2010年8月10日火曜日

8月10日遍路行三日目 遍路ころがし

三日目 8月10日(木)   「遍路転がし」に転がされた




 遍路本に必ず出てくる前半の難所、11番藤井寺から12番焼山寺を目指す。山を3つ越えていく遍路道、「遍路ころがし」という。今日は一寺のみの巡拝であり、とにかくこれをやりきれなければ、この先の「歩き遍路」に自信は持てない。


 標識にあったが「最後まで残った空海の道」の表現が全てを言い当てている。確かに全く人の手が入っていない1200年前からの道が今でも厳然として存在している。若き空海が歩いたと同じ、この道をただひたすら、後にも先にも誰もいず、ただ同行二人、金剛杖だけが頼りの山道を歩いたのである。


その昔、住金時代に「熊野古道」を歩いた経験があるが、大変よく似た感じであり、ただ「熊野古道は神道の道」、「遍路道は仏教の道」、どことなく「匂い」は違う。両方実践した自分にはこのことがよく分かる。そう言えば誰も熊野古道と遍路道を比較検証した論文など聞いたことはないが、面白いテーマと考えないか。

昨日は苦行と書いたが今日は難行苦行と言いたい。本当に苦しかった。まさしく「遍路ころがし」であった。僕は完全に転がされたのである。



 ① 6時朝食、6時40分出発。吉野旅館は正直言って大変良かった。新しいだけに一生懸命なのだ。女将さんの感じも料理も設備も良かった。支払い7500円。お昼のお弁当、おにぎり2個と2Lのペットボトルの麦茶を持たしてくれる。


 ② 順調、歩きながらご詠歌を聴く。折角今回の為にiPodに吹き込んだものだ。極めて良い雰囲気。元気が出る。ご詠歌は何かの力を間違いなく有している。全ては順調。重い荷物も苦にならず。無理をせず、休息を入れながら山道の登りを踏みしめるように一人歩く。徐々に体が慣れて来たのだ。ただ下りは難しい。下りの方が体には辛い。金剛杖が唯一の頼りであり、杖の使い方で足腰、膝の負担が変わることが大変良く分かったのである。

  歩いても歩いても道は続き、孤独感と疲労から完全に消耗してくる。しかしところどころにある空海ゆかりの場所に行き着くと不思議に頑張ろうという気になってくるのだ。



 ③ ところが最後で大失敗をする。調子にのるとこの様だ。2つ目の山を抜けたところで、道を間違え、せっかく登ってきた道を間違えて山を下って麓まで降りてしまった。案内標識もなく「おかしいな、おかしいな」と感じつつの歩きだった。二つ目の山の中腹から、攻めて、三つ目の山の頂上にある焼山寺に至る肝心のポイントをミスしたのである。「泣きっ面に蜂」とはこのことである。麓から5.6キロ併せて12キロ近く余分に歩かなければならない羽目になってしまった。合計3時間のロスである。前を向いての戦いに時間をとられるのは喜びとなるが、意味のない横道は本当に辛い。泣きたい思いを押さえて、歯をくいしばって、諦めずに頑張った。ついにはリュックを途中の道に投げだし、納経帳だけを持って登っていった。誰の責任でもない。自分の甘さといい加減さがもたらしたものだ。そしてようやくたどり着いた焼山寺を遂に打ったのである。少し“うるうる”。3時を越えていた。疲労困憊とはまさにこのことか。まさに死闘であったのである。


 ④ 途中で投げ出したリュックを拾い、予約した「なべいわ旅館」に倒れるように投宿。これだけは自分が研究して予約しておいたもので、時間のロスが結局良い塩梅になり、適当な時間16時30分到着。この民宿は遍路世界では有名なもので、総檜作りで天井は丸太の梁が露出、風呂も檜作り、渓流添いに位置する贅を尽くした民宿、先ほど前民主党代表の管直人氏が宿泊したらしく大きな写真が食堂に貼っている。とにかくホットして酷使した体を湯船にひたす。


 この民宿には遍路帳が用意され、投宿者が何かを書いて残している。こういうものは好きなので興味を持って読む。大変面白かった。みんな、問題を抱えて生きているのだな。歩いて問題が解決するのかなー。なるほどなー。持って帰りたかったくらいだ。


⑤ 今日の山道である事に気づく。山の切り立った崖に露出した土が、焼きものに適した粘土であり、持ち帰って焼いてみたいと強く感じた。中には純度が大変高く、焼けば白くなる良質の木節粘土である。今やこういうところは少ない。手が入っていないところ故、このような土がまだ残っているのだ。何を焼くか。焼くものはこれしかないとすぐひらめいた。即ち「弘法大師」である。手作りで四国霊場、巡拝遍路道の粘土でお大師様の姿を焼き物で表現するのである。


⑥ 今回の巡拝では「感謝・報恩」をまず主体にし、「お願い」は前面においていない。「業は背負って行く覚悟」の旅である。「好きなものは好き、嫌いは嫌い」でよいではないか。覚悟を確認する旅である。


⑦ 夏は遍路には季節外れという。「春遍路 3,4,5月」「秋遍路 9,10,11月」という。本当に人は少なく、まして歩き遍路はほとんどいない。確かに猛暑、酷暑の中を舗装道路の照り返しを受けて歩く人間など少し変わった御仁なのかもしれない。それでも一人二人顔見知りが出来た。ぺらぺらしゃべりはしないがお互い何かを感じるのか。遍路宿も予約無しですぐ泊まれる。人恋しいだけに宿の人達とも話が弾むことになる。


⑧ 明日は4日目、区間距離が今までで最大の20キロ以上の長距離となる。ただひたすら歩くのみ。今日の疲れで明日は大丈夫か、いささか不安になる。しかし明日を乗り切れば前半の山場は越える。明日が運命の分かれ目。鳴門市、阿波市、吉野川市を歩き、遂に徳島市に入る。頑張りたい。9時に消灯。