2009年11月29日日曜日

11月29日(日)大塚善章先生リサイタル











・ 今日は忙しい日曜日となった。楽しみにしていたNHKテレビの「坂の上の雲」は見られないと思って3時過ぎに自宅に帰った時に「録画」の準備をして、久しぶりに和服に着替えて次の用事のある「NHKホール」に向かった。
・ 前から「今日は着物を着る」ことを決めていた。理由は特にないが、とにかくどうしても着物が着たかったからである。録画の準備や着物を出したりで気が焦ったが、最近では慣れて来て「着付け」も苦にならない。
・ NHKホールでの用事が終わって、運よく8時15分には自宅に戻ることが出来て急いでテレビのスイッチを入れて「坂の上の雲」を見ることが出来たのである。秋山好古が「身辺は単純明快」「身の回りは質素」といっていた。反省しなければならない。面白い連続ドラマになりそうである。
・ 私はテレビを見ながらブログを書いた。「至福のひと時」である。ようやく慌ただしい日曜日が終わったのだと思った。それにしても今日は忙しかったが、案外「疲労感がない」のが不思議である。

・ 今日は朝の内に「多聞尚学館」に行って学習合宿中の生徒を激励してきた。久しぶりのTOP30の30人とSP30の30人だ。それが1年生と2年生だから合計「4クラス120名の大部隊」である。
・ SP30は判り易く言えばSECOND30だから言ってみれば2番手グループである。私はセカンド30と言ったのだが進路指導部長が「それではいかにも」といって「スーペリア30」と名付けたのである。
・ 今回は私の強い意向で「各テストの上位15番まで名前を張り出す」ことにした。生徒の反応は逆に喜んで「次のテストでは頑張るぞ」と言っているらしい。私の「もくろみは成功」したみたいであった。少しくらいは「競争心」を駆り立ててやらねばならない。
・ センターどころではない「国立大学の2次試験問題」を解いていたが、相当難しかったと思う。しかし現実を知らせねばならない。悪戦苦闘していたが全員真剣に頑張ってくれていた。私は嬉しくなったのである。
・ しかしトップ30人でもすでに大きな実力の差がついている。しかし今からやれば何とでもなる。「習熟度別」に生徒を分けて、教える内容も確認試験も変えてやることが大切である。
・ それにしても今日驚いたのだが、2年生の理数科には「数学の天才」と思うような生徒がいる。この生徒は今でも難関国立大学の数学問題を「さらり」と解くのだ。多聞尚学館でも全ての試験が「満点」だから私は「ぶったまげた」のである。

・ 多聞激励の後で河内長野市の某葬儀場に向かった。本校職員のご家族にご不幸があり葬儀に参列したのである。行く途中にハプニングがあった。商店街を歩いて式場に向かっていたのだが途中に電気屋さんがあって店先に「IH用の土鍋が陳列」しており私は興味を覚えて「じろじろ」と眺め、観るだけでそのお店の軒先を後にした。
・ お店を離れたところ女性二人が追いかけて来て「校長先生ではありませんか」と聞かれたのであった。要は浪速高校3年生のお母さんでこの電気屋さんは「実家」であり、母を手伝っているということだった。
・ サッカーを楽しみ、神戸学院大に進学も決まり「ありがとうございました」とお礼を言われたのだが、「油断も隙も」あったものではない。顔を知られているから「変なことは出来ない」としみじみと思ったのである。

・ 葬儀の後は堺の地場産業会館での「骨董市」に出かけて「精神の飢え」を充たしたのである。江戸時代の火事場火消しが持っていた「かぎ」みたいなものと安物の茶わんを求めて学校に戻ったのである。

・ そして本日のメインイベントである「大塚善章先生の音楽生活55周年」記念コンサートが夕刻17時からあるのでNHKホールに向かったのである。私は特別招待ということであったが、あの広いNHKホールが満員だからたいしたものだ。
・ 私と大塚善章氏とは長い歴史がある。私が府立高津高校に勤務していたときにご面識を頂いてそれ以来のお付き合いである。大塚氏は高津高校の卒業生で高津高校の校歌「朝霧」を作曲したお方である。あの名曲朝霧は先生が高校時代に作曲したというからそれだけでも先生の類まれなる才能が分かるというものである。
・ 先生とのご関係はそれだけでは終わらず結局私が浪速高校に来たときに「新しい校歌」を作る必要に迫られて、関係が復活した。本校は17年に共学に移行し、それまでの男子校の校歌だけというわけにも行かず「女生徒も歌える新校歌」作成を急いで進めたのである。
・ まず「作詞は本校OBの藤本義一先生」にお願いした。これは最初から決めておいたことであるが、「さて作曲をどなたに?」と思っていたところに大塚先生を思い出したのである。
・ まず私は西宮の藤本先生にお電話して作詞をお願いした。その時に「作曲者ですが心当たりがありまして・・・」とお話したところ先生が「どなたに?」と聞かれるので「実はこうこうしかじかで・・・大塚先生を考えています」とお答えしたのである。
・ そしたら「善章さんか?知っているよ。長い友人だ。」と藤本先生のお声が返ってきたのを今でも覚えているのである。そう現在の浪速の校歌「我ら浪速」は作詞藤本義一作曲大塚善章のコンビはこのようにして組まれたのである。
・ プロ生活55周年を迎える関西が誇るジャズプレイヤー大塚善章先生が節目として開催する記念コンサートだから、ましてや校歌の作曲者であり、私はこの企画にささやかながら助成をすることとしたのである。
・ そうしたら「善章オフィス」はプログラム用に大塚善章、藤本義一両先生と私との対談を企画したくれたのである。その対談のさわりが本日の「プログラムに記載」されていたのである。