2009年3月31日火曜日

3月31日(火)20年度最終日

・ 「平成20年度最終日」となった。学校の「大晦日」である。3月27日の多聞での理事会でも言ったのだが「順風満帆」の1年であったと言える。“じゅんぷうまんぽではなくてまんぱん”と読まなくてはならない。むかし偉い人でまんぽ、まんぽと読んでいる人が居たのを急に思い出した。
・ 今日は「時程」が定まっており忙しい日となる。明日からの新年度に備え様々なことを決定していくことになる。総じて「年度末会議」と称している。朝9時から旧の学年会議・中学校校務会が開かれ「総括」、言ってみれば「解散会」となる。変化がないのが望ましいのは分かっているが、色々あって担任変更などがあるからだ。
・ 9時30分からは最後の校務運営委員会、10時30分職員会議となり2次の進級判定会議と転入試報告がなされた。その後「定年退職教員の送別」となる。すでに常勤講師の先生方は前回の職員会議で終わっており本日は前校長先生のお別れ会となった。
・ 私の方から先生に対して「慰労と感謝の言葉」を申し述べた。昭和41年から通算43年間の奉職である。アマチュアマラソンランナーであり、最後まで「完走を目指す」とされて見事にそれを成し遂げられた。ご立派であった。
・ 先生は職員会議に先立ち私の部屋で懇談をされたのであるが「実に様々な想い出」があるといわれる。それはそうだろうと思う。勤務して2年目に組合が出来て何も分からない時に学校は組合派と非組合派の別れ次第に荒れていったという。この先生は徹底して反組合を通された。
・ また当時はバリバリの男子校で生徒指導が厳しく「生徒爆弾事件」とかいうのもあったらしい。赤豚とか青豚とかの先生が居て頭に来た生徒が先生の自宅に爆弾を仕掛けた事件らしい。今でも当時のことを覚えていると言われる。
・ 先生は今日あるのはこの学校に入ってきた時の理事長から「完走せよ」と言われたことが忘れられなくて今まで来たが多くの人に支えられてここまで来れたと感謝の言葉を述べられた。
・ 特に過日、先生が面倒をみてきた内部進学の生徒からアシックスのランニングシューズとジャージーを退職祝いにプレゼントされたことが殊の外嬉しかったと話されていた。特に校長をお辞めになってからはこの内部進学の生徒の面倒を良く見て頂いた。
・ 最後に「花束の贈呈」があって先生を拍手でお送りした。今夕は管理職と職員代表で市内のフランスレストランで理事長主催の送別会だった。大変盛り上がったのである。別途法人主催の送別会は5月連休明けとなる。
・ しかし65才と言っても、小柄ではあるが、顔の色艶がよく、余計な脂肪などついていないご体格である。毎日走るとあのような体躯になるのかと思えばうらやましい。私も見習わなければならない。
・ その後明日の「職員室の席の入れ替え」の図面が教頭から発表された。明日から新任の先生方が出勤されてくる。席の配置換えであり、そのために4月1日、2日と目白押しに時程が決まっているのだ。その準備となる。身の回りの整理だがこれが難しい。どうも「捨てることが出来ない」から資料なども溜まりっぱなしとなる。私からも「思い切って捨てるように」言った。
・ そして私からは現在自宅で「リハビリ中の教員の職場復帰」を教職員に説明した。不慮の災害で身体に障害が残ったが職場復帰の要望が強く、それに応えることが現代社会のあり方であるし私の責任と説明し、早速スロープ階段や障害者用トイレを設置することとした。先の理事会でも承認されたことである。

・ さて明日の新年度から「校時」が変更になる。校時とは学校の時間進行の時刻を言い、具体的に言えば1限目の授業開始が今までの8時45分が8時50分となる。5分後にずらすのである。これは高校中学同時である。
・ 理由は簡単で中学は「朝読書」を入れ、高校は「英単語小テスト」を盛り込んだからである。学校遅刻は8時30分、8時35分英単語テスト開始、8時45分英単語テスト終了、そして8時50分授業1限目開始とすることにした。
・ このため従来の「50分休憩時間を45分」とした。今時50分休憩としているような学校は多くない。大体が45分である。本校もようやく人並みに出来たのだ。きっかけは「朝読書事件」であった。災い転じて福と成すだ。
・ 残りの5分は7限の終了時刻を従来の16時10分から16時15分になるだけのことでまったく問題はない。教職員は勤務時間内のことであり、これも問題とはならない。高校は色々考えたが国語の朝読書よりも英単語テストと実践的なことを選んだのである。
・ 本校は21年度から全校生徒に「英検受験」を義務つけることにした。過日大々的に「本校の重点教科は英語」と私は宣言した。将来浪速といえば「英語教育」「英語と言えば浪速」と言われるように高めていきたいと結論を出したからである。
・ これはあくまで「実学的発想」であるが今や「小学校から英語を習い始める時代」となった。ますます国際科は進んでいく。大学受験でもますます英語に重要性が増してくるだろう。
・ TIEICとかブリッジとか色々な学習方法や教材はあるのだが今最も一般的と言われている「英検」が馴染み易いのとインフラが整備されていることで踏み切ったのである。英語検定協会発行の「ステップ英語情報」を読んでも「全員受験」の学校は多い。今後浪速は「全校生徒が英検を受験」し、朝の英単語受験で実力をアップしていくこととした。
・ 今年早稲田大学に現役で2名が合格し、「何で合格したと思うか」と聞くと即座に「英語」と答えてきた。英語の重要性はますます大学でも要求しているのだと思う。今後厳しく英検2級、準2級、3級を目指して生徒に発破をかけることにしている。
・ 丁度英語の教科長はベテランで力のある先生だから彼なら風土つくりにも貢献してくれるだろう。一度英検から人を派遣して貰って生徒向けの講演会なども企画したら良いと思う。
・ ただ本音は英語だけではない。朝静かに机に向かうという「落ち着きを取り戻す」狙いもあるし、勉学に向かうと言う姿勢を醸成したいのだ。成功するもしないも「教員の工夫と熱意」にかかっている。頑張って欲しいと念願している。
・ 新1年生の学年主任から4月6日の「入学式」の式次第について説明があった。私からは「元気が出るような式次第にして欲しい」と要望した。特に併願者については厳しい中で本校を選択してくれた生徒であるし公立失敗の気持ちを早く跳ね返してやりたいと思っているからである。

2009年3月30日月曜日

3月30日(月)管理職の給料

・ 私は3月8日のブログで「鹿児島県阿久根市の市長」のタイトルのもと、かなり詳しくこの人の進める「市政改革」について言及した。「市議の人気投票」をネットで募ったり「市職員の給与をすべて公開」したり、とにかく今ホットな人なのである。
・ このとき大阪府の橋下知事は「大変よく分かる」と評価の声を上げたが遂に具体的な動きが出てきた。大阪府は28日職員の年収額をホームページ上で公開した。知事が「職員は税金を貰って生活している」から当然阿久根市と同じで「公開すべき」と指示したというのだ。知事も仕事が速い。
・ ただ職員数が多いのですべてというわけには行かず、「役職や年令で27モデル」にわけて算定し公開した。最高年収は特別職を除き、「部長級(55歳)で1176万円」である。
・ モデル年収額は「行政、教育、警察の3分野」で算出し地域手当などは含むが時間外手当など役職で増減しない手当ては含まれていない。ここが阿久根市と大きな違いだ。とにかく公務員には何十項目も「手当て」と称するものがありここが分からないと詳細な比較は出来ない。言葉は不適切かも知れないが「ブラックボックス」と言う人もいる。
・ 「1000万円超え」は行政職の部長級と次長級(55歳で1106万円)、警察官の警視(58歳)の3モデルだったという。行政職の主査クラスでは「45歳で657万円、主事級・大卒初任給は312万円」と発表された。
・ 警察官の警部補クラスは「45歳で703万円」である。「巡査・大卒初任給は351万円」である。さて肝心の「教育職の年収」は一体どう発表されたのかということである。まず高校教員については「校長55歳で936万円、教諭45歳で694万円、教諭・大卒初任給は363万円」となっている。これはちょっと実態より少ない感じが私にはするが・・・。
・ 小中学校教員については「校長55歳で874万円、教諭45歳では677万円、教諭・大卒初任給で363万円」となっている。さて問題はこれらの「公立教員の給与が私立に比べて高いか安いか」ということである。
・ しかし正直なところ前述したように発表された数値、これだけでは断定的なことはいえない。上記発表された年収に算入されていない「手当て類」は結構大きいものがあるからだ。それでも敢えて言えば「私立の教員は公立の教員に比べて断然年収は高い」ということは出来る。その根拠は私は別のデータを有しているからである。
・ この新聞記事を読んだ本校の教職員は「すぐに自分のものと比較できる」だろう。該当する年令の本校の教員は自分と比較すれば高いか低いか直ぐ分かる。もっとも大阪府の場合、全国のラスパイレベルでは最下位に近いから、そこは外してはいけない。
・ 私は意見として「校長の年収が少なすぎる」と思っている。公立の校長になったとき給料の安さに驚いたものだ。前の企業時代の仲間から同情されたりした。大体校長が1000万円以下というのはおかしい。もっと「校長の処遇を高めなければならない」。安い給料で校長のリーダーシップも無かろう。
・ 世間的には「学校の校長先生」と尊敬のまなざしで見られるだろうがその給料たるや一部上場企業の課長以下並で「これではアカン」というのが私の受け止めである。だから教頭や校長へのなり手など居なくなるのだ。シンドイ仕事をさせられて給料は恥ずかしくて口に出して言えないのではどうしようもない。
・ 公立の管理職はボーナスが「期末・勤勉手当」と称して半期単位で反映させているが基本的には差が付かないシステムであろう。しかし本校は半期単位など全く関係ない。「貴方の来年度の年俸はかくかくしかじか」ですと通達するだけである。それを12ヶ月の均等割りにしようが、7月と12月に少し多く配分しようがそれは本人の好き勝手としている。
・ 管理職の年俸は仕事や業績で変化をつければ良い。元来そうあるべきである。だから本校の場合私が理事長になったその年から「年俸制」に切り替えた。管理職手当てを本給に対してパーセント支給とし、加えて「業績反映部分」を付加した。管理職の給料が平教員の体系と同じであることがそもそもおかしいのだ。
・ 大体「日本の組織体の管理職の処遇は低すぎる」というのが私の意見である。アメリカの自動車ビッグ3や今問題となっているAIG生命の重役ボーナスの高額さとは言わないが、その辺の仕事もしない人にくらべて「毛の生えた」ような給料で仕事をせよとはしんどい話だ。「組織の成果はやはり管理職の働き」による。
・ 府の人事室は今回の公開の理由を「府政への理解を高めたい」と言っているがこのようなことで理解が進むわけが無い。もっと部長や「校長の給与を上げて頑張って貰った方が良い」というのが私の意見だ。「もう少し上げて欲しい」というべきだ。
・ 知事もパーフォーマンスでこのようなことをしても府政改革に効果は上がらないということを知るべきである。とにかく「府民を味方に」と考えて「役人バッシング」や「教員バッシング」に走るが、少し対象とする人間が違うのではないか。
・ バッシングの対象は「仕事をしない役人や教員」「さぼりの役人や教員」「自己努力のない人間」、このような人には処遇を下げてその原資を頑張っている人に付加することが重要である。その「幅を思い切って大きくする」ことが府政改革である。
・ 大体公開するということは公開してもだれも傷つかないということだろう。大体企業で社員の給料など公開はしない。組織人にとって「給料は命」であり、それは単に銭金の問題ではなくてその組織体における「自己の存在価値、アイデンティティの確認証明」となるからである。
・ 当然バランスはあるが日本でも「自分の禄を稼ぐ」という概念が強まってくれば「組織は締まり」、「緊張感」も生まれてこよう。仕事をしようがしまいが給料が同じように上がり、賞与も出るとなれば誰が身を粉にして、苦労して仕事をしようとするか。
・ 日本は実は戦後「コミューン化された社会」だったのである。「皆で均等に公平に」、「飛び出る釘は叩き」「自発的にやってくれるのを気長に待つ」「皆で決め、建前は皆で責任を分かち合う」、だから結局「誰も責任を取らない組織」ばかりになっていった。
・ 日本の組織の問題は一般の構成員の問題ではなくて実は力を発揮しない「無能な管理職の責任」であったのである。「名ばかり管理職」とはマクドナルドだけの話ではなかったのである。政治家など酷いものだ。私は安い給料では絶対働かない。給料の何十倍もの効果を上げるために頑張ろうとなるからだ。馬の鼻ににんじんで良い。元来仕事とはそううものだろう。生きるか死ぬかの戦いである。
・ 戦国武将ではないが戦場で兜首を挙げ地領を増やすなどの「論功行賞」は日本の原風景であったのだ。農耕民族的発想から少しは変えていかないと世界の競争に負けてしまうという危機感が私には強い。それにしても「本校の管理職は良く仕事をする」。まだ働きに見合うだけ差し上げられないのが恥ずかしいが本日「来年度年俸を通知」した。

2009年3月29日日曜日

3月29日(日)大阪私学経営者協議会(私経協)

・ 3月19日に「大阪私学経営者協議会総会」が開かれて「21年度の賃金改定にかかる基本方針が確認決定」された。21年度はこの方針で大阪私学の学校経営が進むことになる。確認された方針は大きく四つに分かれている。
*  学園の経営方針、財政状況に応じた賃金改定を行い、収支のバランスのとれた適切な人件費比率を目指す
* 教職員の活力・意欲の向上につながる賃金改定を目指す
* 納税者である府民や学資負担者である保護者の理解が得られる適切な賃金水準を目指す
* 具体的な方法として定期昇給額の縮減、賞与の削減、諸手当の整理、退職金制度の見直し、メリハリのある柔軟な賃金体系制度の実施、その他となっている。

・ しかし大切なことは「考え方」である。教育基本法8条(私立学校)に基づき、「公費支出を受ける私立学校」の教職員賃金は納税者である府民や学資負担者である保護者の理解が得られ、かつ補助金の一律削減措置、生徒数の低迷等による帰属収入の減少など厳しい経営環境に柔軟に適応できるよう「支出の大半を占める退職金を含めた総人件費を考える」と言うことである。
・ 私は「打出の小槌」など何処にも持っていない。昔みたいに生徒数が減っても給料が上がり続けるようなことはできないと言うことである。施設設備などが古くなっても何も新しいことをせず「教職員の給与に化ける」ということには今後はならない。
・ 「厳しい社会環境」の中にあって「魅力ある私学」として社会に必要とされる存在であり続けるためには「教職員の資質、能力、意欲の一層の向上と学園財政の健全化」が何より重要である。言ってみれば「土台を失ったら元も子もない」ということを分からねばならないということである。私学だから学園財政の健全化がまず重要である。子どもでも分かる理屈だろう。
・ 「大阪私学教職員組合」は同日我々に対して「申入書」なるものを執行委員長の名において私経協会長に提出されている。これは「09私学春闘」について大きく4つの課題を「大私教統一課題」に設定した「要求書」であり、「協議の申入れ」である。
・ 大私教の言い分は組合としては当然のことであるし、私は冷静な執行委員会の対応を評価している。本校も組合教員はまだ多いが私はどちらかといえばこの2年間の彼らの対応を評価している。立派であったがゆえに私は「失敗できない」と今更ながら決意しているのだ。信じて付いてきてくれている教職員を嘆かすわけにはいかない。
・ しかし要求項目の4つの内、「私学助成削減問題」と「公私比率の見直しや教育バウチャー」などは私経協としては対応が出来ないテーマでこれらは「大阪中高連のマター」であるからいくら私経協に言っても如何ともし難いのではないか。
・ 統一テーマ、あと2つのテーマの「期限付き雇用教職員の均等待遇問題と雇用に関する問題」「私学教職員の労働時間管理問題」については「意見交換」を始めるのは構わないのではないかというのが私の個人的な考えである。中でも重要な労働時間問題はすでに本校では一歩進めている。
・ 正直なところ100%満足するところまで行ってはいないが他の私学に比べ労基法の精神にのっとり本校は恐らく数年先行しているのではないか。これこそ「民間企業出身の私」が本校の理事長として来た最大の責務と成果だと自負している。
・ 私は本校で残った問題は期限付き雇用職員の待遇問題だと思う。現在他校のデータを集めて分析をしている。「21年度の本校の大きなテーマ」だ。それに「専任教職員の給与カーブが少しいびつ」で若い世代に対して、もう少し配慮することが必要かと思っている。
・ 生涯にわたって考えて呉れれば同じことなのだが本校では40歳、50歳代で給与が相対的に高く若い世代で低く抑えられている感じであり、「是正」の必要性を考えている。これは他の私学でも同じ傾向である。
・ 財源はないのでベテランの給与を若い世代に少し回すということになるのか、新たな財源を捻出するのか今頭をひねっている。前述したように教職員の能力、意欲の向上に繋がる賃金改定を目指すということは「頑張る教員への支援」ということであり、「能力業績評価」ということである。
・ これは「年功序列賃金体系の一部見直し」ということであり、年功序列を完全に否定することではなくて「年功序列プラス能力業績」体系への移行ということである。私はこれが「あるべき姿」と考えている。社会では常識の話である。
・ 本校では「人材育成評価システム」を導入して丁度1年になる。都合3年間の段階的な手順で「処遇へも反映」していく。厳密に評価し相対的に観察して「給与・賞与」に反映されることになる。府立ではもう数年先行していることで、私学でも本校に続いて新たに2校が導入することになった。
・ 今後「大阪府の私学への監視の目」がより厳しくなってくるものと考えた方が良い。それがイヤなら補助金を受け取らねば良いが本校では内部蓄積や大学を有していないのでそれではやっては行けない。
・ 私経協傘下のある大学を有し、伝統ある某私学などは今回の基本方針に同調できない、「我々は独自の道を行く」というところもあるがうらやましい限りだ。おそらくこの学校は内部留保もあり、今後とも生徒募集に自信を有している学校である。正直有力なライバルであるが、悔しいけれども今のところ少し実力差があると思っている。
・ 私のポジションは他の私学と共同歩調を取りながら「体力の範囲内で経営の安定化と教職員の生活の安定」を両にらみで進めていくことしか方法はない。後5-6年で新校舎を絶対に建設しないと決定的禍根を残す大きな問題になりかねない。
・ 本校の教職員で単純に給料が高いとか安いとかは口に出す人は居ても良いが、慎重であるべきだと思う。やぶへびになりかねない。これらを口に出す教員も「自分の給料が世間相場から高い」ということは十分に認識しているのは私との議論でも知っているのである。
・ 本校の有力な理事は「調整手当てをゼロに」「府議会で私学教員の異常に高い学校を名指しで取り上げたらどうだ」などと幾分過激に言われているが何時かはそうなるだろう。今朝の新聞各紙では遂に「09年度国家公務員の給与の削減の声」が与党から出始めた。人事院勧告ではなくて法律で対応するというのだ。少しずつ変わってきている。

