2010年4月18日日曜日

4月18日(日)財団法人大阪国学院






















・ 昨日はほぼ終日、今日は午後から予定が入っていた。先ほど「ボーイスカウト阪南地区総会」から帰宅してようやく週末がエンジョイ出来たと言いたいが夕方5時だったので今週末は「潰れたと嘆く」のでなくて「充実していた」と言うべきか。面白い写真が撮れた。これは今度のブログのお楽しみに。

・ 昨日は「終日大阪府神社庁に出張」であった。特に3月と4月には絶対にいかねばならない出張があるのである。一つには神社庁の「春季例祭」でありもう一つが昨日の「財団法人大阪国学院の卒業式というか修了式と午後から行われた入学式」であった。特に後者は唯一の「来賓」だから万難を排して出席しなければならないのである。
・ 正式に言えば財団法人大阪国学院が主体の「神職養成通信教育部の卒業式」と「入学式」が執り行われたのである。本校は学校法人大阪国学院、もう一つは財団法人大阪国学院であり、分かりやすく言えば「血を分けた親子の関係か兄弟の関係」だと思う。
・ 「明治43年に財団法人大阪国学院」は文部大臣から設立を許可され、本校は大正12年に財団法人が「浪速中学校を設置出願し神道科を併設」したことから歴史が始まる。戦後の昭和23年に「学制改革で新制浪速高等学校と改称」され今日に至る。
・ 従って本校は文科省認可の学校法人であるが財団の方は公益法人として「神職養成の通信制教育機関」なのである。昭和51年に着手し昭和52年から開講したものであるからすでに30年の長い歴史を刻んでいる。東京の神社本庁の認可を受けている正規の組織である。
・ 神職になるには「皇學館大學か國學院大學で学ぶか通信制の教育機関」であるこのようなところで資格をとるかしか方法は無いのであるが、通信制と言っても2年間の学びは「スクーリング」はあるし神社奉仕実習とかとにかく「大変厳しい」なことで有名である。
・ 相当厳しいカリキュラムらしい。「レポート、レポート」「筆記試験」など生易しいものではないことは受講生全てが言われる。特に2年次は本当に大変らしい。即ち「そう簡単に神職の資格は得られるものではない」ということである。
・ ここに学びにきている人は様々であるが他に仕事を持ちながらの人が多い。全国から来られている。1学年50名前後でそれでも神社の縁者がやはり多い。ここで「階位」を得れば神社をお守りしながら祭式を斎行できる資格を有することになる。
・ 私などは「ご奉仕」は出来るが「お祭りを斎行」することは許されていない。要は神社の宮司になることは出来ないがここの「修了生は宮司になれる資格」を有したことになるのだ。
・ ところで私は神社庁の丁長である大阪天満宮の宮司や顧問の道明寺天満宮の宮司に何時も言うのだ。「神社神道の学校の校長を5年もしたら宮司に成れる資格を下さいよ。そしてどこか適当な神社を預からせて下さい」と半分本気、半分冗談交じりに言っているのである。「OK」とはまだ言って頂いていない。

・ 今、日本には神職の資格を有しているのは約20000人おられるそうであるが「神社は約80000社」あるそうで、従って全国には神職の居ないお社が如何に多いかということである。こういう人々が一つの「鎮守の杜に囲まれた神社を拠点」として地域の活性化や町おこしなどに寄与できれば大きな力になるだろう。
・ 私は唯一一人の来賓で「玉串奉奠」、「来賓祝辞」が卒業式と入学式双方であり「学校法人理事長賞」も授与する役目も仰せつかっている。従ってこの日は午前9時から、午後3時まで「船場近くにある大阪府神社庁」に終日居ることになるのである。
・ 今回で4回目の出席であるが「素晴らしい式」で私は何時も「感動」する。今日の式も大変良かった。それは「中身」が良いからで「大人の卒業式であり、入学式」である。「敬神生活の綱領」を吟じ全受講生に「受講生手帳」が授与される。
・ その1ページには「生日の足日」という言葉があり「いくひのたるひ」と読む。意味は生日とはあらゆる物事がいきいきと栄える日のことで、吉日を意味し、足日とは物事の満ち足る佳き日という意味である。
・ 毎日がそのように「生日の足日」となるように「自分自身がただ念願するばかりではなくて、世のため人のために奉仕し明き清きまことを持って努力することで招来しうる」と教え、「自身を観照する心の鏡」として授与される大切な手帳である。「いくひのたるひ」とは何と響きの良い言葉であろうか。

・ このような訳で私は今や神社界の人々とも大変に近くなり又神社界の様子も大体知ることが出来るようになってきている。特に「作法」などは随分と勉強させて貰った。それだけに「一般の人々の作法に目がついつい行ってしまう」のである。
・ 1昨日関西大学の堺キャンパスの地鎮祭に出席したときにK常務理事から「神式の作法」について「校長、あれで玉串奉奠のやり方は良いですか?」と聞かれたのである。実は私も前には未知でやり方を間違ってしていた時もあり、この時は理事長職務代理の道明寺天満宮の宮司から指導を受けたことがある。
・ その為校長室で「特訓」を受けたことがある。あれ以来正規な作法で「参拝の正しい作法」をしているのだと思っているがまだ自信はない。この前も全校一斉の参拝で「2拝2拍手1拝のスピードが少し早い」と理事長職務代理から指導された。
・ 自分ひとりの時はマイペースでいけるのだが1900名近い生徒と共に参拝するときは「所作がついつい早くなってしまう」のは自分でも自覚していた。生徒はどうしても早くやるにで、それに「合わせよう」とついつい早くなってしまうのである。
・ ところで関西大学の地鎮祭で気がついたことは「拍手の所作」である。「拝礼」をした後、すぐ両手で外から手を寄せて拍手を打つ人が散見されたがこれは間違っている。まず「体の前方で両手をまず合わせて」それから開いて2回拍手を打つのが正式である。
・ もっと言えば合わせた両の手のひらをピッタリ合わせてそのまま打つのではなくて「右の手を指一関節下にづらせて拍手を打つのが正式な方法」である。これは案外知られていない。「音の出し方」についても何かありそうだがまだ詳細は知らない。今度勉強しておこうと思う。
・ 又拍手の前の「」については文字通り「」であって「おがむ」のであるからチョコンとした「」とか首だけちょこんと傾けるのではない。「腰を折る」のである。とにかく多くの宮司さんを存じ上げているが皆さんそれぞれに「絵になっている」のである。社殿の前に進み出る方法も細かい作法がある。昔から伝えられてきた作法というのは茶道や芸事と一緒でそれなりの意味があるのである。