2010年6月5日土曜日

6月5日(土)事務職員を求む











・ 優秀な女性事務員を突然病気で喪ってから3週間が経った。今更ながら「仕事の出来る事務職員」だったと思う。「惜しくてならない」。お母さんとお兄さんが過日学校に来られてご挨拶を受けたが、悲しみは深まるばかりだと言われる。
・ 私は彼女の「退職金」をお母さんに通知させて頂いたが、そのときもお母さんは慟哭されていた。私は言ったのだ。「これはOさんがお母さんに残されたものです。一日でも長生きしてくださいね」と。
・ 彼女が使っていた机と椅子のある場所にご案内した。今月27日が所謂「49日法要」で私と事務長と同僚だったI事務職員が参列させて頂く積りである。しかしとにかくOさんと同じような「明るい性格で頭の切れる優秀な事務職員を一刻も早く」探さないといけない。
・ 私は「複数の方法で人材を募集」している。出来れば「男性1女性1の合計2名程度確保」したいと考えている。「年令は40歳未満で4年生大学卒業以上の学歴を条件」としている。年齢制限を設けているのは人材の年齢構成からである。
・ しかし残念ながら「応募者の出足は悪い」。「ウーン」という感じである。世の中には「職を求めて」とか色々言うが現実には優秀な人材の確保はそう簡単ではないことが分かる。今朝の朝会で私は事務長に「新聞募集広告」を検討するように言ったのである。
・ 詳細は「本校のホームページ」を見ていただいたら結構である。学校の事務の仕事は「チャレンジング」だし「やりがいがある」と私は思う。処遇だって「悪くは無い」。最初は戸惑うこともあろうが「生徒の声のこだまする学校」で毎日仕事をすることが出来るのは「幸せ」だと思うがなー。
・ ただ本校は私立学校だから「土曜日は勤務」である。「土曜日はゆっくりしたい」と思う向きには当方から「お断り」しなければならない。今の日本の状況からすれば「週休2日をゆっくりエンジョイ」すると言うわけにはいかないのではないか。「働くと言うことが楽しい」というお方を歓迎したい。

・ 「学校事務」は国の就学支援金とか大阪府の助成制度やらで「錯綜」しているが、「学校教学」のほうは「極めて順調」で毎日が過ぎていっている。昨日は学年主任や生指部長と懇談したのだが「今年も優秀な教員が揃っていると強調」していた。大変結構なことだ。
・ 過去には「びっくり仰天」した先生もいた。始業式に一日来ただけで翌日からは出て来ない先生、一日おきに出てくる先生とか、常勤講師なのに朝ゆっくりと出て来る先生とか、それは「様々な教員」がいたが全くそのようなことはなくなった。
・ 過不足もなく安定状態である。先生方には健康に気をつけて貰いたいと今週の職員会議で私は申し上げた。一人病気で倒れれば「教員手配」に走り回らなければならない。少しは余裕を有してはいるが、一人の先生に過重な負担は避けなければならないからである。「少数精鋭」とはこういうことである。「本校はまさに少数精鋭」である。

・ 5月27日の夕刊各紙には扱いが結構大きく教員定数割れの記事が出ていた。「教員定数割れ2600人、大阪府の小中」「臨時講師足りず、担任不在・自習続きも」とか「先生見つけて、生徒直訴」とかの見出しであった。
・ 府教委が財政難や少子化を理由に新規採用を抑えたことなどから府内の公立小中学校の教員定数38000人を約2600人分満たしていないと記事にはあった。「不足分は臨時講師で穴埋め」しているというが精神疾患や産休などで補充が出来ず苦労をしていると言うものである。
・ その影響は深刻で「少人数展開授業」が出来ないとか「免許外担当が増えた」とか極端な例では教師経験もなく講師登録もしていない「家庭の主婦に白羽の矢」をたててやって貰っているらしい。その理由付けが面白い。地域で子ども関連のボランティア活動をしているとの理由らしい。
・ まあこう言っては何だが「専門性の高い高校と違って」小中では「主婦、OB」などあって良いのでないか。今少ないからと言って「がばがば採用」したら後で困ることは「見え見え」だから要は全体のバランスだろうと思う。
・ 大体学校の先生が大学で教員免許を取り自治体の教員採用に受かったから「良い先生」とはならない。免許を有しているが「ペーパードライバー」だったという人が実際教壇に立ってみると「良い仕事」をするという光景はよくあることだ。
・ 又免許を持たなくとも「立派な先生」という人も最近では国の規制緩和で民間人校長と社会人教師とか増えてきて「当たり前」のことと成ってきている。社会はある面「学校の先生に対して幻想状態」に陥っていたともいえる。
・ それを「駄目教師」の存在が社会の目を開かせたのである。大学を出てそこで教員免許を取り23歳から「先生、先生」と呼ばれて「舞い上がり」自分は「偉い存在」と錯覚して「生徒のことは片手間」で「自分のことばかり」考え行動する「教員の質」に社会は驚いたのである。
・ 私はもっともっと社会人の教師を入れなければ駄目だと思っている。もっともっと「教員の仕分け」をしなければならないと思っている。その昔は大学卒の学歴を有した比率は低かった。だから世間の人々は「学士様の先生」に一目も二目もおいたのである。
・ ところが「高学歴社会」となってきて、中には学校の教員よりは偏差値の高い大学卒の家庭の主婦が多く出現してくるようになると教師を見る目は当然厳しくなってきたのである。見た瞬間から「値踏み」をされているのである。
・ 私は小学校の半分の教員は「社会全体で面倒を見る」という観点から「半分は社会人教師で良いのでは」と思っている。そして小学校の教師を中学に回せ。中学校はある程度の「専門性」を必要とするからだ。そうすれば教員手配は問題ない。
・ 問題は高校教員である。これは「教員としての資質」がもろに響いて来るだけに明日から社会人を採用というわけには行かない。それだけに私は高校教員には特別な配慮が必要だったと思っているのであるがそういうと小学校中学校の先生から文句が出るのでこれ以上は言わない。