2009年3月28日土曜日

3月28日(土)専任教諭採用

・ 「地方の活性化は不可能」。かなり衝撃的であるが久々に興奮を覚えた雑誌記事であった。月刊誌「選択」3月号の巻頭インタビューに早稲田大学特命教授の伊藤滋先生のインタビュー記事がある。
“地方とりわけ農村や漁村の衰退が何をしても止まらない”が「もう何をしても止まらない」と悲劇的表現である。秋田や高知は2035年後には「人口が半減」。日本人が東京から名古屋、大阪、瀬戸内を経て福岡に至る太平洋ベルト地帯に居住を求める傾向は今後とも変わらないと先生は言われる。
・ それでは地方はこのまま「安楽死?」。「死にはしない。」「地方の人口半減で高齢化も一段落」するからその後は「低位安定」で維持されるという。良かったー。”有効な地方維持策は?“。「コンビニと携帯電話が行き渡った地方でそこに生きる人の不安は医療と介護」だとおっしゃる。「なるほど」。
・ 80歳代人口が爆発的に増える20年後までにやっておけばなんとかなる。そのためには「国土交通省の地方向け公共投資より農林水産政策」である。「限界集落を都市の金で維持する」ことは欧米では考えられないが日本では可能だと。全国津々浦々にいきわたる「母親のような予算」を「多品種定額予算で配る」方式が良いといわれるのだ。
・ 記事から切り取った部分だけだから分かりにくいが、ざっと以上のように「地方はじたばたしてももうどうしようもない」と言われているのだ。「目が覚める」。政治家や自治体などが「地方の活性化」と叫んでもそれは「アナウンス効果」だけしかないそうだ。考えさせられるよね。

・ 一方26年後の「大阪府は人口が763万人で少子高齢化がより深刻化」するという。10日の産経の記事だ。現在882万人だから30年後の2047年までに120万人が消えていなくなると言う。
・ 特に「大阪市が265万人で半減」すると言う。「大阪万博が開かれた昭和45年と同じ人口規模」らしい。65歳以上のお年寄りが100万人増える一方で15歳以下の年少人口が50万人減るなど完全に少子高齢化だという。
・ 発表した大阪府は「府内のマンションの供給増や地価の下落で府外への人口流出自体は落ち着きつつあるが、少子高齢化による人口減は避けられません」と述べている。出生率も下がると言うからダブルパンチだ。

・ 一方ジャーナリストの立花隆さんは「人口減が直撃」科学技術が衰退」して「日本はもう危ない」と同じ日に産経に寄稿している。立花氏と言えばあの有名な「田中角栄研究」を書いた人だ。「東大生はバカになったか」も書いた。この本は大変読み応えがあった。「教養論」では第一級の書物だった。
・ 「 知的ジャーナリスト」では第一級の人で私は尊敬している。昭和15年生まれの68歳だ。先生が言うには今日本には研究者と技術者が270万人居て2050年度には政府予測だけでも100万人減少して170万人になるらしい。
・ 「科学技術は衰退し量も質もドンドン低下」して今の維持さえ危ないと警告を発しておられる。「人口減少問題は実は科学技術の衰退」を意味し「国家を危うくする」と言われるのである。背景は80年代に始った日本の教育レベルの衰退、知的水準の低下は今も進行中と先生は言われている。まったく同感である。、大学入試をどんどん楽にする方向にし、受験科目数は減らし、推薦進学などが広まった。大学受験の質が下がれば高校の教育の質も下がる。そこに「理科離れと」と「ゆとり教育」が追い打ちをかけて「大学生の質が著しく低下」した。
・ 先生の批判はまだどんどん受験競争批判が行き過ぎ続く。もう一つ立花氏が強調するのは「やる気がないということです。」と切って捨てている。「チャレンジ精神が極めて希薄に成っている」と強調される。後は省略。まったく同感だ。

・ とにかく「時代の潮目」である。確実に少子高齢化が進んでいる。我々現役世代はそれほど感じないがそれでも私学であるから「生徒募集の成否」は死活の問題である。早稲田の伊藤先生や立花先生などは明晰な頭脳でデータを駆使し論考を進めておられる専門家だからこのような先生の言われることには納得する。
・ 納得して次に「何をするか」が問題であり、ここで「組織や人間の差が付く」のである。大阪府の人口が763万員と120万人減少した時に「浪速高校は一体どうなっているのか」。ちゃんと学校として存在しているのか。
・ 私はもう死んでこの世の中にいないが40年後と言えばまだ今いる若い先生で本校の定年前の先生は多くいらっしゃる。40年後と言うのは一挙に来ないのだから徐々に人口は減少していく。本当に学校が維持される程度の生徒数が確保されるのか、恐らく今から20年後までに早め早めの対応を考え手を打っていかねばならない。
・ それを考えるべき世代の先生方は多く居る。昨日の多聞での理事会で3人の常勤講師の先生が名誉理事長面接を受けた。4月1日付けで「3人の常勤講師の先生を専任教諭として採用」するための最終的手続きである。
・ 私は今朝出張中の一人を除いて二人の若い先生を部屋に呼んで正式に専任教諭として採用することを伝えた。副校長が同席であった。私は言ったのだ。「我々二人はもう残った時間は少ない。先生方はあと40年近く浪速高校に勤務する。どうかこの学校の将来を担って欲しい」と。
・ 「若い世代の君たちこそ浪速の将来の運命を担っている。君たちの人生を輝くものにするため浪速で最後まで責任を全うし自己実現を図れ。」「失敗を恐れるな。恐れるべきは自己の内心に出てくる妥協と今日の気持ちを忘れることだ。」「謙虚になれ、生涯勉強を忘れるな、教師馬鹿になるな。立派な社会人こそ立派な教師である。」
・ 「本校の将来を頼むぞ」と言って私はこれらの先生の手を「グッ」と握って握手したのだ。これで私は着任以来19年度に4人、20年度に4人、21年度に3人と合計11名の専任教諭を作ってきた。いずれも私の責任で採用した。どうか後で「失敗した」とだけ思わせないようにして欲しい。死んでも死に切れないからだ。
・ そして他の常勤講師の先生方にも大いに期待している。本来では専任になれる可能性は格段に高い。自信を持って衆目一致する「素晴らしい教師となるポテンシャルンの高さ」を見せ付けて欲しい。私は可能性を買っているのだ。

2009年3月27日金曜日

3月27日(金)多聞での理事会

・ 朝7時に多聞で「学習合宿中」の進路指導部長に電話を入れた。昨夜の寒さから生徒の状況を確認するためだ。「全然、問題ありません。生徒は皆喜んでいます。何か3段ベッドは夜行寝台列車みたいで大人気です。」と返って来た。でも二つほどベッドの手すりを生徒が壊しましたがと言っていた。
・ 夕食も豪華で味も良くて皆満足でした。風呂も問題ありませんでした。今7時で生徒は朝食に起きてきています。とにかく「雰囲気が大変良いです」と返ってきたので一安心であった。「リゾート地にいるような感覚」なのだろう。
・ 朝食のご飯を炊いてくれる弁当屋さんは4時30分には来てお米を洗っておられましたという。とにかく100人を超える人数の朝昼晩3食のおかず作りは大変な作業で河内長野の弁当屋さんは兄弟親戚寄せ集めて「戦争状態」だという。もう1社早急に探さないといけない。1社だけでは今後1年無理だと思う。
・ 今日の理事会評議員会では生徒には制服を着せておきましょうかと言うので「必要ない。自由服で良い」と私は言った。多聞で制服を着させる必要はない。しかし今回の多聞開設にこの進路指導部長と副部長は大変良く頑張ってくれた。

・ 今朝の朝日は1面トップにかなり大きく「定時制高志願急増」の見出しが躍っている。「不況・・・私学回避・雇用不安」「大阪や京都定員超え」ともある。朝日らしい視点の良さだ。今年の公立の志願状況は「腑に落ちない」ことばかりで一体全体受験者は「何処へ消えたのか」という疑問は多くの私学志願者の頭にあった。
・ 公立トップ校こそある程度の志願者を集めているがいわゆるしんどい学校が定員の2倍近く集めてそこを不合格になったら「高校に行かないか、定時制に行くと言う構図」が今回の記事で明瞭に見えてきた。
・ やはり巷間言われていたように「公立2ランクダウン受験」で公立合格を間違いないものにして、万が一そこを落ちれば「高校に行かない」グループと「定時制に行く」グループに分かれたのが実態なのだと思えるようになった。
・ 「私学に受かったけれど経済的に苦しく辞退した。公立の全日制に落ちて定時制を受けに来た」「働こうと思ったけれど親は高校は行って欲しいと泣かれて定時制に受験した」などとの生生しい記事内容がある。
・ 大阪府内の定時制19校21学科で募集人員571名に対して756人が志願し「倍率は1.32倍で昨年が0.42倍」だったことからすれば桁違いの大きさだ。この傾向は京都や神奈川などにもあり間違いなく家庭の経済問題が背景にあるとしている。
・ 私学にとっても大変な憂慮すべき事態の到来でますます「私学の淘汰」が進むだろう。近隣の学校でも今年は「戻り」が大幅に落ちて「定員割れ」しているとの情報が塾から入ってきた。本校は「定員オーバー」だから一安心であるが「先行き油断」は出来ない。
・ 偏差値レベルで比較的低位である私立学校は大幅な戻りがあったと専らのうわさだ。また有力な進学私立も戻りが大きかったという。これらのことは今回大阪で起きている「公立、私立への進学模様」が完全に変わりつつあるという我々の想定を確信あるものにしている。今回の朝日の記事は完全にそれを裏付けている。結局は「中途半端が駄目」だということである。

・ さて「多聞尚学館で開く初めての理事会評議員会」であった。こういう機会でもなければここで理事会を開くなどそんなにある訳がない。私は「開館式」を前にして最初に理事会をここでどうしてもしたかったのである。だから突貫工事で急いだのである。
・ 今日は「内輪の内覧会」もかねている。名誉理事長や理事職務代理に「門塀の表札や校章」のお披露目をしていただきたかったからである。そのためこれらには白い布をかけ、形通りのテープカットであったが、それをお2人にやって貰いたかったのだ。
・ 本日の議題は重要案件が多く、「20年度補正予算案」、「21年度予算」、と「事業計画」を議論承認してもらう。そして「最終的に多聞尚学館の契約金額の承認議決」である。去る3月23日の村議会で最終承認され契約書が取り交わされた。本校から購入金額の振込みは4月2日である。
・ ここでは金額は書けないが「十分満足する金額」で我々の想定を下回った。だから幾分多く改造に回せたのである。本当に助かったのである。「まけて貰ったのではない」。土地を実測したら図面より小さかったから自ずと金額が下がったのである。私は本当に「運が強い」と思う。
・ 次の重要議題は「評議員、理事の改選」がそれぞれ1名あった。「寄附行為」にのっとりここは整然と進めていかねばならない。企業であれば「取締役の選任」であり、極めて厳然と手順が定められておりそれを逸脱した人事であれば監督官庁の大阪府が承認してくれないからだ。
・ 特記事項は当然のことながら「本年度の中学校、高等学校の募集状況分析」となる。私からは「厳しさ」を説明した。それに今回は「学校自己評価」を初めて報告した。又「来年度以降の教室手配と新校舎建設の手順」についても議論があった。
・ 正直言って資料は私が理事長になって以来万全以上のものを用意してきており、昔は決算書くらいしかなかったらしいが、とにかく「評議員と理事者には説明を尽くしている」と私は思っている。
・ しかし本校がここまで来れたのは名誉理事長や理事長職務代理はじめ理事や評議員の先生方のご支援の賜物であり、本当に私は感謝申し上げている。「金は出すが口は出さない」方式で「私に全面的に任せてくれた。」それだけに私も頑張ってきたのである。
・ 21年度は理事の入れ替わりもあり、「多聞尚学館の活用、関西大学さんとの連携」など大きな仕事が待っているだけに更に気を引き締めて頑張っていかねばならない。今日の理事会で執行部提案がすべて承認された。
・ 本年度の残った私の仕事は「管理職評価と来年度年俸の決定」である。「厳しく査定」していく。教員に対しては教員評価育成システムに則っての評価作業もそれぞれの管理職で始まっている。多聞から学校に帰って来た時刻は丁度19時と遅くなったが、充実した一日であった。

2009年3月26日木曜日

3月26日(木)多聞使用開始

・ 昨日の「来年度教員体制」が大筋決まればこれで本年度の大きな業務は終わる。従って今日からは「忙しい教員と忙しくない教員」の二つに分かれる。これは致し方のないことで「忙しくない教員がけしからん」ということにはならない。それは仕事の違いだからだ。
・ 教員の仕事は「低緊張がだらだらと続く」と言ってよい。実は「これほど疲れる仕事はない」のだ。サラリーマンのように「緊張の山と弛緩の谷」があるような仕事ではない。だから年度末で「生徒がいない」この時期ほど教員にとって「ホッ」とする時はない。だから私は有給取得奨励として「ゆっくり休む」ように校内メールで促している。
・ しかし「運動部の顧問先生」はこのときを狙って「遠く合宿」に出掛ける。彼らは年がら年中休みなどない。しかしそれでも元気で早速ラグビー部が愛知県に合宿に出かけた。出発前に挨拶に来た顧問先生の嬉しそうな顔を見たら、私は「激励」するしか言うことはないのだ。
・ さて遂に「多聞尚学館の使用開始」だ。朝8時「春のトップセミナー」参加者100名がバスに分乗して千早赤阪村に出発した。「バスも年間契約をして割安の手配」としている。学習意欲の高い生徒が多く、しっかりとした足取りでバスに乗っていった。
・ 私は遅れること40分、学校車で出発した。10時からの「開講式」で檄を飛ばすためである。改装した匂いの残る館内の素晴らしさに生徒は歓声を上げていた。何か「リゾート地の研修所」みたいで彼らも「誇り高く嬉しかったのだと思う」。私の挨拶の時に大きな拍手が上がった。
・ 今日は金剛山中腹にある多聞尚学館は「随分と冷える。」気が付くと「粉雪がちらついてくる」ではないか。「幻想的で素晴らしい眺め」であった。生徒達も大喜びであった。館内見学、使用に当たっての注意等をした後早速「講義の開始」だ。
・ 今回は数学、英語、古文、日本史で4人の先生が講師として対応してくれる。女性の先生はお一人だ。大きな女性講師室にお一人だから「ワー、どうしよう」と言っておられたが頑張って欲しい。
・ 男性二人は「お試し宿泊」してくれた先生で、日本史の先生は昨夜お孫さんが誕生したとかで「元気一杯」で張り切っておられた。教室では出来ないビデオなどを使って日本史の体系を教えると意気込んで頂いており、今までこのように社会科で十分な時間を取った特別講習など無かっただけに張り切っておられた。「センター試験」で社会日本史で「点を取れ」と私は言っているのだ。
・ 明日の「理事会評議員会」は実はここ多聞尚学館で開く。内覧会をかねて30名以上の理事、評議員の先生がお越しになる。その部屋も教室が多くあるので全く問題ない。2階、3階では生徒が学んでおりその光景も見てもらう積りだ。
・ 弁当屋さんが「お惣菜」を届けに来て呉れ、調理室では「お米を合計10升」炊いてくれている。これで100人の生徒に足りるかどうか心配していたがギリギリで、追加で3升炊いたみたいだった。男子の生徒は良く食べる。おかずはコロッケにハンバーグ、ほうれん草の炒め物にもやしスパゲッティが少し、量も十分で何より温かい。ご飯が出来立てで、それにインスタント味噌汁が付くから申し分ない。生徒が満足している様子を私はこの目で確認した。
・ 「今夜の寒さが気になる」ので各部屋の暖房をチェックして廻ったがまだ良くわからない。しかし「エアコン」に加えて「灯油ストーブ」があるのだからこれを足せば十分だろう。特に寝室は事前に部屋を温めておくことで問題はない思うが、果たして・・・。
・ 冷蔵庫、パソコン、プリンター、各種用紙、掃除道具、風呂桶、椅子、シャンプーにリンス、着替え箱などすべて揃っている。ちょっとした「ゴルフ場の風呂場感覚」だ。女子の更衣室には鏡もつけた。ただしドライヤーは置いてはいない。
・ 最初のセミナーが順調にスタートしたことを受けて私は多聞を後にして学校に戻る。これで3日連続で多聞訪問で明日を入れれば連続4日間だ。「行きに55分程度」だから近いのだ。これが購入を決めた最大の理由だった。文句の付けようがない。しかしこういう仕事は面白い。だから疲れなど出ないのである。
・ しかし学校に戻れば疲れが出る話ばかりだ。実は今朝方、昨日の「国語科で科会が2回」も開かれたという報告を受け、「瞬間ピピッ」と来たのである。ひょとしたらまた「持ち時間問題か」と想像したので関係者を呼ぶとそうだと言う。多聞に出発する時刻もあり帰校後、報告を聞くとした。
・ まず科長と当該の教諭から詳しく話しを聞いた。結果的には全員が納得できる結果となっており基本的に不満のないように調整できたというから私はそれで矛を納めた。もしこれが「教師の持ち時間均等を優先させて生徒の為になっていない」ような時間配分であればやり直させるつもりであったがどうも修正原案がベスト案だというのでそれならと不問にしたのだ。
・ 不満を有した教師が例の朝読書事件の当事者だったから余計に心配したのだ。「国語科はもっとモット胸襟を開いて議論しなければならない」。今回でも結局2回の科会でベスト案が出てきたというのだ。なぜ最初から出ないのだと私は思うのである。
・ 他の私立高校から「転入希望者」が出ており本日学力検定試験をして、その結果報告を受けた。少し本校のレベルからすれば「しんどい」のではないかという結論になって、その旨を最終的に決断した。教頭先生に丁重に相手の私立高校さんにご連絡するように言ったのである。
・ ブラスバンド部の顧問が来年度も「楽器を購入」して欲しいと来る。打楽器が少ないと言うので私はどんなものか知らないが「マリンバ、ビブラフォン、チャイム、バスドラム、銅羅、シンバルコンスタンチノープル」と言う楽器の購入を承認した。これで3年連続で合計1000万円以上だ。まあ良く頑張ってくれているから仕方がない。
・ 3月14日から「カナダバンクーバーに出張」してもらっていた英語科の先生から出張報告を受ける。「夏の語学研修」は今回からバンクーバー近郊のメイプルリッジにあるメドウッジスクールに変わる。その「下見」であった。しっかりとした報告で納得できた。この先生は派手さは微塵もないがしっかりと仕事をしてくれそうで最近私は評価している。夏に向けて準備に抜かりのないように言って激励した。
・ 「 入試広報室から報告」があった。「併願戻り者の併願受験校のまとめ」だ。これは今年私の強い指示でまとめてもらったものであり。「極めて重要なデータ」である。この表を見れば「どの公立を受験し本校に戻ってきたか」一発で分かるのだ。今まで調査をしていなかったことさえ私には理解できない。
・ この時入試広報室には昨日の「関西大学さんとの連携の話し」を再度徹底し、「本年度の広報戦略」は思い切ってやるように言った。広報費も当然予算的に上げねばならないことを覚悟している。3人の中心人物の頭文字を取って序列の下から順に「TKOトリオ」はやってくれるだろう。この3人は「センス」もある。テクニカルKOとならないように願うばかりだ。

