2010年2月16日火曜日

2月16日(火)金剛山登山その2











・ 金剛山登山は出来れば浪速中学校の「耐寒行事」として「根付くことを念願」して昨年度から始め2回目が本日無事に終了した。これらはすべて「教員の熱意」と「多聞尚学館の存在」があるからである。ここが「ベースキャンプ」に成れるのである。
・ 本日も体育科の教諭が表、裏とリードして頑張ってくれていた。そして多くの先生が生徒を愛してガードし指導してくれていた。「教室以外で見せる生徒の顔と先生方のお顔」を見るのは私の楽しみである。中学の主担当者のT教諭も頑張ってくれていた。「しっかり」してきた。
・ ところで本校には「相撲取り級の大型人間が3名」いる。私以外では高校理科のI教諭と中学校のN教諭である。ところが国語担当でアメフト専門のN教諭はこの日のために20キロも減量したそうで確かに生徒からも「カッコ良い」と声がかかっていたのである。
・ 身軽に登っていたから「減量の効果」は間違いない。問題は私とI先生で今日の登山でこの二人が完全に「ばてていた」のである。それはお互いが重量級だけに分かるのである。私は見かけると「大丈夫」と声をかけるのだが「顔は笑っていても、お互いどこかぎこちなく、それはお互いばてたものしか分からない辛さ」なのである。
・ しかしこの先生の「ご性格の良さ」が最近私は良くわかってきた。「副校長一押し」で専任に成っていただいた先生である。太っているからどこか「ゆったりした感じ」が時には「ボーツ」という感じに見えなくもないが高校入試の時の動きなどを見ていても「決して俊敏」ではないが「陰日なた無く真面目で確実」である。様々なタイプが居るから面白いのである。
・ 副校長は元々化学の先生でこのI先生も化学だから「自分の後事を託す人材」と考えておられるのかも知れない。「笑顔も素敵」である。今日も昼食を取っている時の笑顔を皆さんにお見せしたいくらいであった。この先生も浪速の将来を担う人材かもしれない。
「変な風」に迷うことなく「隠忍自重」して「大きく、大きく育って欲しい」と思うのである。お互いが重量級だからえこひいきしているのではなくてこのような若い専任教諭の手に本校の将来はかかっているのである。
・ 「金剛山は霊峰」である。金剛葛木は古事記日本書紀にも登場し何しろ「あのような美しい死に方はなかった」と謡われた大楠公生誕の地である。14世紀にこの金剛山に立てこもった楠木正成公は鎌倉幕府100万の大軍をこの地において1000名弱の兵で「知略の限り」を尽くし、100日持ちこたえたと「太平記」にはある。
・ この大楠公の幼名が多聞丸であり私はこのお名前を頂いて「多聞尚学館」と名づけたのである。あれから1年が来る。若い先生方にこの多聞尚学館を存分に使っていただいて本校で学ぶ生徒のために役立てて欲しいのである。
・ 背中には金剛山が控えている。楠木正成公をおまつりする「千早神社」は旧の千早城址にある。「多聞尚学館と一心同体」である。この設備施設に魂を入れてくれるのは若い先生方である。私は大いに期待したいのである。
・ 今日登山の節目節目に木版画というのか「飾り文字」の素晴しい字句が登山者に言い聞かせるように立っていた。実はこれは本校OBの方が「ご奉仕」されたものである。このお方は毎日毎日金剛山に登られるのである。有名なお方である。
・ 学校にも多聞尚学館にも木版画を頂いている。このように「金剛山は本校とは切っても切れない関係」なのである。だから私は少なくとも10年、20年は金剛山登山を継続して欲しいのである。「浪速中学の名物学校行事」として成長することを祈念してやまないのである。
・ 木版画の文句に以下のようなものがあった。
  辛いことが多いのは感謝を知らないから
  苦しいことが多いのは自分に甘えがあるから
  悲しいことが多いのは自分のことしか分からないから
  心配事が多いのは今を懸命に生きていないから
  行き詰まりが多いのは自分が裸になれないから

・ 以上の言葉の中で私が感銘するのは「今を懸命に生きる」である。何時も生徒に伝えている言葉である。「今を生きる」は神社神道の精神そのものである。私も今を一生懸命に生きている。
・ 失敗か成功かなどは良く分からない。分からないから何もしないというわけには行かない。「自分を信じて今を一生懸命生きる」ことしか方法は無い。本校のお若い先生方に是非「噛み締めて」欲しい言葉である。「今を生きる」。私は「新しい自前の神道科の教科書」の表題を「今を生きる」としているのである。