2010年5月10日月曜日

5月10日(月)歓送迎会














































・ 今日は「教職員の歓送迎会」であった。126名の出席者で史上最高だという。名誉理事長や理事長職務代理からすれば「驚天動地の世界」に映るのであろう。一昔前までは出席者も少なく、「閑散を通り越して索莫とした雰囲気」であったと何時も職務代理が口癖のように言われていた。
・ 何時も「金一封」を出してそそくさと帰りたい気持ちだったと良く私に言われたものだった。私の代になって確かに数名の教員が理由もなく欠席通知を出していたりした時には私は個別に部屋に呼んで欠席理由を聞いたものだった。
・ これは「公式行事」でありほぼ出席が義務つけられていると考えた方が良い。「好きで来たのではない。来いというから来た」などと嘯く輩がいたらそれは許されないことである。「仕事の一部」と思ったほうが良かろう。杞憂で全くそういう人は居なかった。
・ 確かに昔は「面白い会合」ではなかったには違いない。しかし今は様相が完全に変わった。学校が荒れ、教職員団体の属する教員と経営陣の軋轢が学校を蝕んでいた時代も今では「何時の時代の話?」となり、「和気藹々」とした今日の宴席の様子は「今日の浪速の安寧」を示している。
・ 残念ながらご病気養生やら公用で理事7名の内2名がご欠席となったが5名の理事がご出席されて、ほとんど全ての教職員が出席された。本日は学校法人大阪国学院主催の年に一度の歓送迎会なのである。主催というより「招待」と言ったほうが正確である。
・ タイミングは何時も連休の後直ぐと決まっており、場所も最近では道頓堀の「敦煌」という中華レストランと言うか宴会場での大広間での宴席となった。大人数の場合中華料理が予算を考えても好都合なのである。丸テーブルで13テーブルだから大きい。
・ ところで私の代から「お土産」を付けることとした。宴会して「ハイ、それではお開き」と言って手ぶらでお帰しするのも味がないと考え、お土産を付けることを私は決めた。そしてそのお土産は3年前の最初から「蓬莱551の豚マン10個入り一箱」としてきたのである。
・ 人間の悲しさで今では専任教諭など「当たり前」と思って居るかも知れないがとんでもない話で何処の学校が教職員相手に全額費用負担の上にお土産まで付けるかということを考えて貰わねばならない。
・ これは大阪府神社庁からの寄付金の一部を当てているもので、そう意味では公金を使っているのではないので気にする必要もないのだが、これは学校法人としての「福利厚生」の面もあるのである。
・ そして私は教職員が元気一杯働けるのも「家族あってのものだね」で、このお土産は理事長からのご家族へのお土産なのである。酔って手ぶらで自宅に帰るよりはお土産の一つもあればと考えたのである。
・ 最初の年に数学科のT先生が翌朝私の部屋に来て「校長、あのお土産は良かった。家族大喜びだった。特に校長からのお土産というのが効きました。」と言いに来てくれた時は「私の気持ちが伝わった」と思ってとても嬉しかったのである。
・ 何故、蓬莱の豚マンかと言うと正直「値段が手頃」な割りに「手持ち感がずっしり」で第一結構上手いと聞く。それに夜の九時過ぎに帰ったりした時にはご自宅では夕食は既に済んでいるだろうが、育ち盛りの子どもさんがいるところでは「ワーイ、豚マンだ。」と言って一個や二個くらい夜食として「ほうばる」のではないか。そのように考えたのである。
・ この3年間で一回値上がりして今では10個入りのものが1650円で、それでも2000円以下である。大阪ではお土産は豚マンが良い。勿論、中には「豚マンは嫌いだ。あの臭いがたまらん」という人もいるだろうが、そういう言う人は「お好きな人にあげたら良い」のであって、ただで貰うものをあれこれ文句を言ってはいけない。