2009年3月25日水曜日

3月25日(水)ブログ再開

・ 3日間の服喪を終えて又「校長日記の再開」だ。このまま「止めようか」とも思ったが「2年は続けると宣言」したし、多聞尚学館の開館式やその後の使い方、関西大学さんとの連携、土曜日の使い方など「情報発信」を進めなければならない「重要なテーマ」が続く。もうしばらく継続だ。教職員は「イヤーな感じ」だろうが、「辛抱」して欲しいと思う。
・ 昨日は「公立高校の合格発表の日」であった。10時発表で、本校で併願合格し、運悪く公立受験に失敗した生徒は午後3時までに入学料の振込み用紙の写しを持って来校し、入学受付を行う。これが「併願戻り」である。
・ 何時もながらの情景が繰り広げられると思っていたが、泣いて目を張らした生徒は見かけなかった。さばさばした生徒と少し落ち込んでいる保護者だ。可哀想であるが私立学校としてはこれらの生徒がいないとやっていけない。これが「公私比率」である。
・ 従って私は高校の場合「入学式」を重要視している。生徒が「元気になる」よう様々な配慮をしている。「挫折感」を早く癒して「浪速の方が断然良い。」「公立に負けるな!」と言うのが私のスタンスだ。「誇り」を持たせるように式辞も考えている。
・ さて肝心の併願戻りであるがこの日記において何回も過去言及しているように今年は大変想定が難しかった。厳しい予想をしていたが予想が的中である。「併願戻り率が予想ミニマム」となったためである。最も「去年が出来過ぎ」であったとも言える。
・ それでも大台はキープしている。これだけあれば不足はいえない。去年が大きすぎたのである。「新経営計画の設定数値」よりは中学で1クラス、高校で3クラスは多いし、我々の不可抗力のところで決まる数値であり、この結果を受け止めて良い教育を展開していくしかない。
・ 経営的には今年卒業した生徒数に対して入学者数が多ければ良いのであり、この数値は「150名を超える大幅の増」である。これは大いに助かるのである。これで本校は中学高校合わせて1840名を超える「マンモス校」となった。
・ 今朝は8時から管理職ミーティングを実施した。8時45分に多聞尚学館に出掛けるためである。二人の教諭が試し宿泊をしてくれて詳細報告を得ていたのでそれを自分で確かめたかったのである。どうも「男子生徒用のトイレの数」が少ないのではないかという心配であった。朝の集中時の問題である。
・ それに今日は椅子や机が運び込まれる日で到着したときには業者さんが並べているところであった。こういう備品が並ぶと「雰囲気」が出てくる。校内放送もチェックしたが万全で男子寝室(旧幼稚園)にも音声がバッチリ入っている。「多聞尚学館のイメージソング」である「青葉茂れる」も綺麗に流れていた。
・ さて今日は併願戻りの確定した翌日で極めて重要な実務のある日である。即ち「来年度の体制を決める日」であった。朝から夕方まで断続的に会議が設定されているのだ。来年度から本校に勤務される常勤講師の先生22名も本日は合流される。
・ まず9時から職員会議でクラス数と生徒名列の発表だ。その後「教科主任会議」があり「時間割作成」の基本方針というか前提条件など大筋が決められる。その後10時からは「学年別新担任会議」が開かれ、次に「教科会議」となる。ここで昼休憩となり午後は新しい「教科類別担任会議」、中学校の校務会と引き続いて教員間の調整業務が続き、15:30分過ぎに担任以外の「所属学年、分掌の発表」があってこの日の予定が終わる。
・ 「私立高校の悲しさ」で併願戻りが確定した後、「スピーディに効率的」に様々なことを決めていかねばならない。本校は長い歴史でノウハウが積み重ねられており、スムースに事が運んでいく。全てのセンターは副校長と教務部長となる。この後教務は「時間割作成」という大仕事が待っている。
・ 私はそちらの方は副校長に任せて多聞で明日から始まる「春のトップセミナー」の準備で多聞に行ったのだ。「何事も最初が肝心」で生徒に良い印象を持ってもらうため最後までチェックを怠らない。
・ 最終的に大型米びつ3つにお米が満杯で大型炊飯器もジャーも全て揃っていた。これで生徒が「餓死」することはない。明日から「冷える」と天気予報が報じており、気になるがエアコンは設置した。不足の部分は灯油ストーブだろう。とにかく事故だけはないようにしなければならない。
・ もう一つの問題は「セキュリティ」である。女生徒と女性教員が宿泊する。不審者対策のために「セコムしてますか」を頼むことにした。基本的に外部とは窓ガラスの部分が多く、危険予知をしておかねばならない。新しいことの立ち上げには色々とあるものだとつくづく思う。
・ 午後重要な仕事があったので現地には1時間30分ほどで立ち去り、学校に戻る。12時であった。昼食を取った後12時25分に車に飛び乗り「天下茶屋駅」に行く。そこで13時1分初の北千里行き阪急に飛び乗って「関西大学へ訪問」である。ここまでは順調で良かった。
・ ところが電車の中でぐっすりと寝てしまい起こされたところは北千里終点で慌ててタクシーを拾い関大まで戻る。14時のアポであったが5分遅れて大学会館に到着。今日は関西大学の「河田悌一学長先生」にお時間を頂いており、「表敬訪問」である。
・ 実は前から早くご挨拶をと思っていたのだが結局今日になってしまい、とにかくお会いするのを私は楽しみにしていた。想像通りの先生であられた。「穏やかで品がよく、それで居て気さくな感じ」の漂う泰斗であられた。大変立派な学者先生とお近づきになれて大変良かったと嬉しくて仕方がなかった。
・ 先生は私に「前から会ってみたかったよ」と言っていただき、「想像と違う感じ」と言われた。どうも痩せ型の沈思黙考タイプの戦略家タイプと思われていたようで、大柄の体全体からパワーが溢れる感じに少し驚かれたのではないか。「体重は何キロ?」と聞かれてしまった。少しダイエットしよう。
・ お話は色々と飛び、先生のご親戚が実は私が前勤めていた会社のまさに直属の上司であったことなどの話もあった。帰りには先生から著作「書の風景」という書物をご署名入りで頂くなどの「果報」もあって極めて幸せ気分で大学を後にしたのである。
・ 6月9日に河田学長先生に本校に来ていただき、生徒に「ご講話」頂くことも決まった。このようにして「確実に本校と関西大学との距離が縮まっていく」のを私は実感する。

2009年3月22日日曜日

3月22日(日)喪に服す

・大変お世話になったお方が本日午後亡くなられました。喪に服するために今日から3日間校長日記のアップは致しません。

2009年3月21日土曜日

3月21日(土)20年度終了式

・ 今日は些かでも早く自宅に帰れて良かった。それでも3時半だ。汚い部屋の掃除と買い物だ。食べるものがない。近くのスーパーまで出掛けるのだが丁度「大相撲3月場所」を勧進している「大阪府立体育館」の前を通っていく。
・ その前にはお相撲さんと大勢の人だかりだ。「なんてカッコ良いのか」と何時も思ってしまう。背が高くてカラフルな「着物の着流し」で鬢付け油の匂う輝く髷を結い、恐らく風呂上りなのだろうが、とにかく「男前」である。
・ 一人の大きなお相撲さんが素晴らしい「大島」らしい着物と「角帯」をしていたので「良い着物と帯ですね」と私はすぐ話しかける。「いや、本物じゃないかも知れませんよ」と又笑顔を良いのだ。「栃王山関」であった。出世のホープだ。
・ 少し離れたところにまだ若い幕下らしき人を見ると少し帯が違う。「帯が角帯ではないですね」と聞くと「我々幕下は袋帯しか締められません」という。関取になって角帯となるらしい。「知らなかったなー。」「厳しい序列の世界」である。
・ それにしても早く大相撲が終わってくれないと好きな着物が着られない。私が着物を着てこの辺をうろちょろしていたら「変な相撲取り」に勘違いされるだろう。だから良い気候になったがまだ着物を着れないのだ。退いてしまうのだ。

・ 今日は平成20年度の「終了式」であった。本校では3学期の終業式とは言わず「1年の終了式」」という。中々良い感じ。まず学院神社の前に自治会長と中学校の生徒会長を引き連れて「神前報告の儀」だ。1年無事に終わった「感謝の気持ち」を神様に捧げる。
・ 参拝の前に二人が「校長先生、あの神様にお供えしている果物などどうするのですか」と聞かれて「困った」のである。知らないのだ。「ウーン、誰かが頂くのではないか」と取り合えず答えておいた。今回などは果物野菜だが例祭などの時には「大きな鯛」などもある。
・ 式が終わった後誰にも分からないようにお供えしていた「青りんご」を二人にプレゼントしたら「破顔一笑」、大変喜んでいた。急いでポケットに隠していたな。そして本校の良いところなのだが終了式で一年を通しての優秀賞や皆勤賞などを生徒表彰するのだ。これは良い。

・ 式が終了すると今日で最終日とした3人の常勤講師の先生が「ご挨拶」に来てくれた。丁度管理職朝会の途中であったから皆で感謝の言葉を述べたのである。そして司書の先生をお呼びして1年の雇い止めであったが「慰労の金一封」を差し上げた。退職金が制度としてないからである。本当に良くやって頂いた。普通はここまでしてくれない。立派な引き際であった。

・ 10時、学校の車で千早赤阪村の「多聞尚学館」に向かう。「工事の進捗チェック」だ。昨日は休みなのに教務部長が視察に行ってくれたと事務長補佐から聞いた。「立派」である。とにかくこの先生は「責任感」に溢れている。
・ 4月からは「指導教諭」として遇することになり、「指導教諭手当て」が府立高校の指導教諭に準じて支払われるし60歳以降の本給逓減率も緩和される。元来は管理職の器だが本人の固辞だから仕方がない。
・ さて多聞だ。「カウントダウ」と言ったところか。段々と素晴らしくなってくる。浴場に驚いた。床にヒノキの「すのこ」が敷かれ「木の香り」が素晴らしい。「男子は3段ベッド、女子は2段ベッド」が並んだ様は「壮観で見ごたえ」がある。
・ トイレも小学生用から大人用に変更し「温水便座」だ。「各部屋に洗い」が入ったのでとても綺麗である。「工事業者さんが誠意」を持って大変よくやってくれている。元々ここを建てた地元の建設業者だから中身を大変良く知っているのだ。
・ 今日訪問の主な目的は「扁額」の受け取りであった。「泉大津の書道家」に依頼して「青葉茂れる」を揮毫してもらい、それを本格的に額装してもらったのが到着したのだ。縦1メートル、横2メートル以上の大きな物で「素晴らしい書と額装」に私は感動した。私はこの先生の字体が好きだ。
・ 大教室というか「多目的大ホール」に飾ることにしてその場所を業者に指示した。書を裏打ちし額装した人は神戸のお方でお若いが芸術家的で私の注文であった額縁の色は「青葉茂れる」だから青か緑として指定していたのだが「品の良い素晴らしい深緑の額縁」で私は120%満足した。
・ 23日から椅子や机が入り最終的にセットされる。25日に全て終わり、26日に「仮使用開始」だ。120名の生徒が乗り込んでくる。「春のトップセミナー」である。数学と日本史の徹底講習だ。4泊5日ここで生徒は悪戦苦闘となるか。
・ 弁当屋さんの手配も終わっている。貸し布団屋さんが25日にはセットしてくれる。二人の教員が「お試し宿泊」を23日に行ってくれると言う。今日エアコン設備が取り付けられていた。各部屋だから「9台の大型エアコン」だからこれで寒かろうと暑かろうと「ドンと来い」となろう。
・ 体育科のI教諭のアイデアで「校鳥」である石造りの「ふくろう」一対を正門の塀の上に置くことを決めその場所も指示してきた。23日には到着するそうである。とにかくこの先生、こういうところに変に気が回るのである。面白い。私はこの種の話にすぐ飛びつく。

・ 帰りに地元の「建水分神社」という由緒ある神社に立ち寄り4月12日開館式の「神事」をお願いした。理事長職務代理のご紹介である。立派な神社で「楠木正成公が奉納した重文の奥の院」を特別に拝観させて頂いた。
・ ご案内頂いたのは禰宜のお方で皇學館で学んだといい本校の神道科M教諭と同期といわれる。親切な神職であった。この神社の「神紋」は「菊水」で「楠木一族の家紋」であり、「多聞尚学館の紋章」である。即ち「旧多聞小学校の校章は菊水」なのである。時代を経た銅版作りの菊水の校章が玄関入り口にあり、その左右に「浪速中学校と高校の校章」を並んでつけたのである。スペースシャトルではないが打ち上げのカウントダウンに入った。

