちにとって社会に出たときに最も役に立つ教育の成果だと私は信じて疑わないのである。まず「礼節」「挨拶」「言葉」「協調性」「公共心」「友、親、兄弟、地元を愛し大阪を愛する」こういうことは単に数学や英語が出来るなどよりもっと重要なことである。