2009年12月7日月曜日

12月7日(月)第3回目の教員採用募集


・ 「第3回目の教員採用募集」に入っている。今回は国語、英語、家庭科の常勤講師と音楽の非常勤講師である。採用人事センターの副校長が「何とか良い教員を確保したい」と頑張ってくれている。
・ 「どうして何回もやるの?」「一回で済まされないの?」と聞く人は「私立学校の教員採用システム」が分かっていない人である。それほど簡単ではない。言ってみれば「学校は教師で決まる」とする命題通りとすれば「必然、人の採用は慎重にならざるを得ない」。
・ それに「就職活動」をしている人からすれば「一生の問題」であり、「果たしてこの学校は私の人生をかけて大丈夫だろうか?」と思うのは当然である。学校単位に「風土」「処遇」など違っており個人との「肌合い」は重要なファクターとなる。
・ 最も最近は「転職」が一般的になってきている風潮があるから「肌合いの合わない学校に無理して勤める」必要は無い。もっと自分に適した職場を探して動けばよいと考えるのは当然である。
・ しかしこのことは採用する方からも言えることであり、「どうも本校の風土に合わない」「我々の要求するレベルと少し違う」「職場の年齢構成が違い過ぎる」「協調性はどうか」「研究熱心か」「個人の教育観を強調し過ぎる」等々が「許容限界」を超えておれば辞めて貰ったほうが良いとの考えもある。
・ 例えば大阪府のように2000名を超える採用規模と違って精々年度10名程度で私学の中には1,2名と言ったところもある。本校は発展途上の学校で毎年毎年採用数は大きく、専任比率も小さいから「専任教諭になれるチャンス」は大きい筈である。
・ 私学が公立と異なる最大のポイントは「転勤」がないということである。このことは大きな意味があり。生涯にわたって「一つの職場」で勤務でき、生活設計は極めてやり易い。北の能勢の方から南の岬の方まで転勤で学校が変わることはない。
・ 又「腰を据えて」仕事が出来るから教職員間の関係も「ファミリー的」となり「やり易い」ことは事実である。しかしこういった私学の良さが「私学の欠点」となりうることも事実なのである。すなわち「利点は欠点に繋がる」ということである。「赤信号を皆で渡る」ということが起き易いのだ。
・ 学校の教員は恐らく知らないというか考えたことはないと思うが「転勤」というのは「人材育成の大きなキー」なのである。「職場が変わる」ということは「一からの出直し」である。基本的なことは変わらないが職場の風土、人間関係、顧客、上司などすべて変わる。それらに一つ一つ対応していくことは「その人間の幅を広げる」ことである。
・ 職人さんの世界、家業の世界では「その道一筋」であるが教員も含めて勤労者は転勤はあるのだが私学の教員はその転勤が無い。従って余程の自己管理が出来る人でなければ「嗚呼、これで良い。この学校は全て分かった」と錯覚して「進歩」がなくなるのである。私はこの点を恐れているのである。
・ 従って我々は人材採用には「時間と労力」をかけているのである。基本的には「ポテンシャルの高さ」を重要視している。見た目「良いか悪いか」などはいい加減なもので、印象から入るととんでもない失敗をする。
・ 大体「授業の技量」などは年月と共に伸長するもので、逆に言えば年月とともに伸長するだろうという「位置エネルギーの高さ」を探しているということである。このことを「ポテンシャル」という。
・ もう一つ私学の採用の難しさは「公立採用試験」との兼ね合いである。未だ「公立優位」的な風潮はあって10月終わりから11月にかけて各都道府県が最終の「教員採用試験の合格発表」を行う。
・ これより前から私学は採用活動に入る。すなわち端的に言えば「公立試験がある前に良い人材を確保する。そして公立試験を落ちた人から優秀な人を人を拾い出す」と言うことである。
・ 勿論「転勤のある公立は厭だ」「自分は私学で育ってきた」などと「私学教員専願希望者」は少なくないのだが、やはり「故郷の公立で頑張りたい」と思っている人は多いのである。
・ 前にも書いたが今年本校から3名の非常勤講師が公立の採用試験に合格して来年3月末で本校を離れることになる。本校で「生活の糧」をお渡しして非常勤講師として「受験勉強の時間」を取ってあげて、「教員経験を付与」させてあげて送り出すことになっているのである。
・ 「至れり尽くせり」であるが最後には「バイバイ」だから「切ないな」と私が言ってはならない。喜んで「良かったね。公立で頑張ってね」と言って送り出してあげるのである。公立サイドからはもっと喜んで貰い礼を言ってほしいくらいである。
・ そうかと思えば本校で3人の常勤講師の先生がそれぞれの生まれ故郷の公立試験を受けたが3人とも不合格となった。常勤と言うことで忙しく勉強をする暇が無かったのだろうか。これも私としては残念である。「複雑な気持ち」なのである。公立試験に受からない先生を本校は採用するのかってね・・。
・ そうかと思えば今年の例なのだが「昨年公立に合格して赴任」したのは良いが「あのような学校に何年も居ると思えば辛い」と「さっさと公立に見切り」をつけて本校の採用試験に合格された若い教員も居るのである。
・ そして私立の抱える最後の大きな問題は「来年度のクラス数」である。今の段階で来年の3月23日の「公立後期試験の合格発表」まで何名の生徒が来てくれるかさっぱり分からない中で先生を確保するのだから「大変なこと」は分かってくれるだろう。
・ 従って今の段階では「多めに採用」しておくのである。又私学の採用活動がこれから「本格的」に成ってくると「二股も三股」もかけて試験を渡り歩き、一番条件と自分にあったところに「最後の最後」で決める人がいるからいくらこちらが「合格通知」を出し仮契約を交わしても平気で断ってくるケースがあるのが又しんどいのだ。
・ 「母が倒れましたので採用をご辞退いたします」「父の転勤で他府県に転居しますので」とか言っているが「そうではあるまい」。本校との婚約解消なのである。
・ 私は副校長に言っているのである。「それで良い」。その人の人生であり、就職と言う最大の重要な事であり、文句をあれこれ言っても始まらないと。そういうわけで前述したように第3回目の募集に入ったのである。
・ しかしこれでは終わらないだろうと思う。年明け1月の終わり頃に第4回目の募集に入る可能性はまだある。変動要因がまだあるからである。しかし私は思うのである。今居る常勤講師の先生もまだ顔見ぬ新しい先生も「私学の良さ」を知らねばならない。
・ 特に本校は日本文化の原点である神社神道の精神を有する学校であり、大きな特徴を有し、家業としての「オーナー系学校」ではない。一族が支配する学校ではない。私は何時も専任教諭に言っている。この学校は「先生方の学校」であると。
・ これほど「働き甲斐」があって自由で何でもできる私立高校はそう多くは無いよって。自分で言うのもおかしいが理事長校長も大変優しい思いやりのある人間だと思って呉れたら嬉しいが、こればかりは自分で言っても意味はない。「サボリ人間には厳しい」が一般社会とはそういうもので、「学校だけが甘い」のではないか。職場はディズニーランドではないのだ。「プロの仕事場」である。