2009年3月20日金曜日

3月20日(金)一宿一飯の恩義

・ 昨日は「実務的な本年度最後の職員会議」であった。私は参加者の数を内心では心配していた。インターハイで出張する教員は多く、これは良いのであるが一昨日の「進級判定会議」が終わったから「年休を取って休む教員」が多いのでないかと想像していた。
・ 結果は杞憂に終わった。職員会議の日に休暇を取るなど特別の場合を除いてあるのがおかしい話で若し多ければ「一大決心」で職員会議に臨んだのである。「職員会議を職員が重要視しなければ」、それはそれでやり方はあるからだ。
・ 冒頭私は「今年で契約が切れる4人の常勤講師」の先生のお名前を挙げて「お礼の言葉」を申し上げた。いずれも20年度1年限りのお付き合いであった。お一人は兵庫県のご自宅にお戻りになり、一人は母校での教師の仕事を得たということ、お一人は他校で有期限の良いお話を頂いたとのことであった。もう一人の先生にどうされるのかは分からない。この人のことについては後述する。
・ 4人のうち3人が国語の先生で正直ぎりぎりで退職を申し込まれてきたから人事担当の副校長は国語科の後任探しに「切りきり舞、てんてこ舞い」であった。「来年度も継続の内定」を蹴っ飛ばして」出ていくのだから当方は大変だったのである。
・ しかし私の基本的考えはこうだ。「良い条件があれば職業の選択は個人の自由である。引き止めてはならない。」と副校長には言明している。まして常勤講師だ。良い条件があれば当然そのほうに行く気になるのは自然だと思う。ただそれ良かったかどうか、将来幸せになれるかどうかは別問題だが。
・ だから若い教員で「故郷の公立教員の採用試験」をどちらかというと「積極的に受けなさい」という立場だ。引き止めたりはしない。そして万一公立の採用試験に失敗しても本校で救ってやるという姿勢を貫いてきた。ただし3年間までである。
・ 3年間もトライして駄目だったから「もう諦めました。浪速で働きます」といわれても答えは「いや有難う、申し出でだけで結構です。」と丁重にお断りする場合もあるだろう。公立で3年もトライして合格しない先生を、本校で雇うわけには行かない。当然だと思う。「私立一本、浪速一本」で頑張ってくれている教員に悪いではないか。
・ 40名近い常勤講師の先生がいるから経歴は多彩であり、私は「若い人と働くのは大好き」だ。彼らの将来を輝くものにするため、「本校を土台」にして好きなようにして良いと常々言っている。私との付き合いも後になれば「人生の一こま」にはなるだろう。
・ 「エエッ、あの木村校長の浪速高校で!」「ええ、そうです」「大変だったでしょう」「いいえ、勉強になりました」くらい言ってくれると嬉しい限りだ。本校を希望してくれる常勤講師の先生の中には結構の数で「ブログを読み、この人の下で働きたい」と言ってくれる人は多いのだ。
・ 私は常勤講師の先生を見ていないようで実は観察し情報を集めている。良い点があれば部屋に呼んで「評価の言葉」を口にする。気になる点があれば「アドバイス」もする。それくらい若い人は私にとって「金の卵」だ。だからこの金の卵に毒を振り掛けるようなベテランの教員がいるとすれば私は敏感になる。
・ 現実に専任に採用した若い教諭が職員室でベテランに混じってぐちゃぐちゃ仕事と関係ないような話をするようになっているという。私は3月9日から3夜連続で重要なメッセージを発信しており、特に3月11日は「職場風土とOJT」がテーマである。重要なのでその中の一部をもう一度抜粋してみよう。
 “ところがこの辺が「だらしない職場」であれば「先輩のやる言動」を見ていて、若い人が「あれで良いんだ」と思い込んだら、一貫の終わりで、逆スパイラル現象で職場はドンドン悪くなっていく。昔、公立学校時代にある府教委の幹部が言っていたことを今でも私は忘れない。今、府教委は教員の新規採用に躍起であるが、勢力を注いで採用した新人が職場配属して半年も経ってみると「もう半年前の姿は何処にもない教員がいる」というのだ。面接などでは素晴らしかった新採の教員が「配属先の風土に染まって」しまい、たった半年でいかにもだらしなくなっているのに「愕然」としたというのだ。それくらい職場風土は急性で罹患する。そしてそれが慢性病となり、じわじわ「学校を壊していく」のである。
本校でも私の耳に良く入ってくる。「ベテランの先生は直ぐ帰宅する。」残っているのは若い先生ばかりで、信じられない話だがベテランが若い先生に「早く帰れよ」と自分の帰りが早いことへの正当化作業として進めるような教員がいるという。帰ってよいから「黙って帰れ」と言いたい。良い風土が出来ていないならそれは「作り、醸成」していかねばならない。しかし口ほど易しいものではない。基本的に部屋に閉じこもり、接触の機会の少ない校長では限界がある。最も有効な手立ては何時も側にいる「ベテランの教師が若い教師を指導する」ことであるが、学校というのは企業や行政の公務員と違ってベテランになればなるほど「素晴らしい者とだらしない者」に分かれる比率は高いと私は観ている。“(以上が抜粋)
・ ところがベテラン教師が指導するところか「学校への不平不満をしゃべくりまわっている」ような職員室では職場風土に染まるのも居れば「聞くのもイヤになる」という常勤講師もいるのだ。
・ ある常勤講師は「そういうことを私らの耳に入れてどうせよというのでしょうか」「うなずけというのでしょうか」「学校の昔の話は理事長のメッセージで十分分かっています」「私たちにとって大切なことはこれからで昔は給料が高かった、休みが多かったなど昔のことは聞きたくもありません」と私に明確に述べたのである。
・ 又お辞めになる先生は「教員間の温度差を感じます」「特に国語科は校長方針が受け止められない体制である。」「もっともっと生徒の力を伸ばせます」「この学校はまだ男子校のイメージを引きずっています。」等々前向きの提言をしてくれた。私は大いに感謝したのである。
・ しかし変な常勤講師も居る。副校長に挨拶もなく有給をすべて取って18日から最後まで学校に出てこないという。「非常識」極まりない。この先生は前の学校を辞めて本校で働きたいというから、私が最終面談をして採用を決めた先生で、それなりに本校への「恩義」はあろうにと思う。「一宿一飯の恩義」とも言う。
・ 私は年代的にも本校にいない世代で見所のある先生だと思ってもう1年様子を見て、見極めれば専任の道もあったろうに残念でならないが、まあお考えがあったのだろう。しかしだ。1年間頑張ってくれたお人だ。私からも慰労の言葉を言いたかったし、先生のお考えも聞きたかったが「風のごとく」居なくなってしまった。
・ 人間何が大切かと言っても「最後」である。「最後を見事に飾ってお終いにする」ことが「その後に繋がる」。好対照が図書司書の先生だ。1年で「雇い止め」であるがこの先生はお菓子などを職員室に配ったりして挨拶をして回っておられると聞いた。「人間の格の差」だろう。
・ 本校ではたった1年でも退職金は1.05か月分お支払するが、なんとも「やるせない気分」だ。教職員に最も大切なことは「礼節」ではないのか。今私学で1年勤務の常勤講師に退職金を支払っているのは確か9校だけである。前述した司書の先生には退職金はない。

2009年3月19日木曜日

3月19日(木)読書

・ 「選択」という月刊誌がある。「この「選択」は言ってみれば「情報誌」でページ数が100ページ程度の「読み易い」月刊誌である。店頭販売は成されていないため、年間契約で郵送されてくるものだ。「マニアックな雑誌」と言っても良い。
・ 定期購読して15年以上になると思うが、面白いのだ。私が評価しているのは「分析が鋭く」、記事の内容に贅肉がなく、その上観点が普通の月刊誌とは違って些か「ひねっている感じ」でそこが面白い。
・ 今月号でも「民主党政権でも役人天国は安泰」とか「見渡せば悪材料だらけ、“落日トヨタの明日」「見直し巡る暗闘は果てしなく”郵政民営化空中分解確実に」とかタイミングよく時事問題を編集部員がまとめた記事として載せているのだ。寄稿文はない。あくまで記者の主観が記事になっている。
・ 今、「」とか「論壇」とか月刊誌の廃刊が続いている。有力な伝統あるものさえ廃刊のやむなきに至っているのだ。「本当に日本人は本を読まなくなった」。月刊誌は「旬な話題」を主軸に編成するからそれなりに社会に対して「自分の意見を持つための有力なサポート」になるのだろうが、売れなくなったということが残念で仕方がない。
・ 一つには「インターネットの波及」であらゆる意見がネットで検索できるし書き込みなどを見れば自分とは異なる意見を目にすることが出来るからだろうか。又「テレビの影響も大きい」。 テレビの報道番組で一方的なニュースとして流され、時に「コメンテーター」と称する人たちが「思い込み」や「狭い了見」だけで論評したりした意見がブラウン管から「ドバーッ」と流されそれが「世論」となっていく。
・ テレビを見ていたら「誰もがいっぱしの社会評論家」になったとでも錯覚を起こしてしまうのだ。自分で考えず「テレビ誘導の意見」を、さもそれが自分の意見だと錯覚しているに違いない。少し視点を変えて意見を求めると「チンプンカンプン」の人がいる。
・ そのような意見などは「風評」の類のものもある。やはり「事実は何か」が問われ判断するには「信頼するデータと自分の頭で考える」ことが要ると思うのだ。そのデータを自分で探し選択しなければならない。そのためには「見るのではなくて読まなければならない」と思う。見ることと読むことは根本的に違う。
・ 意見には「保守系」と「左翼系」とがある。「改革派」と「守旧派」という区分もあるだろう。中立とか何とか言っている論調には「アイデンティティ」が明確でないから良くわからなくなる時がある。やはり「筋」と言うものは大事である。従って社会問題に言及する週刊誌や月刊誌などは「論調」が大切である。
・ 出来れば、ここがポイントなのであるが、「双方の意見を読む」ことが大変勉強になる。「反論する相手の論旨の展開」がどのように成っているのか、同じ現象をどのように観ているのか、そこの比較が面白いのだ。
・  「教員との議論」で問題なことはこの部分である。何か感覚で「好きだ、嫌いだ、良い、悪い」を述べているように思えてならない時がある。だから「ディベート」など彼らとは無理だ。議論が発展していかない。「どうして反対なんですか」と聞いても的確な答えは返ってこない人が居るのだ。頭で論理を組み立てて置かねばならない。
・ 「双方向を勉強する」ことが重要である。 新聞とても同じである。朝日新聞を読んだら産経新聞を読むことで問題の本質が分かってくるのだ。その分かったことが自分の血となり肉となってくる。日本経済新聞をなめるようにサラリーマンは読むが、あの新聞には企業人をして「なめさせて読ませるような味」がするのである。私も今でもなめている。
・ さすがに日本の新聞5大紙は立派で私は毎朝これに大阪日日をいれて6紙を7時10分から8時10分までの1時間で読む。私にとって「至福の時」だ。読みながら頭の中が整理されエンジンがかかってくるのが分かる。「脳のアイドリング」である。
・ そして夕刊がまた貴重だ。夕刊は時々明日朝の朝刊の紙面をこぼれたものが載ったりすることもある。それに朝刊に比べ何か「緩やか」な感じがする。「教育記事などは夕刊に光るような内容記事」を時々目にする。私は産経、朝日、読売、日経の夕刊を読む。
・ 加えて私は「単行本」を月に数冊読む。最近のブログにも書いたが「男道清原和博」「許永中 日本の闇を背負い続けた男」「元特捜検事 闇社会の守護神と呼ばれて」などがある。特に後2冊は面白かった。
・ ところで「教職員の読書量」は果たしてどのようなものか。時々考えてしまう。教職員には毎月の給与に「研究費」の名目で手当を支給しており、これは企業のサラリーマンにはない。やはり先生と言うのは「教材や研究会」などへの出費もあろうからその補填を考えている、おそらく「日本独特の手厚い教員へのリスペクト代」だと私は思っている。
・ 問題はこの研究費をちゃんと研究や教師としての力量アップ、人間としての幅の拡大策などに「有効に使っているのか」という疑念が正直のところある。この研究費は基準内賃金だから賞与にも反映されており、年間ベースでは結構な金額になる。
・ 又個人とは別に「図書研究費」として学校法人とPTA支援とで100数十万円以上の予算があり、これらを消費しようとすると「相当な書物などが購入可能」である。これらを有効に使って教員としてのレベルアップが必要だ。そのためであれば惜しくはない。それよりかはもっと手厚くしても良いくらいだと思っている。
・ 教員はどのような本を読んでいるのか。月間読書量はいくらくらいか。専門書か、一般書か。フィールドが狭いだけに私学の教員は正直なところ、公立の教員以上に頑張らねばならない。その理由は色々とある。
・ 教科専門だけでは立派な教師にはなれない。「当たり前のことが当たり前のように判断」できてこそ子どもたちに指導が出来る。「プライドだけは3人前」で専門的知識以外は「すっからかん」ではやってはいけないだろう。
・ 「幅の広い人間」こそ「人を教えるに値する」。社会、地元から「ああ、学校の先生ですか」と「尊敬のまなざし」でみられるような先生で居て欲しいとつくづく思うのである。狭い了見で特定の思想信条だけに凝り固まった先生は安心して生徒を任せることが出来ない。
・自分の給料と勤務日数と勤務時間のことだけ考えているようでは学校の先生とは言えまい。元々教師という仕事は「奉仕の精神」がまずあって、世の中はその「尊い行為」に対して尊敬のまなざしと高い処遇を与えるのではないか。

2009年3月18日水曜日

3月18日(水)進級判定会議と勤務日

・ 高校3年生は「卒業判定会議」、1、2年生は「進級判定会議」という。今日は進級判定会議であった。この会議は「形の決まった、凛とした趣のある会議」である。要は生徒の学年成績から「進級させるか原級留置とするか」最終決定するものである。
・ 「主役は学年主任」で必要であれば「担任」がコメントを付け加え、最終的には「教員の賛否の多数決で意向が確認」される。それを確認して「校長の最終決定」となる。しかし校長が「教員の多数意見」を覆して「ひっくり返す」ようなことはまずない。公立学校も同じスタイルであり、何時ごろからこのようにしているのか私には分からない。
・ 1年生の学年に教えにも行っていない、生徒の顔も知らない「教員にも一票」が与えられており、この辺が私には良く分からない。「皆で決めたと言うスタイル」にこだわっているのかなー。大体生徒の不登校や就学姿勢など、会議の席上1ないし2分程度、担任から説明を受けただけで賛否に加わるのも私には理解できないからだ。従って圧倒的に「学年原案」が支持される。大体100%賛成で「担任だけが時に保留や反対」に回る。それは生徒を庇っているからだ。浪速で2年の経験であるが基本的に質問さえもない会議である。
・ 私に言わせれば「学年団と教務部長、教頭、校長で決定」しても良さそうものを恐らく「分掌や教科の意見補強や支援依頼の目的」等でこのようになってきているのかも知れない。私はなるべく「会議は少なくして教職員の時間負担の軽減」を考えているからであるが、まあ先生方がやりたいということであればあえて反対するほどでもないから黙っている。
・ 今日も中学の定時は16:30、高校は17:00だったと思うが「会議がぎりぎり」までかかり、私ははらはらどきどきであった。それに司会の教頭は慣れていないのか必ずしもスムースにと言う状態ではなかった。同じことを繰り返すから2倍の時間がかかったのである。
・ 学年主任は「事前に校長室で概略説明」をしてくれており、1年、2年の学年主任は大変良くやってくれたと思う。原級留置がないわけではなかったが、一人ひとりの生徒の担任をサポートし、良く「学年をまとめてくれた」と思う。
・ 特に2年生の学年主任との会議では「21年度の進路指導」についてかなり突っ込んだ中身の議論となった。特に「関西大学に優秀な生徒を送り込まねばならない」。しっかりと進めていくことを確認したのである。
・ 「追試験」による単位認定者が居ないわけではない。教員の中には「追試験業務補充授業等」、これが結構タイトだと言う者がいるが、これは仕方がないだろう。本日もある教員と大いに議論した。昔は「試験休み」があって生徒も休み、中には先生も休むというのがあったがそれは「止めてもらった。」 ことがそもそもの要因である。
・ 今年の1年、2年生でも単位不足の生徒の比率は○○%程度いる。これらの生徒ばかりに視点が言って「圧倒的に多い一般の生徒を休ませるわけには行かない」。我々は私学で「進学校の一段のレベルアップ」を目指している学校だ。 まず「授業時間を確保」することが直ぐやるべきことである。
・ 公立も私立も今や「試験休み」などある学校はあるまい。昔は午前中に追試や補充授業などをしていたが午後にして貰った、当たり前だと思う。「勤務時間内の話」である。全校生徒の授業などなかったら多くの先生は「時間休や年休」をとるためのものと誤解しかねない。寸暇を惜しんで生徒を教えるのが学校である。世の中は「学力低下問題」で一色なのである。
・ 要は2年前のように、試験休みを十分取って、時間的に余裕があった時代に慣れ親しんだ体がまだついて行っていないということではないか。若い先生はそういうことを言わない。「平均で年間183日しか勤務日がない時代の話」で今や一般の公立学校や企業と「同じ年間勤務カレンダー」だ。これがしんどいと言うことであれば私は「答えに窮する」。
・ 管理職朝会では明日19日の職員会議も今日の進級会議のあとに持ってくるという意見があり、議論したが「中学の状況」を理解してやらねばならない。「大体高校は中学のことに頭が行かない。逆に中学は高校を気にする」のである。本校の場合、職員会議は中高合同会議である。しかし変動勤務時間で高校と中学は必ずしも勤務時間が一致していない。
・ 年間で決めた職員会議だから予定通りに実施して「早く終わればその日は有給取得奨励日」とすべきであるというのが私のかねてからの意見である。月に二回ある職員会議の日は「早く帰る日」としたらと何時も言っているのだ。
・ とにかく「有給取得の多い先生と少ない先生で両極端」であり、仕事が違うからこれはある面仕方のない面があるのだが、私としては「有給の取れない、取っていない教職員に何らかの配慮をしてやりたい」という思いは強い。
・ それが去年実施した「残余有給日数の希望買取制度」である。労基法の精神から言えば「好ましいことではないが違法ではない」と確信して踏み切ったのである。これは大層評判が良かったと思う。こちらは出費がかかるから辛い面はあるが、これは私の教職員への気持ちである。
・ 事務職員は本当に有給が取れない。可哀想で仕方がないから今一人臨時職員を採用するかどうか検討中だ。生徒数も増え、教室や多聞もあり「てんてこ舞い」の忙しさである。しかし人を増やしても結局仕事をする人の意識が大事であり。「仕事のたな卸し」をしないと「仕事というのは増えるばっかり」である。
・ 二人の女性事務職員を交互に月度1~2回土曜日曜の連休とするよう配慮したが果たして結果はどうなったのであろうか。しかし考えてもみよ。年間183日しか出勤していなかった時代から280日の出勤日と「正常化」した。「100日仕事をする日が増えた」のである。夏休みは生徒の休みで先生の夏休みではない。
・ これでもってタイトだ、忙しいというのは今ひとつ理解できない面もある。よしんば認めて考えてみると、それは間違いなく「付加価値が上がって」何らかの形で「生徒のため」と「校務運営」に「業務密度が上がっている」ということではないのか。また生徒数は500人近く増えている。「これは高校4年生分まで作業量」があるということなのか。
・ 教職員は確かに忙しそうに走りまわってくれている。これは間違いない。ありがたいと思っている。とにかく勤務日が増えて尚且つ忙しいというのは必ずしも悲観的に厭世的に言う話ではなくて自慢して良いのではないか。そして「工夫を凝らし、仕事を合理化」することだと思う。昨夜の「ブログ学生証のICカード化」などがその例である。私はポイントは「仕事の平準化」だと思っている。
・ 仕事もせずに「早く帰ろう、早く帰ろう」、締め切りが近くなって「大変、大変」では上手くは行かない。勤務日が増えたことを嘆いているベテランが居るやに聞いているが増えたのではなくて「普通に戻った」だけのことである。「正常化」させただけのことである。
・ 誤解して貰っては困るのである。毎月17日が意味のない休み、月に一度土日の連休、試験前休、試験休みなどの復活などは絶対に有り得ないのである。「意味のない休業、他の私立との比較で説明出来ない休業などがあれば生徒募集や授業料の値上げなど言い出せるものではない」。

