2010年2月16日火曜日

2月16日(火)金剛山登山その1




































・ ほぼ予定通りに進行した。「素晴らしい計画」であった。最も事前に「試し登山」を何回も行ってくれており、昨年度に続く2回目だから心配は無かったのだがそれでも「慎重が上にも慎重さ」が求められる。
・ 昨年と比べて「登りと降り」を全く逆にしたのである。昨年はくだりの道筋が人工の階段部分が多く、「脚に来た」のと些か登山と言う行為からすれば「雅味にかける」と思ったのである。
・ 当初は登りの道も全く別ルートを考え、教員が試し登山をしてくれたが最終的に消防署のほうから「幾分危険で、通常学校の生徒さんが通る道ではない」とのアドバイスも頂いて最終的にルートを決めたのである。
・ 学校前を8時10分過ぎに8台の大型バスに分譲して出発し予定通り金剛山ロープウェイ登山口に10時前に到着。私は1号車で3年生A組に同乗した。順次2年生、1年生と出発する。今日は高校3年生の学年団も「お手伝い」で参加してくれた。
・ 何しろ中学も総勢289名の大部隊となっているからバスも8台である。それに保護者用の中型が一台あるから駐車場がほぼ一杯になった。一時期は総勢で100名以下であったから「中学の勢い」が分かるというものだ。
・ 男子197名、女子92名と共学4年目で女生徒も順調に伸びている。教員は私も入れて33名がガードに付くから手厚いと言える。それにしても中学生というには「元気」だし「可愛い」ものである。まだ「子ども、子ども」している
・ 特に中学1年生はそのように感じる。それが中学2年生となると途端に大人っぽくなるから「如何に成長の速さ」を感じるのである。中学3年生ともなるともう高校1年生と同じように思えるが、「ところがどっこい」、高校に入ると2年生や3年生に比べて子どもっぽく見えるから不思議なものである。
・ 昨年購入した「アイゼン」は今年は役に立った。急勾配のところがありそこで全員に付けさせたのである。訓練になったと思う。昨年PTA役員さんの知り合いのお店から無理して数をお願いして購入したものである。こういうものは何時も使うものでないから生徒に買わせるのは酷と考え「学校の備品」としたのである。
・ これ以上はないのぼり道は「天気に恵まれ雪もなかった」。晴れ間が見える「無風」の格別の「登山日和」であった。それでも山頂付近では「樹氷」を観察することができた。風が無かったので「体感温度」はそれほど低くは感じなかった。
・ 生徒にいたっては上り始めて5分もすれば完全装備から上着などを脱ぎ通常の服装で私などの完全装備を見れば「年齢の違い」を痛感する。「半袖で行く男子生徒」も多かったのである。
・ しかし金剛山登山は昨年が初めてで今回が2回目であるがますます「良い山」で霊峰というに相応しい「気品」を感じる山であった。昨年はこの話の最初の頃は生徒は登山を嫌がっている話も聞いたが今日は「歓声」がこだまする「楽しい思い出の登山」になったのではないか。
・ 昼食はピクニック広場付近で生徒は屋外でお弁当を広げていた。私も手つくりの弁当を広げた。おにぎり3個にゆで卵2個である。「旨かった」のである。生徒はお母さんの愛情溢れる弁当をおいしそうに食べていた。
・ 中には魔法瓶(?)に熱湯が入っており、そこに何かをしきりに入れているから「何だ?」と聞くと「スープの粉」だという。お母さんが頂上は寒いから「スープを作って飲みなさい」と言ったのであろう。入れ口が小さいものだから粉が半分は外にこぼれていたな。
・ 教職員は「理事長は絶対にばてるぞ!」と思っていたらしく「体のことを心配」してくれていたがそれも最初だけであとは「知らん顔」であった。昨年は一人のベテラン教諭が「付き添い」でエスコートしてくれていた。しかしその方がマイペースで行けて良いのだ。
・ 確かに足は遅いがしっかりと登っていくし、今足も痛くはない。皆は基本的に私が「健脚」ということを知らない。風邪気味でしんどかったがまだ「十分行ける」ことを痛感した。従って「18日の高校生生駒山ろくトレッキングにも参加」する積りである。
・ 中学校の副校長は1昨年屋久島での私の健脚の様子を知っているから、今日も「すごいですね」と言っていた。私の二歳下になるのか、自分と比較しているのであろう。2年前にはまだ「誰にもオープン」にしていないが私はその健脚を自慢した時期がある。
・ これは「いずれ公開したい」と思っている。しかし確実に衰えていることを実感する。昼食を終えて3年生は13時00分に出発し、ロープウェイ乗車口に下山である。途中「雪が降ってきて幻想的な雰囲気」となってきた。
・ 生徒は暖かくした暖房の体育館で「ふーふう」言いながら「お汁粉」というのか「ぜんざい」を頂いていた。普通の勤務日だというのに多くの保護者がお手伝いに来ていただいて有難いことで私は多聞尚学館に到着後お礼に回ったのである。
・ 昨年は「豚肉だらけの豚汁」であったが今年はぜんざいに変わったそうだ。昨年は初めてということで調理場も無くPTAには大変なご苦労をおかけしたことを思い出した。その調理場を見に行き「冬草や つわもの共の トン汁の跡」の一句をしたためたのである。
・ なんと「千早地区の区長」さんが出迎えてくれていた。昨年もそうだった。とにかくこの区長さんが我々を大歓迎してくれているから我々は多聞尚学館に来ることが出来るのだ。
・ 「誠意を持ってご対応」しなければならない。私は河内長野市との合併が流れて「なんて言おうか」と思ったが触れないことにした。大阪府に一つくらい「」があっても良いではないか。まして楠木正成公ゆかりの「千早赤阪村」である。
・ 昨年の今日は下山後「改造工事の進捗チェック」で忙しかった。あれから1年経って応接室、職員室、120名規模の大教室、40人教室が3教室、男女それぞれの三段ベッドの寝室、多目的使用のじゅうたん部屋が男女別、それに浴場、シャワー室、加えて旧幼稚園にこれまた寝室だ。保健室もある。全くいうことはない。
・ 素晴らしい豪華な「校外学習合宿」施設が完成した。生徒や教員が大変喜んでくれている。ほぼ1年であるが「週末スペシャル」や「セミナー」で常に満杯状態で「多聞尚学館」は活用されている。                              (その1)