・ それに単身の方で自宅に喜んで貰える人も居ないと言うのであれば、「冷凍保存」しておけば良いのではないか。実は私も過去2年間私のお土産は全て他人に差し上げていた。その理由は冷蔵庫が小さくて入る豚マンが10個も入るスペースがなかったからである。それを大きなものに替えたので今日は持ち帰ったのである。
・「 常勤講師の先生方が40名以上もおられるし入試広報室からは中学校校長経験者の顧問の先生」も来て頂けるので名前も分からないでは困るので胸に名札を付けるのも慣例とした。専門教科名も入れている。
・ この大歓送迎会で最大の問題は「席の配置」である。担当は事務長であるが何時も頭の悩ましている感じだ。私は「どうでも良い」と言っているのだが、特に理事者の席には出来れば毎年異なる顔ぶれが良いと工夫しているらしい。
・ 例えば昨年は関西大学から理事をお迎えしたのでその席9名はすべて関大卒の教員にしたりという具合である。そして理事者席には「それなりのマナーと雰囲気」を有した人が良かろうと思う具合に事務長は考えているらしいのである。
・ 私の席は送られるお方と後はこの4月に新しく来られた常勤講師の先生方の中から事務長が決める。どういう判断基準かは知らないが初めて近くに接することのでききる若い先生方でどのような会話になるか何時も楽しみであった。
・ 昨年は酷い目にあって最初から最後まで一人でビールを注ぎ、ただ回転テーブルをまわして出てきた料理を我先にと食べる先生やらで「場を維持する」のに苦労した思い出がある。しかし今年も大したことはなかった。
・ どうして教職を選んだ人々はこのような宴席での基本的な「身のこなし方」が出来ていないのであろうか。まったく不思議である。こういうのを社会的常識というが教員にはこの種のことの訓練が出来ていないのである。
・ こういう場面こそ社会人としての「有り様」が重要であり、それが好感度を与えるものであれば「人柄」を訴える格好のものになる。そうかといえば一歩間違うと大きな悪印象を与えるもので「酒の席のことだから・・・」と口では寛容なことを言っても「酒席のマナーは組織人には危険と隣り合わせの重要なこと」であると知らねばなるまい。
・ 急遽、事務長原案を修正して理事各位の席には私が選んだ教員を理事の左右に配置したがさすがに「見事に対応」してくれたみたいである。「組織の秩序」、今日の趣旨をこれらの先生は分かっているのである。3年間もこのことを教えるのに時間がかかった。中には理事から天満天神繁盛亭の切符を頂いた教員も居たらしい。大変結構なことである。
・ それにしても大変「盛り上がった会となった」。最後の締めでは関西大学の常務理事と摂津市長さんの二人の理事からご挨拶があったが温かいお言葉を頂いた。皆さん、「良い雰囲気の宴席」と言われていた。このことこそ私が望んでいたものだった。 嬉しい。
・「浪速賛歌・木村賛歌」のご挨拶であったが私は聞くたびに「身の引き締まる思い」がした。「匍匐前進」「謙虚に一歩ずつ前に進む」しか方法はない。「今の勢いを如何に維持」するか教職員一人ひとりが「覚悟」していかねばならない。過ぎ去ったことは例え「過去の成功体験であっても明日を約束するものではない」。
・ しかし「良い職場」となったものである。私は「感無量」であると同時に頭の何処かが「覚めてくる」のである。トップが「舞い上がってはいけない」のだ。トップはどこか冷めて現実を厳しく診ることが重要である。私は復新たな目標に向かってこの1年の「」を切っていかねばならない。
・ 進行役の事務長は宴が始まってすぐに「紹興酒」でべろべろになっていた。これではいけない。彼も年をとって酒に弱くなったものだ。予定時間を15分間遅らせて「お開き」。皆さん、お土産の豚マンから臭いが洩れてきてお帰りの電車の中で苦労されたのではないか。私は歩いて帰れるので全く問題はなかった。