2009年3月17日火曜日

3月17日(火)ICカード化

・ 過日、教務部と広報情報委員会が新しい提案を持ってきた。話を聞いて即断即決で「許可」をした。嬉しくなるような提案であった。要するに「学生証・教職員証のICカード化」である。
・ 現在の紙に書いて作成しているものをJIS規格のICカードに変えてそこには「バーコード」を印字し、「図書カードや定期券購入証明書」を兼ねるのだ。これにより日常行っている生徒指導部の正門遅刻チェック指導では「遅れてきた生徒に生徒証出しなさい」と言って「カードリーダー」でバーコードを読み取れば一発で生徒情報が管理できる。勿論このことが目的ではないが。
・ こういうと人権団体から何かクレームが付きそうだが「本校の生徒の為の教育活動に応用」するのであって問題はあるまい。とにかく「個人情報を厳重に管理」しながらスピーディに適切な教育活動に高めていける。
・ とにかく今の紙方式は劣化が激しく水にぬれたりすると「パー」だ。これを「プラスチック製」にすることで十分な「耐久性も保証」できる。このプラスチック導入は人件費の節約にもなる。現在生徒個人のデータを印刷して切り取り、写真を添付した上で割り印を押すという作業をしており1枚の生徒証を作るのに相当な手間と時間を要しているのである。
・ 又生徒証とは別途に「図書カード」も作成しており、これらをあわせると大変な作業なのである。プラスチックカードのバーコード方式ですべて兼用でき耐久性もある。カードには必要な情報だけ登録できるので紛失や盗難にあった場合でも安心であり、バーコードには番号だけの登録で読み取り端末で個人情報と照合できるようにしたから個人情報管理は安心できる筈だ。
・ 私は前からICチップを埋め込んだもので全ての生徒情報管理をすべきと思っているのだが「順番がある」ということだろう。教務部長は「新校舎ではIT武装化された教室」でICチップ付きのカードで教室の出入りまで把握可能と言っている。素晴らしい。
・ ただ問題はカードリーダーが高価なことであるが買えない金額ではないから即断即決としたのだ。それにカラーリボン、カード素材が必要で導入初年度はイニシャルコストがあるから一枚のカード単価は1300円となるが次年度以降は300円程度だ。
・ 毎年専願合格日に写真をとり併願者は併願登校日に撮って入学式に学生証を渡すと言うのはどうだろう!教務の案では「PTA役員と保護者」にもお渡ししたらという。良い考えだ。学校に来るたびに正門で署名などしなくとも良くなるから大変喜ばれる筈である。
・ すでに在校生の写真を撮り始めている。カードは4種類、まず職員証、保護者入校証、中学校生徒証、高校課程生徒証だ。学校のロゴマークが入り「校長名と印影」の入った「本格的」なものである。
・ 私はこのような提案が先生方からあると「嬉しくなって」くる。「良い学校を実感する」からだ。もっともこの提案は4月から本校初めての「指導教諭」となる教務部長だし、広報情報委員会のT教諭だから彼らの「能力からすれば当然」とも言える。
・ この分野でも一つ新しいことに突入することが嬉しいではないか。「今頃、何を言っている、遅い!」と言われても構わない。一つ一つ着実に進めていくだけだ。公立はまだやっていない筈だし他の私立はどうなのだろう。
・ 実はもう一つITに関する大きな答申があった。それは「ボツボツ、WEBサイトのレベルアップを考えたらどうかと前に宿題」を広報情報委員長に投げかけていたのである。
・ おかげさまで「本校の公式ホームページは大変良くアクセス」されている。この前の合格ネット発表の時など30000件ものアクセス数であった。定常的にはトップページと理事長校長公式メッセージ、中でもブログ「校長日記」の一日当たりのアクセスは個人としては結構高い数値で徐々に伸びている。
・ しかし元来はこのWEBサイトを保持する目的から言えばもう少し、「生徒向け」を充実すべきと言う考えは理解出来る。確かに毎日更新する校長日記は学校長として「何を感じ何を思い何をどのようにしていきたいのか」日常周辺で起こる出来事に関連させて「正直に、正しく、タイムリー」に話題を提供することは意味はあるだろう。
・ しかし我々はもっと「受験生に向かっての情報提供」を図って行きたいと広報情報委員会は考えている。高校と中学があるから中学生と小学生向けのページだ。それと在校生向けにももう少し充実させたいと考えている。
・ そういうわけで検討した結果が報告されたのである。一つのソフト会社を探してきているのだが、その会社の作成した「追手門大学のホームページ」が評判を呼んでいると言う。この会社は阪大とかけいはんな新産業創出・交流センターとか彦根市のホームページを作っている立派な会社であるが「値段が高い」のがネックである。
・ それにこういうソフト開発はその後も「メンテナンスとかのランニングコスト」がかかるのだ。私はそれを危惧していると言うか心配している。今のホームページは学校が作ったもので基本的にお金はかかっていない。
・ 「少し贅沢かな」と思ったり、「広報は必要なコストと割り切って行くか」と思ったり、今思い悩んでいる。多聞尚学館で出費があるし、出来れば広報情報委員会で手作りしてくれると助かるんだけどなと思ったりもしている。
・ 本校ではまず私が着任して「全員に個人パソコン」を渡し、校内メールシステムを整備し、イントラネットを開発して各種申請業務や職員会議に置き換わる「掲示板」を作り、とにかく情報の公開と迅速さを図ってきた。成績処理システムや入試判定システムの開発なども彼らはやってくれた。
・ そして校長日記を始め、保護者通信を設け、ネットによる志願者受付や合否発表までIT技術を駆使してきた。それに今度は個人管理にICカードが登場する。とにかくこの2年のIT化変貌、これが裏のエネルギーで「学校改革」を推し進めてきたことは間違いない。「特筆すべき一大成果」である。
・ 広報情報委員会を作りそのトップにO教諭を当て嵌めた。この教諭は民間経験が長く、教諭というよりマネージャーだ。頭も切れる。ただもうすこしビヘイビアで他の範となるよう「ピリッ」として欲しいと時々二人だけの時に話している。もうそろそろ「そういう年」だ。民間なら「仕事の出来る男」で済むが学校ではそういうわけにも行くまい。
・ それにもう一人T教諭だ。着任時校内は「大きな騒動」が持ち上がっていた。当時常勤講師であったT先生は当時の全管理職から評価を受けず既に「雇い止め」が通告されていたのである。今は退職して本校にいない教諭や前述のO教諭などが私に直訴し、それを認めて急遽、決定を取り消したのは私であった。
・ そのときの副校長は私に「理事長は彼の人間性を知っているんですか」と迫って来たのを今でも忘れることが出来ない。「人間性という言葉」を使ったのを今でも覚えている。私は異論を押さえつけ継続採用とした。「私の最初の仕事」であった。1月9日着任で1月20日過ぎには覆したのである。当時の校長は内定していた英語の非常勤講師の契約を切るのに苦労された。
・ そして最終的に私は自分の責任として専任教諭として昇格させたのである。しかし今私は当時の管理職の言っていたことが少し理解出来るようになってきている。O教諭とT教諭、優れた能力を有した部分と改善しなければならない部分を持つだけに「人間というのは難しい」ものだと何時もこの二人を見ると私は感じるのである。
・  この二人には「将来を大いに期待」しているから私は敢えて厳しい。本当に「将来を嘱望」している。特にT教諭には以上のような経緯があるだけに気になって仕方がないのである。とにかく期待していなければ何も言わない。仕事ではなくて人間を鍛えなければならない。言われるだけまだましだと思って欲しいとつくづく思うのである。

2009年3月16日月曜日

3月16日(月)風の吹くまで昼寝かな

・ 昨夜久々にテレビドラマをじっくり見た。「落日燃ゆ」という城山三郎氏の有名な小説のドラマ化である。小説は随分前に読んで記憶にあるのだが、テレビの方は今ひとつ奥行きのなさは感じるも、主演の熱演もあり、まあ見ごたえはあった。
・ 広田弘毅元A級戦犯の家族愛を主体に描いたものだが特にこの小説で有名な言葉が「風車 風の吹くまで、昼寝かな」だ。これだけは小説でしっかりと覚えており、時々私は引用したりする。大体私は昼寝して待てるような性格の男ではないから、余計に「この言葉が心に届く」のだろう。
・ 本来の意味は「隠忍自重して計らず機会時節の到来」を待つというものだが、学校に置き換えて考えてみる。学校長が「教職員の意識改革が進むの「昼寝して待っていたら」、何時かは意識改革がなされるかといえば私の答えは極めて「悲観的」である。学校と言うのはそんなに甘いものではない。
・ 「先生、何時頃からですか?お昼に外へ出て食事をとられるようになったのは?」「去年の秋頃でした。」「本校の美徳は教師は何時も校内にいる。それは何が生徒に起きるかわからないからと聞いています。そのことはご存知でしたか」「知っていました」。「ウーン、それは不味いですよね。どうしてこうなったのですか?」「・・・・」あるベテラン教師との最近の会話である。

校長メッセージ                      平成21年3月11日
           「一部服務規律遵守の件
                               理事長・校長
 生徒からも直接耳にしたり周辺住民から声が出たりしているので下記の案件について今後徹底するように本通知文をもって全教職員に依頼します。

1.正門前道路横断について
 ・これは私も反省することであるが、時々正門前の自動車道路を横切って正門に入ったりする教職員を見かける。これは明確に道交法違反です。
 ・確かに遠回りして横断歩道のあるところまで行くのは面倒くさいがこれは仕方のないことです。特に中学生などには指導しているところでもあり、教職員が自動車道路を横切って校門に入ると言うのは学校というところに勤務する人間としては良くないことです。
・まず不測の事態を避けるためにも、交通事故を回避するためにも、してはならないことはしないと徹底することしました。コンプライアンスの精神です。地元住民や生徒の目もあります。特に自動車通勤の教職員に多いと見ています。
 ・今後正門前の自動車道路横断はしてはならないと思います。これは私が命令を下すことではなくて日本の法律です。
2.昼食時の外出について
 ・ 本校の慣例は教職員は常に校内にいるということで今日まで来ており、一つの浪速の文化でありました。その理由は教職員は「生徒の側にいる」という鉄則を守ってきたからでだと聞いています。新人ならいざ知らずベテラン教諭はこの事を良く知っていると思います。
 ・ 学校では何時、何が生徒に起きるか分からず、又昼休みに生徒指導をしたり、生徒から質問を受けたりすることなどもあったからだと思います。然るに最近、昼食を外に出てとることが当たり前のような行動をする教職員が散見されています。
・ 私のほうに「このような例外行動に対するクレーム」が来ています。確かに「職場離脱」と言われても仕方がない面があります。休憩時間だから職務専念義務違反ではありませんが、出来れば校内で居場所のはっきりしたところに教職員はいると言うのが中学高校の学校勤務者の常識であるとこ言えます。
・ ここは学校であり、市内中心部の企業ではなく、サラーリーマンが今日は昼飯は何を食べようと喜び勇んで街に出かけるというスタイルが似合う場所ではありません。
・ 個人が何を食べるか自由ですが学校の外に出て、時間一杯校外で時を過ごし食事をし、喫煙をして帰るというのは理解しがたいと考えています。他の私学を調査しましたが校内食堂がないところなどは慣例として認めているところもあるが余り好ましいことではないと話していました。
・ 本校にはメニューは少ないが食堂もあり、そこを利用するか弁当持参か出前を取るというスタイルに改めて頂きたいと思います。たまには外部に出るということは構いませんが、「一時的職場離脱」ということで管理職の了解事項としてください。行方を把握しておかねばなりません。ただし土曜日は外部の食事は今まで通り許可されています。 以上即日実施とします。

・ 3月7日の読売新聞の囲み記事で「勤労者のストレスの原因」について最新仕事事情として面白い記事があった。それによれば「上司との関係」が首位と言う。転職情報サイトを運営するエン・ジャパンが会員2307人を対象にいて調査したデータであるとのこと。
・ ストレスを感じる原因のトップは「上司との人間関係」で20歳代から50歳代までの全世代でトップと言う。特に「40歳代と50歳代は半数以上が上司との人間関係でストレスを感じている」という。
・ ちなみに2位は会社の業績将来性への不安、3位は成果に対して給料が少ない、4位は目標ミッションを達成できない、5位は労働時間が長い、6位は仕事内容が合わない、7位は同僚との人間関係、8位は異動昇進、9位は部下との人間関係、10位はM&Aなどの組織の変化とある。
・ 以上は会社のサラリーマンのデータであるが学校社会でも同じようなものだろう。逆に言えばこれが実態であり、上司との人間関係がストレスの原因でないと言ったらその組織は「上司も部下も好き勝手なことをして仕事をしていない」のではないかとも考えることが出来る。
・ 大体ストレスのないような仕事が世の中にあるか。あったら教えて欲しい。それにこういうアンケートは何時も部下ばかりだが一度「上司のストレス原因のアンケートを取れ」って言いたい。恐らく「サボる部下、無能な部下、ハチャメチャな部下との人間関係でストレスがたまる」が首位に出るのではないか。
・ 現代社会でストレスのない空間はないのではないかと思う。ストレスが嫌なら毎日金剛山の頂上で「ボーッ」としていたらストレスはたまらない。冒頭の会話を交わした教員にはストレスが溜まったと思うが「ちょっと待ってよ」と言いたい気分だ。
・ 勝手気ままに好きなようにして、注意されたら「ストレスが溜まる」ではこちらも辛い。わざわざ前述のようなメッセージを校長に発信させるような教職員に意識を「風の吹くまで昼寝して」待つわけには行かないのである。メッセージを書くほうもストレスが溜まるのである。
・ 大体自動車通勤は「例外措置」である。公立教員は禁止されている。それが正門の真ん前で生徒や近隣の人の目がある前で自動車道路を横切って堂々と正門に入ってくるか。「こういう教職員の意識など、何年昼寝して待っていても変わるなど考えられない」。
・誰かが撥ねられて大怪我をするか死ぬまで変わらないだろう。教員が自発的に止めるなど有り得ない。同僚が注意するなど学校では有り得ない。「結局上司の仕事」になるのである。そして校長メッセージで遠回りを余儀なくされた教職員がストレスが溜まるといわれてもこちらも困るのである。

