2010年5月9日日曜日

5月9日(日)本校教員の平均年齢
















・ この4月から本校に来て頂いている事務長代理のHさんのことについては別途論述するが、この人に連休前に「どうですか?学校と言うのは?」と聞いたことがあった。銀行マンから転身して頂いたお方だけに早い段階での「本校の印象」を確かめたかったのである。
・ そのご返答は「イヤー、驚きました。お若い先生方が多いですね。学校の先生というのはもっとお年を召した方ばかりと思っていましたから。」であった。私は「我が意を得たり」と内心喜んだのである。
・ 「本校は若い先生が多い」。これだけは間違いない事実である。恐らく大阪中の公立・私立の全ての学校と言う学校、即ち、小学校、中学校、高等学校のうちで「最も教員平均年令の若い学校」だと私は確信している。
・ そうこうしていたら4月26日の日経新聞に扱いは小さいが「高齢化進む小中教員」との記事が出ていた。まさに「数字は語る」である。文科省が3年に一度行っている「学校教員統計調査」から記事にしたものらしい。
・ この学校教員統計調査は興味深いデータが多くあって傾向を掴むには格好の便利なもので私も時々引用している。「文科省のホームページ」を見れば直ぐに索引できる。今回の記事は小中だけなので高校はどうなっているのか、知りたいと言う意欲がなければなるまい。
・ 何でもかんでも目に入る現象や目の前のデータだけで勝負しようとする人が多いがこれでは不足である。「本質を掴むには更に一歩深く入ろうとする意欲が大切」である。一般的に理系人間はそうするのが特徴であるが、文系人間はデータよりも自分の感性を尊重しようとする。

・ 2007年度の「公立学校教員の平均年齢は小学校が44.4歳、中学校が43.8歳」であった。01年度からの6年間で小学校が1歳、中学校は2歳平均が上昇したとある。このことは「新陳代謝」が進んでいないことを証明している。
・ 小学校の場合最も多い年齢層は01年度は40歳代だったが07年度は遂に「50歳代に突入」したという。中学校は平均はまだ40代にあるが30歳代が減り、「50歳代の層の厚みが増している」。
・ 記事の末尾は「経験豊富な先生が増えるのは頼もしいが、若手が減ったことで変化に柔軟に対応する力が弱まらないか気になる」と結んでいた。この記者は正直で大変結構である。要は「年寄り教員で大丈夫か?」と言っているのである。
・ 確かに50歳代は若くはないが年寄りとも言えないのではないか。そこで私は詩人「サムエル・ウルマンの青春の詩」を思い出すのである。「人は年を重ねただけでは老いない。理想を失う時に初めて老いが来る」というのは分かるがやはり年は年だ。
・ 特に教員はマンネリ、勉強不足、上昇志向の欠落、横並び性向、自信過剰等で加齢のスピードが速いのではないかと私は思っているだけに特に小学校、中学校の教員の平均年齢が上がっていくことに危機感を有しているという記者の意見にも肯ける部分があると思っている。

・ さてそれでは本校は一体どうなっているのか。まず「中学校では平均年齢が27.4歳である。20歳代ですぞ!」。男子が31.8歳で女子が26.1歳で「女性教員比率がピッタシ50%」である。まさに理想的配置である。
・ 高校も凄いことになっている。「平均年齢は35.6歳、男性教員が37.8歳で女性教員が29.6歳」である。公立の平均が45.1歳だから10歳近く若いのである。ただ「浪速高校の女性教員比率はまだ26%」であり、これは課題であると思っている。すぐに40%近くになるのではないか。
・ このような年齢構成だから冒頭の事務長代理の印象にあるように本校は「若い教員の集まり」となってきており、外から見ても「元気一杯な学校」と見えているのである。理事長校長は年を食ってはいるがウルマンの詩の通りに「精神年齢はその辺の若い教員には負けない」。
・ 本校の正門の前の道路に面した多くのお店の方々は何十年本校を眺めて来られてきたばっかりだから「空気で分かる」とおっしゃるが、とにかく「先生も生徒さんも元気一杯」と言って頂ける。これを聞くと嬉しくなって私は2回は繰り返して聞くのだ。「そうですか、そんなに元気ですか?」と。
・ 学校の元気さはまず「校長の元気さ」にかかっている。幾ら教員が若くとも校長が「年寄りじみて」、積極果敢に挑戦することをせず若い教員のブレーキばかり踏んでいるようではそのうち学校はエンストしてしまうだろう。まず本校は大丈夫である。校長は元気すぎるくらいだろう。
・ そして次に教員は若い方が良い。これは「精神的若さ」のことも含めて言っている。ベテランはベテランの味わいがあり、生徒指導や教科指導において「参観者をうならせるもの」を有しているのも事実である。
・ 「老・壮・若の組み合わせ」が望ましいが現実には「正規分布」とはならないのであって1年経ったら1年年を食っていくのである。だから余計に精神の自由さを失わず「チャレンジ精神」が重要なのである。
・ 私は着任して3年が過ぎたが強制的に進めたことの一つに「教員年齢の若返り化」である。「早期退職優遇制度」を創設し、「セカンドキャリア支援制度」で第二の人生を踏む出す人へ金銭的支援をした。
・ そのおかげで人件費は削減できそして「新経営計画」が成立したのである。若い教員のエネルギーが実は「浪速の評判」を呼び込み、「生徒増」に繋がったのである。「しなやかで、弾力ある肉体にささえられた若い精神は浪速に未来への夢を持ち込んでくれた」のである。
・ ただ若いという欠点はあると指摘する声もあるだろう。それは「経験不足」というのであろうがそんなことは「そんなことは関係ない」と言ってやれと私は若い教員に「発破」をかけたい。「経験とは過去のもの」である。「大切なことは今であり明日」である。経験不足を補うには「謙虚さと勉強、そして仕事のスピードである」と言っているのである。
・ そしてベテランの教員には肉体の衰えはあろうとも「精神的若さは失うな」と言っているのである。「生涯学習」を忘れるなと強調しているのである。やはり「謙虚な態度」ではないか。「酸いも甘いも噛み分けてきた味」さえあれば経験は生涯学習で何倍にも輝く。経験にカビを生やしてはいけない。そして若い教員にベテランの力を「見せ付けてやれ」と言いたいのである。