2010年8月19日木曜日

8月19日(木)遍路行 十二日目 男59歳二人

十二日目 8月19日(土)   59歳の二人の男


 土佐の遍路道は修行の道である。距離の割にお寺の数が16と少なく、お寺間の距離が長い。今日も28番大日寺を目指してただ歩くのみである。2回目の40キロとなる長丁場だ。どのような出会い、どのような民宿となるのであろうか。興味は尽きない。今日は特徴的な二人の59歳の男の話を書いておこう。それにしても毎日ただ歩くだけの日々であるが、よくもまあ書く話題が次から次とあるものだ。

① 今日は早めに荷物の整理を進めていた。6時朝食、支払い7800円、出発6時30分。83歳の女将さんのお見送りを受ける。朝5時30分まで大雨であったが出発の時には雨は無い。女将さん、わざわざ新聞を持って部屋に来て呉れる。「今日は雨よ。・・・」靴は完全にクーラーの部屋で乾燥している。ここにもう1日居る訳にはいかない。大雨になれば濡れていくだけ、完全装備をして出発。振り返ると女将さんは僕の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。結論、結局この日、一回も雨に遭わず、この辺が運気の強い所か。

② ただ歩く。歩くのみ。これ以外やること無し。これほど社会と関わりを持たず、このようにただ歩く行為に生きる自分を全く想像などしていなかった。今までの人生との違いには比較表現すべき言葉もない。手帳の予定欄が黒くなるほど埋まっていたスケジュールが今は予定などないのである。ただ歩くのみである。問題は今後どのように生きるかである。様々な事を考えながらただ歩く。


③ タイガースタウンで知られる安芸市を通過、芸西村を通過、自転車道が整備されており、55号線、土佐鉄道、自転車道、村道4本の線が並んで高知に向かう。今日も脚は快調である。長い間日常生活で歩いて鍛えた脚はこれだけ歩いて来ても豆一つ出来ていない。ここが自慢である。遍路本には「足にまめが出来ない歩き方」とか様々に出版されているが、運よくまめがまだ出来ていないのだ。


④ 自転車道で1人の男と1時間並んであるくことになった。男59歳、前歯が無いため、年取って見える。頭は剃っている。川口市の生まれ、寿司職人、一時期は良いときもあったがバブル後巧くいかない。結婚もしたが別れた。東京で流れ職人でやっていたがここ2年九州に流れていた。土方仕事しかなかった。ここも結局巧く行かず、たまたま四国高松に流れてきた。ある人と知り合い、歩き遍路の事を知り、色々教えて貰って83番から歩き88番そして1番と廻り今28番を目指している。お金も無いため、全て野宿か善根宿、お接待所で寝ることになる。無くなれば托鉢して歩けば良いとその先輩に教えられた。今は季節外れで遍路の数も少なく運が良ければ一軒で千円入れてくる家もある。母は元気で兄貴が面倒を見てくれている。たまに電話して元気なことを確認しているが、縁は切れたも同じ、こちらも恥ずかしくて今更親の前に顔を出すようなことにはならない。これも人生かなと思っているが、・・・・。

 関東人らしく言葉は完全に標準的で決して振る舞いの品位が甚だしく落ちるということではないが、服は汚れ、側に寄るといささか臭う。途中野生のイチジクの木を見つけ、熟した実を「貰っていいんだよね。」といって数個取り、「旨い、旨い」と口に運んでいた。


 脚は僕の方がとても早く小休止の後、「先に行くね」と言って途中で離れることになった。彼はこの遍路で何を得て、今後何をしようというのだろうか。団塊の世代のある一面を見る。何が悪かったのか、彼が悪かったのか、他に方法が無かったのか。・・・。


⑤ 今日もお接待を受ける。歩いていたら急に追い抜いた車が私の前10メートルに止まり、窓を開けて妙齢なご婦人が「お接待をお受けください」と。中から年の頃、5歳から9歳くらいの女の子二人が紙袋に入れた飴を呉れるというのだ。「さあ、お遍路さんにお渡しして。」紙袋には「道中,気を付けてね」と書いている。恐らくおばあさんが書いたものである。達筆である。小さな子はお孫さんだろう。嬉しい限りだ。飴が10個も入っていた。決して断ってはいけない。素直に「有り難うございます」と。


⑥ 15時28番大日寺を打つ。山門側のお店で先に詳しく記載した大学生xx君と出くわした。23番薬王寺から室戸街道は電車とバスで来たとのこと。このことに辛そうな顔つきであったが、「元気になって良かったね」と言って上げた。大切な親御さんの応援を考えれば意味のない歩きで余分な宿泊費を費やすべきではないと思う。今後また時々会うかも知れない。更に先に行こうと思えば行けたが明日は高知市内でゆっくりしたいと考え、無理をしない方が得策と考え、宿を探した。大学生は急ぎたいと先に出発した。




⑦ 宿は「丸米旅館」と言い、民宿と口がすべったら、「家は旅館です。」と言い返された。旅館と民宿では、特に旅館側には誇りもあるのであろう。先代から続いているこの地方では名のある旅館だという。何処が違うか、僕の観察ではまず、洗面所とトイレが部屋の中にある事くらいでそれ以外はまったく今日まで泊まってきた民宿と違うところはない。


⑧ 宿で面白い59歳の男性と食事で一緒になった。言っていることは無茶苦茶に近いがうらやましいところもある。59歳、京都から来た勤労者。車で遍路,気が向いて来たとのこと、全部廻る気持はない。39歳で奥さんを亡くし、子どもは二人、付き合っている女性は3人もいる。61歳、51歳、24歳。61歳とは最も長くて別れられない。51歳の女が一番良くて気にいっている。今度友人の紹介で40歳台の女と付き合う可能性がある。24歳とはただ付き合っているだけ。どれとも男女の関係であり、自分としてはどれも大切にしているとのこと。女性行動、女性心理など講釈がとても巧い。彼がしゃべったことは、いくらなんでもここでは書けない。一見、有名なタレント料理人の神田川某に似た感じのハンサムで合気道などやっているらしい。マッチョに近い。車が大好きで今はローレルに乗っているとのこと。良い車ですねとだけ言っておいた。車と一緒でどんな車にも乗って見ないと判らないのと同じで、女も分かりませんよと。人生好きなように生きれば良い。とにかく楽しくあるがままに思いのままに生きていく。自分の夢はバリ島で何時か永住することだ。

 とにかく話が好きで、夕食はとうに済んでおり、最後は何時席を立つか、タイミングも見計らって話を切った。世の中には色々な人が居ます。色々な59歳の人間がいます