2009年3月15日日曜日

3月15日(日)男が泣くということ

・ 昨日の「中学校卒業式は大変感動的なシーン」が多かったことは昨夜のブログに書いている。ただ一つ書き漏らしていることがある。それは「ある一人の生徒のこと」だ。生徒のことだからイニシャルもここでは書かないでおこう。
・ 式が終わり卒業生が拍手に送られて会場を出て行くときに目にしたのだが、ある生徒が「男泣き」に泣いているのだ。「嗚咽」に近いものももらしていた。名列順に出て行くから最後の方だが「ウッ、ウッ」と声を出しながら歩いて行くのが目に入ったのである。
・ 私はこの時、この生徒はついこの前生徒の不幸があって葬儀に参列していた時も同じように泣いていた。これは「号泣」に近かった気がする。いずれもまったく恥ずかしそうにせず前を顔をまっすぐに向いてである。私はこの時この生徒の「意外性」に驚くと同時に「感動というか、驚きというか心に響くもの」を感じたのである。
・ この生徒は日頃は明るくてお茶目というかささやかなやんちゃなムードメーカーであり、皆の人気者である。スポーツも大好きでクラブも熱心である。私とも仲が良い。昨年の運動会では3年生ということで「大きな役割」が与えられ立派にやりとげたのである。
・ このときは「上手くやってくれるだろうか」と心配そうなお顔をしたお母さんらしき人に「あっちへ行け!」というようなことを言っていたのを、私は微笑みながら観ていたのを思い出したのだ。母親が側に居るのが恥ずかしかったのだろう。
・ 結論的に言おう。私はこの生徒に「言いようもない好感情」を有したのである。「泣きたいときに泣けば良い」。恥ずかしいことでも何でもない。この生徒は「優しい心根」を有しているのだ。私も卒業生のクラス担任も今回の式では「涙した。」それで良いと思っている。
・ 私は「涙もろい人間」である。「加齢を重ねる」たびにますますその傾向は強まっている。「喜怒哀楽、毀誉褒貶、感情の起伏」、人は色々言おうと私は泣きたいときには泣いて良いと思っている。「男は人前で涙を見せるな」と良く言われるが、そんなことはないだろう。
・ 「鉄面皮」と言われるよりは良かろう。「泣き顔」を恥ずかしいと思わないでもないが、恥ずかしいから泣かないということではなかろうということだ。泣くという行為をもたらすものは圧倒的に「悲しみ」である。私も敬愛する父や母が亡くなったときには傍目もはばからず「男泣きに泣いた」。今でも思い出すと涙がにじむ時がある。
・ 記憶に新しいが「橋下知事」が府下の市長会のメンバーに「財政改革」で訴えていたときに市長連中から激しい非難を受けたときに「マスコミの前で泣いた」。この時は大きな騒動になり、作戦か、自然かというつまらない意見が出たりしたが、あれは「自然の涙」だと私は確信している。
・ 知事は基本的に「涙もろい人情家」だと私は思っている。喜怒哀楽が激しいのだ。だから光の母子殺人事件の弁護士など許せなくて「懲戒請求」を求めたりしたのだと思う。人情家が冷徹に振舞っているだけだ。ただ目標を達成するために「フラッグ」を余計にはためかすきらいはあるが、この辺は意識して「タレント性」を出しているのだろう。
・ 涙は悲しみだけではない。「悲憤の涙」「歓喜の涙」「悔し涙」もある。最近、昨年大学受験に失敗して「一浪」し、今年「大阪市大に合格」したとある生徒が校長室に報告に来てくれた。この生徒のお母さんはPTA役員で本校は大変お世話になった人である。
・ 私は「お母さん、喜んだろう」と聞くと「びっくりするくらい大声で泣いてました」という。嬉しくて、嬉しくて当たりかまわず、大声で畳にペタッと座り込んで天井を見ながら大泣きしたのだと想像する。このお母さんは「太っ腹で親分肌の感情豊かなお人」であった。木村改革の支援者であった。私は思わずこのお方が泣いている姿を想像して「にんまり」としてしまったのだ。
・ 毎日新聞3月14日卒業式の朝刊の「近聞遠見というコラム」に政治評論家の岩見隆夫さんが面白い記事を載せている。見出しは「かって政治家は泣いた」とある。私はこの記事を読んで嬉しくなった。タイミングが良い。
・ 「かって政治家は涙した。それが行動のバネになる。しかし今や政界は情感の乏しい世界になってしまった」と書いてある。かって豪腕で知られた河野一郎という政治家が居た。この河野が昭和27年第3次吉田内閣のときに盟友鳩山一郎が病に倒れた後、復帰の日比谷公会堂の演説会をうまく乗り切ったときのことらしい。
・ 鳩山が演説後「河野が涙をポロポロ落としましてね。面白い人ですね、あの人は。あんなに強くて、非常に泣きっぽい」と記事にはある。河野という政治家はあたりを睥睨する感じの大物政治家で、「あんなに強い」という鳩山の表現が面白い。そう「強い男こそ泣く」のだと言ったら語弊があるか?
・ その鳩山が河野と並び立った「鳩山の軍師」と言われた腹心の三木武吉の葬儀では「枕頭」で泣き崩れ、その鳩山の写真が残っているとある。岩見氏は「涙する政治が懐かしい」と評論家らしい表現を使われている。
・ 文中、あの田中角栄さんなども良く涙したとある。「この10年くらいの日本はかさかさしてドライでウエットな潤いのあるものが失われている」と岩見氏は言う。私もそのように感じる。
・ 私は自分のことを基本的に「涙もろい義理人情家」だと思っているが本校の教職員はどのように感じているのだろうか。管理職が5名いるが私が最も感受性が豊かだと自信を持って言える。最も仕事だけの付き合いだから詳しいことは分からないがあらゆる場面でそのように感じる。
・ 「泣いて子どもを叱る」、昔はこういう話を良く聞いた感じがする。教育の現場では「ウエットな部分は極めて重要である。」確かに「ドライに割り切らないと教師は大変ですよ」というのも分からないではないが、それでも私は「学校現場にもっと涙があって良い」とさえ思うのである。

2009年3月14日土曜日

3月14日(土)中学校卒業式

・ 今日は「浪速中学校卒業式」であった。35回目と成る。ただ「雨の卒業式」となった。冒頭私は王維の「謂城の朝雨」(元二の安西に使いするを送る)の「五言絶句」を吟じ「雨の卒業式も悪くない」と生徒たちに伝えたのである。これは大好きな漢詩で高校時代に覚えたものだ。「雨の日の別れに相応しい。」
・ 3月1日が高校の卒業式と時期をずらし今日まで2週間の時間差がある。人数が少ないから会場は新館のピロティ部分を仕切りして部屋を作るのだ。結構こじんまりとした良い会場になる。「手作りの卒業式」と言う感じだ。
・ ただ少し暗い。卒業式はこれで良いが照明を増やしたほうが良いと今日ふと思った。ここは中学校の入試説明会場にも使っているからだ。暗いと気持ちまで暗くなってくる。早急に照明を増やすことにしよう。
・ 卒業生は総勢で33名だ。「男子校として最後の学年」で浪速が最も辛い時に浪速中学に来て呉れた生徒だ。「私はこういうのに弱い」。だからこの学年には「特別に支援とエール」を贈ってきたが、十分なことをしてやれたか内心忸怩たるものもある。
・ それにしても大変仲の良い学年だった。男子校の最後と言うことで「団結力」もあった。喧嘩やいじめなどもまったくなかった。気持ちの良い生徒ばかりで校長の「私とも大変仲が良かった」のである。
・ 初めて修学旅行に付き添った私は今でもあの「大雨の屋久島」のことを覚えている。私にとっても「良い想い出」だ。卒業生代表の答辞でも屋久島のことが語られ、「今でもあの時の校長先生の“撤退”と言う声が忘れられない」と言ってくれた。あれから「団結心が一層強まった」とも述べていた。私には何よりの答辞の言葉だった。少し涙が滲んだ。
・ 私は新しい浪速中学校を今構築しており、その幾ばくかをこの男子校最後の学年に伝えたいと考え、多くの新しいことを中学校で始めた。この子どもたちに「時代の変わり目を共にすごした」と言う思いを持たせてやりたかったからだ。
・ 勉強だけでは想い出とならない。「行事」だ。共に33名がまとまって行動した学校行事こそ中学校には重要であると私は確信している。この学年が在学中になんとか「運動会」をと思ってこれも実施した。そして最後の行事がこの前の「金剛山登山」でしあった。
・ 卒業式で謳う校歌は急遽昨日私が指示して旧制浪速中学校以来の「浪速健男児の歌」を付け加えた。「男子の心意気」を彼らは声高らかに歌ってくれた。これが公式な男子中学校の校歌を歌う最後の機会になろう。「感慨一入」のものがある。そして、「新しい校歌」の2曲で「時代の潮目を」を感じた筈だ。
・ 式辞に私は尊敬する「司馬遼太郎先生」の言葉「21世紀に生きる君たちへ」を贈った。大阪の生んだ歴史家であり、小説家の司馬先生が「21世紀に生きる君たちへ」という本の中で言っておられる言葉を紹介したのだ。その一部から:
  “自分には厳しく相手には優しくという自己を確立しなければならない。
   21世紀においては特にそのことが重要である。自己中心に落ち入ってはならない。人間は助け合って生きているのである。自然物としての人間は決して孤立して生きられるようにはつくられていない。このため「助け合う」ということが人間にとって大きな「道徳」になっている。「他人の痛みを感じる」ことと言ってもよい。「やさしさ」と言っても良い。これらは「訓練」で身に付くものだとも言われている。そして同時に人間は「頼もしさ」ということも必要だと先生は言われている。「頼もしい人格」を持たねばならない。男女とも頼もしくない人間には魅力を感じないのである。「頼もしい君たちになってほしい」と司馬先生は、21世紀に生きる君たちへ言葉を残されているのです。“
・ そしてまとめの言葉として私は万感の思いをこめて語り掛けたのである。“君たちは「浪速中学校で3年間学んだ生徒たちである」「大切な、大切な将来の日本、大阪を背負う生徒たちである。」体を鍛えてしっかりと勉強して素晴らしい高校生活を送ってください。そして「頼もしい君たち」に育って欲しいと思います。他の高校へ進学する生徒もそこで頑張って浪速中学を卒業した誇りを忘れず頑張ってください。もう一度、高校生活は「自己責任」ということと、「自分を鍛える」ということが大切なことです。鍛えるとは「自己に厳しく他人に優しく、そして頼もしくなる」ことです。学校の「授業を大切」にしながら多くの友達と触れ合い、立派な人間になるための基礎基本を学習することが高校生活の目的であり同時にそこに喜びがありますと私はまとめたのである。
 
・ 式の後保護者から「記念品の贈呈、謝辞、そして花束の贈呈」が私と担任にあり私が謝辞を述べたがプログラム外で担任のN先生に私はマイクを渡した。突然のことで先生は感極まって涙を流されたがお人柄の滲み出た素晴らしいご挨拶であった。
・ 最後在校生からコーラスで「旅立ちの詩」という歌が歌われ卒業生は拍手を背に会場を後にして最後のホームルーム教室に向かった。式が終わって会場を出てもまだ雨は降り続いており、まさに「浪速の朝雨」だった。
・ 高校卒業式と同じく終了後の11時30分過ぎに中学3年生の学年団が「職員室に集合」し私から慰労の言葉を述べ担任のN先生からご挨拶があった。彼の言葉で結果的に「中高一貫課程の失敗」と言う言葉があった。辛かったと思うが大変良くやってくれたと私は評価したい。
・ 本校はこの後カフェテラスに移動して「茶話会」と言うのがあり、伝統行事である。卒業生、保護者、教員がリラックスしてサンドイッチなどつまみながら最後の懇談だ。何時もは校長は出ないのだが副校長の求めに応じて特別に顔だけ出した。
・ 私は急いで好きな「美空ひばり」が歌う「島崎藤村の惜別の歌」をCDに焼いて持って行った。何も言わず心をこめてここでも又歌を唄ったのである。ところが生徒の一人が前に躍り出て私の横で「踊り出した」のである。それが又面白いのだ。会場は「大歓声に包まれ、大いに盛り上がった」。
・ このようにして男子校最後の浪速中学校35回目の卒業式は無事に、そして中身の濃い素晴らしい卒業式となった。帰りにはなんと「陽が照り始め、生徒たちの行く末の晴れやかさを暗示」しているような明るさになった。私は満足して気分良く自宅に戻ったのである。

2009年3月13日金曜日

3月13日(金)多聞秒読み

・ 過日、久しぶりに「改装中の多聞尚学館を視察」した。この日は大阪府神社庁で「例祭」があったので直会の昼食もそこそこにしてとんぼ返りで学校に戻り、事務長補佐の運転する学校の車で現地に向かう。19年度にPTA教育後援会から寄贈頂いたホンダオデッセイが役に立つこと。フル回転だ。
・ この日は別働隊の大物教諭3名が食事の「お惣菜」の手配で具体的な打ち合せに河内長野市に向かっている。行く途中電話が入り「お弁当屋さんで試食」したらしいが「大変美味しく」「ボリュームも満点」と報告してきた。「値段も相当安くしてくれる」そうだ。
・ 何と「ご飯も現地でサービスで炊いても良いですよ」と言ってくれているというから「それなら現地を一度見てもらったら」というと途中から引き返して話に行ったみたいだった。そのようにして頂けたら有難い。シルバーさんに頼まなくとも良い。
・ 多聞の現地は改造工事の真っ最中で今日は「浴場が設置される日」であった。実はお風呂を大変気にしていたのだが「杞憂」に終わった。プレハブのお風呂というからどんなものだろうと不安もあったがこれなら十分使える。立派なものだった。
・ 工事現場や山の中などプレハブの風呂は今や当たり前みたいでマンションや自宅の風呂などをイメージしていたらとんでもないことになる。シャワーも十分の数が付いており、高校生には申し分ないと私は感じた。
・ 大体学習合宿であり、温泉やリゾート地に行くわけではない。これで十分だ。特に女性用のお風呂は素晴らしい設定で、あれなら喜ばれるだろう。ただ天窓など全ての窓にスクリーンを張って覗かれないように追加工事を指示した。
・ 男性用は庭の一隅に設定されておりそこまで歩いていかねばならないので「通り道に屋根」をつけて雨を防ぐこととした。男はこれで良い。後は湯量が十分かどうかだ。これは事前に教諭が宿泊チェックしてくれる。
・ 「心配は夜の寒さ」だが若い高校生で3段ベッド、ベッドにはマットを敷きその上に敷き布団と毛布、かけ布団の3枚セットだがこれでいけるだろう。事前にストーブで部屋を温めておけば良い。これも2人の先生がお試し宿泊をしてくれる。
・ 教室は明るくて適当な広さである。今回は個人机と長テーブル方式の組み合わせとしている。大ホールというか「大教室」も作ったから、ここで120名がゆったり出来、多目的に使用可能だ。これの改造は3部屋分の壁を壊して作ったものだ。
・ 別個に「赤じゅうたん敷きの部屋」を作り、そこではベッドで寝れない子、一人学習など多目的に使用可能でこれが三つもあるから生徒は喜ぶだろう。そして家庭科の調理実習の部屋が格好の調理場となる。ここでご飯を炊くのだ。プロパンガスも来ている。
・ 視察をしていたら先ほどのお弁当屋さんの責任者がお2人到着した。妙齢なご夫人でこの近くの人とか、この辺の地理もよく知っておられ、良いお人に巡りあったものだ。「色々見て」頂いた。「アッ、寸胴鍋もあるわ」「これで味噌汁など・・」と元気でパワーに溢れている。40台と50代前半?どうしてこのように河内の女性はお元気なのだろうか。
・ 副校長に言わせれば「これで年収が数百万円になりますからね」と言っていたが、有朝昼晩と3食分食べ盛りの高校生にスタミナ食を作って持参し、食器を持ち帰り、又作って多聞へ車を飛ばすと言うことが4日間続くのだ。これは「大変だ」と私は思う。加えてお米を洗ってお茶碗も洗ってくれるというから悪い話ではない。私はすぐ「採用を決めた」のである。
・ さて「4月12日(日)に多聞尚学館開館記念式典と祝宴」を開くことを決めて今その準備中だ。センターは3学年主任と事務長補佐。村長、村議会議員、地元住民、お世話様になったお方、PTA代表、勿論教職員で盛大に記念式典をするのだ。
・ ご案内状は「結婚式」みたいな立派な招待状を送り、格好だけでもつけたいと思っている。今リストを作成中である。勿論お世話になっている「塾の先生」がたにもご案内を差し上げて「浪速の心意気」を見て頂きたいと思っている。
・ 保護者のお方には勿論全員は無理なので大口寄付者に限ってご案内しようかという話が出ているがもう少し考えることとした。今回一口1万円のご寄付をお願いしているが中には5万円、10万円の寄付者がバンバンいらっしゃるのだ。
・ 財布のことも考えたが「浪速100年の体系」のためだ。やる時はやろうと決めた。「使う時は使う」これが木村流だ。料理は「堺ロイヤルホテルの出張でビュッフェスタイル」とし、完成された「館内の参観」も兼ねている。この日は丁度生徒が2クラスが合宿中で良い場面を見て頂けるだろう。
・ 「引き出物のお祝い」は「多聞尚学館を彩った高級タオル」をすでに作成している。後メインの品物は何が喜ばれるのだろうか。対象は地元住民で大体お年寄りであるから品物の選択に困る。まだ決まっていない。
・ 当日は「雅楽の演奏」と「高校生による空手と剣道の演舞」を見て頂く予定だ。汗臭いよれよれの稽古着ではいけない。新しい物を身につけるように顧問の先生に言わねばならない。
・ 当日の神事は理事長職務代理から近くの由緒ある「水分神社」の宮司にお願いしている。またその内に学院神社のご神霊を分霊した「神棚を設置」することになろう。こういう仕事は楽しい。併願戻りがどうだとかこうだとか関係なーい。「楽しくてしょうがない」。
・ 昨日から学校の倉庫に眠っていた応接セットとかが多聞に運び込まれている。又木製3段ベッドが九州から到着して多聞に入れられている。待望の組み立てに入った。
・ すでに「校章」は完成し正面入口の上の壁に飾られている。正門の銅版には私が書いた「多聞尚学館の表札」がつけられている。そして今、泉州の書道家に依頼して「楠木正成公」を謳う「青葉茂れる」の書を額装にしている。これは2メートルもある巨大な扁額になる。多聞尚学館のテーマ曲は「青葉茂れる」だ。
・ 「多聞の開館は秒読み段階」に入った。昨年の10月12日に初めて目にして「ほれ込んでから」今日で5ヶ月になる。新年度に間に合った。これを戦力にして浪速のポジションを高めていかねばならない。ところでお金はまだ支払っていない。千早赤阪村からまだ請求書が来ていないからだ。
・ ところが地元の千早地区からはテレビ共同アンテナ新規加入料で2万円、月額600円、NHK受信料(村民扱いとしてくれるそうだ)2ヶ月で3800円、それに自治会費1ヶ月5000円と来た。村民は1000円でその他企業は15000円から20000円であるが特別サービスで5000円にしてくれると言われている。

