2010年1月11日月曜日

1月10日(日)表千家お家元の初釜


























・ 本当に「このような事が世の中にあるのか」というような事が今日起きた。周辺の皆様も肝心の「私もまだ信じられない」のである。「こいつは春から縁起が良いワイ」と言いたいところだが「抑えて、抑えて」と自分に言い聞かせているところである。
・ 今日は生まれて初めて「表千家お家元の初釜」にご招待されて「京都」に行ってきた。まさかこのような機会があるとは思っていなかったが大阪天満宮宮司のご予定が合わず私に回って来たという具合である。
・ 元々「たしなみ」は心得ていないのであるが「茶道」に大変興味があって墨蹟、懐石、焼物、庭園など「お茶にまつわる文化」については無性に好きなものがある。中でも「お茶わん」つくりは自分で窯まで持って「下手」なりに昔は随分と焼いたものである。
・ 今日はそういうわけで理事長職務代理に連れられて京都は掘川の「表千家不審庵」に赴いたのである。前に一度前を通ったことがあるのだが大きな「武家の格式の表門」をくぐって中に入ったのである。さすがにいささか興奮した。
・ 利休の子ども少菴がこの地に「千家再興」をして後、4代の江岑宗左より紀州徳川家に仕えて9代了々斎の時に建設が許された由緒ある格式ある正門なのである。何時もは使われず脇の小門が使われているが今日のような「初釜や利休忌」などにはこの「大とびら」が開けられるという。
・ 木村家の流派は「表千家」である。神社神道の関係者も大体表千家ではないか。利休直系では「今日庵裏千家」と「官休庵武者小路千家」とこの不審庵表千家と三つの流派に分かれているがどうも表千家を応援したい。
・ 「戦国、安土桃山時代の利休」から3代目の元伯宗旦の時代にその子4男がおり、その子どもたちがそれぞれを独立して千家を守り切磋琢磨して茶道文化を繋ぎ、発展してきたのである。素晴しいことではないか。
・ 千利休、一体全体どのような人物だったのであろうか。想像するだけでも楽しい。信長、秀吉に使仕え、激しく死んでいった「一代の英傑」に私は心を奪われるのである。爾来脈々と伝統が引き継がれており特にこのような茶道の世界は「昔のまま」を引き継いでいくことに意味があるのであって400年間利休の「侘び茶」が現代までつながり日本文化を形作ってきている。
・ 元々表千家の茶道には「而妙会」なる茶道研鑽・後援の会があって大阪而妙会、京都而妙会などと全国に会がある。その茶会には「宗匠」が直接指導に来られるのである。言ってみれば直参旗本お家元直結の応援部隊である。
・ 大阪而妙会のメンバーなどはお名前を聞いただけでも素晴しい方々ばかりである。本日のお席もご正客は東大寺管長がお座りになり、有名な会社の社長、会長ばかりで「錚々たるメンバー」であった。私など「分を超えており」そわそわして落ち着かなかったのである。
・ 而妙会とはお家元の而妙斎から頂いたものだろうが元々は調べてみると曹洞宗の経典「宝鏡三昧」の中の「天真而妙 不属迷悟」から来たものであろう。「ありのまま、いつわりなく飾りげなく不足を言わず、それでいて極めて優れている」ということが大切だという意味であろう。良い言葉である。
・ 「生まれて初めてのお家元のお茶席に座ることが出来た」。目の前3メートルで千宗左お家元がお茶を点て、私はそれを濃茶で頂いたのである。「おいしかった」。お茶席は不審庵内の「残月亭と九畳敷」で合わせて大広間となる。
・ そこに大体50名程度の客が直接お家元のお手前でお茶を頂くのである。驚いたのは全てのお手前を家元がなされ、裏から運んで来るということは無かった。「連続7回もお手前」をされていたのである。私はそれを全て見ながら感心感動したのである。
・ お席はお薄の席から濃茶に変わり、その後点心となる。そのお席は「年酒席」と言い「酒肴のおもてなし」となる。お薄から濃茶、食事、まで絵に描いたようにスムースの流れる。
