2009年11月17日火曜日

11月16日(月)本校元理事長の20年祭




・ 今日は正午過ぎに「大阪天満宮」で本校の元理事長であられた「寺井種茂氏の二十年祭」が執り行われた。仏教で言うところの「法事」であろう。仏教では戒名として「居士」とかいう表現を用いるが神道では「大人命」という。今日は同時に「偲ぶ会」となっている。
・ この寺井種茂氏は現在の名誉理事長であり、大阪天満宮の宮司寺井種伯氏の兄上に当たられ昭和62年から昭和64年まで本校の理事長を務められた。戦後の学校教育の改定すなわち新制高等学校制度からすれば5代目の理事長であった。ちなみに私は9代目の理事長となる。
・ ご就任は昭和62年(1989)7月1日で前任の足立理事長が突然亡くなられたことに伴うものであった。尚この年は「国鉄の分割民営化」がなされた年である。ところが寺井理事長も昭和64年(1989)11月16日に急逝されたのである。昭和64年はこの年1月7日に「昭和天皇がご崩去され元号は平成」になった時期であった。
・ 本校は一般的に理事長は長い年数を務めておられたが寺井理事長は2年数ヶ月という短いものであった。私は寺井理事長先生を知る教職員に当たってみたが、皆さん共通して「温厚なお方」であったと言う。最も私が着任するまでは理事会は神社庁で行われていたとのことで接触の程度はそれほど深くは無いみたいであった。
・ 先生所縁(ゆかり)のものといえば図書室に扁額があり「先憂後楽」の字である。誰かが理事長に頼んで揮毫してもらったものだと思うが「ゆったり」とした素晴らしい字で今後とも大切にしていかねばならないと思っている。
・ それにしても「しのぶ会」は多くの参列者であった。「ご交友の広さ」を物語っている。故人の友人のご3人がご挨拶された。ご存命であれば「日本の神社界を牽引する指導者の器」であったと皆さんが言われていた。
・ 「神宮皇學館大學時代」のご友人が多い。そして乾杯に移るのだが「献盃」という。個人はお酒がお好きだったと見えてビールと日本酒の献盃だった。実は不謹慎であるがこのお酒が最近では呑んだことのないような「美酒」であった。味は「端麗辛口でフルーティ」である。
・ 銘柄は「奈良の春鹿酒造」という醸造元で本席には数十本わざわざ取り寄せられたという。今宮戎の宮司のご内儀はこの春鹿酒造家からと嫁がれたとのことで融通が利くのかも知れない。
・ 普通は手にいらない「純米大吟醸原酒」で、銘は「華厳(けごん)」とあった。題字は元の「東大寺管長猊下」になるもので達筆すぎて厳などは簡単には読めなかった。瓶の色は薄いコバルトブルーで「品格の高さ」を容器自体が示している。
・ 私はメインテーブルの一つだったが右は理事長職務代理の道明寺天満宮宮司で左は今回のお酒の元の「今宮戎」の宮司であった。この宮司は私の大学の後輩に当たり実はこの父君に私は大変お世話になったのである。
・ 前今宮戎の宮司は大阪神社界はいうに及ばず日本の神社会でも大変有名なお方で、私が本校の理事長に内定する理事会の前に大阪天満宮(名誉理事長)と道明寺天満宮の宮司(理事長職務代理)に連れられて「面接試験」みたいなものだったのだろうが「今宮戎」神社に行った時のことが今でも忘れられない。
・ 大いに教育議論が進み結果として、直ぐ直筆のお手紙を頂き「浪速を頼む」といった内容であったが、いまでもこのお手紙は大切に残している。この先生もすでに2年前に亡くなられた。寺井種茂元理事長と1年違いの大の仲良しであったといわれる。
・ 20年前に亡くなられてもこのように多くの方に敬愛され今日の大阪天満宮の隆盛の基礎を作られたお方で浪速高等学校も大きなご指導を頂いた。その弟君が現在の名誉理事長であり、大阪天満宮と本校は切っても切れない関係なのである。
・ 勿論私はまったく存じ上げていないが、一歩でもこのような「先達」に近づけるように自重し、努力しなければならないとつくづくと思ったのである。それにしても本校に来て「私のお付き合いする人々」が今までと全く異なる世界から増えていくのが「面白い」。別の太陽系に移って行っている感じだ。

・ 今朝のもう一つの話題は産経新聞のスクープ的記事である。他紙は報じていない。「樟蔭東学園」が経営難で「運動場売却」との見出しである。前から経営が苦しいとは言われ理事会構成が一変したので「持ち直す」と思われていたが「事態は複雑で悪化の一途」だと言う。
・ それにしても産経は特別な取り上げようで、別の紙面にも大きく書いており、一私学の問題をここまで報じるかと「ちょっとけげんな感じ」がした。学園は約18億円の借入金を抱え、ここ5年間で毎年2~3億円の赤字を積算していたという。
・ 加えて「生徒募集に苦労」しており経営破たん寸前の状態と言われており、運動場売却は「窮余の一策」と考えたのだろうがこれは間違っている。運動場は「学校設置基準の重要な条件」で運動場のない学校などどこにもない。「血迷ったか」というところである。
・ しかし経営難の私立高校のうち「定員を満たしていない学校は全国で985校あり、全体の78%」に達する。10以上の法人は何時つぶれてもおかしくなく、100校以上が経営困難な状態という。
・ 本校はこれらの学校群とは一線を画して「生徒が来てくれ、経営難ではない学校」であり、私は「ホッ」とするのである。しかし「明日は我が身」と考え教職員は厳しく私立学校が置かれている状況を凝視しておかねばならない。
・ 実はこの樟蔭東の「運動場売却騒動」には「」があり、ある医療法人が支援で乗り込み、創業者一族の理事長を追い出し、その後の理事長も5ヶ月で追い出し、そこに子飼いの人物を押し込んで理事長とし、「魑魅魍魎」と噂されている「乗っ取り劇」がなされた学校というのは大阪では有名な話なのである。
・ 今や創立以来70年の伝統ある中高、短大まで有する私学も一歩間違えばこのような事態を招くのであって結局「外部の支援はこのような危険性を有している」のである。浪速中学校高等学校は決してこのようなことになってはならない。
・ 従って今回の教訓は「変な人物から金は借りない」ということである。「金は自分で工面するもの、借りるときは公的金融機関以外からは借りない」ということであろう。学校が「不動産転売」みたいになったら「お仕舞い」である。明るみに出たこの話を聞かされた生徒や保護者が可哀想で仕方がない。