2009年3月12日木曜日

3月12日(木)公立志願状況最終集計

・ 朝から「幾分憂鬱」である。遂に平成21年度大阪府公立高校「後期入試志願状況」が発表された。昨日の16時に出願が締め切られて「最終集計」として今朝の各紙が大きく記事にしている。
・ 1昨日が中間集計であったが、我々の「想像を超える事態」が起きている。これは「一大事」と言っても良いかもしれない。「従来の志願状況を塗り変える変動」と言っても良いかもしれない。それくらい今年の志願状況は例年と「様相が異なる」のだ。
・ 私は「時代の潮目」と管理職朝会で表現した。即ち長い間続いてきた大阪府の公立学校、私立学校の言ってみれば「志願秩序」が大きく変わって来ている。「その背景は一体なんだ?」と今朝も時間を取って議論したのだが、確信をもって読めない。
・ 大阪府民の経済状態の悪化、橋下改革による私学助成金の削減による私学授業料の値上げ影響、基本的学力低レベル層の増大、就学意欲の低下層の増大など「様々な要因が輻輳」しているのだろう。
・ 何処の私学もそうであろうと思うが我々は今朝の発表記事を見て「併願戻りを想定」する。それは今までの入学実績を知っているからだ。即ち「どの公立高校からの併願戻りか?」ということだ。「偏差値レベル」による中学校サイドの「輪切りによる進路指導」が徹底されているから大体想像できるのだ。
・ 過去のデータを参考に今年の各公立高校の「定員と志願者の数の差」を見ながら読み解けば大体併願戻りの数は読める。だから本校に従来から来ている公立高校の志願者数を私は目を皿のようにして見つめるのだ。
・ 本校の場合、公立の学区は「新4区が主体」で少し3区にもある。市内南部の学校だから北摂の方は余り関係ない。従って特に4区が重点である。今年の受験者数は2500名を数え、「多くの合格者数」を出したが、それらの生徒が「最終的にどこの公立高校を受験するか」はまだ我々には全く分からない。即ち直前まで流動的な部分があるからだ。
・ 我々の分析結果はここには書けないが「厳しい数値」が突きつけられた。特に4区の有力なI高校が今年から定員を320名から360名と1クラス分増やしているのも大きい。従来であればここからかなりの戻りがあったのだがそれは今年激減した。
・ 昨年この高校は「志願倍率」が1.44倍であったが今年はなんと1.14倍と低下している。即ち「併願戻りの対象となる不合格者の予想値」が少ないからだ。「母集団が減少」しているのである。
・ 3区と4区で本校が読む学校を10校とすると予想不合格者数の合計はなんと大きく減である。「何処に消えたのか?」。それが問題である。そこを我々は探り続けているのだが、どうも良く分からない。もう十数年この仕事をやっている教頭も初めただという。
・ 今年の大きな特徴はいわゆる「教育課題校に志願者が集中」している。正確に言えば学区で少し違うが従来定員割れなどする厳しい公立高校が多くの志願者を集めている。4区で言えば2校の課題校の定員との差異はほぼ300名である。
・ 言い換えれば300名の中学生はこの二つの公立高校を不合格となったら一体全体どうするのかと考えてしまうのだ。勿論2次募集とかあるにしてもこの2校を落ちたら上のレベルの学校に行ける可能性はほとんどないと考えられるからだ。
・ 「15の春を泣かすな」と公立中学校、公立高校、私立高校が今までタイアップしてきたが「どうもおかしい」。今年まことしやかに囁かれていたのは「公立2ランクダウン」という言葉である。即ち家庭の経済問題から「公立志向」は大きく、確実に合格するために「偏差値のレベルを2ランク落とした公立受験」で「がっちり固めよう」と言う意識が働いているのではないかということだ。
・ 分かり易く表現すれば「チューブに水を入れて垂直に持つ」と下の方が膨れて長いなすびみたいな現象である。こうなると特に本校のように上位にある学校は影響度合いが大きい。
・ ところが学区のトップ校は志願者を増やしている。これは別の現象で「上位私学ですべり止め合格を得た受験生」が思い切って「公立トップ校にチャレンジ」した結果ではないか。背景は生徒減少を危惧した有名私立が従来からの「ボーダーラインを落として生徒確保」に走ったということである。
・ 従って今年の特徴は一部の公立進学校が少し志願者を増やし、中間部は減り、ボトムは丸々膨れ上がった、実に奇妙な形状の志願者構成となっている。更に極端に言えば公立を落ちたら高校進学など「もうどうでもええわ」という層が出始めていると考えられないか。
・ 「高校に行け、行け」というから「行ける高校の受験」はするが、そこを落ちたら「何処にも行かない」と言う層の出現である。若しそうだとしたら彼らは当然しっかりとした就職などないからフリーター予備軍となる可能性がないとも限らない。「 中学校の進路指導に変化」が出てきたのか?
・ これは「恐るべき事態」で社会問題化する可能性があるとまで事務長と入試担当教頭は言う。昔はやった「公立単願」というわけだ。彼らは併願私学などは受験していないから公立が駄目だったら行く学校がないのである。
・ 全く「想像を超える出願状況」で私の戦略も「一部修正」となるかも知れない。今「生徒数減」に対応して来年度以降の「教室数の手配や教員配置」などに修正が出てくることを覚悟しておかねばならない。
・ 冒頭書いたように「時代の潮目」を感じる。少子化、100年に一度と言う経済危機、橋下知事誕生による公立学校の改革と公立回帰、私学助成の削減による授業料値上げによる私学離れ、全体的な学力低下層、就学意欲の低下層の増大などが「一挙に押し寄せてきた感じ」がする。
・ 私はつくづくと思う。大阪天満宮や道明寺天満宮の宮司が私を招聘して2年でここまで体力を回復していたからこそ、「冷静に事態を観察」できるが、後1年遅れていたら「やばかった」と思う。我々は既に厳しい事態に備えている。 どうも併願戻り「」は「低下することを覚悟」しなければならないかもしれない。
・ 「運命の3月24日」はあと10日間ほどだ。やるだけやったから結果はどうあろうとも「浪速はびくともせず」、やるべきことをしっかりとやっていく。「9日、10日、11日と3夜連続してブログ」にアップしたことを徹底していけば十分持ちこたえられる。
・ ますます「浪速中学校が重要」になってきた。関西大学との特別連携で浪速中学校のステータスを上げて「浪速高校の専願者」を増やすことに尽きる。「関大と多聞尚学館」、本校に入学してくれた生徒を徹底的に鍛えて「生徒保護者の信頼」を勝ち取ることが「激しい競争に打ち勝つ秘訣」である。「教職員の奮励努力を期待」したい。

2009年3月11日水曜日

3月11日(水)OJTと職場風土

・ 今、東京のある「教育研修所から論文寄稿を依頼」されているのだが、そのタイトルは「私立学校におけるOJT」である。OJTとは「オンザ・ジョブ・トレーニング」の略称であるが、実はこれが学校社会では難しいのである。
・ 「人材の教育訓練」は「OFF-JT」だけでは限界がある。「研修会」などに出てもそれは「他人の成功話を聞くだけ」で自分のことではないからだ。「気付かせ」でしかないのだ。気付いても「よう、やっとるなー!」で終わってしまえば「それで終わり」で組織には何も残らない。
・ 人間は「知らないことを知ったことで幸せな気分」になるが組織にとってはそんなことだけでは何も意味はない。「知って行動して成果を残して」、初めて研修会参加の効果が出てくる。大体普通の人間は知っただけで具体的には行動に結び付けようとしない。それはそこからが「しんどい仕事」だからだ。
・ 「組織貢献」に繋がることで自分の「自己実現」はなされる。従ってあくまで自職場での実際的業務を通じて人間の育成は為される。これがOJTである。トレーニングと言ってもプロの仕事は毎日が真剣勝負だから、OJTが「模擬試験」であってはならない。
・ 企業社会は「階層社会」だから平社員の上の係長が部下に何も指導などしなくとも更に上級の課長が「何だ、あれは!」と直ぐなるし、ついでに課長は係長に「あいつ何とかしろ、教えてんのか!」とすぐ出てくる。 また「たとえ1年先輩でも神様」みたいだから絶対服従とは言わないが先輩を頼りにし先輩も後輩を可愛がるものだ。
・ 部下に関して上司から何か言われでもしようものなら大変だから係長は目を凝らして新入社員を見ている。課長から「係長は部下をよく育てていない」は出世の致命傷になるからだ。同じようなことは部長から課長への指導にもある。非常に上手い階層なのである。
・ そしてそれが自然と「職場風土」となっていくのだ。この職場風土というのが極めて大切である。しっかりとした会社は「誰が教えなくとも」自然に、言ってみれば「職場の空気」や「周辺から学んでいく」ように完成されている。
・ ところがこの辺が「だらしない職場」であれば「先輩のやる言動」を見ていて、若い人が「あれで良いんだ」と思い込んだら、一貫の終わりで、逆スパイラル現象で職場はドンドン悪くなっていく。昔、公立学校時代にある府教委の幹部が言っていたことを今でも私は忘れない。
・ 今、府教委は教員の新規採用に躍起であるが、勢力を注いで採用した新人が職場配属して半年も経ってみると「もう半年前の姿は何処にもない教員がいる」というのだ。面接などでは素晴らしかった新採の教員が「配属先の風土に染まって」しまい、たった半年でいかにもだらしなくなっているのに「愕然」としたというのだ。それくらい職場風土は急性で罹患する。そしてそれが慢性病となり、じわじわ「学校を壊していく」のである。
・ 本校でも私の耳に良く入ってくる。「ベテランの先生は直ぐ帰宅する。」残っているのは若い先生ばかりで、信じられない話だがベテランが若い先生に「早く帰ろうよ」と自分の帰りが早いことへの正当化作業として進めるような教員がいるという。帰ってよいから「黙って帰れ」と言いたい。
・ 良い風土が出来ていないならそれは「作り、醸成」していかねばならない。しかし口ほど易しいものではない。基本的に部屋に閉じこもり、接触の機会の少ない校長では限界がある。
・ 最も有効な手立ては何時も側にいる「ベテランの教師が若い教師を指導する」ことであるが、学校というのは企業や行政の公務員と違ってベテランになればなるほど「素晴らしいものとだらしないもの」に分かれる比率は高いと私は観ている。
・ 加えて学校は「鍋蓋社会」と言われて教員間には差がなく、校長もフラットな「鍋の蓋のつまみ」と称されているくらいだから推して知るべしである。「同僚が同僚を指導するなど基本的には有り得ない世界」と思った方が良い。
・ それでも昔は「カリスマ教師」とか「卓越した教科指導の先生」とか「人格者先生」とか色々居たのだが、それも随分少なくなってきている。「校内試験問題」など若い先生などは簡単に作らせてもらえなかったらしい。それくらい「権威」があったのである。
・ 教員というのは「資格職業」で国家が認定した資格を有し、英語、数学、国語など教科単位で「専門性」がまったく異なる。「専門店の社長の集まり」と考えた方が良いから、教員の集まりは「組織体」というより「連合会」「協賛会」「互助会」的で社長・校長を頂点にする「ピラミッド構造」ではないのである。
・ その文化が「学校改革を妨げた」との反省から国や地方行政団体は校長と教頭以外に主幹、首席、主席、指導教諭とかの「中間管理職位」を設けて教員の「管理強化」を図ったのである。即ち「上司」を作ったのである。「同僚から言われたら腹が立つが、上司なら仕方がない」と言ったところだろう。
・ 教師は自分の専門については良くやるし、勿論例外はあるがさすがプロらしい先生は多い。ところがだ。こと社会的な常識となると欠落している人が多いのも特徴である。「学校の常識は社会の非常識、社会の常識は学校の非常識」と教育の本には必ず書かれている。
・ 世に先生といわれる「学校の先生、病院の先生、議員の先生」などはやはり一般人と少し違うという人は多い。最もこれらは全ての人ではなくてあくまで「比率の問題」だろう。先生と言うお方はやはり立派な人間が多い。
・ 本当は「副校長とか教頭が部下指導」をしなければならないが、彼らとて教員一筋だから「社会の常識」を言ってもせんないところはある。だから「校長のリーダーシップ論」を幾ら言っても「教師出身校長であれば限界はある」と考えた方が良い。
・ 本校でも事務室勤務の職員などは教員とは少し違う。それは常に外部との接触があるからだ。公立学校でも事務室は行政側から来ており完全な「上下社会」である。教師の中では体育科の先生が「常識をわきまえている割合が多い」とこの前、何かのブログに書いた。問題は「ガチガチの教科専門の教師と変にサボりに狎れた輩」である。
・ 私は教科指導に関しては指導できない。資格もないし専門性がないからだ。しかし現状を分析し将来像を明らかにして学校の進むべき道を指し示すことが仕事である。進学実績、試験の結果の分析、生徒のアンケートや保護者のクレームを伝えたりは出来る。問題は教員の「ビヘイビア」である。「身のこなし方」「立ち振る舞い」「言動」と言った方が分かりやすいか。
・ 3月9日、10日と続けてブログに「見事に切れる」「切れた事例」を詳述した。これらも部下指導の一貫である。職場風土は長い年月で作られてきており、一朝一夕で変わるものではないが誰かが言わねば何もエンジンはかからないのだ。「誰が警鐘を鳴らしてくれるというのか」。外部の人間は何も言ってはくれない。
・ 私はその「蘇生させる役目を果たしている」。しかし元来は先輩教員が後輩教員、新しい教員を「仕事を通じて指導」していくことが最も素晴らしい姿である。ところが肝心の先輩やベテランが「その気などなくて逆にマイナスに作用」していたら、それはとんでもない話で接触の機会が多いだけに一挙にその組織は腐敗していく。
・ 特に「校内試験問題の作成」と「服務規律」に極端に表れる。この二つを見れば立派な教師かどうかが分かると思っている。見事な実績を誇る教師は人間的にも「人から尊敬」されており、生徒や保護者も一目も二目もおかれる存在だ。私は「そういう教師を一人でも二人でも育てていきたい」。
・ だから若い先生方が「どのような教員と付き合っているのか」一大関心事である。つまらない教員と接して「悪い感化」でも受けたら申し訳ないとじっと見詰めているのだ。専任教諭に採用したら1年間はベテランの指導教官をつけることにしている。
・ 私は長い企業経験、公立学校の校長4年間、私立学校校長2年間の普通は誰も出来ない経験を有している。日本全国私のような人間は多くはいない。それだけに「一つの新しい学校を作る」という気持ちでやっている。
・ この目的は言い換えれば「新しい学校文化学校風土の創造と醸成」である。それが私の仕事だろうと思うのである。私が教壇に立って英語や数学を教えるわけではない。私には出来ないだけに私が出来るところでこの学校に貢献していくのだ。ターゲットは素晴らしい職場風土である。校長は数年で変わっていく。「職場が人材を育てる」というような浪速にしていきたいと強く思うのである。

