2010年8月14日土曜日

8月14日遍路行七日目 阿波を打つ

七日目 8月14日(月)   阿波一国打ちを終える




龍山荘も悪くはなかった。良い民宿だった。ここも管直人の写真を貼っていた。今日は阿波徳島の「一国打ち止め」の日である。22番平等寺を打ち、最後23番薬王寺を目指す。30キロの長丁場、8月8日の出発であるから、7日目で阿波の国、全ての札所に納経することが出来た。猛暑、酷暑でも表現できない炎熱地獄の蒸し暑さの中で歩きに歩いた。体は少しずつ疲労蓄積するも、なんとかここまで来た。素直にこれが「木村の根性」だと言いたい。今日も山田さんと若きサラリーマン君との3人揃い踏みの行脚が続く。

① 6時朝食、6時45分3人が出発。支払い7000円。大学生はまだ朝食を食べている。今日は1日の距離としては最大の30キロ、涼しい内に距離を稼ぎ、早く宿に入ることが、翌日に勝つための鉄則。エアーサロンパスと湿布薬が効いているのか足首の調子が少し良くなってきた。


② 8時30分22番平等寺を打つ。極めて早い。平等寺、枯れた味のする良いお寺さんだ。9時20分出発、国道55号線、ただひたすらに阿南市、日和佐を目指す。伊勢エビと亀の来る町として有名な日和佐である。





③ 歩く順番は木村、山田さん、サラリーマン君と変わらないがその間隔が昨日よりは狭い。若いだけにサラリーマン君、一晩寝て元気を取り戻したみたいだ。それにしても礼儀正しい青年だ。会社における、社会における教育力のすごさだと感じる。先頭はそれなりに気を使う。何時休息を入れるか、その辺の呼吸が難しい。道は若いサラリーマン君がチェックしてくれている。トンネルが多くなる。釘打(かねうち)トンネル、星超トンネル、久望トンネルなど良い名前の隧道が続いた。


所どころの自動販売機やコンビニなどは休息所になる。今回場違いともいうべき国道沿いになんと一軒の「たこ焼きや」を見つけた。ここで、宿で作ってもらったおにぎり2個をそれぞれが食し、加えて僕がそれぞれに一パックのたこ焼きをサービスした。数がやたら多くて一箱300円。お店の人もエアコンを付けてくれ、冷たいお水を呉れた。元気一杯になり又歩く。共に歩く友がいるということは心強いことだ。水をよく飲むが、僕なんか途中で小用などしない。汗ですべて出るのか膀胱が大きいのか僕は小用を余り取らない。しかし山田さんは多い。何故だろう。汗で流れて必要などないと思うが、とにかく多い。



④ 日和佐まで2キロの地点で大学生のXX君から電話が入る。今平等寺を打ったところだという。余りにも遅い。20キロ以上の差がある。「今、何処ですか」と聞くので余りショックを与えてもと考え、後5キロくらいかなと応えたが、それでも「へー」と驚いていた。頑張るように激励したが、もう彼とは会える機会は来ないと感じた。基礎体力というより根性を感じないのだ。最後まで歩き通せるとは思えないのである。


⑤ 3時前、最後の札所第二十三番医王山薬王寺を打つ。吉川英治の「鳴門秘帳」、司馬遼太郎は「空海の景色」で舞台になった薬王寺である。一つの区切りであり、感無量のものがある。8日間で23の札所、完全に歩き通した。納経帳の御朱印、お軸への御朱印、御姿、すべて自分が歩いて参拝し手にしたものだ。





⑥ 若いサラリーマン君、今日はもう少し歩くと。経済的に1日は民宿、2日は善根宿(無料の接待所)と考え、もう少し先を急ぎたいと。納経札を交換し、境内で別れた。良い男だった。


⑦ ぶっつけ本番で宿を探す。運良くといってもがらがらであったが「宿坊」に泊まれることになった。山田さんは僕の後を付いてくる。20人はゆうに寝られる部屋を一人で使える。山田さんも隣の大きな部屋だ。クーラーも良く効く。食事も悪くない。洗濯機も乾燥機も無料で使える。余り親切でないなど、物の本には宿坊をけなしているのがあるが、ここはそうではなかった。部屋のテレビが付かないと言ったら飛んできて別の部屋の物と交換してくれた。著者の経験だけで断じてはならないなと。初めての経験であるが宿坊は悪くない。


⑧ 17時10分道明寺天満宮の南坊城宮司からお電話、「現理事長、勇退決定。是非後を頼みたい。」と。9月に会談を約束。すでに内定している○○学園とまたさき状態になってきた。「今後の身の振り方をどうするか。」ボツボツ意思決定をしなければならない時期が近づいてきているのを感じた。