・ 晴れやかさの中に当に「和敬静寂」そのものの雰囲気が流れる。電灯などは無く「ろうそく」で灯りをとっているだけに「幻想的」なのである。お部屋は少し暖かくなっており、京都といえども決して寒くはなかった。
・ 理事長職務代理の傍を私は離れず、教えて貰いながら進めていったが「とにかく一度経験」することが重要である。色々なことを教わった。大変勉強になったのである。「作法はそれなりの合理的な理由がある」のであって2回目からはある程度上手くやれる自信も付いた。
・ 不謹慎であるがお家元には「歴史的なお宝が山のように」引き継がれており、私は今日の初釜でどのようなお茶席での「しつらえ」になるのか大変興味もあったのである。期待に違わない素晴しいお道具でお茶を頂いた。
・ 9畳敷の床には「春入千林処々鶯」の掛け物があったが、これは今から「350年ほど前の千家三代宗旦の軸」である。「本物」なのである。残月床の掛け物は千家と徳川家の関係を示す歴史的な「少菴召し出し状」であった。こういうのを拝見させて貰えるのがお家元の初釜なのである。
・ 全てが終わった後、「年酒席」といわれる上手い料理とお酒のサービスが始まる。ここで又私は驚くのである。受付から下足番、お手前は勿論、折敷の持ち出し銚子でのお酒の進め、「すべて男性が行う」のである。女性は一人もいないのである。これも表千家流と聞いた。
・ テレビや本などでしかお顔を見たことに無い「宗左お家元から直接お酒を注いで貰った」。若宗匠やご一門、有名な高弟である宗匠から次から次とお酒が注がれ、素晴しい料理が次から次と出てくるのである。お酒は「冷ではなくて燗」であった。どうしてだろう。今度調べておこう。
・ 年酒席の最後には恒例の「くじ引き」があり、皆さん、これを目的にしておられる人も多いという。50人に3本の「当たり籤」がある。小さな紙縒りをお盆に載せて全員に回しそれを好き好きにとって行く。私は目の前の取り易いを取ってお酒を飲んでばかりいた。
・ 食事も終わり頃に「それではくじ引きに入ります」と宗匠のお言葉があまず最初に「鶴の方」というのである。紙縒りには小さな文字でその字が書いてあるのだ。鶴が三等賞、次に「亀の方」が二等賞、そして最後が「福の方、福の方」と声が響く。皆自分の紙縒りを見るのである。
・ 何と私の紙縒りに小さな字で「福」と書いてあるではないか。私は最初余り意味も分からず、隣の理事長職務代理に「これですか、何か福と書いていますよ」と聞いたのである。職務代理の「これは当たり!一等賞だ」で周辺は一挙に騒がしくなったのである。
・ 初めて初釜に参加して、それも名代みたいな形で参加させてもらって「お家元直筆の茶掛け一行もの」が当たったのである。お茶人垂涎の家元の「花押入り」の書が私の手元に入ったのである。自分でも信じられない出来事であった。
・ 軸は「虎嘯而風生」という物で虎歳を意味しながら「虎は嘯く(うそぶく)だけで周辺に風を起こす」ような意味である。この文も何か自分に当たっているような気がして益々嬉しくなったのである。
・ 私は早速、正式な「お軸に表装」することとした。お家元の「書付」も頂けるそうである。これは「我が家のお宝」になることは間違いない。興奮し楽しいひと時を過ごし京阪電車で大阪に向かった。
・ 帰りは「吉兆」本店、高麗橋吉兆の社長ご夫妻と一緒になり4人でお話しながら天満橋まで戻った。今度「吉兆でお祝いの会」をするように「おかみ」から言われたのである。
・ 大阪天満宮の「恵比寿祭り」にお詣りし、「福笹」を求め、「商売繁盛、笹もって来い」との掛け声を掛けて貰った。私にとって商売繁盛とは今進行している「生徒募集」の結果である。
・ そして天満宮宮司に何が起きたか報告した。宮司も大変驚いておられた。理事長、名誉理事長、理事長職務代理の3人で折角の機会であり、「学校法人の今年の方向性などを相談」して難波に戻ったのである。このようにして本日は「忘れられない佳い一日」となったのである。