2009年3月10日火曜日

3月10日(火)教職員への指導事例

・ 昨日のブログに続いて、直近数ヶ月で私が「切れた、怒った、きつく指導した事例」を掲げてみよう。どのような現象に私が指導エンジンのスイッチを入れたのかを良く見ることでこの「私が何を問題とし、教職員に何を求めているか分かる」と思うのだ。
・ 内容は既に昔のこと、私にとって昨日のことも時に昔になるのであるが、既に過ぎ去ったことだ。何のわだかまりもない。又指導したことについて反省することも無い。「信念に基づいて、組織管理者として指導」したことである。
・ 切れ度数  3段階 A:まあ厳しい、B:まあまあ、C:柔らかい
・ 基本的ミヘイビアの部分で
* 今年採用した、ある常勤講師の先生が駅のプラットホームで偶然後から来た私を見つけて、椅子に据わったまま,首をちょこんと下げて挨拶らしきものをした時だ。(それは雇用者に「失礼」だろう、社会人が外で社長に会ってちょこんと挨拶するか!一応椅子から立ったら。それが常識だよと指導した。)切れ度数C
* 私は極めて「タイミングを重要視」する。ある教諭に至急やるように指示した仕事があったにも関わらず、帰宅してしまい結果の報告もない。(自宅に電話して事情を確かめると、他に仕事があったので出来なかったというから指導した。組織人として失格である。出来なかったと「報告」すれば済む話である。切れ度数B
* あるベテラン教諭が秋になってもネクタイをせず工事現場の職人さんみたいな服装なので学校ルールにのっとってちゃんとするように指導した。
(これは簡単な話で“ハイ”で済んだ。)切れ度数C以下
* ある教諭が特別の分掌テーマで特命事項の業務を与えても、あれこれ言って「仕事から逃げよう逃げよう」とするので指導した。(結果的には3ヶ月遅れた。しかし基本的に能力や経験の問題もあり、厳しい指導とはせずにガイダンスに力を入れた。結果的には良い仕事をしてくれた)切れ度数C
* ある重要な式典で司会の常勤講師が無茶苦茶のしくじりをしてもその科の主任教諭は「他人事」みたいに発言し全く「責任を感じていない」ように見えたから指導した。やる前からこうなることを私は想定して警鐘を発していたにも関わらずだ。(完全に私のいうことを理解した。)切れ度数B
* ある教諭が腰が痛いので整骨院に行くからと言って、長い間、朝の時間休を取って10時頃の出勤をするから、これも非常勤講師になって時間的ゆとりを持ってまず体を直すように「アドバイス」した。(病院に行くのを午後か夕方に変更しますと言ってきた。)切れ度数C
* 二人の担当教諭が卒業アルバムに載せる写真のチェックを怠り、二人の先生の写真がないなど本校では前代未聞の大きなミスを起こし、生徒への配布遅れと新たなコスト負担を発生させたことで指導(仕事のチェックの厳しさを指導した。)切れ度数C
* ある若い教諭がメールをコピーとして私に送信してきた。よく頑張っていたので言葉を尽くして「評価し激励」したのだが、何も返信などない。廊下で会っても何も言わない。(上司から何らかの言葉があれば返信して完結するのが常識だろうと指導した。最初キョトンとしていた。その後分かったみたいだった。)切れ度数C
* あるベテランの教諭が理事長・校長を一般教員と同列にしてメールを送ってきて私が企画し主催し実行した行事にも関わらず私はその先生から「慰労され感謝された。」(それはおかしんじゃないのと言った。貴方から慰労され評価されるいわれはないと言った。今までこのことは何回も言って来たことだった。すぐ判ったみたいだった。)切れ度数B
*  ある教諭が異常と思えるくらい、放課後の時間休を取るので理由を尋ねると奥さんが運転できないのでスーパーへの買い物に付き合わないといけないからと言った。(私は家庭は大事だから、専任教諭を辞めて非常勤講師になれば授業が終わればすぐ帰れるので、そうすればスーパーの買い物の付き合いも出来るからそうしたらどうかとアドバイスした。)切れ度数B
・ 「逆鱗に触れる」というか「地雷を踏む」というか
* 「保護者からのお中元、お歳暮の類は絶対に受け取ってはならない」と2年間言い続けて来たにも関わらず、偶然ある出来事で6名の教諭が昨年末のお歳暮を保護者から受け取っていたことが判明した。一人が高校教諭で他はすべて中学校の教諭であった。「私は愕然」とし「本校教員の意識の古色蒼然さと民度の低さ」に驚いたのである。切れ度数A
* これはつい最近のことであるがあるグループ19名を慰労目的で会食を設定した時の事である。教員の生態の根本的な部分が含まれており、私の忌み嫌う現象が入っているので少し詳しく書いておこう。
“年度末になり、大きな実績を残してくれた二つのグループの責任者とそれらを統括する管理職を含め19名の教員を「難波に招待」した。ところが私の席などは空いた席でその隣は若い常勤講師であった。このグループの責任者二人と管理職の3人は固まって集まり、隅の方に据わっている。私が到着したにもかかわらず据わったままで立って迎えようともしない。60才前のもう分別のあるだろう「いい加減ええおっさん教諭」にも関わらずだ。又顧問で来て頂いている元公立中学校の2名の元校長先生などは入口近くの女性常勤講師や嘱託教諭の側に据わっておられる。大変失礼な席の配置である。そのうちの一人は今年来て頂いた新しい校長先生だ。1年経ってこの先生への遇する形もあろうものを責任者はこのような考えはないらしい。二人の校長経験者は少なくとも教職一筋38年、最後は公立中学の校長先生までやられた先生方だ。ご定年に成られて本校に来て頂いているがそれは私がお願いして来て頂いている先生方である。君らとはキャリアが違うと私は言いたいのだ。別格なのだと言うことが分かっていない。仕方なく私が席を渡り歩いてそれらの先生のお側に行ってご挨拶した。そしたらそのことさえも冷やかされたのである。又本年度でこのグループから去る先生も一人居られるにも関わらず席の配慮などもない。至ってこの3人は平気なのだ。又私が到着しても司会というか幹事は何も言わないので仕方なく一人で立って今年の総括と来年度の方針をした。そして懇談の座を盛り上げようとする私の気持ちも分からず、「今日は盛り上がっていますね」とかとにかく責任者の一人は無礼千万な事を私に連発し、終いには明日の朝はお礼に伺わなければいけませんかと発言した。大体この会はこの人間のために実施した会だ。昇進させ、部下を多くつけ、そのキックオフと思って設定した会食だ。何を考えているのかさっぱりであった。狎れているのか、なめているか、そういう感覚がないのだ。翌朝この二人を部屋に呼んで厳しく指導した。同席していた管理職にはもう何も言わなかった。この人には言っても無駄だからである。切れ度数A
(この二人は指導を受けて初めて気付いたみたいであった。意識がまったくなかったということであった。)
* 朝読書持ち時間減要求事件については「切れるを通り越したレベル」にある。郵政民営化見直し問題で変な発言をした麻生総理に対して小泉元総理が「怒るというより笑っちゃう」と言った感じに近い。従ってあえてもう書かない。切れ度数判定不能

2009年3月9日月曜日

3月9日(月)見事に切れる

・ 「教員への言動指導」は難しい。しかし私は「言わねばならないときは言う」ことにしている。この学校の経営者として又校務運営の責任者として「言うことが私の責任」とも考えているからだ。断っておくが基本的に「がみがみ言う」のは好きではない。
・ とにかく「指導する」ということは結構「エネルギーを消耗」するものである。あまり言っても「一々、箸の上げ下ろし」と取られてはこちらも面白くないし、言わなければ教職員は「それで良いのだ」と勘違いしてしまう。
・ 特に今の浪速のように「素晴らしい学校に変貌」しつつある現実を見ると「まあ、これくらいは・・」とか、ついつい思ってしまう。現実として最近は私の怒りや非難、指導の矛先は鈍っているのである。
・ しかしそういう時に限って「失敗した、言うべきであった」とか後で後悔するときも多い。人間というのは悲しいもので「そう簡単に変わらない」ことは自身の体験も入れて痛感している。「意識改革」とよく使うがこれが簡単に出来たら苦労することはない。特に加齢とともにますます難しくなるものだ。
・ このようにして悩んでいるのだが、迷いを払拭するような記事が出ていた。6日の朝日だが「作家の吉武輝子」さんである。見出しは「見事にきれる高齢者に」「60才過ぎれば人生思いのままに」と言うものである。
・ 吉武さんは言われる。「変な社会的制約から解き放たれてドンドン楽しくなりだんだん自分らしくなっていく感じ」と自身を観察し、「年寄りへの注文」としておとなしい年寄りになりすぎていますね。「喜怒哀楽の中で人間の尊厳に関わる感情は怒りです。」「若い後輩たちに対して優しく、そしてその上で切れるべき時には見事にキレる、そういう高齢者になるべき」と言われているのだ。
・ 以上の言葉は「地獄に仏」とはオーバーであるが、私にとって考えさせる吉武先生のお言葉であった。記事には「病気になっても病人にはならない」という感銘するものもあった。さすがだ。人生77年も生きてこられると違うということを感じさせられるのだ。
・ そう「見事に切れる」「おとなしいだけの年寄りではいけない」この二つの言葉が私を「すっきり」させたのである。しかし先生の言われるように「見事に切れる、怒るというのは難しい」。口で言うほど易しいものではない。
・ 少なくとも「私憤」と成ってはいけない。私はこれだけは気をつけている。「オーナー企業やオーナー学校経営者」には時々このようなことがあるみたいだ。公私を混同し、社員や学校の先生を「徒弟」や「召使」みたいに捉えては絶対にいけない。それらを「私物化」という。
・ その点私は「オーナーではない」し、「内部から上がってきた人間」ではない。まだ本校に来て2年ちょっとだから経緯もしがらみもない。私物化しようにも「私物そのものがない」のだ。
・ 着任後に良く耳にした「あの先生とあの先生は仲が悪い。すれ違っても挨拶もしない」から「金魚の糞みたいに、何時も連れ添って歩いている」とかの「人間関係の相関図」などは全くない。要は真っ白で単身落下傘で乗り込んできただけの話だから誰とでも「等距離」なのである。
・ 従って私のキレは「単純に学校にとって良いか悪いか」が判断基準である。それも「昔の話し」などは関係ない。「私の目にしたこと、聞いたことだけが判断基準」になる。だから前の校長先生の時に失敗していようがいまいがそんなことは関係ない。
・ 「すべてリセット」して理事長そして校長としての仕事をしてきたのである。これだけは分かっておいて欲しい。個人が憎くて怒っているのではないのだ。切れた後はあっけらかんとして一部の事例を除いて忘れるし他への影響などはない。
・ 私が切れるには大体のパターンがある。「幾ら言っても分からない、理解しようとしない連中、卑怯な振る舞いの人間、余り勉強もせずに深く考えもせずにいい加減のことを口にする人間、礼儀のない連中」など対してはどうも「寛容性がない」みたいだ。
・ こちらは「神経を張り詰め」この学校の「現状と将来」のことばかり考えている時、あれほど「説明責任」を果たしているのに、「脳天」なことを言われると「ぶちッ」と切れることがある。何時もではない。
・ 「職場というものに対する基本的考えが違う」のだと思う。「職場には緊張感が必要」というのが私の考えである。仕事をして対価としてお金を稼ぐ職場は「居酒屋でもなければ、リラックスする癒しの空間」ではないだろうということだ。勿論職場の人間同士は仲良く助け合っていかねばならないが「赤信号を皆で渡る」ようなことではなかろうということだ。
・ 大体職場や自分の仕事にストレスなどがないようにというのは「嘘っぱち」だろう。自宅の居間でコタツに入って一杯飲みながらワールドベースボールの試合を見ている場所ではない。「職場というのはプロ職業人の真剣勝負の場所」である。
・ まず「私の指示」を守らず、勝手なことをしたり、遅れたり、又その報告がなかったような場合は指導する。その理由は、例え結果についての影響が大きかろうと小さかろうと許せない。殆どがこれだ。私の仕事の大きな特徴として「タイミングを大変重要視」する。タイミングを外した仕事など全く評価しない。
・ 仕事というものは「乾坤一擲の勝負時」があり、それを外したりしたら意味はないと考えているから勝手に解釈して自分のペースで仕事を進める連中もだ。私の指示は考えに考えた上で出しているからそれを無にされると切れる可能性は高い。
・ それは周辺の事態が時々刻々変化するから、企画した「手順が狂う」と全てがパーになることを恐れている。だから「スピード」を重要視する。結局「感性の問題」なのだろう。遅い仕事などタイミングを狂わせるだけで、それならしない方が良い。
・ 単なる失敗とかボーンミスとかは決して怒らず責めたりはしない。人間誰しも時には失敗はあることだ。しかし一旦私が注意し、指示し、強調したことを「ボーッ」としていて守らず失敗した場合は厳しくなる。私の指示は極めて具体的でその前後までストーリーを指し示し、時には「出来上がりの結果」まで指し示すことがあるくらい「実践的で具体的で良く分かる」ものである。
・ もう一つポイントは「組織の秩序維持」である。大体教職員はこの意識が極めて薄い。変にプライドが高く、力もないくせに偉そうにするところがある。従って「礼儀作法、立ち振る舞い」などはサラーリーマンに比べれば「子どもみたいに無知」なところがある。それは誰も教えて来なかったからである。
・ 近日中に直近6ヶ月で「どのような現象で私が切れたか」記してみよう。どのような項目で私が厳しい指導をしたかを良く観ることで私が「新しい学校つくりで職員に何を求めているか」が分かると思うのだ。

2009年3月8日日曜日

3月8日(日)鹿児島県阿久根市の市長さん

・ 今「鹿児島県阿久根市の市長さん」が面白い。お名前を竹原信一さんという。49歳だ。ウィキペデイアによれば鹿児島県立「出水高等学校から防衛大学」に進み、1988年に退官して帰郷。親の経営する建設会社に就職した。出水高校といえば鹿児島でも指よりの進学校でキャリアは申し分ない。「公人」だから経歴は公開されており直ぐ情報が入手できる。
・ このように「人の論評」をするときは出身県、学歴、職歴から「お人柄などを一人勝手に想像する楽しみ」がある。「大体当たるなー」と思う。私も良く始めてお会いした人から「想像していた通りのお人でした」などと言われることもある。
・ 2005年の阿久根市議会議員選挙に出馬し初当選、3年後恐らく思い余って「市長選」に2008年出馬し初当選した。この時は市議全員が推した前職市長と500票程度の僅差であったという。実はこの市長選挙が今阿久根市で騒動になっている原因だと私は踏んでいる。
・ 竹原市長は選挙期間中も「ブログの更新」をし、選挙管理委員会から注意を受けたらしいが、「総務省の解釈がおかしい」と反発した。どこか橋下知事に似ていません?ご本人はこの選挙期間中の「ブログの更新が当選に結びついた」とは思っているのかどうか分からないが、とにかく更新し続けたらしい。
・ しかしこの指摘はおかしいのであって自民党も民主党も選挙期間中にホームページを更新し、立候補者はブログなど更新しているからこのことを取り上げて批判するには「筋違い」である。要はITに弱い対抗勢力が「イチャモン」をつけたというところだろう。これが第一幕である。
・ 第二幕はブログで「市議の不人気投票」を行ったことだ。「おもろい。」「阿久根市議会で最も辞めて貰いたい議員は?」というテーマで市議会議員15名全員の名前を挙げて「ネット投票を募った」のである。今年の1月12日のことである。市長に言わせれば「私も投票を受けている」からと言っている。確かに市長への賛否をネットで問うている。公職にある身だから仕方がないという論理だ。
・ びっくり仰天し、頭に来た市議会議員は2月6日に臨時議会を開いて「市長不信任決議案」を全会一致で可決した。不信任決議を受けた竹原市長は4日後の2月10日に「議会解散」を告示し、「議員全員の首を跳ね飛ばした」のである。
・ 私はこの4日間に何を市長が考えたのか、思考の中身を知りたい。「出直し市議会議員選挙」は3月22日にあるからこれは「注目しなければならない」。若し前職が通れば改選後の議会でもう一回不信任が可決されるだろう。そうすれば今度は「市長の首が吹っ飛ぶ」ことになる。「失職」という。阿久根市の「民意」は果たしてどうかな?
・ しかしだ。「今辞めて貰いたい教員は誰か?」と言って「生徒と保護者にネット投票」をして貰って上から順番に「○○先生何票、□□先生何票、XX先生何票、・・・・」などとブログにお名前を書くのと一緒だから、果たしてこのようなことは私に出来るかという質問を受けそうだが、答えは「私はしない」だ。「さすがに私でも出来ない」と言った方が良いか。
・ 公職である市議会議員だから許されると考えるなら「私学教員にも公的資金が入っている」のだから半分は公人として許されると言う考え方もあるが、些か無理があるのではないか。我々は政治に直接タッチしていないあくまで教職にある身だ。元々市民や府民の「直接選挙で職にありつけたわけではない」からだ。
・ ところが阿久根市の市長はそれだけでは済まさなかったのである。第三幕が切って落とされたのである。「ブログ市長」は今度は市のウェブサイトに市の「職員268名の給与明細を公表」したのである。これをテレビや新聞がわいわい騒ぎ立てている。
・ 頭に来た市議会が「不信任決議」をしたから市長は二の矢として市のホームページに消防を除く全市職員268人の給与明細を1円単位まで公開したということではなさそうである。どうも「前からの確信犯」である。
・ 勿論個人名は書いていないのだが年令や家族手当などをよくよく見れば個人が特定できると市職員は困惑当惑していると言うし、事前に説明もなかったというが、「地方自治体が給与の号俸単位の額や扶養手当、住居手当などを公表」するのは当たり前で「条例」でそのように決められている。別におかしい話ではないと思う。
・ だから私は阿久根市長が一覧表で全員の分を出したということを問題にしているのか、何が問題なのかまだ良く分からない。市長はブログに「年収700万円以上の職員が54%もおり、市の将来は人件費を適正化できるかどうかにかかっている」と主張している。
・ 市のホームページの「市長の部屋」を読むと市長の公約は市政改革と市議会刷新を強調し「人件費の削減」を施政方針に掲げているのだ。「公約どおりに進めている」と思っているのだろう。
・ 確かに阿久根市の職員の給料は比較的高い水準にあり、「鹿児島県内の49の市町村のうち上から3番目」と言う。又市長は「悪いことさえしなければやる気がなくとも給料は青天井という給与体系をどうにかしなければ」と書いてある。
・ また「給料も今まで一応は公開されていましたが非常に分かりにくいので今回見やすい形にしただけのことです。これは市民サービスの一貫です」と「正当性」を述べている。まあまあシャーシャーとしているな。この辺はすごいところだ。
・ このあたり、「橋下知事に似ていないか?」大阪で知事が進めた全国学力調査結果の公表と似た感じがする。ネットの書き込みは「良くやった、偉いよ、竹原市長」とか「公僕の雇い主は市民です。雇い主が給料チェック、これ普通竹原市長は正しい」とか色々あるが市長に厳しい反応があることは市長も認めているみたいだ。
・ 予想通りだ。過日の新聞各紙に橋下知事は「阿久根市長に橋下知事賛同」「非常に納得」「オープンにするといろんなことが分かって良い」と大阪府も前向きに検討するそうだ。私の想像したとおりの発想を知事はする。
・ ただ橋下さんは府民の支持率が80%であり、市長さんは50%だからそう強気にも出られないのではないか。個人的には竹原市長に少し「何か変?」と言う気がしないでもないが、とにかく3月22日の選挙が楽しみだ。阿久根市民がどういう判断をされるのか。
・ ちなみに本校でも「教職員の給料一覧表などを1円単位で公表せよ?」って迫られても、お答えは「致しません」だ。その必然性がないからである。しかし世の中は面白くなってきた。特に「地方自治体の首長」に「面白い人材」が出て来た。「地方分権」はこのようにして既に始まっている感じがする。