2010年2月2日火曜日

2月2日(火)凄い時代







・ 「大変な時代」になった。「凄い時代」と言っても良い。本格的な「政権交代」を夢見ていた人には民主党の党首と幹事長から「大いなる幻滅」を与えられ、まさかナショナルキャリアフラッグの「沈まぬ太陽日本航空」が沈み、「給料は二度と上がるような時代は最早来ない」と言われている。しかし「凄い時代はチャンスの時代」でもある。
・ 「来年度の校務分掌の人事」が本日の夕方最終確定した。2月1日の管理職発令後、新旧の管理職が協議して決まったものである。今年は結構時間をかけて検討してきたと思う。まず原案を筆頭副校長が作りそれをもう一人の副校長も入れて「揉んできた」ものである。
・ 「組織についても一部見直し」をしている。中高一貫コース長、すなわち「関大コース長」が新設されるし、「中学校に生徒指導部長を独立させて創設」する。今までは高校と一体化して中学のセンターは生徒指導部の副部長であったが、中学校の規模も大きくなって独立させるものである。
・ それに「堺グラウンド主担当」を新設する。来年度の土曜日の使い方とあいまってクラブ間の調整やアクセスの交渉など1年目は形が出来るまで忙しいことが想定され独立した主任が必要と判断したものである。「多聞尚学館」はこの方式で成功した。すなわち副館長を教員としたのである。
・ 「一仕事3年」を目途に3年間やってきた。今の分掌の部長さん、すなわち主任や主事は「大変良くやってくれた。」「浪速改革の成功」と言って頂けるなら、それらは「校務運営委員会のメンバーの成果」である。
・ 次から次と新しい企画を決めて取り組んでくれた。その「全てが成功した」と言っても良い。「理事長・校長の経営ビジョンを理解し、あるべき校務運営」に主体的に取り組んでくれたのである。私は感謝している。
・ さて問題は「次の3年である。」これは極めて重要な3年となる。「3年後は創立90周年前2年前」となる。21世紀に輝く浪速のためにしっかりとした「」を築いていかねばならない。「ゆっくりとじっくりと」などは寝言である。「迅速に」進めることが成功の秘訣である。
・ 管理職のポジションも大幅に変えた。「新たな人材も2名管理職に登用」した。彼らに内示する時私は言ったのである。「思い切ってやるように」。「学校に恩返しせよ」と。人事異動は「やり方を変える、高めるチャンス」である。何も変えないなら人など変える必要はないのである。
・ 大体「適材適所」というが、これくらい分かりにくいものはない。大体「出来る人は何をやらせても出来る」もので、出来ない人は何をやらせても出来ない。これは企業社会でも当然の話で「人事で失敗したら」その会社自体が危うくなるからとにかく「人事」には「細心の注意」を払う。
・ 払っても失敗はある。私もこの3年間思い切った人事を試みたが、結果的に「失敗」もあった。高校と中学双方にである。「良かれ」と思い、「チャンスを与えた」積りであったがその機会を生かすことの出来ない教員も正直いたのである。
・ そうかと思えば「想定以上の仕事をする先生」も居たりして、管理職の中には「変わった、変わった」という人も居るが私は変わったのではなくて、昔から「力を発揮する機会」が与えられていなかったということではないかと思っている。「人は見かけによらない」とは真実である。
・ 出来ない人は何をやらせても出来ないと言ったが「能力の問題ではなくて」「心がけの問題」なのである。「やる気がない」のである。しかしやる気がない人間を抱えておくほど本校は余裕のある学校ではない。人間のやるものだ。難しくて出来ないなど世の中にはない。
・ やっても貰わなければ困るのである。ところが「人事の妙」で、「やらせたら出来るのである。」出来るのにしなかっただけの話しなのである。従って「仕事をやらない人間をやらせるようにする」のが「組織の目的であり管理職の仕事」である。
・ そして「やった人間を正当に評価」する。そして「一仕事終えたら新たな次の仕事に回していく」。この「サイクルが人事」である。人事とは一言で言えば「人間を育て活用し評価し処遇する人の事」である。私は着任以来このことを徹底してきた積りである。
・ 学校はずっと同じことばかりを強制するがそうではない。進路をやったら教務をやる、次に生指をやると「次々とキャリアを重ねていく」ことが重要である。それで「人間の幅」が広がるのである。「この道一筋」はあっては良いが「様々な経験をする」ことも人生の妙味ではないか。
・ 特に本校は一つの高校と中学しかない。転勤などないからこの狭い範囲で動いていかねばならない。「あれは出来ない。経験がない」などとは言わせない。最初は誰も経験など無い。「私学はマルチプレーヤー」を必要とする。
・ 管理職の最重要な仕事は「まず人を見抜き、働く場所の提供と育成」である。人を育てることが仕事である。まず「担任が出来るか」「生指が出来るか」「分掌業務が出来るか」が第一項目である。
・ 次に「協調性があるか」「陰日なたなく仕事をするか」「健康か」「勤務態度はどうか」「本校の風土に合致する柔軟性を有しているか」「礼節は保たれているか」「保護者と上手くやれるか」等々がくる。「私学だから多くの観点」がある。それは公立と違って全てを我々の手でやらねばならないからである。
・ しかし全てがパーフェクトなどは有り得ない。教員というのは基本的に「同僚の悪口は言わない」ものである。お互いが「先生、先生」と呼び合う間柄で、お互いが「勝った、負けた」の世界からは程遠い世界に住んでいる。
・ 大体一人の教員の意見がまかり通るようなことはまれである。全てが「民主的」に多数決で物事を決めていく学校文化は極めて根強いものがあるのである。従って基本的には「元々人材が育ちにくい土壌」であると言える。
・ 「飛び出る杭は打たれる」から、前のめりや前傾姿勢は時に「攻撃の対象」となるから新しいことには極めて慎重であり、臆病となる。従って「前向きの仕事は出来ない仕組み」と考えたら良い。
・ 又、相対的に若い先生が多く、その中にベテラン教師が居て「口が達者」だったりすると「逆噴射」が出てくる。若い先生が「やるべし」と叫んでも、その人が「そんな案で如何するの、誰がやるの?」とでも一言言えば前向きな話は「グシャッ」とつぶれてしまうのだ朝読書持ち時間減要望事件がそうだった。
・ 浪速においては特にこの性向が強かったように思えた。「慣例」「前例」「風土」「組合」様々なものが入り混じって世の中は21世紀というのに学校の実態は「まだ20世紀の学校のまま」と言う感覚であったのである。しかし完全にそのようなタイプは「既に退場」した。
・ 3年経ち「学校は全く変わった」と人は言ってくれる。しかし私はまだ安心してみているわけではない。若い常勤講師の先生が何十人も居て若返ったことは間違いないが本当に「意識改革」がなされたとはまだ思っては居ない。これほど難しいものはない。まだ「変質脱皮の途中」と考えている。
・ しかし「良い傾向にあることと上昇気流に乗っている」ことは間違いない。「次の3年間の浪速の教職員の仕事ぶりが21世紀の浪速の基礎体力と免疫力を高める」。私は明日内示する新しい分掌長、教科主任、各種委員会の委員長の頑張りを期待しているのである。
・ しかし大変だがやりがいのある時代にも成ったともいえる。堺屋太一先生は2011年が分水嶺とその書物「凄い時代」の中で言われている。まさに今後3年間である。「仕事は成果があって初めて楽しいもの」である。私は皆と一緒に仕事が楽しくなるようにしたいのだ。